カテゴリー別アーカイブ: 日本入管法

Detention-Deportation in Japan

安藤 勇(イエズス会社会司牧センター) 【2011年6月15日】

While I am writing this a young mother accompanying her 3 little children is in her way for the Philippines. They are not tourists and leave Japan not because of their own will, they are “deported”. The mother is, in fact, a single mother abandoned by her Filipino husband who had brought her to Japan.

On early March this year, I received a phone from an immigration detention center. The person I had never met before wanted me to visit her because she was very much in trouble and wanted to consult her situation with me. When I finally agreed and was able to visit her, my findings were painfully sad and I became really angry. It was true that the mother was living in Japan for several years undocumented. She had 3 small children, all of them born in Japan. From last October up to today (15 June, 2011) she was forcefully separated from her little ones and interned in an immigration jail. The oldest child at that time was 3 years & 10 months old and the smallest only 1 year & 5 months old. The children were placed in a welfare institution hours away. The mother in jail was never allowed to see them for over 8 months. She was very poor and wanted to remain in Japan and to educate her children here. She didn’t have any money, but immigration was pressing her day after day to get money for their tickets back to the Philippines, in spite that she did not have any possibility to buy them. Finally some of us decided to bring to an end such dramatic situation and gathered the needed cost of the tickets.

This way the case was closed, but the real issue remains unresolved. The legal system is kept untouched: undocumented persons are put in jail and deported. But, how can people keeping that system become so chilly and psychologically “frozen” to separate for more than 8 months a mother from her little ones? Is a detention center the only answer? Where are humanitarian ways? I have heard that there is a kind of a quota of so many thousand cases of undocumented persons to be detained and deported every year. The content of the cases doesn’t matter. To meet the quota is the most important.

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【 報 告 】 私の移民体験学習イン・ジャパン

アンディ・アビン(イエズス会) 【社会司牧通信138号2007年6月15日】

 東アジア・オセアニア地区の第10回イエズス会神学生ブラザー会議が昨年12月21日~今年1月6日、マレーシアのマラッカで開かれた。私たち参加者は、この会議の間に行われた体験・分析・考察の実りとして、行動計画を作成した(『社会司牧通信』137号参照)。私たちはロヨラのイグナチオの「magis(より大いなる)」の精神に触発されて、養成中のイエズス会神学生の仲間たちにインスピレーションを与えようと考えた。というのも、私たちはこの会議で、イエズス会の社会使徒職、とりわけ移民の世話に参加することを決議したからだ。

 「東アジア・オセアニア地区のイエズス会が行っている社会使徒職の豊かさのゆえに、SBC参加者は、イエズス会の既存の社会使徒職組織に積極的に参加する。…イエズス会や関係機関の信徒協力者と共に働くこと。…そうした活動の成功に学び、伝統的な家父長制や制度の障害を克服すること」(第10回SBC勧告、4-4.2)

 これに加えて、私がクアラルンプールで体験した、移民労働者との意義深い現場体験から、私はさらに深い体験をしたいと思うようになった。こうして、私は一人のフィリピン人として、移民というチャレンジを心に留めようと、夏休みの体験学習を、移民労働者―特にフィリピン人労働者―と共に働くことにした。

 体験学習の具体的な方法については、実際にいろいろな選択肢がある。だが、フィリピン人労働者の最大の受け入れ国の一つである、日本に行くという選択肢は、最善の方法のように思われた。私は、このことを体験によって確認した。もちろん、私をあたたかく歓迎し、体験学習の間中、親身に世話してくださった、イエズス会日本管区の寛大なご配慮は言うまでもない。なによりも、日本で滞在したり、訪れたりしたイエズス会のコミュニティで、私はイエズス会の国境を越えたきずなを実感した。そしてもちろん、カトリック東京国際センター(CTIC)での有意義な体験のおかげで、私の体験学習はとても実り豊かで、忘れがたいものとなった。

<右から二人目が筆者>

●CTICでの体験 
 イエズス会東アジア・オセアニア地区の責任者、アドルフォ・ニコラス神父のおかげで、私はCTICとコンタクトを取ることができた。CTICは東京教区のセンターだが、設立当初の時期に、ニコラス神父が先駆者の一人として活躍したことから、イエズス会の影響も見てとることができた。とはいえ、CTICは今では、自分自身の活動体験に基づいて、移民の問題について堂々と意見を述べている。
 CTICは、あらゆる移民の社会的・精神的ニーズに応えるだけでなく、日本人のニーズにも応えて
いる。CTICの支援する対象は、特定の国籍に限らず、あらゆる人種、宗教に及ぶ。
 私がCTICの三つのオフィス―目黒、千葉、亀戸―で働いていた間、結婚や親子関係、出入国その他の問題で、法的援助やアドバイスを求めに、オフィスに電話をかけたり、訪ねてくる相談者たちと接する機会があった。私が感動したのは、大部分がボランティアであるCTICスタッフの、一人ひとりの相談者に対するケアだった。特に、スタッフたちが相談者の母国語を使って相談に応じたり、無料で質の高いサービスを提供したりしているのには、感激した。私は、相談者たちがオフィスを出るときにもらす安堵のため息から、彼らの苦痛や重荷がいかに軽くなったかを感じ取ることができた。
 だが、CTICは、オフィスの部屋の中だけで仕事をしていてるのではない。私は体験学習の間に、スタッフといっしょに、収容所に入れられた外国人労働者を訪ねる機会を得た。千葉警察署に拘留されていたフィリピン人女性を訪ねたときには、彼女と一面識もないのに面会に来た私たちが、彼女の物質的ニーズと法律上の問題の両方に対して、援助しようとする姿を見て、私の同胞である彼女がどれだけ希望を持ったか、実感することができた。拘留者に「認められた面会時間」の範囲内での、ごく短い時間、話していたときの彼女の顔は、感謝で輝いていた。品川の外国人収容所を訪ねたときも、同様のことがあった。収容されている外国人たちは、自分と同じ国の人や、少なくとも彼らのことを一般の日本人よりもよく分かる人が面会に来てくれて、彼らの苦境に関心を寄せてくれるのを見て、喜びに顔を輝かせるのを見た。  
 それでも、私のような一人のフィリピン人にとって、私が体験学習の間に行った、最も感動的なCTICの活動とは、東京や埼玉、千葉県のいろいろな教会のフィリピン人コミュニティに対する司牧的世話だ。たとえば、東京の赤羽教会や小岩教会、千葉の豊四季教会や松戸教会を訪ねて、聖体祭儀を行ったときには、私は同胞の移民労働者たちが、どれほど霊的な食べ物に飢えていたかを思い知った。彼らが、ただミサに与るためだけに、仕事などの果たすべき務めを休む許可をもらって、遠くからはるばるやって来たのを知って、彼らがどれほど切実にミサに与りたいかを知って、感動した。彼らは、イエスが群衆を指して言われた「羊飼いのいない羊の群れ」のように思われた。彼らは、神のみ言葉と聖体に飢えていたのだ。
 同じことは、イエズス会の安藤勇神父と小暮康久神学生が働いている東京・梅田教会でのミサを見たときにも感じた。他に訪ねた教会と同じように、たくさんの同胞たちが教会に集まっていた。中には、日本人の夫や家族を連れてきていた人もいた。
 あるとき、日本に来てはじめて、フィリピン語で行われたミサを聞いて、とてもびっくりした。あとになって、日本には大きなフィリピン人コミュニティがあるので、日本の多くの教会でフィリピン語のミサが定期的に行われているのだと分かった。さらに、私が気づいたもう一つの興味深いことは、フィリピン人コミュニティが行っているミサの、全部ではないにしても大部分で、感動的なフィリピン語の典礼聖歌が生き生きと歌われていて、集まった人々全体が盛り上がり、本当の意味での祝祭となっていたことだ。実に、外国の地にあっても、フィリピン人たちは聖体祭儀を通して一つになっていた。

●評価と振り返り
 しばらくの間、移民―特に日本に住む私の同胞たち―といっしょに働いてみて、彼らの状況をよりよく理解することができた。彼らが、自分自身だけでなく家族にも悪影響があるにもかかわらず、なぜ異国の地で働き続けるのか、その理由を垣間見た。また、私は彼らの嘆きや心配、喜びや笑い、希望や願い、口に出されない深い望みやニーズを聞くことができた。

私にとって、彼らといっしょにいること自体が、すでに価値ある体験だった。
 今日、移民たちは、その嘆きに耳を傾けられるべき貧しい人びとと見なされる。彼らは、慣れない異国の環境にあって、「最も小さな、最下位の、絶望的な」(least, last and lost)人びとと見なされる。彼らは故郷を懐かしんでいるが、それでも異国に留まって、祖国に家を建てるためにがんばり続けなければならない。SBCのある参加者は、会議のときに、移民を「現代の奴隷」と呼んだ―もっとも、この側面はそれほど表立って現れておらず、日本の移民には当てはまらないが。人生のさまざまな条件が重なって、彼らは選択の余地なく移民となって、また別の困難に苦しまざるを得なくなっているのだ。
 だが、彼らの状況は絶望的ではない。CTICやイエズス会の安藤神父たちのような、惜しみない善意の働きは、彼らの問題を軽減させることができる。彼らのニーズを世話し、助けることで、彼らは故郷から遠く離れた日本に、もう一つの故郷を見つけ、植え替えられた土地で花を咲かせる。実際、彼らは、共に暮らす日本社会にとって、インスピレーションとよい影響をもたらす者となり得る。たとえば、あるフィリピン人コミュニティは、その団結と相互奉仕の姿勢で、私を感動させてくれた。

 彼らの友情は、愛と思いやりに基づいたキリスト教共同体を築き、信者でない人びとにさえ、同じような共同体を作ろう、という思いを抱かせるのではないかと思う。
 今回の体験は、SBC会議でのグループ別の考察で、移民を「聖体の人びと」と見なしたことを、再び思い起こさせてくれた。彼ら移民は、「いのちのパン」のように、社会の状況によって割かれて、砕かれている。だが、彼らは自分自身を分かち与えることによって、苦境をものともしない信仰のわざと親切な振る舞いによって、他の人びとを養い、生かしているのだ。
 だから、私が養成中のイエズス会神学生として、移民たちの問題を取り扱って、彼らに奉仕することは、福音宣教の一つの効果的な方法となり得る。日本を例にとれば、敬けんなカトリック信者である移民の妻を通して、日本人の夫や家族洗礼を受けるというようなケースだ。さらに、私が思うに、多くの非信者は、移民の信者たちのコミュニティの団結と喜びに魅了されるだろう。
 私は修道者として、信仰を広める企ての最前線にいる移民たちを支えることで、彼らが担う福音宣教の仕事を支える役割を果たし得る。他方、私は福音宣教の主要な担い手である移民たちを霊的に育て、支える、謙虚なしもべでありたい。これは、どんな形であっても、主の大いなる栄光のために奉仕することなのである。

【 報 告 】 新たな外国人在留管理制度

安藤勇(イエズス会社会司牧センター) 【社会司牧通信149号2009年5月20日】

通常国会が閉会する6月前にも、国会で「出入国管理・難民認定法」(入管法)の改定が実現する見通しとなり、議論を呼んでいる。
 主要な改定点の一つは、法務省が外国人の在留管理に必要な情報を一元管理することだ。国会に上程された改定案は、市民団体や野党議員、日本弁護士連合会などから厳しい批判を浴びている。だが、有権者にとっては外国人の問題はさほど重要ではないので、選挙を控えた議員たちが、この問題を本気で取り上げるかどうか、疑問だ。

 日本政府に無視され続ける外国人 
在日外国人は長引く不況から深刻な打撃を受けており、多くの外国人は元々不安定な職を失って、日常生活が壊滅の危機に瀕している。彼らの多くは帰国を真剣に考えているが、ラテン・アメリカのような遠い国々から来て何年にもなる外国人にとっては、高額な帰国費用を支払うことは不可能だ。長引く不況は、これまでタブーとされてきた社会問題-たとえば、日本人社会と外国人社会のあつれき-を明るみに出している。かつては、在日韓国人も同じようなあつれきを経験してきた(あるいは、今でもしているかもしれない)。1970年代後半にベトナム難民が日本に来はじめた時にも、同じようなあつれきがあった。日本政府は、ベトナム難民に他の定住国を探すよう求めた。日本は難民の定住を受け入れないと公言したのだ。
 日本人と外国人の間に、交流と対話の架け橋をかけて、民族同士の和解を実現するためには、政府の役割と共に、家庭や学校での教育の役割も、非常に重要だ。もちろん、宗教もすぐれた仲介者の役割を果たす可能性を、常に秘めている。2007年度の統計で、在日外国人の数は200万人を超えており、この問題は日本の重要な国家的課題の一つと言える。

 不可避な人の移動
 日本は外国人旅行者や留学生、若い技術者の受け入れを増やそうとしているが、それは同時に非正規外国人者をも受け入れる危険と背中合わせである。非正規外国人の入国を止めることは不可能だ。日本への外国人の流入を断ち切ろうとすることは、日本の国益に反することだ。比較的楽観的な人口予測によっても、日本の人口は、2050年までに3000万~4000万人減ると言われている。おまけに、その多くが高齢者で占められる。世界中で年間2億人以上の人が外国に流出している状況の中で、アジアでも、韓国やフィリピン、ベトナムやインドネシアなど若い世代が増えている国々から、多くの人がチャンスを求めて、日本にやってくる。

 問題の多い新入管法
 バブル経済真っ最中の1989年、入管法が改定された。当時、日本の政策は大混乱のただなかにあったが、入管法改定は国会で十分に審議されなかった。この改定によって日系人の入国が促進されたため、ペルーやブラジルからの流入が進み、その数は2007年までに40万人にのぼった。
 それから20年経った現在、経済状況は変わっているが、危機的な政治状況は変わっていない。政府が国会に提出した入管法改定案は、通常国会休会前、6月初旬の成立を目指している。
 改定の主な目的は、法務省による外国人の全面的な管理であり、外国人在留規則を強化することである。現在の外国人登録証は、ICチップの付いた「在留カード」に取り替えられる。外国人はカードの常時携帯を求められ、持っていないと最高で罰金20万円を課せられる。また、居住地や雇い主、在留資格の変更を速やかに届け出ない場合も、刑事罰を受ける。新しい入管法では、新しい住所を法務省に届け出なかっただけで、外国人の在留資格が失われてしまう事態も懸念される。

 法務省の一元管理 
実際、法務省入国管理局(入管)が在留許可を出し、市町村が外国人登録証の発行や他のサービスを受け持つという、入管法と外登法(外国人登録法)の二重管理を止め、すべての外国人管理が入管だけに集中されることになる。したがって、たとえば在留登録は、外国人が住んでいる市町村ではなくて、法務省(入管)に対して行うことになる。とはいえ、在留期間が、現在の最長3年から5年に延長されたこと、社会保険への加入が認められることなど、プラスの面もあることはある

 高まる批判
 このように、改定入管法の内容である、外国人管理の一元化と監視強化に対して、多くの団体が批判の声を上げている。しかも、外国人は現在、自分たちの日常生活に密接に関わる全国1,787市町村に、直接行くことができるが、もし改定案が成立すれば、外国人は全国76ヶ所しかない地方入管に行くしかなくなる。しかも、市町村と違って、入管は外国人の日常生活とは何の関係もない。したがって、入管が個人個人の事情に配慮することはない。たとえば、家庭内暴力によって離婚を余儀なくされる外国人配偶者(その多くは女性)が増えているが、彼女たちにとって、入管法の改定は深刻な問題だ。その結果、多くの子どもたちが学校に行けなくなるだろう。
 この問題に関心のある方は、日本弁護士連合会の意見書(2009年2月19日)をご参照いただきたい。

資 料 新たな在留管理制度の構築及び外国人台帳制度の整備に対する意見書(概要)
日本弁護士連合会
2009年2月19日

1 新たな在留管理制度の構築に対する意見
(1) 新たな在留管理制度については、管理を強化する必要性を裏付ける事実の有無や必要最小限の管理であるかなどの視点から、その採否自体を含め、慎重かつ厳格な検討をあらためて行うべきである
(2) また、その具体的内容については、次のような問題点がある。
ア 外国人からの在留状況の届出については、在留資格の更新等の判断に具体的な必要性のない事項についてまで対象とすべきではない。
イ 全ての中長期滞在の外国人(特別永住者を除く。)にICチップの組み込まれた在留カード(仮称)を交付し、罰則をもって携帯を義務付けることに反対する。
ウ 特別永住者に現行の外国人登録証明書と同様の証明書を交付するとしても、その常時携帯を義務付けるものであってはならない。
エ 外国人の留・就学先等の教育機関に対し、所属する外国人の情報を法務大臣に提供することを義務付けることに反対する。
オ 行政機関による情報の相互照会・提供においては、個別具体的な必要性及び客観的な合理性を要件として、個別の照会・提供の方法によるべきであるが、まずもって、独立した監督機関の設置を先行すべきである。
カ 法務大臣による新たな情報利用の仕組として、新たに在留資格の取消事由の対象を拡大する制度を設けるべきではない

2 外国人台帳制度の整備に対する意見
(1) 市区町村に外国人台帳を整備すること自体には賛成であるが、市区町村による住民行政の実現の観点から、すべての外国人住民の基本的人権を等しく保障するものとなるようあらためて構想されるべきである。
(2) また、その具体的内容については、次のとおりとすべきである。
ア 難民の可能性がある一時庇護上陸許可者・仮滞在許可者や、適法な在留資格を有しない外国人についても、その必要に応じ、市区町村が外国人台帳制度の対象とすることを許容するものとすべきである。他方、国や自治体は、外国人台帳に掲載されていない外国人であるからといって、そのことを理由に行政サービスの給付を拒否すべきではない。
イ 外国人台帳制度における情報は、あくまで外国人住民に対する行政サービスの目的のために利用されるべきであり、外国人の在留管理等の目的のために利用すべきではない。
●意見書全文はhttp://www.nichibenren.or.jp/

滞日外国人支援の体験から 

齋藤 紳二(さいたま教区助祭) 【社会司牧通信127号2005年4月15日】

ー 入国管理センターの実態 ー

齋藤さんは、2003年にさいたま教区の助祭に叙階された。その3ヶ月後から、司教に命じられて、茨城県牛久市の東日本入国管理センター(牛久収容所)に収容されている外国人に対する面接支援をおこなってきた。この講演では、その体験をもとに、日本政府の外国人管理の問題を語った。
(この講演は2005年5月25日、カトリック麹町教会メルキゼデクの会の例会で行われた。文責はイエズス会社会司牧センター・柴田幸範)

私は60年間、社会活動とはほとんど無縁に過ごしてきました。人見知りが激しくて、初対面の人とはすぐに仲良くできないし、外国語もできないし、車の運転もできない。司教から、それまで面会をしておられたスペイン人の神父さんが本国に帰ることになったので、その後を引き継ぐようにと命令されたとき、司教への従順が助祭のつとめの基本なので引き受けはしましたが、まったく自信はありませんでした。

最初のうちは、その神父さんから引き継いだ4人を対象に、月に2度面会に通っていましたが、収容者から紹介されたり事務所に面会以来の電話がかかってきたりして、またたく間に面接の相手が10人、11人と増えていき、毎週通うようになりました。最近では週に2回行くこともあります。

そのなかで強く感じるのは、この施設がほとんど知られていないということです。地元の牛久市民の中にも知らない人が多いくらいです。法務省が隠そう、隠そうとしているからです。ですから私は、向こうが隠すなら、みんなに知ってもらおうと思って、いろいろな教会でお話しさせてもらっています。

厳しい外国人取り締まり
このセンターにどんな人が収容されているか。皆さんご存じかと思いますが、最近、特に首都圏で、「外国人狩り」としかいいようのない出来事が頻発しています。

日本全体が人手不足だった十数年前は、上野の山にイラン人がいっぱいいました。日本に来たらまず上野に行け、というのが彼らの合い言葉だったそうです。言ってみると本当にイラン人ばかりで、まるでくにに帰ったような気がしたという話があります。そのころは日本にたくさんの外国人がいて、ビザが切れているのが発覚して捕まっても、雇い主が身元を保証すれば釈放されました。ところが、有名な石原発言が飛び出しました。「犯罪が増加している原因は外国人が増えたからだ。彼らが原因で犯罪が増加し、凶悪化し、地方分散化している。外国人のせいで日本の治安は危機に瀕している」と発言したあたりから、国も方針をがらりと変えました。5年間で12万人の「不法滞在者」-政府はそう呼んでいるのですが、私たちはオーバーステイ、「超過滞在者」と呼んでいます-を帰国させようという政策を打ち出したのです。

なぜ12万人か。入国管理局はオーバーステイの人が23万人いると推計しています。その半分を5年間で帰してしまおうというわけです。1年で2万4千人。毎日、60人以上帰さなければならない。そのために、入国管理局も警察も必死で捕まえています。

電車の中で同国人と話しているときに外国人登録証の提示を求められ、オーバーステイが発覚して捕まったとか、フィリピンの人たちがタガログ語のミサが終わって談笑していると、警察が教会に踏み込んで捕まえていったという話も聞きます。さいたま教区にいるインド人の神父さんは、一日何度も警察に呼び止められて、うんざりだと話していました。そういう状況が全国で起きています。

特にカトリック教会はねらわれています。一定の時間に一定の国の人が大挙して集まってきますから、目をつけやすいんです。さいたま教区の教会でも、ペルー人のパーティーに私服の警察官らしき人が潜り込んで、写真を撮っていたり、クリスマスの深夜ミサ帰りのフィリピン人を捕まえて収容所に入れたりすることがありました。

そうして捕まった人に、日本に滞在していいと認めるだけの根拠がなければ、「退去強制令」、つまり「日本から出て行きなさい」という命令が出されます。こうして毎年2万人ほどが帰されているわけですが、中には帰れない人がいます。飛行機代も持っていない人やくにに帰ると生命の危険がある人たちです。

それから、帰りたくない人もいます。長く日本で暮らして、定職に就き、結婚して子どももいる。いまさらくにに帰っても仕事もないし、子どもたちは日本語しかしゃべれない。だから、なんとか日本にとどまろうとする人がいます。そういう人たちを収容するわけです。

収容所とは
日本には3つの外国人収容所があります。茨城県牛久市の東日本入国管理センター(定員約700人)、大阪府茨木市の西日本入国管理センター(約550人)、それから長崎県大村市の九州入国管理センター(約700人)です。収容される際に問題なのは、家族と引き離されること(夫婦は男女別々に収容され、子どもは親と引き離されて児童相談所を通じて施設などに預けられる)、病気で通院治療が必要なのに、それも考慮されないで収容されること、つかまったその場から直接収容され、住んでいた場所を整理する余裕がない(家族がいない人の場合、財産が行方しれずになってしまうことがある)といったことです。

収容されるのは10人部屋(10畳)、5人部屋(6畳)などです。どうしても共同生活できない人、いびきのひどい人などのために個室(3畳)もあるそうですが、とにかく狭い上に、プライバシーがゼロです。支給されるのは毛布5枚だけで、それを敷き布団と掛け布団にして寝る。

朝8時になると点呼で、毛布をたたんで掃除し、折りたたみテーブルを出します。差し入れ口から朝食が差し入れられて朝食が始まります。9時半になると扉の鍵が開いて、他の部屋に行ったり、レクリエーション・ルームで談笑することができます。順番にシャワーを浴びたり、運動場で30分だけ運動もできる。11時半に部屋に戻って、昼食。1時にまた扉が開き、室外に出られます。そして4時半に部屋に戻って夕食。あとは、前もって許可を得てくにに国際電話をかけるといった特別の用事がない限り、部屋の外に出られません。同室者がおしゃべりしているので眠りたいのに寝られないこともあります。見ていたテレビ(各室にテレビがあります)のチャンネルを勝手に変えられることもあります。

公衆電話の順番をめぐってトラブルがしょっちゅう起こります洗濯物を干すスペースの取り合い、トイレ掃除の順番のもめごと…こうしてストレスがたまっていきます。だいたい収容されて3ヶ月ほどたつと、胃の不調を訴えるようになります。夜眠れない、体の節々が痛む、下痢が止まらない、食事がのどを通らなくてやせてきた、反対にむくむく太って3ヶ月で20キロ体重が増えたなど、体に異常が出てきくます。そして、ひどくなると精神的におかしくなっていく人もいます。

ある夫婦のご主人は、精神的に不安定になって、何度か首をくくったり、体を傷つけたりしていました。夫婦で面会(面会のときだけ、夫婦同席することができますが、回数に制限があります)していたときに、突然「これから娘を迎えに行きます」と言い出しました。奥さんが「しっかりしてよ」と言っても、「俺は毎晩、娘と一緒に寝ているんだ」と言って聞かない。現状を把握することができなくなっていたのです。私はそれを見て、涙が止まりませんでした。なぜ、ここまでして二人を閉じ込めなければならないのか。

楽しみのない生活

長い人だと3年も収容されることがあります。その間、何をしているか。刑務所だと毎日、木工とかいろいろな作業があります。技術を教えてくれて、手間賃をくれて、それを貯めて出所後の生活再建資金にすることもできます。ところが、外国人の収容所には何もありません。「本来、日本にいるはずのない人たちに作業をさせるのは、彼らがいることを認めてしまうことになる」という理屈です。「何もやることがないから、悪いことばかり考えちゃう」そうです。刑務所だと、出所する日が決まっているので希望がある。でも、収容所はいつ出られるかわからない。家族といつまで引き離されているのか、わからない。だから不安ばかりがつのります。だんだん鬱(うつ)状態がひどくなっていきます。

毎日何もすることがない、見る顔は毎日同じ顔ばかり、親しい人がいても話のたねは尽きてしまった……その上、収容所の窓ガラスはすべてすりガラスで、外の様子がまったく見えません。今どんな花が咲いているのかはもちろん、晴れなのか曇りなのか雨が降っているのかさえわかりません。毎日がまったく同じように過ぎていきます。

そういうつらい生活では食べることだけが楽しみだとよく言われます。でも収容所の食事は楽しみではないそうです。弁当なので、400人、500人分と盛りつけている間に冷めてしまい、温かい食事をとったことがないと収容者は言います。「肉か魚か」くらいの選択肢しかなくて、好みや宗教的なタブーもあまり考慮されません。

では何が楽しみかと言うと、外部との連絡です。彼らが一番心待ちにしているのは面会人が来ること。収容されている棟から面会室まで7つのドアを通りすぎるのだそうですが、一つ通りすぎるごとに心が開いていく。そして、その日はいつもとは違う特別の日になるんです。

次に楽しみなのは手紙です。ただし、受け取った手紙は警備官が本人の前で封を切って枚数を確認してからいったん取り上げ、検閲して、翌日わたされます。手紙を出すときも、のり付けせずに警備官に渡して、検閲してから、翌日投函されます。

それから電話です。外から収容者にかけることはできません。中から外にかけるだけです。各棟のフロアーごとに1台ずつカード式の電話があって、順番にかけられるのですが、これがなぜかKDDIの国際電話専用の電話なのです。市内通話でも衛星回線で中継されるので、べらぼうに高い。なんで、NTTとKDDIと両方用意してやらないのか。
なるべく不自由にして、早く出て行かせようとしているのでしょうか。
収容所から出るために
飛行機のチケットが買えないために帰国できないという人は、電話や手紙で友人に頼んで、1万円、2万円とお金を送ってもらって、チケットが買える額になるまで貯めます。東南アジアですと、6、7万円あれば買えますが、南米の人は大変です。アメリカ経由だとコロンビアまで12、3万円で行けますが、今、アメリカでは、ビザを持っていない人のトランジット(経由通過)を認めません。しかも、南米の人には原則としてビザを出さない。だから、彼らはわざわざヨーロッパ回りで帰らなければなりません。遠回りになるので、チケット代がかさんでしまう。どうしてもチケット代がつくれない人は国費で帰されるのを待つことになります。その順番がやってくるまで1年ほど待たなければなりません。

でも、どんな形であれ、帰国できる人は幸せと言ってよいのかもしれません。「自分は故国に帰ると危害を加えられる」と訴える人たちにはもっと厳しい試練が待ち受けています。かつて故国で反政府運動をし、身に危険を感じて逃げてきたというような人もいます。彼らは日本の国に「難民として受け入れてほしい」と申請することができます。しかし、日本国家が難民を認めるケースはほとんどありません。

先進諸国ですと、アメリカは毎年2万3千~4千人、イギリスとかフランスですと1万8千人くらい。ドイツも同じ程度だったのですが、トラブルがあったために去年は7,700人と減っています。カナダは2万人くらい。それが「先進国」の難民受け入れ状況です。

では日本はというと、昨年15人です、一昨年は10人。政府は「パーセンテージとしては悪くない」と言います。「申請者が400人で10人認めているから1/40で、これは欧米並みです」と言う。申請する人たちも日本が難民を受け入れない国であることを知っているので、もともと申請する人が少ないのです。パーセンテージで比較するのはナンセンスです。結果の数字が10人か2万人かを比較すべき問題でしょう。この辺の感覚がずれているとしか言いようがありません。

さて、難民認定(2度申請できることになっています)をして「不認定」になると「不服申し立て」の裁判を起こすことができます。同様に「退去強制令」にも無効の裁判を起こすことができます。でも、そのためには弁護士を雇わなければなりません。費用がかかります。法律扶助協会という機関があって、援助を申請して認められると、補助金を出してくれますが、それでやってくれるような「人権派」の弁護士さんは、たくさんの裁判を抱えていて、手一杯。だから、裁判を起こすのもむずかしい。

しかも、日本の裁判というのは本当にゆっくりです。証拠書類の確認だけで半年以上かかります。その間、本人は収容された状態で延々と待っていなければなりません。それで「不認定」が取り消され「認定」をかちとことができるかといえば、たいていは敗訴です。

もう一つ、在留特別許可を申請する人もいます。これが認められるのは、日本での滞在が長く、日本社会で一応の信用を築き上げた人たちです。前述のように日本滞在が10年を超え、子どもたちをいまさらくにに帰すのは気の毒だと判断された場合などに認められるので、該当する人は決して多くはありません。

仮放免の問題点
「地獄のようだ」と表現される収容生活から荷け出す方法の中に、「仮放免」という措置があります。放免すべき相当な理由があることを述べた理由書をつけて、収容所に申請書を提出します。申請書の他に身元保証人の保証書と誓約書、放免後に住む住居の番地と地図などが必要です。その上、保証金を積みます。保証金というのは、仮放免になった人が万一行方をくらませてしまったときの捜索費用の前払です。これが、安い人で2、30万円、高額な霊では去年の10月頃に、日本人の奥さんがいるイラン人のケースで300万円でした。

同じく去年の暮れに、日本人の奥さんがいるバングラデシュ人男性のときは200万円。なぜ、人によって違うのか、説明がないからわかりません。

奥さんは「200万円なんて見たこともありません」と途方に暮れていましたが、収容所と掛け合って、とりあえず100万円だけ支払い、あとの100万円は「何かあったら必ず支払います」と誓約書を入れることで認められました。

この方は本当にかわいそうでした。ご主人はオーバーステイで、建設現場でいっしょうけんめい働いていましたが、日本人女性と恋に落ちて結婚しました、それで、市役所に届けに行ったら、「あの書類がない」「この書類が足りない」と言われて、2ヶ月後にやっと籍が入りました。その籍が入った書類をもって、配偶者ビザをもらいに、今度は入管に行きました。八王子に住んでいたのですが、品川の入管まで夫婦そろって行きました。ここでもまた、「書類が足りない」と言われて、何度も往復しました。

やっと書類がそろって、「それでは審査に回しますが、あなたはオーバーステイなので、一応、収容します。2ヶ月で出します」と言われました。「2ヶ月ならがまんできるだろう」と思って入ったら、なんと1年も収容が続きました。結局、仮放免が認められて、配偶者ビザが出たからよかったものの、収容されている間中、彼は日本の国に対する不信感を語りました。

仮放免が認められのるは、たとえば病気が重くなって、外部の病院に定期的に通わないと治らないとか、収容が長引いて精神的に危険な状態になった人、あるいは収容があまりに長期にわたっていると見なされる人などとされています。

しかし、仮放免で外に出られたとしても、制約が多い。まず、仮放免された人は仕事をしてはいけないことになっています。ここでも本来日本にいないはずの人、という考え方がものを言います。そういう人の労働を認めると、「不法滞在者に労働を認めることになる」という判断です。彼らの生存権、命を全うする権利は考慮に入れられていません。奥さんがいるなら養ってもらえ、いなければ、保証人が面倒を見ろ、ということでしょう。でも、私も何人かの保証人になっていますが、生活まるごと面倒を見ろと言われたら、保証人なんかできません。彼らにどうやって生きていけと言ったらよいのでしょう。  仮放免が認められる期間は原則1ヶ月です。30日ごとに入管に出頭して、仮放免を延長してもらわなければならない。最近では1ヶ月期限の延長を何回か繰り返すと3ヶ月にのびるようになりました。しかし、これも、いつ「もう延長しない」と言われるかわからない。びくびくしながらハンコをもらいに出頭します。

また「小旅行許可申請書」というのがあります。住んでいる県境を越えて移動する場合には、あらかじめ日にちと場所を届け出て、許可を受けなければなりません。もし許可を受けていない場所で警官などに声をかけられたら、規則違反でそのまま収容所行きです。本当に不自由な生活を強いられています。

強制送還
くにに帰ると危険が待っている人にとって、もっとも恐ろしいのが「強制送還」です。「有無を言わさずくにに送り帰す」措置です。去年の正月に、イラン人が6人、バラバラに強制送還されました。「自分はくにに帰ったら命が危ない」と主張していた6人です支援者も収容所に強制送還をしないよう申し入れていました。それなのに、突然送還されましたその6人のうち、現在消息がつかめているのは2人だけです。あとの4人はどこに行ったかわからない。テヘランに着いたのは間違いありませんが、そこから先がわかりません。イランという国は、逮捕されて刑務所に入っても、「刑務所に入れられた」ということはわかりますが、「どこの刑務所に何年収容される」のか家族にも教えない。そのうちに、ある日、突然「死にました」と死骸が送りつけられる。そういう国です。そういう国に、入管はどういう判断をしたのか、この6人を送還しました。

4人のうち1人は電話番号がわかっていたので、友だちが電話したら奥さんが出て、「たしかに、いったん家に帰ってきました。ただ、空港でパスポートを取り上げられて、『2日経ったら取りに来なさい』と言われたので、2日後に空港に取りに行ったきり、帰ってきません」と語ったそうです。

支援者グループは収容所に抗議しました。「彼らはあれだけ危ないと言っていたじゃないですか。私たちも送還しないでくれと言ったじゃないですか。それにもかかわらず送還したので、こんなことになってしまった。どう責任をとるんですか?」すると収容所は「私たちは法律通りにやっているだけです。」と平然と言うのです。人権もなにも無関係。ただ職務に従っているだけ、という回答でした。

強制送還はどのように行われるか。その6人のうち1人の例ですが、朝、みんなが寝ているうちに、警備官が20人くらい、ドカドカと部屋に入ってきました。関係ない人を確保しておいて、お目当ての人を毛布でグルグルくるんで、5、6人がかりで抱えて運び出す。別の部屋に連れて行って、「お前は今日、強制送還だ」。否も応もありません。

彼は抵抗して暴れました。そのうちに着ているものが脱げていって、パンツ一枚になってしまった。それを押さえつけて、手錠をかけて、腰ひもをつけて、そのまま車で成田空港まで連れて行ったそうです。厳寒の1月です。もちろん、飛行機に乗せるときは服を着せたんでしょうが。

強制送還は家族や弁護士、支援者、保証人の誰にも知らせずに行われます。私が支援をしていた人の中にパキスタン人の女性がいました。まだ授乳期の赤ちゃんがいて、おっぱいが張って、痛くてしようがないと訴えていました。弁護士さんがついて、難民申請を出しました。収容所側に、「難民申請が不認定なら裁判を起こすので、強制送還しないように」と申し入れていました。本人から「不認定が出た」と連絡をもらった弁護士さんが裁判の準備するために、2、3日後に面会に行ったら、「もういません」と言われました。

強制送還されてしまっていたわけです。 「申し入れておいたのに、代理人の私にさえ連絡なしで送り返すなんて」と、その弁護士さんは、カンカンに怒って、法務大臣に厳しい内容の抗議文を出しました。このときには谷司教も同様の抗議文を法務大臣宛に発送しましたが、帰されてしまったらもう後の祭り。どうすることもできませんでした。

基本的人権が大切にされているはずの民主国家日本で、こういうことが起こっているのです。

ひどい人権侵害
去年の夏、パキスタン人の男性が1人送還されました。後に日本人のお医者さんが訪ねて行ってわかったのですが、薬でフラフラにさせられて、飛行機に乗せられたらしい。彼は日本人の奥さんがいて、日本で暮らせるのを楽しみにしていましたが、ある夜、突然「お前は明日帰す」と言われて、暴れたらしいのです。すると薬を飲まされて、頭がボーッとしてきた。翌朝、また飲まされて飛行機に乗せられ、飛行機の中でも飲まされて、離陸したのも気づかなかったそうです。北京空港でいったん目が覚めたそうですがまた眠って、次に起こされたら、パキスタンのカラチだったそうです。こんなふうに、暴れそうな人は薬を飲ませてフラフラにして帰すらしい。
また新聞でも取り上げられましたが、ベトナム人の女性に猿ぐつわをかませたまま飛行機に乗せて送還したという事件もありました。
去年、3年間も収容されていたインド人の男性が強制送還されました。収容所に行く前から、胸にしこりがあって痛むと訴えていたのですが、収容所のお医者さんが診察して、「ガンかもしれない」と言っていたのに、インドに帰してしまいました。インドで診察を受けたところ、「結核性の腫瘍だ」と言われたそうです。腫瘍ですから他人に感染する危険は少ないのですが、菌を持ったまま収容されたのか、収容されてから結核菌に冒されたのかわかりません。

それで、私たちは厚生労働省と法務省に掛け合いに行きました。厚生労働省では、「ひょっとしたら収容所内で感染した可能性もある。収容所で健康診断を行う必要がある。そうしないと警備官が感染して家庭に持ち帰り、そこから感染が広がるおそれがある」と申し入れました。ところが厚生労働省の返事は「法務省さんのなさることに口を出すのも…」と言うものでした。「法務省から申し出があったら協力してくれますか」と言ったら、「それは、もちろん」ということだったので、法務省に行って、「こんなことがあったけれど、氷山の一角だから、ちゃんと調べてほしい」と申し入れました。法務省は、調査結果を出してきました。そして、「収容所ごとに強化策を打ち出して予算請求しましたが、省内の調整で全部けずられました」という回答でした。

なぜ、外国人支援か
このように、外国人行政の陰で人権侵害が起こっているということに、法務省自身が気づいていません。このことをお話しすると、「でも、その人たちは日本の法律を破っている人たちなのだから、多少のことは我慢してもらわなくちゃ」という人が、必ずいます。

でも、彼らはくににいても仕事がないので、日本で何とかしようと、言葉も通じない不自由な国でがんばっている人たちなのです。くににお金を持って帰ろう、仕送りしようとしている人たちです。日本は労働ビザをかぎられた人にしか出しません。すぐれた学識や能力の持ち主で、日本の国力増進に貢献できるような人、大企業がしっかり身元保証する人にしか出しません。でも、そんな人は数少ない。いちばん日本で働きたいと思っているのは、とにかく一家を養えるだけのお金がほしいという人たちです。

彼らが日本に来るのは実に簡単です。観光ビザで入国できるのです。日本は観光ビザならすぐに出すんです。なぜなら、日本は「観光立国」だから。日本の国際化をめざそうということで、年間500万人の外国人観光客を、1千万人まで増やすのが国の方針です。

観光ビザには、2週間と3ヶ月の2種類あります。「3ヶ月も日本にいて、5、60万円も稼いで故国に帰れば、1~2年も暮らせるじゃないか」と言われて、それを信じてくる人たちもいます。

ところが日本に来ても、すぐに仕事にありつけるわけではありません。 ようやく仕事が見つかっても、だいたい「3K」、「きたない、きけん、きつい」仕事です。収容されている人たちが受け取っていた給料は、だいたい15~18万円です。20万以上もらっていた人は数えるほどです。そこから高い家賃を払い、高い食費、衣料費、医療費を払うと、家族に送るお金は残りません。もう少しがんばらなきゃ、と思っているうちに3ヶ月はあっというまに経ってしまいます。その状態では帰るに帰れません。だからオーバーステイになってもお金をかせごうとするわけです。

もちろん、中には犯罪を起こす人もいます。人殺しをしたり、覚醒剤に手を染めてしまう人もいます。しかし、ほとんどはまじめで善良な、底辺で働く人たちです。安い給料で家族を養って、まじめに暮らしている人たちです。どんなに就職難で、失業率が高くても、日本の青年たちが絶対やらないような職場で、彼らは働いています。日本の産業の底辺は、いまや外国人が支えていると言っても過言ではない。そんな人たちを、ビザが切れたからといって、精神的におかしくなるような状況に閉じ込めておいてよいのでしょうか。

法律があって、適正に執行されているなら何の問題もありません。人権が踏みにじられてさえいなければ、私だって面会に行く必要はないわけです。でも、現実に人権侵害があって、苦しんでいる人たちがいる。私たちが訪ねるのを待っていてくれる人たちがいる。だから私は行くのです。

「法律を破った人たちなのだから、人権を侵害されてもしかたない」というのは、やっぱり差別だと思います。私たちはカトリック信者なのですから、神の前にすべての人間は平等であることを信じているはずです。この考え方を国中に広めて、こういう施設の存在自体をなくしていくために力を尽くさなければならないと思います。