カテゴリー別アーカイブ: 日本の移民

実習生8年で174人死亡 経緯不明多く自殺も、10代5人

Extract from the Kyodo Newspaper (共同通信社) that published on December 13th, 2018.

技能実習生の死亡者数
法務省集計で2010~17年の8年間に、事故や病気などで外国人技能実習生が計174人死亡していたことが13日、分かった。関係者が取材に明らかにした。自殺も含まれるほか、死亡の経緯が分からない実習生も多い。内訳は男性132人、女性42人で20代が最も多く118人。30代が48人、40代が3人で10代も5人いた。
実習生の死亡について、野党は劣悪な労働環境が原因の例が含まれる可能性があるとして、詳しい調査を要求。政府が外国人労働者の受け入れ拡大のために新設する在留資格に、多くの実習生の移行を想定していることから、労働環境改善を先に図るべきだと主張している。

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ヘイトスピーチと和解の対話

村山 兵衛 SJ (神学生)
【社会司牧通信173号2013年10月15日】

新大久保や鶴橋などで排外主義、レイシズムなどと呼ばれる「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)を行うデモが今年も何度もあった。しかし、ニュースや国会で話題になり危機意識も高まる一方で、議論の焦点が不透明化し始めている。そもそも、ヘイトスピーチをめぐって何が見失われているのか。万人がもつ尊厳を守り、ゆるしと和解のために対話の可能性を信じることを、私たちは決して忘れてはならない。

人種や性別を理由に差別をかき立てる言動、ヘイトスピーチは、ドイツではナチスの反省から「民衆扇動罪」として処罰される。が、日本は個人に特定化しえぬ名誉棄損として処罰せず、法規制を行なっていない。現場に居合わせた人なら、数百人からなる小規模なこのデモ活動の恐ろしさがわかる。排外デモ集団の主張は、在日コリアンの特別永住資格や生活保護制度などに対する不満である。彼らは日本の占領同化政策で過酷な歴史を背負う在日コリアンの複雑な背景を「在日特権」と一括りにし、民主主義、表現の自由の名で差別的発言を堂々と行う。デモ集団の実態は、インターネット上の匿名活動で発奮した一部の「ネット右翼」といわれるが、在日コリアンに「帰れ」「どの朝鮮人も皆殺しに」と叫ぶのは、もはや嫌がらせを越えた迫害である。

問題は政治レベルでも膨張している。竹島や尖閣諸島の領土問題、従軍慰安婦をめぐる歴史認識は、国益や愛国心によって対立が助長される契機となっている。メディアはそれを掻き立てる。政治抗争や国の利害ばかりが問題とされ、人間どうしの真の平和や和解も、勝者の歴史から消された涙や叫びも顧みられない。つまり、危機意識は曇るが、危険は増大しているのであり、現状では日本政府は差別発言を結果的に容認してしまっているのである。さらには、人権尊重を教える教育現場と、社会的強者がものをいう商業社会とが、全く乖離する構造の中で、若者にも甚大な影響が及んでいる。

排外デモとともに、対抗デモも広がっている。差別行動には断固として「ノー」と言わなければならない。しかし、排外デモを主導する在特会の「殺せ」「出ていけ」などの罵声が拡声器で飛び交う一方で、差別反対を訴える善意の人々の中に、大声で「お前らこそ死ね」と叫ぶ一団も存在するという現実。差別的な嫌がらせに同じ嫌がらせをもって対抗していいはずはない。「仲良くしようぜ」という対抗デモのスローガンは、差別の犠牲者に共感・共苦してはじめて真実味を持ちうるのではないか。

現在、デモは小康状態の様相である。在特会、対抗派の双方で逮捕者が出て、政治家からも自粛や法規制の訴えが起こっているからだ。しかし、問題の根は法規制にあるのだろうか。あらゆる法規制、裁判制度は紛争解決のためのシステムとして考案され、歴史の知恵として適応・修正を重ねながら機能してきた。在特会の「法が禁じていない抗議をやって何が悪い」という主張には、根源的な価値基準が欠如している。

ヘイトスピーチ問題で見失われたものとは何なのか。傷つけられ涙する人間である。国家の威信や愛国心の陰に隠れてしまった人間の尊厳である。それは、誰もがただ人間というだけでともに生きる資格を持つと認め、全体主義、民族浄化を拒否し、対話による相互理解・和解の可能性を諦めない忍耐強さである。暴力的表現は、たとえ制裁活動に用いられても、この人間的尊厳を破壊する。だから私たちは、己の人間らしさと他者の尊厳を守るため、そして将来に人間の根源的価値を伝えるために、ヘイトスピーチに「ゆるしと和解」の手を差し出し続けなければならない。言論による人間性の剥奪は、自由でも表現でも民主主義でもない。根絶すべきなのは、憎しみである。

キリスト者はどう答えるのか。ゆるしと和解の使信は、カトリック教会から発信され続けており、紛争の絶えない地域で教会指導者たちが和解を求める祈りと活動を展開している。我が国のヘイトスピーチ問題についても、国外の教会から対話と祈りを求める声が届いている。教皇フランシスコは今年9月7日を「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」と定め、全教会とすべての善意の人々に参加を呼びかけた。これは、平和への道が神の裁きや聖戦ではないことを明らかにしている。神の呼びかけのしるしは、信じてそれに応答する人々に他ならない。争い絶えぬ社会で和解への対話を模索することこそ、憎しみを根絶し、人の尊厳を救う唯一の道ではないか。

ビルマ人として日本に生まれて

テュアン シャンカイ
【社会司牧通信171号2013年6月15日】

初めまして。私の名前はテュアン シャンカイと申します。私の両親は、1991年にミャンマー本国で行ってきた、反政府活動に対する迫害の恐れがあり、日本に亡命してきました。よって私自身は日本で生まれました。現在は関西学院大学の総合政策学部で、主に公共政策を中心に勉強しています。

私は1993年10月6日に、新宿区の聖母病院で生まれました。当時私の両親には在留資格がありませんでした。母親は外国人登録証すら持っていませんでした。母親は日本に来た際に、ブローカーにパスポートを取られて、半年以上経ってから返してもらいましたが、その時には既にビザも切れており、自分が日本に入ってきた時のビザではないものとすり替えられていました。妊娠した時に区役所で登録証も何もなかったので、母子手帳ももらうことさえ出来ず、検診を受けていた病院から英語で書かれた母子手帳を頂きました。私が生まれた所が新宿区だったため、新宿区に出生届を出すように言われました。言葉もやり方も何も知らなかった父親が、新宿区に出生届を出しましたが、その後の手続きに関しても何も分からないまま私は育っていきました。

Burmese Tuan Sian Khai両親はミャンマー国籍なので、私のためにミャンマー国籍を認めてもらうために、大使館にもお願いしに行きましたが、高額の税金を請求されました。当時の両親は、生計を立てるのに必死であったために、払う事が出来ませんでした。また税金と言うのも不当な税金であったために両親も支払う事を拒みました。加えて両親はミャンマー本国で反政府活動を行に私のミャンマー国籍は認めてもらうことが出来ませんでした。それで国籍の手続きさえも大使館は何もしてくれませんでした。よって私にはミャンマー国籍を証明するものがないため、自分の外国人登録証を作ることも出来ず、区が無料で行っている予防注射や検診などにも行くことが出来なかったので、民間の病院で多額の費用を払って予防注射を受けていました。

やがて幼稚園に入る年齢になりましたが、両親は何も出来ませんでした。しかし、チン民族の知り合いが保護者になってくれて、その人の家の近くの東京都大田区蒲田にある幼稚園に1998年から2000年まで通うことが出来ました。とはいえ、当時私たち家族は大田区の田園調布に住んでいましたので、毎日電車で通わなければなりませんでした。幼稚園を卒業すると、同じ敷地にある新宿小学校に入学することが出来ました。入学するに当たって自分の外国人登録証も発行することが出来ましたが、国籍の欄には無国籍と記載されていました。2004年に、難民申請をした際に入国管理局から、両親がミャンマー国籍であるから、息子にもミャンマー国籍と書き直しなさいと言われたので、言われたまま役所に行って国籍欄を変えてもらいました。確かに私の国籍欄にはミャンマーと記載されましたが、法的に自分の国籍を証明する書類は何もありません。そのため私は事実上の無国籍者です。

今日に至るまで、私は国籍というものを持っていません。現在私は大学生になりましたが、今後の将来について非常に不安です。まず私は自分自身の中で、私は何者であるか?についてどう答えるべきかわかりませんし、答えも見つかりません。加えて両親はミャンマー国籍ですが、仮にミャンマーの情勢が良くなって、両親がミャンマーに戻った場合、ミャンマー国籍を持っていない息子である私はどうしたらいいのか、家族が離れ離れになってしまう恐れも充分にあります。また例えば自分が今所持している再入国許可証で留学に行けたとしても、留学先でトラブルに遭遇した場合、私はどこで保護を求めればいいのか、ミャンマー大使館に行っても国籍を証明するものはないですし、日本大使館に行っても再入国許可証は日本国籍を証明するものでもないので、私はどうしたらいいのか分かりません。

条約難民の方は、難民パスポートを与えられているので、どこに行っても国連の保護を受けることが出来ますが、私は人道的配慮による在留特別許可を持っているだけなので、条約難民としての扱いもされず、私の身の安全は保障されていません。

最近、一番不安を抱いているのは、就職に関してです。就職活動をしても、自分を採用してくれる企業があるかどうかとても不安です。仮に私が日本へ帰化したとしても、日本国籍として認めてもらえるのかどうかも分かりません。一番の望みは私のような無国籍者を支援する、公的な組織や相談窓口を作ってほしいのです。

現在、私は難民料理を大学の学食で導入するプロジェクト「Meal for Refugee」の代表をさせて頂いております。このプロジェクトは、NPO法人難民支援協会が、今年の2月に出版し『海を渡った故郷の味』という、45のメニューが載っているレシピ本を元に学食で導入して、学生に向けて難民について正しい理解と関心を持って頂くための活動です。現在首都圏で3大学、関西で2大学がこの企画に参加しており、6月20日の世界難民の日に向けて、5大学で協力し合って活動を行っております。

最近日本社会の中で「難民」と言う言葉がよく使われる様になりましたが、本来の難民の定義に沿った使い方をしているとはとても言い難いです。例えば、東日本大震災からよく使われるようになった「帰宅難民」を初め、「レーシック難民」「ネットカフェ難民」という様に、難民の使い方が非常に多様化しており、ますます本来の難民の意味が分からない若者が増えるのではないかと非常に危機感を抱いています。ですので、改めて難民の本当の意味を理解して頂きたいのに加えて、こういった間違った使い方を、今後は控えて頂きたいのです。

私には夢があります。
それは幼い頃から好きだった日本の鉄道システム、特に新幹線を自分の祖国であるミャンマーに紹介して、ミャンマーの発展に貢献するという夢です。ミャンマーは軍政移管によって、民主化へ向けて勢いに乗っておりますが、まだまだ民主化の達成には時間がかかると私は考えております。国内にはいまだに内戦や紛争が起きており、これらを解決するためには多くの時間とお金が必要です。この事があまり日本社会には知られておらず、非常に残念です。決してミャンマーの情勢が良くなったわけではないという事を、これからも伝えていきたいです。

大学2年生になり、そして今年で成人にもなります。難民2世である私が少しでも功績を残して、後輩や次の世代の子どもたちが、少しでも日本社会で何も不便なく過ごせるように、一所懸命頑張っていきたいと思います。

日本に滞在する中国人のカトリック共同体

ロバート ディーターズ SJ (イエズス会中国センタースタッフ) 【社会司牧通信169号2013年2月15日】

東京では、昨今、電車や秋葉原の店のスピーカーから、中国語が話されているのを聞くのは珍しいことではなくなりました。東京にいる少なくとも100人に一人は、中国大陸PRC(中華人民共和国 ”mainland china”)から最近来た、中国人移住者です。毛沢東(1976年没)の死に続く政策の変化の後、1980年頃から日本に来る中国人の数は急増し、今や彼らは日本に住む外国人の中で30%近くを占め、他のどんな国籍の人より多いのです。

なぜ彼らは来るのでしょうか? 生活をより良くしたいからです。多くの人はまず勉強します。語学学校で、次に大学もしくは専門学校で。しかし、普通、勉強しながらパートタイムであっても働くことを希望しており、それ以後も日本で定職を得ようとします。ある女性たちは、日本人の妻として、日本への入国許可を得ます。しかし、それはしばしばブローカーによる「書類上の」結婚です。警察が非正規滞在者(illegal residents)を逮捕し、強制送還を始めた2005年頃までは、ある人々は家族の将来のためや、中国に帰った後に商売を始められるように、十分なお金を得るため、ビザの期限を超えて超過滞在(overstay)しました。

彼らの多くはカトリック信徒でしょうか? PRCの建国(1949)から1980年頃までたくさんの苦しみと混乱の後、他の4宗教と認められているものと同様に、カトリック教会も今や自由に教会を開設し、あらゆる種類の宗教活動が行えるようになりました。しかしそれは、「中国カトリック愛国協会」(CCPA)を通して、政府の緊密なる監視下で行われているのです。かなりの数の司教、司祭そして信徒がCCPAの指示に従わず、政府の承認なしで教会の活動を行っています。彼らはいわゆる「地下教会」(”underground church”)と呼ばれる共同体であり、おそらく全体の35%もの信徒がそれに属しています。

中国の、推定される全カトリック信徒数は1,200万人で、人口のおよそ1%です。神学校とシスター養成プログラムが1950年頃から1980年まで禁止されていたため、大部分の司教、司祭、シスターは45歳以下で、1950年代以前に叙階された80歳を越える聖職者は、ほんのわずかしかいません。信徒の多くもまた若者です。とても若い教会です。しかしそれは、50歳から80歳の経験のある指導者のいない教会ですが、近年、数百人におよぶ若い司祭とシスターが、教会組織の助けをかりて、ヨーロッパやアメリカで神学や司牧分野の上級課程に進んで研究を行っています。

1950年代初頭から中国政府は、「自ら伝道する」「自ら管理する」「自ら維持する」という、「三自」政策を掲げました。実際にこれが意味することは、PRCの国民だけが伝道や司牧活動に従事してよいということであり、教会にいるすべての役職にある者(司教、司祭、シスター)はPRCの国民でなければならず、更に、教会は中国内から援助を受けねばならないということです。各宗教団体は、中国政府の政策が実行されているかどうかをチェックするために、半政府組織を作らなければなりません。カトリックにとってそれがCCPAなのです。中国政府は原則として、外国人で中国には属さない独立した組織の、教皇が司教を任命する権利を認めていません。CCPAによって司教に推薦された候補者が、教皇によっても承認されることはしばしばあります。その場合には、その司教は正当に叙階されると同時に、また中国政府にも承認されることになります。しかし時には、教皇はその候補者をふさわしくないと判断して、その司祭に引き下がるように要求することもあります。しかし、CCPAからの圧力によって、司祭が教会法に違反して、不当に叙階されることを受け入れることもあります。また、叙階する司教や叙階式に参加することのできるその他の司教が、わいろや甘言、あるいは脅し等さまざまな方法で、不正な叙階に加担するように、中国政府から圧力をかけられることもあります。しかしその結果は混乱で、というのもそのような司教は教会法によって破門され、司祭や信徒に対する正当な権限がないからです。100人以上いる司教の中で、そのように不当に叙階された司教たちは多くないのですが、司教が不当に叙階された地域では、司祭もシスターもそして信徒も、なんの導きもないままでおかれ、混乱が生じます。

1987年に東京で、中国人カトリック信徒たちの要請で、中国人のための月一回のミサが、上智大学の構内で始められました。そして1991年には、中野区にあった古い寄宿舎で、イエズス会カトリックセンターJesuit Catholic Center が立ち上げられました。2001年に、上野カトリック教会の司祭と信徒が、中国人カトリック信徒のための統合した共同体を作り、事務所と活動スペースを提供すると申し出ました。今では毎週日曜日午後1時30分から、上野教会で中国語のミサが行われ、秘跡を授けています。イエズス会の井上潔神父が所長で、R.ディーターズ神父と山岡三治神父、吉祥寺教会のヤンYang神父、また数人の2か国語を話せるスタッフが手伝っています。そのセンターは上野教会に属し、主任司祭の西川神父のもとにあります。

私たちが東京で会う多くの中国人カトリック信徒にとって、彼らが日本にいる間は、先に述べた司教の叙階問題は、直接的な関心事にはなっていません。彼らは自分たちの信仰を自由に実践し、同じ信仰、言語そして祖国の友人たちと会うことができる、イエズス会中国センターJesuit China Center に、日曜日に来るのを楽しみにしています。多くの人が福建省の同じ地区出身であり、彼らは家族親族あるいは相互の友情によって結ばれています。

普通、およそ150人が日曜日のミサに参加します。クリスマスや復活祭といった大きな祭日には、ミサは日本人と中国人一緒に行われ、両方の言語で聖歌が歌われ、同様に聖書朗読・説教も行われます。そういう時、上野教会は満員で、多くの人々が立っています。中国人信徒は、自分たちが日本人信徒と一つであると思い、一緒に典礼の計画作り、教会施設の清掃・装飾・維持に参加しています。私たちは、この上野教会の共同体が、日本人信徒と移住者カトリック信徒の、統合した共同体のひとつの模範になっていると考えています。

警察官によるカトリック貝塚教会敷地内での捜査および、逮捕行為の報告

本 柳 孝 司 【カトリック貝塚教会 主任司祭】

5月27日(日)、12:30頃、川崎臨港警察の捜査員6~8名が、教会敷地内にはいり、ある非正規滞在の容疑がある外国籍(フィリピン)の方に対して、職務質問(捜査)を行いました。当日は、1時30分からのミサがあり、その後、フラワー・デ・マヨという祭りのパーティーが行われ、12:00頃からその準備が行われていました。敷地内というのは、教会の門に入り、すぐ左手の中庭の場所です。そこで、フィリピン人数名がバーペキューの用意をしていました。また、当日は、子供たちもこの祭りのために着飾って行列をするという行事があり、そのために十数人の子供たちがすでに教会に来ておりました。

最初、二名の捜査員が非正規滞在の容疑がある外国籍(フィリピン)の方を目指し敷地内に入り、その後、その他の捜査員が入ってきたようです。主任司祭はそのときは、司祭執務室におりました。

その後、信徒からその事実を聞き、捜査員のもとに向かい、教会(宗教施設)施設内で捜査行為をすることは許されない旨を捜査員たちに伝えました。その際、捜査令状、逮捕令状が無いことが判明しました、ある捜査員は、ここは治外法権ではないので、私たちは、どんな宗教施設であろうと捜査、逮捕する権限をもっていること、ある確実な情報で、貝塚教会に00(個人名)(後に6月5日の警察署長、県警の刑事部・組織犯罪対策本部・国際捜査課長同席のもとに申し入れ書を提出、面談をしたときに個人名、住所は特定されていなかったと判明)という非正規滞在者が日曜日のミサにきているということでここに来たのだと述べていました。

 主任司祭は、教会管理者として、警察のような国家権力が教会の敷地にはいり、捜査することは、宗教活動の侵害になり、信教の自由を侵す行為であり、すぐに敷地内から出て行くべきだと彼らに伝えました。捜査員は、それなら容疑をかけられた外国籍(フィリピン)人に敷地外に出て行くように敷地管理者として勧めろと強い口調で述べました。それを断るとあなたは、彼をかばうのかと犯人隠匿であるとほのめかしました。

 それでも執拗に容疑をかけられた外国籍(フィリピン)の方に職務質問を威圧的にかけつづけており、周りにいたフィリピン人の女性も抗議しましたが、捜査を妨害するのかと彼女に詰め寄り、主任司祭に対しても、同様に捜査を妨害するのか、容疑をかけられた外国籍(フィリピン)入が非正規滞在であるのを知っていたのかと威圧的な態度で詰め寄られました。また、教会委員長もその場にいて、彼に対しても、捜査員は、邪魔をするのなら公務執行妨害で逮捕すると言われたそうです。このようなことが、30-40分ほど続き、最終的に捜査員が警察署の上司と連絡をとり、旅券、外国人登録証不携帯で、教会敷地内で緊急逮捕、警察署に連行。この一部始終を数人の日本人信徒、多くの外国籍(フィリピン)信徒の方も目撃しています。

 

カトリック横浜司教区
カトリック貝塚教会 主任司祭

本 柳 孝 司
〒210-0014川崎市川崎区貝塚1-8-9
カトリック貝塚教会
Tel/Fax: 044-222-3075
Email: takashimotoyanagi@yahoo.co.jp 

イエズス会難民サービス(JRS)と日本の難民

小山英之「なんみんフォーラム」理事、上智大学グローバル・コンサーン研究所所員
 【社会司牧通信163号2012年2月15日】

カクマ難民キャンプ


1538年、イタリアの厳しい冬は、多くの飢餓、病と死をもたらしました。困憊した人びとはローマに避難し、イエズス会の創立者、ロヨラのイグナチオと同志たちは自分たちの家を開放しました。食物と薪を請い求め、ホームレスを探し出して連れて来て世話をしました。1年のうちには3千人の難民を世話するようになりました。1980年、当時イエズス会の総長であったアルぺ神父は、「何千人ものボートピープルと難民の窮状に強い衝撃を受け、心を動かされ」、コンパッションから1980年11月14日、イエズス会難民サービス(JRS)[i]を創設しました。それからJRSは31年間、難民たちと共にあり(accompany)、彼ら/彼女らに奉仕し(serve)、彼ら/彼女らの人権を擁護してきました(advocate)。

JRS は現在、南アフリカ地域、東アフリカ地域、西アフリカ地域、アフリカ大湖地域、北アメリカ地域、ラテンアメリカ・カリブ地域、ヨーロッパ地域、東南ヨーロッパ地域、南アジア地域、アジア太平洋地域の全世界10地域、50カ国以上の国々で難民支援のためのさまざまな国際的活動を行っています。 上智大学グローバル・コンサーン研究所が2010年に訪問したケニアのカクマ難民キャンプでは、JRS はCounseling Program(カウセリング)、Mental health Program(精神衛生)、Safe Haven (暴力に苦しむ女性を保護する場)、EducationProgram(教育)などのプログラムを提供しています。イエズス会の前総会長ぺーター・ハンス・コルヴェンバッハ神父は述べています。「JRS は渇ききった難民キャンプで人びとの希望がたびたび危険にさらされているところで希望の種を蒔きます。このことは特に教育を受けられない絶望のうちにある若い難民たちに当てはまります。毎日毎日、来る年も来る年も、生活はますます希望のないものになっていきます。こうしたキャンプで特にJRSは難民たちに希望を与える緊急の奉仕となります。難民たちが自分たちの将来を信じるのを助けるとき、希望は増大していきます。教育と職業訓練に愛の行為が注がれるとき、希望は増大していきます。和解を可能にし、未来に希望を与える知恵によって過去と現在の憎しみは命へと変容していきます」。

難民条約

難民条約ができたのは1951年、日本が条約に加入したのが1981年でした。その条約で難民は、「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるか、そのおそれがあるため、国外におり、国籍国の保護を受けられない者又はそれを望まない者」と定義されています。しかし、この条約は、歴史の特定の時代に、ホロコーストの犠牲者、共産圏から逃れて来た人々を保護するために創られたものです。今日、難民たちが置かれている状況が変わり、新しい挑戦を求められています。都市難民が増加し、また自然災害、国家の崩壊、誤った経済政策などの理由で土地を離れざるを得ない人びとも保護できるよう、その定義を広げる必要があります。残念ながら、世界ではますます国境が閉ざされ、見知らぬ人びとに対する敵意が増しています。

日本の難民認定者数等

日本は、ベトナム戦争後、ベトナム、カンボジア、ラオスから難民を受け入れ、78年から05年までに約1万1千人の定住を認めたものの、「難民条約」に基づく難民認定の申請者総数9,887件のうち認定されたのは577件にとどまっています。

法務省入国管理局が発表している「平成22年(2010年)における難民認定者数等について」によると、難民申請者数は1,202人(前年比186人減少)(内訳:ミャンマー342人、スリランカ171人、トルコ126人、ネパール109人、インド91人、他363人)難民として認定されたのは39人(前年比9人増加、うち13人は異議申し立て手続きによる認定)(内訳:ミャンマー37人、他2人)、人道配慮による在留許可数は363人(内訳:ミャンマー356人、他7人)となっています。これは欧米と比較して、2009年アメリカ19,800人、カナダ11,154人、イギリス9,693人、ドイツ8,115人、フランス7,924人、イタリア2,230人の難民受け入れ状況を見れば日本の難民認定率がいかに低いかがわかるでしょう[i]

2010年、日本政府は、第三国定住難民受け入れのパイロットプログラム[ii]をスタートさせ、母国を逃れてタイのメラ難民キャンプに滞留していたミャンマー難民5家族27人を受け入れ、2011年度も26人6家族を受け入れたことは一つの進歩と言えますが、多くの課題を残しています。昨年「第三国定住制度」に基づく第1陣として来日し、千葉県内で農業実習を受けていた2家族は、支援側との意志疎通不足もあり、東京都内に引っ越すということもありました(2012年1月14日毎日新聞)。制度」に基づく第1陣として来日し、千葉県内で農業実習を受けていた2家族は、支援側との意志疎通不足もあり、東京都内に引っ越すということもありました(2012年1月14日毎日新聞)。

  なんみんフォーラム(Forum for Refugees Japan-FRJ)

カレン族の難民と筆者

イエズス会社会司牧センターの移民デスクは、外国人のための無料法律相談[i]、足立インタ―ナショナル・アカデミー[ii]を通しての奉仕に加えて、難民たちの支援、権利の擁護のためにはより広いネットワークの中で活動する必要から日本で暮 カレン族の難民と筆者

らす難民を支援するNGOのネットワーク「なんみんフォーラム」[iii]に2年前から参加しています。

 法務省入国管理局も、難民保護を推進する民間支援団体である「なんみんフォーラム」との協議を通じて、難民認定手続き、収容、定住・自立支援などに関して具体的な改善点を見いだし、法務省だけでは対応困難な改善策の実現に取り組むようになってきています。

 最近の事例では、12月に成田空港で仮放免になったミャンマー難民4人を四ツ谷の難民支援協会が引き取り、カトリック東京国際センターが宿舎、衣類、食糧、携帯電話、テレビの提供を行ない、武蔵関の宿舎近くの女子修道院が日本語学習のサポートをしています。民間の協力によって強制収容の代替措置が可能となるよう期待しています。

 イエズス会司牧センターはこれからも、世界のイエズス会難民サービスとのつながりのうちに、日本のなんみんフォーラムのメンバーとして活動していきます。さらにつけ加えるならば、1年前に上智大学内に「ソフィアなんみんサービス」という学生団体を形成し、学生を巻き込んでの具体的な難民とのかかわり方を模索しています。

 ⅰ[1] http://www.jrs.org.au/

ⅱ日本の難民については、「難民支援協会」のホームぺージ、『難民への旅』(山村淳平著、現代企画室、2010年)などをご参照ください。

ⅲ『難民研究ジャーナル』第1号2011、難民研究フォーラム。

ⅳ社会司牧通信163号

ⅴ社会司牧通信146号

ⅵhttp://frj.or.jp/


[i] 社会司牧通信163号

[ii] 社会司牧通信146号

【 報 告 】 第10回イエズス会神学生ブラザー会議

トマス・ニャララムクラト(イエズス会) 【社会司牧通信137号2007年4月15日】

イエズス会東アジア・オセアニア地区の、第10回神学生ブラザー会議(SBC)が、2006年12月21日-2007年1月6日、マレーシアのマラッカで開かれた。会議には、東アジア・オセアニア地区のさまざまな管区から、神学生30人と養成中のブラザー(以下「ブラザー」)2人が参加した。ビザと出国制限のため、中国と東ティモールの代表が参加できなかったのは残念だった。日本からは神学生のトマスとブラザー村岡が参加した。今回のSBCのテーマは「移民と都市化」(migration and urbanization)。ジョジョ・ファン神父とポール・ダス神父が会議の進行を手伝った。
 10回目を迎えるSBCは、移民という問題を、 イエズス会の霊性の主な源泉である福音、霊操、会憲のなかに位置づけることから始まった。
 イエズス会東アジア・オセアニア地区の社会使徒職事務局長、ポール・ダス神父は、イエズス会の社会使徒職におけるミッションのモデルを発見する手段として、会員の個人的な召命や、会の共通理念、識別の基準、使徒的な力と共に、これらの霊的な源泉の根底にある枠組みを提示した。
 社会的な関わりの一つのモデルとして、霊操は四つの段階からなるプロセスを示す。体験、分析、考察、行動だ。それぞれの段階を考察することによって、イエズス会員が社会使徒職に関わる動機と正当性が理解される。

会議に参加した日本管区の3人 左から、小暮、村岡、トマス

<体験> 
 体験は、霊操をおこないながら社会で働くイエズス会員の出発点だ。その中心的な二つの要素は、体験学習(exposure)と「現場に入ること」(immersion)だ。体験学習をおこなうためには、快適な暮らしから一歩踏み出して、読んだものや見たもの、聞いたものに心を動かされることが必要だ。この体験学習をさらに進めたのが、「現場に入ること」だ。それは、新しい環境にすっぽりと包まれることであり、それによって、来るべきもう一つの世界を内側から理解することが可能になる。その一番の成果は「自分のこととして感じること」(empathy)だ。

<分析>
  体験はイエズス会員を「なにが?」という質問へと向き合わせるが、「なにが?」の因果関係について理解するには「なぜ?」という質問が必要だ。分析とは、複雑な質問や論理、批判的考察を、それに先立つ体験のさまざまな要素にあてはめてみることだ。「なぜ?」というの質問の成果は、ある特定のできごとや環境、状況の因果関係についての意識が高まることだ。こうして、体験と分析はイグナチオの霊操のもっとも重要な手段となる。

<考察>
  考察とは、複数のイエズス会員がそれぞれ得た知識を持ち寄り、祈りのうちに考える段階だ。この段階では、イエズス会員は聖霊の動きに心を開いて、聖書についてのイグナチオのさまざまな考察や自分自身の物語を、手段として用いる。この聖霊の動きとは、より大いなる善のために、より普遍的な利益のために、より多くの人々のより緊急な必要のために-つまり「マジス」(より大いなる)に奉仕するものである。
  
<行動>
  行動は、神のみ言葉と祈りに基づいて、神のみ旨を識別することから生まれる。ある特定の行動が、必ずしも世界を変えるものである必要はないが、具体的な関わりこそ重要である。この四番目の段階は、社会使徒職の分野で広く見られる、人々の疎外や周辺化(marginalization)の問題に、私たちをより深く立ち入らせてくれる。
 このように、第10回のSBC会議がダス神父によるイエズス会社会使徒職のモデルに従って進められたのと同じ方法で、第10回SBC会議の成果を、次の四つのカテゴリー:体験、分析、考察、行動から考察してみたい。

●体験
  SBC参加者の大部分にとって、今回の会議のテーマである「移民」についての体験は、会議に先立って各国の移民の状況についてレポートを作成する段階から始まった。それぞれの管区の地元政府が、移民に関してどんな政策をとっているかを調べることは、参加者たちの多くにとって、自国の移民の状況やイエズス会の対応について考える(多くの場合はじめての)チャンスとなった。また、別の神学生やブラザーにとっては、そうした研究やレポートの作成は、かれら自身がそれまで体験してきた移住労働者の状況-たとえば、既存のイエズス会の使徒職を通じて助けを求めてきた、難民や移住労働者の状況-を再確認するものだった。さまざまな管区からのレポートに耳を傾けることで、参加者たちの知識は豊かになり、ショックを受け、考えさせられる体験となった。

「現場に入る」 プログラム
 その次の体験プログラムは、全参加者を対象とした「現場に入る」体験だ。ポール・ダス神父が採り入れたこのプログラムの目的は、参加者が移住労働者と一緒に過ごすことで、移民の現実を、それぞれが移民についての研究から得た分析的手法へと採り入れることだった。ポール・ダス師によれば、言葉の壁を乗り越えることができないことこそ、この体験のもっとも重要な部分だ。言葉のハンディキャップは、他国で暮らす移民の現実を、参加者に体験させた。ポール神父はまた、参加者に対して、それまでの移民との関わりから抱いた偏見や思いこみをすてて、この体験に参加する必要があると強調した。参加者はさらに、この体験が私たちの霊的生活にもたらす影響を正しく評価するために、「五官を働かせる」よう期待された。
 現場に入る体験の間、私たちは四つのグループに分かれた。ベトナム人の神学生たちは、ポール・ダス神父と一緒だった。三人のインドネシア人神学生からなる別のグループは、フローレスからやって来た、カトリックが中心のインドネシア人移住労働者のコミュニティに参加した。三番目のグループは、ポルト・クランというところのテナガニタというNGOが組織したコミュニティを訪ねた。残りの多くの参加者は、マレーシアでJRSのカウンターパートとして活動している組織が世話している、クアラルンプール市内の移住労働者のさまざまなコミュニティを、分散して訪問した。

私たち参加者は三日間にわたって移住労働者と一緒に過ごし、交流する機会を持った。私たちは厳しい生活に苦労する一方で、かれらの寛大な親切に深く心うたれた。私たちは、言葉の壁をのりこえて、かれらと語り合った。かれらと共に食べ、かれらのつつましいクリスマスのお祝いに一緒に参加した。私たちは、かれらの確固たる信仰と、生活の困難を粘り強く克服しようとする態度に感動した。かれらの話を聞いて、私たちはこう自問せずにはいられなかった。「かれらはなぜ、こんな目に遭わなければならないのか?」
 マラッカまで帰る途中で、私たちは小休止して、次の問題を考える時間を与えられた。「この移民たちとの体験は、私にとってどんな意味があるのだろう?」私たちの「現場に入る」体験を振り返るプロセスは共同でおこなわれ、それぞれがこの短い「現場に入る」プログラムで体験したことを、互いに大いに学び合うことができた。こうして、私たちは自分たちの体験を語り、それが私たちにどんな影響を与えたかを報告した。このプロセスの中心的な要素は、状況を社会的・文化的・経済的・政治的構造の観点から批判的に分析することだ。私たちはさらに、感情的な面でも、移民の問題の宗教・信仰の側面に注目した。こうして、私たちは頭の中の知識と心の動きを一つにまとめることで、前進することができた。ダス師が、この体験の効果を要約して述べたのは、次のことだ。クアラルンプールやジョホールの移住労働者のグループの「現場に入る」実体験を通して、移民たちの問題に対する私たちの「同情」が、ほんとうに「自分のこととして感じる」レベルにまで深まった。この「自分のこととして感じる」ことこそ、イエズス会員を「移民や避難民の悲惨な状況を、自分自身のものとする」関わりへと駆り立てる原動力だ。思うに、こんな「現場に入る」体験をするのに、クリスマス以上に適当な時はない。なぜなら、クリスマスとは、私たちを愛するあまり、私たちの悲惨な世界に深く入り、私たちと共にあり、私たち人間の一人となられた主キリストの、受肉を祝う時だからだ。移民の「現場に入る」私たちの体験は、こうしてキリストの降誕のより深い意味を発見させてくれた。

分科会で発表するトマス(左から4人目)

●分析 
私たちは、このような心動かされる体験の後、そうした体験を分析するよう招かれた。手助けをしてくれたのは、移民や人権問題の専門家であるマレーシア人のアイリーン・フェルナンデス博士だ。アイリーン博士は、「私たちは今まさにグローバリゼーションの第三波を体験している」と述べた。第一波とは、ヨーロッパ諸国が他の国々の資源を奪うために、世界中に植民地を広げた時期だ。第二波は、ヨーロッパが産業革命を経て、より安価な生産手段を探し求めた時期だ。この時期世界は、海外生産や「緑の革命」(米国などの支援で第三世界の品種改良と農薬・化学肥料の多用により農産物の増収が図られたが、失敗した)の始まりを経験した。最後に、現在の第三の波の焦点は貿易だ。移民が激増しているこの時期、資本主義は野放しになっている。あらゆる貿易障壁が取り除かれ、すべての市場が競争にさらされる傾向は、ますます強まっている。
 この資本主義イデオロギーの結果として、人間生活のあらゆる側面が効率性と経済性の基準で計られるようになっている。アイリーン博士はグローバリゼーションから生じるさまざまな問題について指摘したが、その中には、労働者を売買の対象として扱う「労働の商品化」の問題も含まれていた。このグローバリゼーションの第三波は、行き過ぎれば、個人の人権や尊厳さえも奪ってしまう。グローバリゼーションはまた、特に貧しい人々や発展途上の国々に対する新たな差別や暴力をもたらした。新自由主義的傾向をもつグローバリゼーションは、規制緩和と公共部門の民営化をもたらした。こうした規制緩和や民営化は、さまざまな経済部門で効率アップを実現する一方、水のような基本的生活必需品の商品化をも招いた。このように、生活全体が経済性によって支配された結果、基本的な生活必需品を確保することさえ、経済状態に左右されることになってしまった。
 アイリーン・フェルナンデス博士は、移民の一つの要素としての人身売買の問題を、分析することが重要だと強調した。人身売買とは現代の奴隷制であり、人々は売春や債務労働を強制され、赤ちゃんの誘拐や売買さえおこなわれている。貧しい国から豊かな国へと嫁いでいく女性たちの多くは、自由のないメイドとして働かされている。私たちはまた、移住労働者権利条約や世界人権宣言などの文書を読むよう勧められた。アイリーン博士は、移民の権利を保護するにあたって、かれらの特定の人権が侵害されている点をはっきりさせるべきだと強調した。
 アイリーン博士は、講義やグループ討論、フィードバック、個人的な分かち合いなどを通して、情報を提供してくれた。こうして、参加者たちは討論と対話に参加する機会を与えられた。

 ●考察
ジョジョ・ファン神父によっておこなわれたSBC会議の三番目のプログラムは、参加者たちに自分の体験を、アジアの神学の視点から考察させてくれた。ジョジョ師は、アジアにおける「アナゥイム」(私たちの中の貧しく、疎外された人々)との具体的な出会いから生まれる、ユニークなアジアの神学の必要性を強調した。ジョジョ師は、こうした神学的考察をおこなうにあたって、絵画や詩、歌によって神学の概念を表現する、テキストによらない神学のアプローチを指導した。こうした表現方法こそ、アジア神学の特長なのだ。
 ジョジョ師は聖書を引用して、イスラエル人と他の民族との関係が、年を経て、どう発展していったかを浮き彫りにした。

考察をイメージにまとめる

当初は、異邦人はイスラエルの民に対する脅威とみなされていたが、両者の関係はやがて、相互に尊重し合う関係へと変わっていった。この関係性のモデルは、特に新約聖書における諸民族同士の仲間意識へと発展していった。新約時代には、全ての人に向けられたキリストの救いのわざと使命への招きのゆえに、あらゆる人が等しく尊厳を持つ存在とみなされた。
 ジョジョ師は、旧約・新約聖書に照らして移民の問題を提示した後、私たちを考察へと誘った。この考察は、移民のあらゆる段階に神がいかに現存してこられたか、そして今度は私たち自身が、移民のために、移民の前に現存することが、どれほど必要かを理解させてくれた。神は、あらゆる運動を指導し、ご自身に忠実な者に、寄留の生活を送る人々を導くよう招いておられる。神の変わることのない現存とは、絶えず移動しているご自身の愛する民に対する、神の絶えざる誠実さを表している。ある意味では、神ご自身もまた、私たちの一人ひとりと共に旅する「移動される神」なのだ。
●行動
 行動に関しては、第10回SBC会議の参加者たちが提出した勧告を紹介したい。12日間にわたる移民や移住労働者、難民についてのインプットや討論、熟慮の後、SBCの参加者は以下のような勧告を提出した(順番は優先度の高い順)。

<養成と養成共同体> 
1.個々の神学生やブラザーは、イグナチオの心と第34総会の精神、総長の考えに従いつつ、自らのイエズス会員としてのミッションの養成や神学教育、全人的な発展に、個人的に関わり、意識的に責任を持つことができるよう、勧められる。このプロセスにとって明らかに助けとなる行動とは、以下のようなものである。

1.1.きわめて高い水準で以下のことを教える、厳密な学問的プログラム
 1.1.1.社会分析と批判的思考の技術を伴った社会-政治意識
 1.1.2.国際的・国内的経済構造の理解
 1.1.3.基本的人権と義務の正しい評価
 1.1.4.霊操に裏打ちされた、正義をおこなう信仰の神学的・霊的基礎
 1.1.5.カトリック教会の社会的教え
 1.1.6.移民のような現代の社会現象に関連する諸問題について理解し、分析し、考察し、意見を表明し、討論する能力を与える、人文科学関係の諸領域

1.2.移民や移住労働者、難民に関わる諸問題に関心を持ち、創造的に関わっていくイニシアティブを意識的におこなうことによって、若いイエズス会員たちの社会使徒職への関わりを再活性化し、会員に求められるミッションの養成と全人的な発展を助けること。イエズス会の既存の組織構造の枠内で機能するためには、そうしたイニシアティブは次のような形をとりうるだろう
 1.2.1.社会使徒職で働く、経験豊かなイエズス会員の指導者を見つけること
 1.2.2.移民や移住労働者、難民の問題に関する適切なネットワーク、ワークショップ、セミナーに参加し、積極的に貢献すること
 1.2.3.移民や難民の司牧活動をおこなうこと
 1.2.4.移民や移住労働者、難民に関わる体験プログラムや、イエズス会とその関係機関によっておこなわれるプログラムに参加すること
 1.2.5.移民や難民のコミュニティのために支援や緊急援助、教育、世論喚起の活動をおこなう専門的な使徒職を含む、東アジア地区の各管区の社会使徒職に、中間期生を送ること

1.3.SBC参加者のチームからボランティアを募って活動グループを結成し、東アジア・オセアニア諸国で起きている人権侵害や移住労働者、難民関係の諸問題を、イエズス会内外で追究し、啓蒙すること

<管区や共同体へのフィードバック> 
2.SBC参加者はそれぞれのコミュニティに、SBCで得た移民や移住労働者、難民に関する情報や体験を、公式に伝えること。さらに、それが実践的あるいは効果的なものとなるよう、以下のことに努める。
 2.1.管区のニュースレターや雑誌、ホームページ、メーリング・リストなどに記事を書いたり投稿すること
 2.2.養成中の会員に役立つように、移民や移住労働者、難民の問題に関するワークショップを開催すること

<青少年司牧とキャンパス・ミニストリ> 
3.勧告1の優先度と必要性に関連して、神学生やブラザーが青少年司牧やキャンパス・ミニストリ(大学司牧)に携わるところでは、そのイエズス会員は基本的人権の重要性と、そこから派生する移民や移住労働者、難民の諸問題について意識を促進する仕事をおこなうこと。この仕事が実践的で効果的なものとなるよう、以下のような方法でおこなわれるとよいだろう。
 3.1.今日の社会で若者を動かすものは何かを識別し、「人々のもっとも奥深くにある願い」に根ざしたオルターナティブな価値観や「正義をおこなう信仰」を伝えること
 3.2.移民や移住労働者、難民の要素を、関連する使徒職のプログラムに採り入れること
 3.3.東アジア・オセアニア地区でおこなわれているイエズス会の社会使徒職の枠内で、市民団体や協力者と一緒に、体験学習や「現場に入り込む」プログラムをおこなうこと
 3.4.適切な機会があればいつでも、イエズス会の仕事に参加するよう若い人たちに呼びかけること

<イエズス会の社会使徒職への関わり> 
4.東アジア・オセアニア地区のイエズス会がおこなっている社会使徒職の豊かさのゆえに、SBC参加者は、イエズス会の既存の社会使徒職組織に積極的に参加する。
 4.1.イエズス会難民サービス(JRS)やその関係者と連携して、かれらの仕事を体験学習したり「現場に入る」プログラムを進めたり、JRSのメッセージを各国のイエズス会の共同体や事業に伝えること
 4.2.イエズス会や関係機関の信徒協力者と共に働くこと。たとえば、韓国のユイ・サリ(友の家)やマレーシアのACTS、フィリピンのUGAT、オーストラリアのJSSや、移民の担当司祭全般などの仕事が含まれる。そうした活動の成功に学び、伝統的な家父長制や制度の障害を克服すること
 4.3.人権や移民、移住労働者、難民について、管区の出版物やホームページ、その他のメディアで執筆すること。適切な場合には、一般の出版物にも執筆してよいだろう
 4.4.移民に関して、共通の関心分野で、教区の機関や他の修道会と一体となって、あるいはパートナーとして働くこと

参加者の集合写真(SBC会議の会場で)