カテゴリー別アーカイブ: ニュース・社会司牧通信

留学生所在不明1600人 東京福祉大の募集一部認めず

毎日新聞2019年6月12日

文部科学省は11日、東京福祉大(本部・東京都豊島区)で2016年から18年度の3年間に計1610人の留学生が所在不明になっているとの調査結果を公表した。うち8割が、定員の上限がない「学部研究生」で、日本語能力を十分確認せずに受け入れていた可能性がある。文部科学省は「責任重大」として、学部研究室への新規の受け入れを当面認めないことを決め、私学助成金の減額や不交付も検討する。再発防止のため、文部科学省と出入国在留管理庁は、在籍管理が不適切な場合に処分を厳格にするなど管理を強化する。

学部研究生は1年で正規課程(学部)へ進学することを前提に、教育に支障のない日本語能力を持つ留学生を対象にした入学枠。東京福祉大の学部研究生は15年度には39人だったが、16年度1201人と急増し、18年度は2656人で全体の留学生5133人の半数以上を占めた。学部研究生が急増した理由について、大学は文部科学省に「日本語教育機関等の現場からの要請があった」と回答したという。

日本語学校を卒業しても日本語能力が低い学生の受け皿になっていた可能性がある。学校の実態も大学とは程遠い状態で、雑居ビルや、銭湯の2階に教室が設けられることも。授業は週7コマ(10.5時間)で通学は週3日。在日留学生の問題に詳しい東京工業大の佐藤由利子准教授は「日本は留学生教育の所管省庁が外務、法務、文部科学の三省にまたがっており、連携が十分でない。日本語学校から高等教育機関まで一貫して学べる仕組みづくりが急務だ」と指摘する。

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不法就労「入管が要請」逮捕・釈放の社長「摘発に協力」―大阪入管は否定

朝日新聞2019年6月8日

技能実習先から逃げ出したベトナム人の不法就労を手助けした疑いで兵庫県警に逮捕された人材派遣会社の社長が「一斉摘発を狙う入国管理局に協力し、要請通りに雇用しただけ」と明かし、波紋を呼んでいる。神戸地検は社長の拘留を請求せず、社長は逮捕2日後に釈放。入管は「一般論」として要請を否定したが、識者は「事実ならおとり捜査に近い」と指摘する。

出入国管理法違反(不法就労助長)容疑で逮捕されたのは、兵庫県尼崎市の人材派遣会社「ワールドビジネスパートナー」のソニンバヤル=通称・五十嵐一=社長ら中国籍の2人。社長の弁護士によると、昨年6月ごろ、約10人のベトナム人が会社に応募してきた時に、社長は大阪入国管理局へ相談し、在留カードの偽造が判明した。しかし入管の担当者は「しかるべきタイミングで一網打尽にしたい」と、積極的な採用を要請。その後打ち合わせどおり入管に摘発させたと言う。

弁護士らは、会社側と入管担当者との間でのやり取りだとする携帯電話のメッセージの画面や、家宅捜索に会社の役員が入管担当者に電話した際のものという録音データ等を公表した。外国人労働者問題に詳しい指宿昭一弁護士は「いわゆる『おとり捜査』に近い。社長の刑事責任を問うなら、加担した側も同様に責任を追及されなければならない」と指摘。神戸大学の斉藤善久准教授は、失踪者が相次ぐ入管行政の歪みを指摘している。

日本で生きる ―外国から来た子供たちー 中国出身高校生「見えない壁」超え

毎日新聞(連載)2019年5月24日

中学2年生の2月に来日後、日本語がほとんど話せない状態で中学3年に編入した石川君(17)。外国籍の子供らが対象の高校生日本語弁論大会で最高賞の外務大臣賞を獲得した。
 中国では友達も多く勉強も得意だったのに、日本では授業がわからずクラスメイトに話しかけることもできない。ある時、男子生徒が投げた筆箱が背中に当たった。「謝謝」と言う生徒に「それは『ありがとう』と言う意味だよ」と指摘すると、周りのクラスメイトが馬鹿にするかのように一斉に笑った。
とても悲しく悔しかった。日本語を指導してくれたボランティアの男性は「急がなくていいよ。ゆっくりやればいい」と声をかけてくれた。気にかけてくれる人がいる。そう思うと心が軽くなった。何気ないことで、他の人がどれほど傷ついているかわからないことがある。同時に何気ないことでどれほど救われているか気づかないこともあるでしょう。「急がなくていい」。石川君はスピーチの最後をこう結んだ。

外国籍就学不明を調査
日本に住民登録している義務教育年齢の外国人のうち1万6000人以上が学校に行っているか確認できない「就学不明」となっている問題で、文部科学省は都道府県教委などを通じ、全国の1741自治体に就学不明者数の調査を依頼した。回答期限は6月14日で、年内に結果を取りまとめる。

在留カード 工場で偽造 1枚10,000円 SNSで簡単入手

毎日新聞2019年5月30日(夕刊)

「在留カード」を偽造する国内密造工場の摘発が相次いでいる。従来は摘発を逃れるため偽造の拠点は海外に置かれることが多かったが、手早く売買するため偽造拠点を国内に移す動きが目立つ。愛知県警や東京入国管理局は1〜4月、愛知や大阪、埼玉の密造工場を相次いで摘発。

アパートから中国やベトナム、インドネシア人などの偽造在留カードのほか、偽造の学生証や保険証、数千枚に上る白無地カードを押収した。ブローカーがSNSに「最短2日で届く」などと投稿し、1枚10,000から20,000円で客を集め、中国人の男らに偽造を依頼。男らは、偽造したカードを、レターパックでブローカーや外国人に郵送していた。捜査幹部は「密売組織は複数あり、摘発工場は氷山の一鶴」と指摘する。

警察庁によると、2018年に偽造在留カードの所持や提供で検挙された外国人は過去最多の438人。18年中に強制退去となった外国人は16,269人でうち10,086人は不法就労だった。

人手不足などを理由に不法就労を黙認する事業者も少なくない。不法就労助長容疑での検挙者は毎年400人超に上る。偽造は年々精巧になっているが、本物の在留カードにはICチップが埋め込まれ、表面には法務省を示す「MOJ」の文字が左右に動くホログラムが施されている。入管のホームページで在留カード番号を入力すると、カードの有効性を確認することもできる。

難民申請者の端を治療する歯科医師 永坂哲さん(68)

朝日新聞2019年5月21日

横浜市の鶴見大学で難民申請者の歯科治療チームを率いる。チームで38カ国、地域の222人の患者を見て、198回抜歯した。難民と認定されれば働け、国民健康保険に加入できるが、申請者は働けず、多くが国保に加入できないので治療は後回しになりがちだ。2009年頃、友人からそんな話を聞き、「どなたもやられていないなら」と奮起した。治療費は大学が負担し、NPOの紹介を受けた難民申請者を治療する仕組みを1年で作った。無断キャンセルやアポなし訪問もある。「支援は喜びあり、涙あり、時に忍耐も。自分にとっては人生修行」と言う。「私も人様に助けられたり、迷惑をかけたりしているのでお互い様です」

子は児相に:入管の家族分離急増 17年28人、前年比7倍

東京新聞2019年5月13日

外国人の親拘束、子は児相に:入管の家族分離急増 17年28人、前年比7倍子供のいる非正規滞在外国人を入管当局が拘束、施設に収容する際、子供を親から分離し児童相談所に保護を依頼したケースが2017年に急増したことがわかった。共同通信が入手した法務省が野党議員に開示した資料によると、保護者の収容を理由に入管当局が児相に保護を依頼した子供の人数は13年と14年が2人、15年1人、16年4人、17年は28人。出入国在留管理庁は「児相に保護を依頼した子供の人数は公表情報ではない」とし、急増理由を明らかにしていない。

入管当局は従来、親子別離による子供の精神的負担を考慮、子を持つ外国人は原則、拘束せず退去強制手続きを進めてきたが、近年の非正規滞在者対策の厳格化で配慮が揺らいだ可能性が示された。外国人の人権に詳しい弁護士らば「子供を放って逃亡する親は通常おらず、不必要で無意味な収容だ」と批判する。入管庁の担当者は「養育放棄のように親の監護能力がない場合などは親を収容せざるを得ず、児相に子供の保護を依頼する」と話した。

だが、成田空港で17年、入国を拒否され、すぐに拘束されたトルコ出身の男性(29)は妻(24)と別々に収容され、未就学の子供2人が児相に送られたと証言、監護能力と無関係に親子が分離されており、外国人支援者らは入管庁の説明を疑問視している。

*児玉晃一弁護士の話
「国際人権規約の自由権規定や子供の権利条約は国家による家族への介入や親子分離を禁止している。入管当局の対応はこれらの趣旨に反する。」

*国士舘大の鈴木江理子教授(移民政策)の話
「非正規滞在外国人の家族分離が急増したことは、法務省が帰国を促すため外国人を追い込む方針を強化したことを示している。子供と引き離される親の精神的苦痛は図り知れず、子供の成育に親の存在は欠かせない。個々の事情を考慮し、人権尊重の原則のもとで在留特別許可の是非を判断すべきだ。」

ルポルタージュ:ネパール人留学生は命を断った

毎日新聞2019年4月28日

「お母さん、この人生はとても重たいです」。東京都福生市で5年前、Facebookにこんな書き込みを残した26歳のネパール人留学生、ラビン・ゲモスさんが命を断った。同郷の親友だったルケス・ゴサインさん(33)はそれ以来、ずっと彼のことを考えている。2人のネパールの実家は徒歩15分の距離にある。ゲモスさんが高校卒業後に福生市内の日本語学校に留学したのは10年10月のこと。ゴサインさんも半年遅れで同じ学校に留学し、間もなくゲモスさんと同居を始めた。アルバイト先も同じ。「自分たちは兄弟のようだった。」だが長引く異国での生活で、ゲモスさんは徐々に孤立していったようだ。

同居から1年9ヶ月後の13年3月、ゴサインさんは突然、ゲモスさんから「別々に暮らそう」と切り出された。大喧嘩の後、2人は別々に暮らしはじめ、バイト先でもほとんど言葉を交わす事がなくなった。ネパールにいた頃からアニメが好きで日本のCDや雑貨を集めるのが趣味だったゲモスさん。「日本に行きたい」。父は120万ルピー(約120万円)を借金で用意した。姉スニータさんは弟が留学後たびたび電話で「寂しい」「学校と仕事の両立が大変だ」とこぼしていたのを覚えている。

14年2月ごろ、ゲモスさんは1度だけ帰国した。友人や親戚を訪ねる様子が楽しそうだった。同年5月。日本からゲモスさんは電話で父に「ネパールに帰りたい」と訴えた。父が「もう少し頑張っておくれ」と伝えると、すぐに話題を変えた。同じ頃、ゲモスさんは真夜中に福生市のゴサインさんのアパートを訪れた。「もう一回、一緒に住もうよ」と言うのをゴサインさんが断ると「じゃぁ家に泊まりに来てよ」と懇願された。再び断ると2、3分も黙ったまま考え込んでから帰っていった。

遺体が見つかったのは数日後のことだった。ネパールには助け合いを目的とした「グティ」と呼ばれる地域の集まりがある。ゴサインさんは16年6月、東京の友人5人で「グティ」を作った。二度と身近なネパール人から自殺者を出さないために、悩み相談やバイトの紹介等のささやかな支援を始めた。借金と家族への責任、そして異国での孤立。「ネパールは見えない豊かさにあふれている。友情とか愛情とか。どれほど恵まれていたか、ここで生活するとよく分かる」。失ったものを考えると、成功するまで帰れない。多摩川の河川敷をゲモスさんとよく走ったというゴサインさん。「ジョギング中、親に手をひかれた5歳くらいの女の子にいきなり『おはようございます』と言われ、2人ともパッと笑顔になった。あれは忘れられない」と言う。異国で触れた小さなぬくもりを、彼らはこんなにも大切にしている。

在留外国人半数「差別受けた」

東京新聞2019年4月17日

外国人の留学生や労働者の半数が日本で差別を受けた経験があるー。大学生らで組織する団体「反レイシズム情報センター(ARIC)」のアンケート結果で、こんな実態が浮かんだ。アルバイト先で「外国人のレジは嫌」「日本語以外を話すな」などと客や同僚から差別されたケースが目立った。アンケートは新宿区の駅周辺で実施され、回答したのは留学生285人を含む340人。職場で差別を受けたと回答したのは100人。職場ではないが、それ以外で受けたという67人を合わせると、回答者の49.1%を占めた。職場以外では、アパート等の入居拒否や入店拒否が多かった。行政に相談した人はいなかった。4月に外国人労働者の受け入れ拡大が始まったが、相談窓口の整備や周知に課題があることが浮き彫りになった。

法務省の判断覆す事例も

東京新聞2019年4月17日

東京地裁は昨年8月、難民申請が認められなかったことを不服としてエチオピア人女性が国を相手に起こしていた訴訟で不認定処分を取り消す判決を下した。女性は0 8年、エチオピアで女性の権利擁護の団体からの脱退を求めた地元警察の命令を拒んで拘束され、性的暴行を受けた。保釈された翌月に来日して難民申請をしたが、11年に不認定処分を受け、不服申し立ても退けられたという。女性は自身の指名手配書を提出したが主張が通らず、訴訟を起こした。判決が出るまで10年かかった。

昨年の難民申請半減

朝日新聞2019年3月28日

2018年に難民認定を申請した外国人は10,493人で、2017年に比べて半減した。法務省は、就労目的の「偽装申請」に厳しく対応する運用を18年1月から始めた効果が出たとみている。難民認定制度は2010年の運用変更によって、申請から半年で1時に就労が可能になった。審査が長期化した申請者に対する経済的な配慮だったが、変更後に申請が急増。

10年2200人だった申請者は年々増え、17年は19,629人に達した。法務省は18年1月から運用を改め、申請後2ヶ月以内に書面審査を実施。明らかに難民に該当しない申請者や、「正当な理由」がない再申請者は就労を認めないことにした。一方、全国難民弁護団連絡会議代表の渡辺彰悟弁護士は「申請自体を受け付けてくれないと言う相談も寄せられており、受け付けを厳しくしているとすれば問題だ」と述べた。

「難民認定不十分」支援団体など懸念

東京新聞2019年4月17日

2018年の難民認定者は42人で、前年の20人より増えた。昨年の難民認定者を国籍別で見ると、最多はコンゴ民主共和国の13人。イエメン、エチオピアの5人、アフガニスタン、中国の4人などとなっている。一方、申請者はネパール、スリランカ、カンボジア、フィリピン、パキスタンの上位5カ国で全体の55%を占める。法務省は「わが国の申請者の多くが、大量の難民・避難民を生じさせるような事情がない国々からの申請者」としている。主要7カ国(G7)の他国が数十万から数千の単位で受け入れていることと比べると依然少ない。国連人種差別撤廃委員会は、昨年9月の日本に関する報告書の所見で、難民申請の受け入れ率について「非常に低いことを懸念している」と表明した。

費用負担・人材育成が課題

朝日新聞2019年3月28日

横浜市のNPO法人「多言語社会リソースかながわ」副理事長の石元陽子さんは「医療通訳が広がらない最大の理由は費用負担だ」と話す。同法人では2時間3000円で医療通訳を派遣している。患者負担は3分の1までとし、残りは医療機関が負担する仕組みだ。だが、医療費に加えて通訳料を払うのが難しい低所得の外国人患者や、負担をためらう医療機関が少なくない。多言語対応も課題だ。厚生労働省は、電話や映像通信を利用した遠隔の医療通訳による多言語対応を目指す。これに対し、現場は人材育成のための財政支援などを求めている。

医療通訳の普及 進まぬ議論―活用は各医療機関の判断

朝日新聞2019年3月21日

「外国人が医療通訳なしに適切な医療を受けるのは難しい。」医療通訳を利用している港町診療所(横浜市)の沢田貴志所長は指摘する。正確に症状を伝えられず、病名がわからないまま病院を転々とし、重症化するケースもあるという。厚生労働省は、医療通訳の重要性を認め、医療機関に通訳体制の整備を呼びかけるガイドラインを作成する予定だ。ただ、医療通訳の利用や費用負担のあり方は医療機関の判断にゆだねている。同省によると、米国の一部の州や英国などでは公的な医療通訳制度があり、患者負担もないという。

入管、内部文書で「申請減急務」

朝日新聞2019年5月20日

UNHCRの17年の統計では、日本の難民認定数はG7中で最も少ない20人。最多のドイツは147,671人。日本の次に少ないイタリアは5895人だ。認定率1%未満は日本だけで、UNHCRは名指しで指摘している。法務省が3月に発表した18年のデータでは、難民認定者が42人に増えた一方で、申請者は10,493人で前年比47%減。

全国難民弁護団連絡会議(全難連)は「在留制限などが強化されて申請者が萎縮し、収容を避けるため申請を取り下げざるを得ない状況が生まれた可能性がある」と指摘する。入管が難民申請者数を人為的に抑えようとしていることを示す内部文書が、昨年11月16日付の東京入管成田空港支局内の「事務連絡」だ。

難民申請者が増加しているスリランカ人について、入国時、「査証期間内に帰国するか」「帰国困難な事情があるか」などを確認する書面への回答を求めている。「特定の国籍者への差別であるだけでなく、受け入れたくないという態度が丸見え。(難民の権利と保護を定めた難民)条約締約国としてあってはならない措置。」と全難連代表の渡辺彰悟弁護士は言う。出入国管理と難民認定を同一の機関が担う現状に「絶対的な矛盾がある」。

外国人労働者への門戸が開かれた— 新たなパンドラの箱

【社会司牧通信206号2019年4月15日】
安藤 勇SJ、移民デスク担当(イエズス会社会司牧センタースタッフ)

日本では新年度が始まったばかりです。例年どおり、春のこの時期には桜が満開ですが、今年は日本社会に新たな社会変化の風が吹いています。
今年の新年度は二つの大きなイベントをもたらします。日本の天皇が退位し、古い伝統に従って、新天皇が即位する5月1日から新しい時代が始まるとされます。4月1日、「令和」という新元号が、伝統的な儀式の中で公式発表されました。その結果、5月1日に新天皇が即位すると、公文書の日付や暦などを変更しなければなりません。

もう一つの大きな出来事も、日本社会の様相を変えました。4月1日から、日本は近代史上はじめて、外国人労働者へと正式に「開国」しました。日本にはすでに多くの外国人労働者がいますが、4月1日からは「単純労働者」も日本で働くことが正式に認められました。さらに、私たちが入国管理「局」と呼び習わしていたものは、外国人労働者の増加に伴い、出入国在留管理「庁」という独立した機関に昇格しました。

昨年の10月以降、35万人以上の外国人労働者を日本に受け入れるという法案が、国会内で様々な政党によって激しく議論され、マスメディアでも注目を集めていました。政府は5年以内に受け入れるべき労働者の明確な数(35万人)を提案し、外国人労働者を受け入れるための二種類の在留資格を示しました。野党側は政府の政策を批判し、政策提案者は不満を漏らしましたが、企業は日本の人手不足を補うために若い人々が来てくれることを喜んでいるようでした。

一方で、政府は日本に馴染まない「移民」政策はとらないということを明言していますが、それには疑いの余地があります。実際、現実には何が起きたのでしょうか? 日本政府は門戸を開き、「日本へようこそ!」と言ってゴー・サインを出しています。しかし現実には、来日したばかりの人が日本で暮らし、生き抜くために必要な多くの構造は手つかずのまま残されています。

日本側から見れば、このような政策の目的は単なる「経済的」理由です。日本経済は人手不足に苦しんでいます。それはとりわけ、介護、農業、漁業、建築、飲食、宿泊業界などの多くの分野で深刻です。数多くの中小企業では特に、若い労働者が不足しており、これが日本社会全体に深刻な影響を及ぼしています。私たちは、これらの新しい政策の裏にある考え方は、単に経済的な観点であるとはっきり言うことができます。それは文化の領域や教育訓練にまで及ぶものではありませんし、日本での就労を許可された労働者の利益に役立つものでもありません。

確かに、新たにやってくる労働者の大部分は、ベトナム、インドネシア、フィリピンなど東アジア諸国の出身者でしょう。こうした国の若者たちは、仕事に飢えています。自国は成長の途上にあり、農村部は依然として貧しいままです。このように、人手を必要とする日本と、働く機会を必要とするアジアの発展途上国との間で、お互いのニーズは一致しています。経済的に考えると、日本企業は経済成長を続けることができますし、外国人労働者は自分自身や家族を養うための収入を得ることができます。
こうした公式見解は、確かに現実ではありますが、決して十分ではありません。

パンドラの箱?
日本は外国人労働者に門戸を開き、彼らに何千もの雇用の機会を提供しました。これを信号でたとえるなら、政府はいわゆる「ブルーカラー」労働者が日本に入国するのを妨げていた赤信号を切り替え、多くの青信号を点灯させました。彼らを受け入れるようにはしましたが、既存の構造の大部分は変更されないままに残っています。言い換えれば、適正な契約、語学研修、生活施設、教育技能の向上、安全の保証、家族の呼び寄せといったことはどれもお金がかかるので、民間部門の裁量に任されています。外国人の若者は負債、つまり返済しなければいけない借金を背負って日本にやってきます。多くの人が日本語学校で日本語のさらなる学習を必要としていますが、どうやって学費を払うことができるのでしょうか?(東京での平均的な学費は通常、年間60万円以上します)
 
外国人労働者がビザ更新への影響を受けずに職場を変更することは可能でしょうか? 政府は外国人労働者が都市部に集中することなく、農業や漁業、建築業や家事労働に従事することを期待しています。日本の若者は通常、そうした労働条件の悪い仕事に就きたがらないからです。どうしてそのような規制が海外から日本に働きに来る若者たちにのみ課されているのでしょうか?

仕事に関しては、民間企業が、行われた労働と引き換えに給与を提供します。実際、外国人労働者に支払われる賃金は通常の日本人に支払われる賃金と同等でなくてはならないという法規制にもかかわらず、外国人労働者に与えられる報酬の額は、「利益」を主目的とする民間企業に委ねられています。労働者差別が存在していますし、経験から言っても、それがなくなることはないでしょう。

日本における働き方の構造的変化は、重要な社会問題となっています。より柔軟で多様な働き方が、今日の日本人の生活において極めて重要であると考えられています。馴染みのない環境に入るための準備がさほどできていない外国人労働者への要求は、結果的に新たな労働者により大きな負担をかけるでしょう。

これらすべて、また他の多くの状況が、私にはまるで「パンドラの箱」のように見えます。予期せぬ現象が詰まっているからです。
日本政府は「移民」政策はとらないと正式に主張しています。確かに、社会構造に深く触れることなく新しい政策がどのように実施されているかを単純に分析するならば、単なる「一時的な」歓迎を示しています。けれどもその背後に隠されている考えはまるで、「来て、しばらくの間働いて、そうしたら自国に帰れ」と言っているかのようです。

それにもかかわらず、人手不足を補うために日本社会で働きたいと願う多くの外国人が到来することは、必要な社会変化をもたらし、社会に様々な文化的交流を生じさせるための重要な課題です。

カトリック教会はすでに外国人コミュニティーとの多くの活動を始めており、そしておそらくこれからはさらに重要な課題に直面することになるでしょう。

監督機関を新設でも「成果乏しい」 働く外国人守るには

朝日新聞2019年5月20日

1993年に始まった技能実習制度をめぐっては、労働法違反行為が減らないことへの批判が高まり、2017年11月に実習生の保護策を強化した技能実習適正化法(技能実習法)が施行され、監督権限がある認可法人「外国人技能実習機構」が新設された。その「実績」はどうか。約2500の管理団体のうち実習機構の検査で許可が取り消されたのは1団体。業務停止や改善命令の行政処分はゼロだ。48,000社あるといわれる受け入れ企業に関しては、実習機構に認定された実習計画を取り消されたのは8社。改善命令を受けたのは三菱自動車1社にとどまる。実習機構は、行政処分の手前の「改善勧告」を少なくとも1400団体、企業に出していることを明らかにしている。移住者と連帯する全国ネットワークの鳥居さんは、「実習機構は(社名などが公表される」行政処分を躊躇しているように見える」と言う。実習生は328,000人(昨年末)に達した。こうした技能実習システムの急膨張に実習機構のチェックが追いついていない。18年4月から9月に実施した企業への実地検査は2600件。これだと「企業への検査は3年に1回」という低めの目標の実現さえ不可能だ。

「日本語話せぬ」就学拒否 昭島市教委

(毎日新聞の連載記事)2019年5月17日

日本語指導体制が整っていない地域で外国籍児らが就学を希望した場合、 日本語が話せないことを理由に事実上の就学拒否に遭うケースがある。東京都昭島市のダンゴル•ラピナさん(18) 。母と一緒に暮らすため14年に13歳で、日本語が話せない状態で来日した。母親は、5年前昭島市教育委員会に行き就学手続きをして「学校指定通知書」を受け取ったが、その際「日本語がわからないと学校には入れません」と言われたと言う。福生市でNPOが運営する日本語教育の塾「YSCグローバル・スクール」で日常会話を学び、5ヶ月後簡単な日本語が話せるようになり、1学年下の中学1年に入学した。日本語指導はなく「授業は全部難しい」。いじめにもあった。中学2年の時、市教育委員から週1、2回、日本語指導員が派遣されるようになった。夏ごろから日本語が少しずつ理解できるようになり、友達もできた。YSCには昨年度も就学拒否の相談が2件寄せられた。

難民受け入れたくない?日本

(毎日新聞の連載記事)2019年5月15日
クルド人長期収容 息子ら「帰ってきて

昨年1月から収容が続くトルコ出身のクルド人男性、チョラク・メメットさん。2004年に知人を頼って来日。これまで難民認定を繰り返し求めてきたが認められず、昨年1月、仮放免の延長手続きで入管に出向いた際、収容された。日本生まれの次男(11)と三男(8)を含む家族全員に退去強制令が出されている。代理人の樋川雅一弁護士は「彼らを強制送還する事は日本も批准した国際人権規約である自由権規定や子供の権利条約に反し、明らかに違法だ」と指摘する。3月、長期執行が続くチョラクさんが極度の体調不良に陥った。電話で訴えを聞いた親族が手配した救急車を入管職員が2度にわたって追い返し、この問題は国会でも取り上げられた。弁護団によると、17年に難民申請をしたトルコ国籍者の認定率は世界平均で約35%だが、日本では1人の認定もないと言う。

入管、内部文書で「申請減急務」
UNHCRの17年の統計では、日本の難民認定数はG7中で最も少ない20人。最多のドイツは147,671人。日本の次に少ないイタリアは5895人だ。認定率1%未満は日本だけで、UNHCRは名指しで指摘している。法務省が3月に発表した18年のデータでは、難民認定者が42人に増えた一方で、申請者は10,493人で前年比47%減。全国難民弁護団連絡会議(全難連)は「在留制限などが強化されて申請者が萎縮し、収容を避けるため申請を取り下げざるを得ない状況が生まれた可能性がある」と指摘する。入管が難民申請者数を人為的に抑えようとしていることを示す内部文書が、昨年11月16日付の東京入管成田空港支局内の「事務連絡」だ。難民申請者が増加しているスリランカ人について、入国時、「査証期間内に帰国するか」「帰国困難な事情があるか」などを確認する書面への回答を求めている。「特定の国籍者への差別であるだけでなく、受け入れたくないという態度が丸見え。(難民の権利と保護を定めた難民)条約締約国としてあってはならない措置。」と全難連代表の渡辺彰悟弁護士は言う。出入国管理と難民認定を同一の機関が担う現状に「絶対的な矛盾がある」。

英語通じず手探り アフガンから5児迎え

(毎日新聞の連載記事)2019年5月13日

外国籍児が全国に広がったことで、これまで日本語教育を実施する必要がなかった自治体にも、対応が求められるようになった。青森県おいらせ町立下田小学校には昨春、アフガニスタンから5人兄弟が編入した。5人は日本語も英語も理解できず、公用語のパシュトゥー語に対応する翻訳機も見つからなかった。文化の違いからか、話しかける際に同級生を叩いたりつねったりすることもあった。同小は放送室のスタジオ日本語教室に転用。クラスから離れ日本語で日本語を学ぶ時間を増やすと、2学期から変化が見えた。子供達の日本語能力は向上したが、一方で課題は多い。5人の指導には、特別な支援が必要な日本人児童を担当する支援員3人も当たっており、他の子への支援が行き届かなくなるのではと心配する声もある。

「分からない」届かず 支援打ち切り 不登校に

(毎日新聞の連載記事)2019年5月12日

中学1年で日本語がわからないストレスから不登校に。母親が日本籍で父親は韓国籍の女児。2015年4月に、6年間過ごしたブラジルから帰国し、小学4年に編入した。自治体の日本語教育支援が途中で打ち切られてから、誰にも悩みを打ち明けられずにいた。中学1年生になった7月ごろ、周囲が異変に気付く。期末試験の得点は英語以外一桁だった。その後不登校に。日常会話に問題がなかったため、母親と学校は「日本語を理解できる」と考えていた。しかし授業では、分析や論理的な考察などに用いる言葉も覚えなければならない。

文字には意味がある 学校外指導で気づき

(毎日新聞の連載記事)2019年5月11日

さいたま市の小学3年生の男児。クルド人でトルコに住んでいたが5歳のときに来日。小学2年の時市内の日本語教室にきた児童の作文を見て、代表の芳賀洋子さんが、男児が日本語の文字や数字の持つ意味を全く理解していないことに気づく。カルタを使ってひらがなを教え、男児は徐々に音読ができるようになった。市は日本語指導が必要な児童生徒に1年を目安に指導員を派遣してきた。だが物事を分析する際などに用いる「学習言語」の習得には、一般的に5~7年かかるとされる。

にほんで生きるー外国からきた子どもたちー

日本語で学び上達 転校一年 作文書けた
(毎日新聞の連載記事)2019年5月9日

日本語教育が必要な外国籍児らへの指導内容は、地域によって大きな差がある。外国籍児の少ない「散在地域」で2年を過ごした小学5年の男子、ラミレスィアニスさん( 10 )は断片的な日本語しか話せなかったが、日本語教室がある学校で指導を受け、作文が書けるまでになった。 転校先の広瀬小学校は、児童の2割が外国籍児。「特別の教育課程」の指導を受けることができた。16年度の文科省調査では、日本語指導が必要な児童生徒43,947人のうち、この教育課程を受けるのは10,418人。

福岡での体験から ~外国人技能実習生が皆、日本に否定的なわけではない~

【社会司牧通信206号2019年4月15日】
田山 ジェシー、移民デスク (イエズス会社会司牧センタースタッフ)

2019年2月28日から3月2日まで、日本カトリック難民移住移動者委員会(J-CaRM)の全国研修会が福岡で開催され、司祭、修道者、信徒、宣教師など、全国から約130人が参加しました。

一日目は、4人の講演者がそれぞれ異なる問題について話しました。ベトナム人司祭のピーター・トアイ神父は、日本で暮らすベトナム人たちの生活をどのように改善できるのかを語り、山岸素子さんは2019年の4月1日から施行される改訂入管法について話しました。カリタスジャパン秘書の瀬戸高志神父の話題は、「排除ゼロキャンペーン」の展望についてでした。最後に美野島司牧センター所長のコース・マルセル神父が、薬物依存からの回復をめざすダルクの活動や、ホームレス、外国人の問題について話しました。

二日目には、三つのグループに分かれてフィールドワークを行いました。グループ1は「下関の強制労働の歴史と朝鮮学校の現在」、グループ2は「筑豊産炭地の強制連行跡地を訪ねて」、グループ3は「筑後川流域の技能実習生が働く現場見学」でした。
私は42人の参加者と一緒に、グループ3のコースに行きました。外国人技能実習生権利ネットワーク北九州の岩本光弘さんが案内役を務め、他にもACO(アセオ:カトリック労働者運動)メンバーで黒崎教会の有吉和子さん、福岡コレジオ院長の森山信三神父、J-CaRM事務局の吉田勉さんがサポートをしてくれました。
最初に訪れたのは、佐賀県神埼市にある原口牧場です。牧場オーナーの原口智治社長、ふれあい協同組合理事長の大塚力久さんと職員の木村貴則さんの3人が私たちを出迎えてくれました。牧場を歩き回った私たちは3人のベトナム人実習生と出会い、短い会話を交わすことができました。

次に、昼食をとるために聖フランシスコ・ザビエル小郡教会を訪れました。昼食後、大塚さんが技能実習生について話してくれました。彼は技能実習生を海外から日本に連れてくる会社を経営しています。当初は中国から実習生を連れてきていましたが、今ではベトナム人だけです。実習生を連れてくる企業の多くは法的条件を正しく守っている優良企業だ、と大塚さんは説明しましたが、悪い企業がいくつも存在するというのもまた事実です。それは実習生自身に関しても同じで、ここに働きに来る人の中には本当に良い人もいれば、そうではない人もいます。
「賃金が低いと会社に文句を言う実習生は、いくつかの事実を知る必要がある。福岡で働く人の賃金は、東京よりも低いのが普通だ(福岡県の最低賃金は時給814円で、東京都は985円)」。大塚さんはこのように、単に給与の額を比較するべきではないと説明しましたが、毎年全体の3%にあたる約5千人もの実習生が、ビザが切れる直前に職場から失踪しています。
大塚さんの会社は実習生に、日本で働くために毎月2万5千円を払わせています。その金額には往復の航空券代と手数料などが含まれています。彼は毎年ベトナムから10人の実習生を連れてきます。大塚さんはさらに、企業側の観点から見る必要があると説明しました。なぜなら彼らは実習生たちの職場をチェックし報告するために、毎月出張しなければならず、それが会社の支出の原因となっているというのです。大塚さんは実習生を単に従業員としてのみ扱うのではなく、一緒に旅行に出かけたり、バーベキューパーティーのために自宅に招待したり、年末にお餅つきをしたりしながら、彼らにとって良いコミュニケーション環境を作り出しています。3年間の実習実習を終えた後の実習生たちは大抵、大塚さんに感謝しています。

3番目に訪れたのは安竹町の緒方農場で、農場長の緒方さんはそこで働いている5人のベトナム人実習生を紹介してくれました。冬の寒さや夏の暑さにもかかわらず、彼女たちは幸せそうに働いているようでした。一緒に行ったベトナム人の司祭やシスターたちが彼女たちとベトナム語でしばらく話していましたが、私たちが帰るときになると、何人かは泣き出してしまいました。実習生の中にはカトリック信徒も数名いますが、職場が教会から遠く離れているため、ミサに与ることも聖体を受けることもできないといいます。そのため、少し寂しく感じていて、カトリック信仰を持つ誰かと話がしたかったようです。

最後に訪れたのは、福岡の大刀洗町にあるカトリック今村教会(今村天主堂)です。今村天主堂は1913年に赤レンガで建てられたロマネスク様式の聖堂で、二つの塔が特徴的です。2015年には日本の重要文化財に指定されました。日本に現存している数少ないレンガの教会として、とても貴重なものです。

三日目には、グループに分かれてプレゼンテーションとディスカッションをしました。

まとめとして、グループ3のフィールドワークに参加できてうれしかったです。それは私にとって、真の状況へと目を開かせてくれる体験でした。私たちは時々、自らの目で見たり、実習生たちと接している人々に耳を傾けたりする必要があります。インターネットやメディアを通じて情報を入手するだけでは十分ではありません。しばしばそうした情報は、日本に働きに来る実習生たちを否定的な視点から描いています。しかし現実には、日本には従業員たちの面倒を見る良い企業もあります。

移民協定を支持 国連が決議採択 米反対、日本は賛成

朝日新聞(2018年12月21日)

国連総会(193カ国)は19日、モロッコで10日に採択された移民保護の国際協定「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト(世界への約束)」を支持する決議案を152カ国の賛成で採択した。米国、ハンガリー、ポーランド、イスラエル、チェコの5カ国が反対。豪州やオーストリア、イタリア、シンガポールなど12カ国が棄権した。日本や中国、韓国は賛成した。協定は、世界の繁栄や持続的な発展に貢献しているとして世紀の移民を後押しする一方、不法移民を減らす努力の必要性が盛り込まれている。協定は「条約ではなく、法的な拘束力もない」が、各国の規範となることが期待されている。ただ、米国が昨年12月に協定の交渉から離脱。米国以外でも、自国の移民政策に影響与えるとの否定的な声が出ている。

入管法改正案 共生社会の実現は

東京新聞(2018年12月7日)

「漢字・用語難しい」語学習得支援重要に

首都圏大学東京飯田橋キャンパス(東京都千代田区)で週1度開かれている「介護の専門日本語講座」。受講しているのは、首都圏の福祉施設で働きながら介護福祉士の資格取得を目指すインドネシア、フィリピン人、ベトナムの男女。母国と日本で半年ずつ日本語を学んできたが、現場で理解できない日本語も多いと言う。入管法改正による新たな外国人材の受け入れでは、日本語学習に対する公費補助などの支援策ははっきりしていない。首都大東京の西郡仁朗教授は「特に地方は日本語を教えられる人材も少ない。国は半官半民のような組織を全国に設けて日本語学習を支援する必要がある」と指摘する。

「使い捨てやめて」雇い止めの日系ブラジル人
既に働いている外国人は差別的な扱いを日本で受けてきた人が多い。群馬県大泉町のブラジル人、落合シローさん(63)はリーマン・ショックの不況が吹き荒れた2008年秋、派遣社員として18年間勤めた県内のトラック部品製造会社から雇い止めにされた。外国人は原則として派遣社員契約で、雇い止めも日本人の派遣労働者より数ヶ月早く言い渡されたと言う。学校などの都合で子供を日本に残し帰国した同僚もいたといい「俺たちも生活がある。使い捨てはやめてほしい」と訴える。

人口移民労働者1億6400万人所得国に集中

東京新聞(2018年12月6日)

国際労働機関(ILO)は5日、2017年の全世界の移民労働者数が13年より9%増え、推計一億六千四百万人となったとする報告書を発表した。約7割が北米、欧州などの高所得国で働いており「仕事があるから移民が高所得国に集中する結果となっている」と指摘した。移民労働者は高所得国で労働力人口の18.5%を占めており、「各国が適切な政策をとれば、労働市場の需給に適時かつ効果的に対応する手段となる」と分析。

「日本人並み待遇」本当?

毎日新聞(2018年12月6日)

外国人労働者の受け入れ拡大を目的とする入管法改正案が成立すると社会はどう変わるのか。日本で長く暮らす外国人や専門家の話を聞くと、期待を抱いて来日した外国人たちの人権被害の懸念ばかりが膨らむ。 「これまでの技能実習生と言う制度の歪んだ構造が、新たな在留資格に受け継がれています。このままでは人権侵害が頻発することは目に見えている」と憤るのは、外国人実習生らを支援してきた全統一労働組合(東京都台東区」の佐々木汁を書記長。国会で安倍晋三首相は、新在留資格の本で外国人にも日本人と同等の賃金が与えられる、と答弁しているが、佐々木さんは「何の担保もない話」と厳しい口調で指摘する。「現行の実習生制度では、技能実習適正化法で日本人と同等以上の賃金を定めているのに、それが守られていない。入管法改正案にはその規定さえありません。これで、弱い立場にある外国人の待遇をどうやって保障すると言うのでしょうか」

失踪した技能実習星に対して法務省が昨年実施した聞き取り調査を野党7党派が分析、データを3日公表した。それによると、全体の約67%にあたる1939人が最低賃金未満の収入だった。全体では月給が平均十万8,000円で光熱費名目等の控除額が平均3万2,000円だったと言う。現場でも法に反した色が横行しているのに、法規制をなくしても同等賃金が保障される、などと言う説明が信じられるだろうか。
「捏造データで審議をするな!奴隷法案今すぐ廃案!」「実習制度は今すぐやめろ!答弁できない大臣やめろ!」。衆院での入管法改正案強行採決前夜の11月26日、市民約150人が国会前に集まり、講義のプラカードをあげた。

外国人に対する人権侵害は日本人一人ひとりにとっても人ごとではない。「経営者の利益と政治家の利権のために、安くて簡単に使えるもの言わな奴隷が必要と言うことでしょう。社会的弱者を作ってふんぞりかえる、底辺の人たちを固定化する法案です」。抗議集会でこう訴えたのは、労働問題に取り組む若者らの団体「AEQUITAS」(エキタス)の山本耕平さん。最低賃金の引き上げなどを求めて活動を続ける山本さんは、入管法改正案の問題点は「ブラック労働と根本的に同じ」と強調する。「外国人労働者は、奴隷でも機械の部品でもない。日本人も外国人もまともな賃金をもらって、まともな暮らしをするのが当たり前です」

国連の自由権規約委員会や人種差別撤廃委員会などが1990年代から、日本の入管施設の長期収容や難民認定申請者の扱いについて、繰り返し改善を勧告していても、政府は放置したままだ。本当に「待ったなし」で手をつけるべきなのは果たしてどちらなのか。

中絶か帰国か 迫られた実習生

朝日新聞(2018年12月12日)

外国人の技能実習星が妊娠し、強制帰国や中絶を迫られる例が相次いでいる。受け入れ機関側から「恋愛禁止」や「妊娠したら罰金」と宣告されるケースもあり、専門家は「人権上問題だ」と指摘している。
「妊娠、出産、結婚を理由に管理団体や実習実施機関が技能実習生の意思に反し、帰国を強制する行為は違法で、認められるものではない」。実習生の問題が議論された2016年11月の参院法務委員会で、政府はこう答弁している。雇用機会均等法も、事業主は女性労働者に、妊娠や出産を理由に解雇等をしてはいけないと定めている。13年には、中国人技能実習生が妊娠を理由に強制帰国させられそうになり流産したとして富山市の会社側を訴えた裁判で、女性側勝訴の判決が出た。だが、妊娠を理由とした強制帰国や中絶例は後を絶たない。実習生の実情に詳しい指宿昭一弁護士は「恋愛や妊娠を禁止する事は明らかな人権侵害で許されない」「労働者をモノとしか見ていないからだ」と指摘している。

入管法改正案慎重な議論望む声 外国人共生今も手探り

東京新聞夕刊(2018年12月6日)

外国人労働者の受け入れを拡大するため、与党は週内にも出入国管理法改正案成立を目指している。だが、外国人が多く住み、長年にわたり共生を手探りしてきた自治体や団地の住人からは慎重な機能を求める声が出ている。

群馬・大泉町30年で人口2割
群馬県大泉町の町立図書館で毎週土曜日に開かれている町教育委員会主催の「多言語サロン」。講師は日系ブラジル人三世の三沢巌さん(52)。日本語ができないまま25歳で来日し、苦労した。「生活の質を上げるには、日本語を身に付けることがとても大事」と強調。外国人受け入れ拡大については、国主導で対応を充実させないと「なじめない人が増える」と心配する。
町は自動車や電気関連などの工場が集積。日系外国人の就労を解禁した1990年の入管法改正で日系ブラジル人らが増え、結婚や出産などを経て定住化が進んだ。今年9月末で人口約四万一千七百人のうち、外国人は18%の七千五百人。国籍は多様化し、ブラジルのほかペルー、ネパール、フィリピンなど四十四カ国にわたる。
外国人の生活支援は自治体にほぼ「丸投げ」されてきた。町は全国に先駆け町内の小学校に「日本語学級」を設置。外国人の犯罪が報じられると、町が各学校に差別防止を配慮するよう連絡している。役所での手続きのため通訳を採用し、ポルトガル語の広報誌発行、職員が外国人学校で日本の制度やマナーを説明する出前講座も開く。町の本年度当初予算約百二十七億円の関連費用に約一億円を支出している。それでも課題は多い。教育の拡充に加え、外国人の高齢化対策などの課題もあり、村山町長は「受け皿が未整備のまま入管法を変えると、混乱が起きる」と指摘している。

埼玉・川口市 半数入居の団地
5000人近い住民のうち、半数以上中国人を中心とする外国人が占める埼玉県川口市の芝園団地。都心へのアクセスの良さなどで90年代後半から中国人が増え始めたが、かつては日本人と中国人のトラブルが相次いだ。ベランダからゴミを投げ捨てる住民が現れ、ベンチに「中国人帰れ」と落書きされた。団地自治会は「階段や玄関前に私物やゴミを放置しない」など、中国語で生活マナーを紹介した冊子を配布。団地事務所に通訳を配置し、祭りなどの交流の場を増やし、目立ったトラブルはなくなってきた。今年2月には「多文化共生の先進的事例」として、国際交流基金が自治会を表彰した。しかし自治会事務局長の岡崎広樹さん(37)は「今は『共存』しているだけで、互いに協力し合える『共生』となると課題が多い。日本人と中国人の交流の場を作っても、ごく一部の人しか参加しないのが実情だ」と話す。

外国人材受け入れで踏まえるべきことー農業ジャーナリスト

毎日新聞(2019年1月23日)

韓国は日本に先立って外国人就労者を受け入れている。2004年に導入された「雇用許可制」は非専門職の外国人修了者を対象にした制度だ。一方、農業を対象とした「季節勤労者制度」もある。法務省の通達によるもので、在留期間は90日間だ。農繁期だけ人手を必要とする農家で働く外国人不法就労者が後をたたず、制度化を機に不法就労を防止したいという狙いだ。15年から実験的に導入が始まり、徐々に広がっている。ただし問題提起もされている。「季節労働者は雇用許可制のような法的根拠がなく、人権が保護されにくい。基本的には廃止すべきだ」

ベトナム実習生21人に「解雇」 愛知・青果卸 支援者「不当」

毎日新聞(2019年1月22日)

愛知県の青果卸売外車と関連会社の農業生産法人に雇用されているベトナム人技能実習星21人全員が25日も解雇される可能性が高まっている。関係者は「正当な事由なく契約期間途中での解雇はできず、不当解雇にあたる疑いがある」と批判している。青果卸会社の担当者は「農家とのやりとりがうまくいかず、実習を受け入れてくれるところが少なくなってきた」などと説明。青果卸外車幹部は「面倒を見る転職先はある。賃金保障は、相談をしている」とコメントした。技能実習生が突然解雇されるなどのトラブルが相次いでいる。日立製作所笠戸事業所では昨年9から11月、フィリピン人技能実習生99人が実習期間を残して解雇された。実習生の一部は労組を通じて交渉し、日立側が実習生に賃金保障することで合意。1月には技能実習のため来日しようとした中国人10人が入国審査で三日間中部空港で足止めされ、帰国させられた。

実習生8年で174人死亡 経緯不明多く自殺も、10代5人

Extract from the Kyodo Newspaper (共同通信社) that published on December 13th, 2018.

技能実習生の死亡者数
法務省集計で2010~17年の8年間に、事故や病気などで外国人技能実習生が計174人死亡していたことが13日、分かった。関係者が取材に明らかにした。自殺も含まれるほか、死亡の経緯が分からない実習生も多い。内訳は男性132人、女性42人で20代が最も多く118人。30代が48人、40代が3人で10代も5人いた。
実習生の死亡について、野党は劣悪な労働環境が原因の例が含まれる可能性があるとして、詳しい調査を要求。政府が外国人労働者の受け入れ拡大のために新設する在留資格に、多くの実習生の移行を想定していることから、労働環境改善を先に図るべきだと主張している。

アジア諸国における移民労働者の経験の分かち合い

安藤 勇 SJ, イエズス会社会司牧センタースタッフ
【社会司牧通信201号2018年6月30日】

2018年4月17~21日、東アジアの9つの国および地域からイエズス会のグループの代表たちがマニラに集まりました。東アジアの移民労働者に関するプログラムを見直し、準備をするためです。イエズス会アジア太平洋協議会(JCAP)は2010年に、社会活動に関する共通の優先課題として移民問題を選びました。私たちはその結果この地域で構築されたイエズス会のネットワークに属しています。このネットワークは2014年の6月に始まりましたが、現地機関のいくつかはすでに何年も前から自国内で活動してきています。

この数年間で、年一回の会議のほか、SkypeやGoogleドライブ、メーリングリストなどを活用することによって、コミュニケーションや統治機構が構築されてきました。現実問題として私たちの機関のほとんどは小規模で、資源も極めて限られているにもかかわらず、移民労働者に関する共通の関心が豊かな協力関係の中心になっています。ネットワークでは過去3年にわたって、移民の残された子どもたち、再定住、ブローカー制度に関する共同研究の成果を英語のブックレットにまとめました。

今回の年次会議では、ネットワークに加盟する各機関からの通常報告のほかに、教皇庁人間開発のための部署(2017年1月創設)からの創造的なインプットもありました。また、海外に離散しているフィリピン人たちをエンパワーメントするリーダーシップ・トレーニング・アテネオ・プログラムや、ストレスに向き合うためのセッションもありました。

この移民ネットワークの目的は、脆弱な移民労働者の人権を促進し、守り、移民と移住の構造的原因に立ち向かい、社会変革を促進するために社会的意識を高めることです。

しかし、他の機関や社会グループと協力しながら意識啓発活動を行うだけでなく、移民を送り出す国と受け入れる国の両方でよりよい保護をめざすためには、アドボカシー計画がなおさら不可欠です。東アジアの特徴は、私たちは移民の送り出し国と受け入れ国の交差地域にいるのだという事実です。

マラウィ : 全ムスリム共同体の強制移住を目撃

2017年5月、ミンダナオのイスラム大都市であるマラウィで、激しい戦闘が勃発しました。昨年10月に戦闘が終結した後も、軍隊の包囲が続いていました。5か月間の戦闘で、多くの人々が殺されました。中央モスクやカトリックのカテドラルを含む建物も破壊されました。何千人もの市民が、何も持たずに自宅から退避しました。

私たちのプログラムには、その地域周辺のムスリム避難所への訪問が組み込まれていました。軍による包囲が解かれてから半年が過ぎていましたが、軍による統制は全面的に広がっていました。戒厳令も布かれていました。

私たちは皆、厳しい「マラウィ訪問ガイド」を受けました。リーダーと車両が当てられ、それに乗った参加者の公式訪問のみが許可されました。その他のいかなる車両も侵入できませんでした。ルートは厳格に定められており、携帯電話、カメラ、タブレットなどの機器は大幅に制限されていました。人々と会う際には、宗教的・文化的にも配慮が求められました。

私たちは、900人以上の人々のためにテントが建てられた一つの避難所に、一時間以上滞在しました。全員がムスリムで、私たちをとても温かく出迎えてくれました。彼らはすべてを失ってしまいました。テントの中には、食糧や水さえも、何もありませんでした。子どもたちは数名のボランティアと共に、周囲で遊んでいました。

リーダーたちが私たちを、人々が集会や祈りのために集まるスペースに招いてくれました。そして入れ代わり立ち代わり、150人以上の人々が私たちに会いに来て、彼らの現状について話してくれました。彼らの話を聴きながら、私は自ずと東日本大震災と福島原発事故のことについて考えていました。なので、私は日本でも強制移住に苦しんでいる人々がいるのだと伝えました。「あなた方は一人ではない」と言いました。他者との連帯を築くことによって、彼らはいくらか励まされたようでした。

実際、彼らの状況は希望を超えているように思えました。

生きた連帯のしるし

私たちは、多くの公的機関および民間の部門が、避難したすべてのムスリム共同体を支援するために非常に大きな貢献をしたということを学びました。それらは必要な食料や衣料、そしてテントを建てるための土地を提供しています。カガヤン・デ・オロ・ザビエル大学の主導で、避難先のムスリムたちに援助物資を分配するために、大学のキャンパスを使って物資の調整をしているということに特に感銘を受けました。大学の農学部はSEARSOLINという機関を通じて避難所周辺での畑づくりを促進し、そこに住む人々に必要な野菜を栽培しています。避難所で暮らす人々が自分たちでも農業を行えるように、種を提供するだけでなく、若いボランティアグループも派遣しています。

ザビエル大学はまた、避難したムスリム家族のために、アンガット・ブハイ再定住村に24平米の家を60戸建てるプロジェクトも実施しています。私たちは滞在中、建てられたばかりの最初の家を訪れました。この「社会司牧通信」が届くころには、60家族がそこに入居することができます。イエズス会のザビエル大学のモットーは、「私たちは単に家を建てるのでない。共同体を築くのだ」というものです。

東アジアの移民の出版物

イエズス会社会司牧センター(移民デスク担当) 安藤勇SJ
【社会司牧通信195号2017年6月15日】

東アジア地域では、若い人たちの移動が盛んになっている。彼ら/彼女らは仕事を求め、自由な国を探している。貧困から逃れて、自分の将来を含め、家族や子どもたちの教育を心配しながら、どんな苦労に遭っても日本、韓国、台湾などへ出稼ぎに来ている。彼らは普段「移民」と呼ばれている。

この「アジア移住」、すなわち、 東アジアの「MIGRATION」の現像を取り扱う
“Left-Behind Children and the Idea of the Family”(原文英語、2016年、116頁。
頒布価格500円)という本が昨年末に出版された。


東アジア諸国に拠点を持つイエズス会系の移民ネットワークは、以前からアジア
移住問題に関心を持ち、移民労働者と関わりながらその状況についての研究も
続けている。2014年からイエズス会は、この新しい移民ネットワークを結成した。
現在そのネットワークに、日本も含む7か国が加盟している。

昨年、ネットワークのメンバーの経験をもとに、5か国の研究者が自国の移民
たちの現状を取り上げ、本を英語で出版した。この出版物は外国へ出稼ぎに
出掛けた両親の生活状況よりは、あとに自国に残された家族や子どもたちの
目で、新鮮な立場から出稼ぎ労働者の状況等を取り上げている。

本のすべての報告は英語。しかし、少しでも日本の読者が理解できるように日本語の付録(25頁)を作り、様々な教育の場でも使いやすくできている。関心のある方は、当センターまでご連絡ください。

移民のために働くイエズス会のこれから

ベニー ハリー ジュリアワンSJ (JCAP移民ネットワークコーディネーター)
【社会司牧通信195号2017年6月15日】

第36総会以降、イエズス会の中で「識別」という言葉が大流行しています。アルトゥーロ・ソーサ総長は、イエズス会における識別の過程と使徒的計画を審査するための特別顧問を任命しました。イエズス会東アジア・太平洋地域(JCAP)の移民ネットワークとしては、これまでの歩みを見直し、新たな進路を描くために、今年で第4回目となる年次会議を2017年3月23~26日に東京で行いましたが、それはふさわしいことでした。未来のための新しい計画が求められていたのです。


最も重要な議題は、過去3年間の光と影を考慮に入れたうえで、今後5年間の計画を立てることでした。いつになく寒い春でしたが、8つの移民機関から集まった14名の参加者の活気と議論が、イエズス会社会司牧センターを温めました。3人の神学生と、東京移民デスクの若いインターンも加わってくれました。

学習のためのハイライトと教訓

このネットワークは、2014年に、5か国の5つの独自の機関が、イエズス会のアイデンティティを共有していることから始まりました。したがって、最初のステップは、コミュニケーションと統治構造を確立することによって、より緊密な協力体制を築くことでした。メンバーはSkypeやGoogleドライブ、グループメールなどの最新技術をいち早く習得しました。数年間にわたって定期的にSkype会議を行い、年次会議も設けられました。そうした中で、2つの機関が新たに加わりました。

残っている主要な課題は、加盟機関が一般的に、能力としても資源としても非常に限られた小規模なものであるという事実です。特に人材に関しては、イエズス会からの貢献は、ほとんど変わっていません。けれども、韓国のユウッサリは例外です。この働きを重視する韓国管区の決定にしたがって、最近、金浦の2階建ての新しい建物に引っ越しました。この使命に伴い、新しいイエズス会共同体もまた、その近くに設立されました。

それぞれの違いにもかかわらず、移民労働者に関する共通の関心は、協働の中心的部分になりました。同伴と直接サービスの提供は、送り出し国でも受け入れ国でも、移民労働者のニーズに応える中核となりました。参加者は、研究を行う能力を築く必要性と、残された移民の子ども、再定住、ならびに仲介事業の問題について共同プロジェクトを組織する必要性を認識しました。これらの研究プロジェクトは、新しいスキルを教えるだけでなく、加盟機関の中に新たな熱意を生じさせ、彼らが自国の学者や政策立案者たちに働きかけるのを助けました。

ネットワークはまた、4年間にわたり、社会使徒職の枠を超えて移民に関する問題を促進することに努めました。非常に成功した戦略の一つは、JCAPが毎月発行しているニュースレターに記事を載せたことです。これらの記事のおかげで、多くの人々――イエズス会員ではない人も含めて――が、移民労働者に対するイエズス会の取り組みについて知るようになりました。さらに、神学生とブラザーの集まりが2016年にソウルであったとき、移民への関心がテーマとして取り上げられました。イエズス会大学連盟も、移民の現象にもっと注意を払うと約束してくれました。

次の5年間

今後数年間、ネットワークは「拡大」と「アドボカシー」という2つの領域に焦点を絞ります。

ネットワークは移民に焦点を当てた他の機関や地域のネットワークと協働する必要があります。それらのいくつかからはすでに、連携を求められています。司教協議会や教会の移民機関はとりわけ関連しています。香港、タイ、マレーシア、シンガポールなどの国では、イエズス会は移民センターをもっていません。けれども司教協議会や他の修道院が最前線で、移民の権利を推進し、人身取引と闘っています。

イエズス会難民サービス(JRS)との緊密な協働もまた、長期にわたっています。JRSアジア太平洋地区ディレクターのバンバン・シパユン神父は、教会の社会教説によって規定されている「事実上の難民」への派遣に、JRSも同じ関心を促進できるよう活用したいと強く願っています。この表現は、国際条約によっては通常は難民に分類されない、武力紛争、自然災害、経済失策の犠牲者のことを指しています。

この点に関して、JCAPはおそらく、別の地域からインスピレーションを得ることができるでしょう。ラテンアメリカとカリブ海地域のイエズス会移民ネットワーク(RJM-LAC)は、この地域の約83の機関を傘下に収めるグループです。2002年にいくつかの機関の緩やかな連携として始まり、その後様々な変化を繰り返しながら、2011年にRJM-LACとなりました。18か国から、JRS、社会センター、小教区、イエズス会の大学や学校などが集まっています。その中心課題は、中南米の様々な地域から北米に向かっている移民や難民と協力することです。この協働は、様々な種類の移民の間を厳密に区別することが必ずしも役に立たない、混ざり合った移民の流れがあるという現実を認識しています。

プログラムの面でも、アドボカシーに特別な注意を払う必要があります。移民労働者は使い捨て可能な労働力として、彼らの権利や尊厳はほとんど考慮されずに、必要な時にだけ雇われることは明らかです。2020年の東京オリンピックはまさにその典型です。日本政府は、より多くの外国人建設労働者が来るように法律を緩和していますが、社会的重大性に対処する用意ができていないか、対処する気がないようです。それに加えて、人権団体からは奴隷制に等しいと非難されている外国人技能実習制度もあります。

東南アジアに目を向けると、2015年にASEAN経済共同体が発足してもなお、家事労働や農園、建設業に数百万人の外国人労働者がいるということを認めるそぶりすらありません。加盟国は、2007年のASEAN宣言に伴い多くの部門から繰り返し呼びかけられたにもかかわらず、移民労働者とその家族を保護する手段に同意することができませんでした。その代わり、地域のグループは8つの部門に、いわゆるホワイトカラーの専門家に関する規定を設置しました。ネットワークは、各地で移民の権利のためのキャンペーンを開始し、経済的価値にのみ焦点を当てることなく、彼らの尊厳を促進するのに適しています。

一方、国連が2015年に採択した「持続可能な開発目標(SDGs)」は、政策変更を提唱するためのプラットフォームを提供しています。多国間のイニシアティブとして、国家間の対話のための国際的に認識できる話し方を提供しています。イニシアティブに掲げられている17の目標の多くは、移民労働者やその他の脆弱な移民に関するもので、出身国や在留資格にかかわらず、基本的サービスを含む社会的保護への権利を保障しています。経済成長に憑りつかれている中で、JCAP移民ネットワークを含む市民団体は、単なる経済開発だけでなく、人間中心の開発を強調すべきでしょう。

この計画は、アジア太平洋地域のイエズス会による、真剣な取り組みを必要とするでしょう。JCAPは、ネットワークの基盤を築くためのリソースを惜しみなく提供してきましたが、この計画を実現するためにはより多くのことを行わなければならず、より多くのリソースが必要となります。例えば、東京で行った今年の年次会議は、イエズス会日本管区の支援なしには実現できなかったでしょう。イエズス会にとって、このような寛大さは珍しいことではありませんが、現在の取り組みがより大きくなったときには、より一層歓迎されるでしょう。

シンポジウム

東京での会議は、ネットワークによる初の共同出版を記念したシンポジウムによって終了しました。『残された子どもたちと家族の概念』という本は、移民労働者の子どもたちの運命について、5か国でなされた研究の成果です。

その後、アジア太平洋地域における挑戦についての議論が続きました。主な挑戦は、現実には国境を越えた現象にどのように対処するかですが、私たちの働きの多くは現場で、あるいは性質によってもせいぜい全国のレベルです。ネットワークを構築することは、この限界を克服するための戦略です。それでもなお、能力と深い貢献を改善していく必要があります。東京での識別と計画は、今後数年間の新しい方向性を示すのにとても役立ちました。

JCAP migrants’ network SYMPOSIUM, on “The realities of migration in East Asia”.

インフォメーション
東アジア7ヶ国からの移民労働者民間ネッワークの14人代表が来日に従って、東京で、「東アジアの移民移動の現状」についてシンポジウムが行われます。
とき: 2017年3月26日 (日) 午後3:00~5:00
場所: 岐部ホール (イグナチオ教会構内)404号室
Email: migrantdesk.jsctokyo@gmail.com

ご出席をお待ちしております。

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INFORMATION
A team of 14 delegates of a private network of 7 East Asian countries will gather in Tokyo and hold a SYMPOSIUM, on “the realities of migration in East Asia”
Date:   March 26, 2017 (Sunday), from 3:00-5:00PM
Place:  Kibe Hall 4th Floor (St. Ignatius Church by Yotsuya Station)
Room number 404
Email: migrantdesk.jsctokyo@gmail.com

Participation is free. All are welcome!

足立インターナショナル・アカデミー(AIA)NPO認証申請を提出

管区だより 2017年 1月 (萱場 基神父、SJ)aia-npo-statusボランティアと子どもたち(AIAの前で)、中村塾長(後列一番左)

足立インターナショナル・アカデミー(AIA)が東京都に提出していた、NPO(特定非営利活動法人)認証申請書類が1月5日に受理された。現在、東京都のホームページに提出した申請書類一式が開示され、都民に縦覧されている。また、都による一連の審査も進められており、3月いっぱいには東京都知事による認証がなされる見通しである。

AIAは、イエズス会日本管区の他に、幼きイエス会・聖心会・メルセス会が呼びかけ、小暮中間期生(当時)の奮闘により、2008年6月1日に任意のボランティア団体として設立された。以来、東京都足立区で、外国籍の移住者の日本語教育と子どもたちへの学習支援を行ってきた。代表を安藤神父、塾長を中村友太郎氏(上智大学名誉教授)が務めてきた。その他、運営委員として歴代の管区長補佐(梶山神父・作道神父・山岡神父)が関わってきた。また、子どもたちの学習支援に日本管区の神学生や日本語学生も携わってきている。

このようなAIAの社会的責任を明確にしながら、諸活動をよりいっそう充実したものとするために、2016年5月16日に「NPO設立準備委員会」を立ち上げ、「設立趣旨書」や「定款」などの申請書類を整備して、このたびの申請にこぎつけた。

スリランカへの一斉送還(2016 年 9 月 22 日)に対する抗議声明

安藤 勇 SJ、イエズス会社会司牧センタースタッフ

法務省入国管理局は、2016 年 9 月 22 日、スリランカ人 30 人をチャーター機で強制 送還しました。チャーター機による一斉送還は、2013 年 7 月 6 日(フィリピン人 75 人)、同年 12 月 8 日(タイ人 46 人)、2014 年 12 月 18 日(スリランカ人 26 人、ベト ナム人 6 人)、2015 年 11 月 25 日(バングラデシュ人 22 人)に続く5回目になります。 本一斉送還は、非正規滞在者であっても保障されるべき適正手続を無視するものであり、 私たちは、これに強く抗議します。

送還を忌避する外国人の強制送還について、私たちはこれまでにも様々な人権人道上 の問題を指摘してきました。過去の4回のチャーター機による一斉送還では、送還後の 被送還者に対する民間の支援団体や専門家による現地調査などからも、被送還者のなか に、日本にパートナーや配偶者や子など家族がいる人、20 年以上の長期にわたり日本 に定着している人、難民申請したものの不認定・棄却された庇護申請者など、様々な事 情を抱えて母国に帰ることができない人たちがいました。彼・彼女らは突然の強制送還 後、生活の基盤もなく支援もないままに送還先に放置されている実態も明らかになりま した。また、被送還者の選定基準の不透明さや送還プロセスにおける人権侵害について も問題を指摘してきました。しかしながら、日本政府はこうした私たちの問題指摘や抗 議にも誠実に答えることなく、5回目の送還が強行されました。

法務省の発表によると、今回のスリランカへの一斉送還では、送還を忌避していた 24 歳から 58 歳までの男女 30 人が送還され、その中には日本での長期滞在者(最長者 は滞在 27 年 9 ヶ月)も含まれているとのことです。

法務省はまた、今回送還された人の中に難民申請者は一人もいなかったとしています。 しかしながら、今回送還された人の中には日本において庇護を求めていた人も多くいま す。「難民申請者がいない」というのは、送還前(多くは送還の直前)に難民不認定処 分に対する異議申立てに対する棄却決定の告知を行うことにより、送還時点で難民認定 申請手続中の人はいなかったというに過ぎません。2014 年 12 月に実施されたスリラン カへの一斉送還に関する前川清成参議院議員による質問主意書への政府答弁からは、送 還された 32 人中 29 人に難民申請の経歴があり、そのうち 26 人が送還前日に異議却下 通知を受けたという事実が明らかにされています。

そして、送還された人たちの中には、行政の行った難民不認定処分が正しかったかを 裁判所で検証する機会を奪われたまま、送還された人が含まれています。すなわち、難 民の異議申立てに対する棄却決定に対しては、その告知から6ヶ月間、裁判所に訴え出 ることができ、異議棄却決定の際、難民申請者に対してもそのように説明されます。それにもかかわらず、法務省入国管理局は、実際には、この6か月を待つことなく、棄却 決定の告知からわずか 24 時間以内に送還するなどして、被送還者から難民不認定処分 取消訴訟を提起する機会を奪いました。これは憲法第 32 条で難民申請者にも保障され る「裁判を受ける権利」を剥奪するものであり、また、裁判所による最終判断が下され ていないにもかかわらず、難民である者もしくは帰国すれば拷問等受ける可能性のある 者を送還する点で、難民条約第 33 条及び拷問等禁止条約第3条の定める「ノンルフー ルマン原則」に反するものであり、憲法上、国際条約上到底許されるものではありませ ん。

くわえて、遠く庇護を求めてきた人に対し、裁判への道を遮断し、行政の一存で判断 の告知と同時に送還する行為は、自由や人権という価値を信奉し、立憲主義を採用する日本の地位を貶めるものであり、恥じるべきものであるといわざるを得ません。

また、日本人の配偶者、永住者の配偶者などの家族がいる人たちが、一斉送還の直前 に仮放免の更新が認められずに収容され、家族や代理人にも連絡がとれないまま送還さ れたとの情報が、被送還当事者やその家族から支援団体に直接寄せられており、送還の プロセスで抵抗しないよう手錠などが使われていたとの証言もあります。

私たちは、日本に暮らすすべての人びとの人権が等しく尊重される社会を求め、彼・ 彼女らの家族との結合や日本での定着性、保護の必要性などが十分に考慮され、合法化 が検討されることを強く望みます。

私たちは、チャーター機等による、適正手続きを保証しない強制送還が行われている ことに強く抗議するとともに、日本政府に対し、非正規滞在の外国人に対する施策を根 本的に見直すよう求めます。さらに、航空会社においては人権を尊重し、人権侵害に加 担しないという企業の社会的責任を果たすよう求めます。

2016 年 10 月6日

イエズス会社会司牧センター
特定非営利活動法人     移住者と連帯する全国ネットワーク
カリタスジャパン
全国難民弁護団連絡会議
特定非営利活動法人      名古屋難民支援室
難民・移住労働者問題キリスト教連絡会
認定 NPO 法人      難民支援協会
特定非営利活動法人      難民自立支援ネットワーク
日本カトリック難民移住移動者委員会
RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク)

東アジアの移民労働者のためのイエズス会ネットワーク

安藤 勇 SJ、イエズス会社会司牧センタースタッフ
【社会司牧通信189号2016年6月15日】

   伊勢志摩で開催されたG7サミットの閉会式から数日後、マスメディアは現代の奴隷制についての衝撃的な報告を発表しました。それはギャラップ調査によって客観的に裏付けられた、グローバルな調査結果です。詳細なデータや、国と地域の報告に関する分析は、Webサイトの「Global Slavery」で読むことができます。調査の衝撃的な最終結果によれば、まさにこの2016年現在、世界の167か国で、約4580万人もの人々―その多くは女性と子ども―が、現代の奴隷制の何らかの犠牲者になっているというのです。中でも、アジア太平洋地域が特に深刻な影響を受けていると思われます。(ジャパン・タイムズは2016年5月31日に、「現代の奴隷制に日本は取り組んでいないと研究が非難」という記事で、この事実を明らかにしました。)

  日本が世界で41番目に悪い状況の国とされている現実を知れば、日本の多くの人々はきっと驚くでしょう。世界の奴隷制調査の「国別:人口における現代の奴隷の推定割合」という箇所では、日本は全人口1億2700万人のうちの29万人、およそ0.22%の人が現代の奴隷だと考えられています。

  移民デスクでの経験から私たちは、こうした現代の奴隷の大部分は、日本で働き、生活している外国人労働者であると考えています。もちろん、それが一般的傾向だとまでは言い過ぎでしょうが、同時に、それはごく稀な現実だとか、単なる反日のプロパガンダに過ぎない、という考えはナイーブでしょう。

  先日日本に集結したG7の首脳たちは、地球上で最も裕福で、最も影響力のある国の代表です。彼らは世界の経済システムの再構築について扱い、ヨーロッパにおける現在の移民危機についても触れました。けれども、現代の奴隷制と外国人移民労働者の危機的状況については、彼らの議題の中にありませんでした。

イエズス会の移民労働者ネットワーク
  イエズス会東アジア太平洋管区連盟(JCAP)がカバーしている東アジア地域には、二つの異なるタイプの国が共存していると考えられます。一方では、東アジアのいくつかの国は、自国の貧困の解消や緩和を期待して、外国に何十万人という労働者を送り出します。その一方で、東アジアの他の国々は、自国をより豊かに発展させるために、そうした労働者を喜んで受け入れています。古典的な国際表現を用いるのであれば、そこにははっきりとした「南北問題」が存在します。日本、韓国、台湾、そして香港(?)は、豊かな北半球の中心に位置しています。その他の東アジア諸国の人々は、仕事を得るために、あるいは貧困から逃れるために、自分たちの生活をよくするために、外国へと出稼ぎにいくのです。

  イエズス会は一般にどちらの国にも、数は多くありませんが、移民労働者と関わる小さな機関をもっています。韓国はその取り組みをまさに再編成したばかりで、新しいユウッサリ・センターが建てられ、3人のイエズス会員がそこで働いています。台湾では、レールム・ノヴァールム・センターを通して、外国人労働者との関わりについて、大きな成果をあげています。フィリピンでは、UGATという機関とイエズス会のいくつかの高等教育機関の様々なネットワークのもと、しっかりと組織されています。インドネシアでは、移民労働者との長い関わりを再編成中です。日本では、イエズス会社会司牧センターを拠点に、外国人労働者に寄り添い、必要な法律サービスや、子どもと親に対する基礎的な教育を提供しています。ベトナムでは、国内の移民労働者に同伴し、彼らが地方から都市部に働きに来る際に訓練を提供し始めました。イエズス会難民サービス(JRS)タイは、ミャンマーからの何十万人もの移民労働者をケアしてきた長い伝統があります。

JCAPの現在の変化

  非常に重要な変化と挑戦は、JCAPの長上たちが、優先課題についての長期的な計画(「ソーシャル・マッピング・レポート2009」)を受け入れ、発表したことによって生じました。東アジア太平洋地域における移民労働者とエコロジーが、イエズス会の主要な優先課題とみなされたのです。

  移民労働者の状況という観点から、過去に行われてきたどちらかといえば個々の努力は、JCAPのネットワークの中で、より調整されるようになりました。そのネットワークは、2011年5月15~17日にソウルで行われた、移民に関するイエズス会の初のワークショップによって活発になりました。それ以来、ワークショップは毎年のように開催され、2012年にはマニラ、2013年にはジャカルタ、2015年には台北で開かれました。
Seoul 2011
  最近では、2016年4月19日に、東アジアのイエズス会移民ネットワークの7か国から、13人の代表者がベトナムのホーチミンに集まりました。このネットワークのコーディネーターを務め、今回の会議を招集したのは、インドネシア人のベニー神父(Fr. Benedictus Hari Juliawan)です。会議の中では、共通のプログラムと、外国人労働者の現状に焦点を当てた3年間の研究プロジェクトについて話し合われました。研究プロジェクトの主要テーマは、外国人労働者の自国への帰還、もしくは彼らが暮らし働いていた社会への統合、そしてブローカーの闇の世界です。実際に、この最初の共同研究プロジェクトは、6月中に英語で出版される予定です。

HCMC 2016

  こうしたテーマに関する文献は、確かに数多く存在します。けれども、このネットワークが目指しているのは、移民労働者のために場を提供し、彼らの真のニーズに対するより良い対応を見つけることです。ネットワークの強みの一つは、外国人移民労働者を送り出す国の中で実に精力的に携わっている人だけでなく、受け入れている国の中で働いている人もいることです。例えば、韓国のユウッサリは、韓国に働きに来るカンボジアの若い女性たちのために活動しています。台湾では、台湾に家政婦として働きに来るインドネシアの若い女性たちのために活動しています。日本では、日本の小さな工場で働いているフィリピン人、ベトナム人、アフリカの人々のために活動しています。イエズス会は、外国人労働者と寄り添い、送り出し国と受け入れ国の二つの側で協力して活動しようとしています。

  言葉の壁は、日本や台湾、韓国に来る外国人労働者にとって、大きな障害になっています。言葉の知識が不足しているせいで、彼らの多くは入国した新しい社会から締め出されてしまいます。彼らは支援者や、真に信頼できる情報をもっていないからです。こうした事情は一般に、彼らの生活状況や職業選択を耐えがたいほど悪化させてしまいます。私たちの司牧活動や教会は、彼らに手を差しのべ、限られた方法ではありますが、小さくされた人々に対して、仲間として支援を提供することができます。国が外国人労働者を受け入れるのは、国の経済成長のために、安くて若い労働力を必要としているからです。けれどもベトナムやインドネシア、あるいははるか遠くナイジェリアなどから来た労働者は、自分たちの家族が貧困から抜け出し、よりよい暮らしと教育、自由な機会を得ることを求めています。私は50代のフィリピン人労働者と出会いました。彼は、ビザの期限が切れているため、フィリピンに強制送還されるのではないかと恐れていました。また、フィリピンに残した彼の家族が生活するために必要な週7000円のお金をこれ以上送ることができないということに、不安を抱えていました。けれども日本や台湾、韓国にとって興味があるのは、単に安くて若い労働力です。外国人労働者は、一時的に滞在することはできますが、やがて帰らなくてはならず、代わりに新しい人がやって来ます。「ギブ・アンド・テイク」、それがこのゲームの名前です。

  移民労働者とその家族の人間としての尊厳を認め、彼らの人権を尊重することは、私たちのネットワークを強化し、非キリスト教的環境の中でキリスト教的価値を証しするために、大きな力をもっています。活動領域と可能性は、無限大です。

教育格差を縮める取り組みを

カトリック新聞  2015年11月29日  第4316号

AIA teachers orientation Nov 2015学校教育を考える

「外国につながる子ども」たちの学校教育を考えるシリーズ。第39回は、4つの教育修道会が7年前に立ち上げた低費私塾「足立インターナショナル・アカデミー」(AIA)を紹介する。外国人労働者が多く暮らす東京都足立区で、日本語に不自由する子どもたちの学習支援や大人たちの日本語識字教育を行っている。11月7日には、関東地区カトリック小中高連盟「中高宗教部会」の教員らがAIAで第14回勉強会を行い、日本社会の教育の現状について考えた。

東武線梅島駅から徒歩10分、町工場などが立ち並ぶ住宅街で、AIAは民家の2階を借りて、毎週火曜日から土曜日まで(午前11時~午後7時)、日本語や主要教科の学習支援を行っている。
対象は、外国人移住労働者の子どもや、国際結婚で生まれた「ダブルの子ども」らなど、小学生から高校生まで、そして日本語の読み書きができない大人たち。AIAは予約制で、学生や社会人のボランティア講師に一対一で勉強を見てもらうことができる。しかも月謝は2千円で、何回でも学習できる。昨年度は、のべ1460人が利用している。
労働者のまち、足立区は人口の3%が外国人(外国人登録者)で、東京23区で2番目に外国籍住民の割合が多い。
小学校の設置数は都内最多の72校で、全校が区立。しかし、中学校は39校、高校は11校と少ない。教育の機会均等や進学保障という観点で見ると、教育環境は「良好」とは言い難いだろう。
そうした中で、2008年、教育事業を行っている4修道会(イエズス会、聖心会、幼きイエス会、ベリス・メルセス宣教修道女会)がAIAを立ち上げた。日本経済を〝底辺〟で支えている外国人労働者等の子どもたちの成長を支えると同時に、そこで関わるボランティア自身も共に成長する「共育」を目的としている。

AIA代表の安藤勇神父(イエズス会)は、「外国につながる子ども」たちの現状をこう話す。
「例えば20年以上日本に暮らして、日常会話ができるフィリピン人の大人でも、日本語の読み書きができないケースが多くあります。日本語の問題に加え、親が共働きや夜勤で、子どもの勉強を見てあげられないので、子どもは日本語が身に付かず、低学力になってしまうのです」
しかも公立学校は学齢主義を導入しているため、日本語の習熟度に関係なく、彼らは年齢相当の学年に編入させられる。AIAに通うエチオピア人の少年も来日したばかりで、困難に直面している。

その少年は、地元の公立中学校に編入し、年齢より1つ下の学年で勉強することになったが、英語が話せる教員は1人だけ。他の教員とは意思疎通が図れず、日本語の授業も全く分からず、毎日教室の中で一人ぼっちで座ったまま過ごす。安藤神父がAIAスタッフとして週3回中学校に足を運び、その少年の学習支援に携わるが、限られた時間で、年齢相当の基礎学力は見に付けられない。
しかし中学校側はこう言い放ったという。「勉強ができなくても大丈夫です。ちゃんと卒業させますから」。形式的に中学卒業資格が得られたとしても、現実問題として「低学力」は「低学歴」につながり、それは「職業選択肢の激減」の要因となる。結果的に「貧困の連鎖」が続いていくことになる。
そうした「負の連鎖」を断ち切ろうと、AIAは、低費で通える唯一の私塾として活動しているのである。子どもたちは「算数の不安がなくなった」「日本語ができるようになって、先生や友達と話す時は楽しくなった」と喜んでいる。しかし、交通費がないため、AIAにも通えない子どもたちがいるのだ。

教会にできる支援

11月7日、関東地区の「中高宗教部会」の勉強会で、宗教科や倫理科の教員20人ほどがAIAを見学、安藤神父とAIA塾長の中村友太郎・上智大学名誉教授から子どもたちの状況について学んだ。
初めて〝現場の人〟から話を聞いたという栄光学園(神奈川)倫理科の小野邦彦教諭は、こう語った。
「心に響くものがありました。AIAの子どもたちは、本校では出会えない子どもたちばかりです。本校の生徒たちは、将来、社会(システム)をつくる側の人間になっていきます。AIAの子どもやそこで働いている人たちに出会い、この問題を知った上で社会に出ていってほしいと思いました」
中高宗教部会は、年に3回勉強会を開き、宗教等の授業内容について学び合っている。今回は、カトリック学校でも行われているグローバル教育(地球規模的課題の理解と解決のための教育)について、「自分たちの足元から見つめ直してみよう」と、AIAを研修の場に選んだという。
担当者の一人、曉星中学・高等学校宗教科主任の松本洋教諭は、「ミッションスクールならではのグローバル化とは何なのか、宣教者が貧しい子どもたちを助けるためにカトリック学校を始めたその原点に目を向けたいと思いました」と語る。
AIAでは、稲刈りなど、課外活動も実施している。また高校進学をする際には、支度金として「奨学金」も支給している。
安藤神父は、各カトリック学校にできることとして、①AIAを〝姉妹校・兄弟校〟として位置づけ交流する②デカセギ労働者の子どもを1人以上引き受ける③日本語教室を開く④AIAの高校進学支度金を支援する――などを提案しつつ、こう強調した。
「カトリック教会は、貧しい人たちの教会と言いながら、こういう子どもたちの学校(教育)に興味を持たず、何もしないなら、それは罪だと思います」と安藤神父は語っていた。 AIAは、☎ 03-5888-5206

(次回は11月29日付掲載予定です)

難民、深刻な人権侵害

カトリック新聞  The Catholic Weekly (2015年9月13日)

安藤勇神父に聞く

ロヒンギャヘの迫害続く

国際イエズス会難民サービス(JRS)が、インドネシアを拠点に、世界で最も激しい迫害を受けていると言われる少数民族「ロヒンギャ」の生活支援を始めて8年。ミャンマー(旧ビルマ) では民族対立が激化し、多くのロヒンギャが難民となっている。他国の上陸許可を得られないまま、小舟で海上を漂っているロヒンギャの数は、今年4月末時点で約8千人に上る。

東南アジア諸国が直面するボートピープル(難民となり小舟で外国に逃げる人々)問題について、イエズス会社会司牧センター・移民デスクの安藤勇神父(イエズス会)に聞いた。

推定で130万人いると言われているムスリム(イスラム教徒)のロヒンギャは、バングラデシュの国境に近いミャンマーのラカイン洲に暮らすが、今年、仏教徒アラカンとの民族対立と暴動で、大勢が小舟で国外脱出を始めている。

イスラム教徒が多いマレーシアとインドネシアの政府は5 月20日、ロヒンギャの上陸を許可し、彼らのための一時避難所を設置する決定を下した。JRSインドネシアも、ただちにインドネシア・アチェに調査・対応チームを派遣、緊急支援活動を開始した。

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民族対立と暴動で、大勢が小舟で国外脱出

JRSは2007年から、インドネシアやタイ、マレーシアで、ロヒンギャ難民を支援している。13年にはJRSタイがカリタスタイと協働で、難民キャンプに暮らす約千人の生活支援や健康・衛生面での支援を行った。

過激派組織も狙う

ロヒンギャは、これまでバングラデシュとインドの紛争、英国植民地時代の迫害、また1970年代以降はビルマ軍事政権下での強制労働や暴行・財産没収などの迫害、さらに近年はミャンマーの仏教徒との対立などで、長年にわたって安住の地を持てなかった。

今年6月から激化したミャンマーでの民族暴動で、ロヒンギャ難民が他国に助けを求めているが、ミャンマー政府は彼らに国籍を与えていないため、他国でも、法的身分がないという理由で、強制送還や深刻な人権侵害に直面している。

安藤神父はその現状をこう話す。

インドネシアにある難民キャンペでの礼拝
インドネシアにある難民キャンペでの礼拝

「生活のために、ロヒンギャの中からブローカー(職業あっせん業者)が生まれています。ブローカーは、ミャンマーから脱出したいロヒンギャ難民、そして難民船の船員、受け入れ業者からお金を取っています。その結果、難民たち自身は、安全な国に逃れて仕事に就けると思ったら、予期せぬ奴隷労働に従事させられるという問題が生じています」また過激派組織「ISIS」(自称「イスラム国」)は、困窮するムスリムのロヒンギャ難民を″人材″として狙っているという。ロヒンギャは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)により難民と認められている。テロの火種がアジア諸国に広がることを防ぐためにも、アジア太平洋地域の諸外国は、具体的で持続可能な保護政策を打ち出す必要があると、安藤神父は考えている。

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JRSは、ロヒンギャのための募金キャンペーンを展開中。詳細は、☎ 03-5215-1844 (安藤神父)まで。

イエズス会社会司牧センター移民デスク
〒102-0083 東京都千代田区麹町6-5-1、岐部ホール4階
Jesuit Social Center Migrant Desk
Kibe Hall 4th Floor, Kojimachi 6-5-1, Tokyo 102-0083
Tel: 03-5215-1844 Fax: 03-5215-1845
Email: migrantdesk.jsctokyo@gmail.com

 -送金先
郵便振替口座
00140-4-94839
Rohingya  と書いてください。

カトリック教会は環境問題のニューカマーなのか?

―教皇フランシスコの新回勅『ラウダート・シ』に寄せて―
安藤 勇 SJ、イエズス会社会司牧センタースタッフ、移民デスク担当
【社会司牧通信184号2015年8月15日】

 1993年以来、数千人の科学者と世界各国の代表者は、地球温暖化について話し合うための会議を継続して行っています。今年もまた、第21回目となる、国際共通課題である気候変動とどのように戦うかの協議がなされます。大部分の科学者は、自然災害は主に人間の活動によって引き起こされると思っています。
ですから、6月18日に教皇フランシスコが環境問題に関する回勅『ラウダート・シ』を発表したことは、さほど驚くことではありません。
実際、教皇ヨハネ・パウロ2世は1990年の「世界平和の日」メッセージの中ですでに、「全人類の責任としての生態系の危機」を強調しました。創造への配慮は、「キリスト教信仰の本質的な部分」なのです。
バチカンにおいてエコロジーの議論が始まった明らかな転換点は、4800枚のソーラーパネルがバチカンの建物に設置された、2001年のことでした。そしてまた、2008年には、ハンガリーに「バチカン気候林」がつくられました。教皇ヨハネ・パウロ2世も教皇ベネディクト16世も、環境危機に対する強い声明を出し、人間が自然に対して独裁者のように振る舞うのではなく、創造された大自然に配慮する必要があると強調しました。エコロジーは教会の中で大きな風潮となっただけでなく、21世紀の社会的、政治的な最も大きな問題の一つになりました。

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しかしながら、教皇フランシスコは重要な変化をもたらしました。現在に至るまで、環境悪化は公文書の中で、主に二次的な問題でした。けれども回勅『ラウダート・シ』の発布によって教皇フランシスコは、創造への配慮を教会生活の中心に据えた、初の教皇となりました。この文書は、13世紀の聖人、アシジの聖フランシスコの著作からインスピレーションを得ており、回勅にも多く引用されています。教皇はまた、正教会のエコ神学や、世界の18の司教協議会の公式声明も参照しています。その中には、日本を含めたアジア諸国の司教協議会も含まれています。ヨハネ・パウロ2世とベネディクト16世もまた、新回勅にはしばしば引用されます。これは、環境問題に関する教会の教義の連続性を証明しています。
この回勅は、カトリック信者だけでなく、すべての善意ある人々へ宛てられています。それには、地球温暖化を抑える決定のできる政府や企業が含まれています。教皇の言葉は、人間の活動がどれほど環境問題(気候変動、森林伐採、大気汚染、生物多様性の喪失などを含む)を生み出しているかについての分析に基づいています。私たちの地球は、愛の神である創造主の業です。地球はすべての人のための共通の家であり、金持ちや権力者のためだけのものではありません。地球は大切にされなければなりません。
それに加えて、貧しい人々は特に、環境への無責任さの結果である自然災害の被害を受けやすいので、教皇フランシスコは貧しい人々の暮らしを優先する必要性を強調しています。それはすでに出された彼の使徒的勧告『福音の喜び』と同様です。

エコロジー危機の解決策を探すカトリック教会
たとえ、教会に地球温暖化についての明確な見解がないとしても、教会は気候変動についての対話を始めなければなりません。なぜなら私たちの共通の家である地球は、深刻な荒廃に陥っているからです。希望をもって、必ず出口が見出せます。つまり私たちの歩みを向き直し、問題解決のための何かを行うことができるということです。しかし、私たちは現在、事態が極限状態に達しているしるしを見ることができます。実際のデータも専門家の結論も、変化と悪化の急速なペースを示しています。現在の世界システムは、様々な点から見ても、間違いなく持続不可能です。なぜなら、私たちが人間の活動の目的について考えることを止めたからです。「人類は、神の期待を裏切りました」。
必要なことは、先見の明があり、危機の様々な側面を扱うための新しい、統合的な、学際的な取り組みのできる政治行動です。真の変化のための戦略は、プロセスを完全に再考することを要求します。健全な政治は、この挑戦に取り組めるようになる必要があります。政治と経済には、貧困と環境悪化についてお互いを非難し合う傾向があります。政治と経済が自らの過ちを認め、共通善に向けた相互関係の形を見出せることが望まれます。

環境教育
「エコロジー市民」を育てるには、エコロジー倫理を発展することのできる教育者、つまり連帯、責任、思いやりのある世話によって人々の成長を助けることのできる教育者が必要です。種々の法令が存在するだけでは、長い目で見れば、悪い行いを抑制するには不十分です。健全な徳を養うことによってのみ、人々は消費習慣とライフスタイルの変化に関して、エコロジーへの客観的な献身ができるようになるのです。

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創造と創造主について
私たちは、人間と自然の間の相互の責任関係を訂正しなければなりません。私たちは神ではありません。地は私たちよりも前から存在し、私たちのために与えられました。ユダヤ・キリスト教思想、つまり地に対する「支配権」を人に与えるという創世記の記述に基づき(創1:28参照)、本来制御できない破壊的なものとして人を描くことにより、人が自然を際限なく搾取することを支持できるとされてきました。ところがそれは、教会が理解しているような正しい聖書解釈ではありません。私たちキリスト者が時々誤って聖書を解釈したことは事実ですが、今日、私たちは神の似姿として創造され、地に対する支配権を与えられたことにより、他の創造に対する絶対的な支配が正当化されるという概念を、きっぱりと拒絶しなければなりません。

テクノロジー対人類の進歩
人々はもはや、幸せな未来を信じることができません。科学や技術の進歩を、人類や歴史の進歩と同一視することはできません。文化の大胆な革命を推し進める必要が膨らんでいます。科学も技術も、中立ではありません。私たちはスピードを落とし、現実を異なる方法から見る必要があります。
進歩の新しいモデルを生み出すために、「グローバル開発モデル」を変化させる必要があります。そしてそれは、経済の「意味」と目的について、責任ある考察を必要とするでしょう。中途半端な方法では、単に不可避の災害を遅らせるだけです。それは、進歩についての私たちの概念を再定義する問題です。よりよい世界を残さない技術や経済の発展を、進歩とみなすことはできません。

私たちの現在のライフスタイルの反省
ライフスタイルの変化は、政治的、経済的、社会的権力をふるう人々に対して、大きな圧力を与えることができました。消費者運動が特定の商品をボイコットすることで、それを達成できます。彼らは、企業のやり方を変化させ、環境足跡と商品パターンを強制的に考慮するように成功しました。社会的圧力が企業収益に影響を及ぼすとき、企業は異なる生産方法をきちんと見つけなければなりません。このことは、消費者の社会的責任感がかなり必要であると示してくれます。
企業利益や消費主義サービスへの人為的介入は、しばしば私たちの地を豊かで美しいものとはせずに、むしろ乏しく灰色なものにしていきます。

自然と人間の堕落
人間の堕落の原因。人間環境と自然環境は、ともに悪化していきます。これは、最も傷つきやすい人々に影響を及ぼします。不平等は、個人だけでなく、国全体にも影響を及ぼします。国際関係の倫理が考慮されなければなりません。真の「エコロジー負債」が、地球の南北間に存在しています。それは環境に影響する商業的不均衡や、特定の国による長年にわたる自然資源の不相応な使用に関係しています。貧困国の対外債務は、その国をコントロールする手段となりました。けれどもなお、エコロジー負債に関するところでは、そうではありません。生物圏の最も重要な保護地のある発展途上国は、様々な方法で、自らの現在と将来を犠牲にして、豊かな国の発展のために資源を提供し続けているのです。

エコロジー回心
エコロジー危機は、深い内的回心を呼び起こします。実用主義を口実に、一部の熱心なキリスト者は、環境問題を嘲笑する傾向があります。他の人々は消極的で、習慣を変えないことを選びます。「エコロジー回心」が必要です。アシジの聖フランシスコを想い出して、私たちは創造との健全な関係が、個人の全体的な回心の一面であると理解します。そしてそれは、私たちの過ちと失敗の認識を引き起こし、心からの悔い改めと、変化への望みへと導きます。

普遍的共同計画
相互依存関係は私たちに「共同計画を伴った一つの世界」について考えさせます。それでも、技術のすさまじい進歩をもたらした創意工夫は、世界規模の重大な環境・社会問題に効果的に取り組む方法を見つけることはできませんでした。グローバルな一致が、深い問題に向き合うためには欠かせません。個々の国の単独の活動では、解決することができないのです。このような一致は、例えば、持続可能で多角的な農業計画、再生可能で汚染の少ないエネルギーの開発、エネルギーのより効果的な使用の推奨、海洋・森林資源のよりよい管理の促進、そして皆がアクセス可能な飲み水の確保などです。
私たちは、空気を大いに汚染する化石燃料(特に石炭や石油、ある程度にガス)に基づいた技術が、速やかに、次第に取って代わられる必要があることを知っています。政府も企業も、私たちの世界が直面している緊急の課題にきちんと反応するのが遅すぎました。工業化後の時代は歴史上、最も無責任な時代の一つとして記憶されていますが、それでもなお、21世紀初頭の人類がその重大な責任を寛大に担うために思い出されるべき、希望の根拠が存在します。世界中で、市民社会の多くの組織の努力のおかげで、エコロジー運動が目覚ましい進展を遂げました。

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結論:日本の私たちに何を教えるのか
これはまた、政府と大企業の間の密接な協力関係を優先する日本にとって、主要な政治・経済方針に挑むメッセージです。技術はますます、戦争や大規模軍事防衛システム構築のために用いられます。国の工業化を確保するための原子力エネルギー使用への依存は、強く残ったままです。このように、環境の安全と人口の貧困層は、深い影響を受けるのです。
消費は景気回復の鍵として歓迎され、お金は惜しげもなくばらまかれます。市場経済の勢力は、社会悪を解決するための最良のモデルだと考えられています。このように、現在の開発モデルはほとんど完全に、経済利益重視の観点に基づいているのです。
教皇フランシスコは、環境の重大な問題に対する意見を発表し、私たちは決して「神」ではないと強調しました。私たちは自然と同じように、神によって創造されたのです。神は私たちに、自然の賜物を与えました。それは自然を世話するためであって、私たちが好き勝手に搾取するためではありません。自然資源はすべての人のためのものであって、一握りの金持ちや特別な技術力をもった人だけのものではありません。地球は私たちの共通の家であり、そこには何百万人もの貧しい人々が、希望をもてずに暮らしています。共通善と非営利は、すべての人間の経済活動の目的でなければなりません。けれども、そうした道徳的、倫理的な価値観はどれも、私たちの国の公的な政治・経済計画には存在していません。
しかしながら、『ラウダート・シ』のメッセージは、私たちの地球を救う緊急の必要性がある普遍的な環境の危機に、深い関心を寄せています。例えば、地球規模の飢えや貧困、人口の貧困層に対するケアといった問題です。これらは、一般的な日本人の多くも、重要課題だと同意するものでしょう。人々はしばしば、日本の技術製品を享受しますが、それによってより幸せになっているでしょうか?
教皇は私たちキリスト者に、エコロジー回心を求めています。それによって、消費に「NO」と言うために、私たちのライフスタイルを真に大変革していくことができます。キリスト教信仰による道徳観に基づく正確な理解と確かな分析を求める、効果的な認識が必要です。

募金キャンペーン – ロヒンギャとイエズス会難民サービス(JRS)のかかわり

東南アジア諸国は現在、ボートピープルの問題に直面しています。2015年4月末時点で、約8千人のロヒンギャが、上陸が許可されないまま、船に乗って海上を漂っています。5月20日、インドネシア政府とマレーシア政府は、ロヒンギャやバングラデシュ難民の上陸を許可し、彼らのためのシェルターを設置する決定を下しました。JRSインドネシアはすぐに、調査・対応チームをインドネシアのアチェに送り、緊急支援とロヒンギャのニーズを満たすための活動を開始しました。

Rohingya fundraisingJRSの総合的見解

ロヒンギャの人々は、かつてミャンマーのラカイン州に住んでいました。彼らは安全を求めて、ミャンマーからバングラデシュや、海を渡る危険を冒してまで、タイ、マレーシア、インドネシア、オーストラリアなどへと逃れていきました。けれども、それらの国においてもなお、彼らは法的身分をもっていないがために、送還やひどい人権侵害の問題に直面しています。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によって、難民とみなされているにもかかわらず、彼らは移住を無期限に待たされ続けています。地域の中で、どこを難民のための限定的な移住地とするかという政策があいまいだからです。アジア太平洋諸国の政府は、彼らに支援の手を差し伸べるべきです。領地の中にロヒンギャを受けいれる場をつくり、彼らの保護を保証しなければなりません。また、持続的解決策を見つけられるまで、UNHCRと共に、地域的なロヒンギャの保護体制を調整するべきです。その間、ロヒンギャの人々には移住資格が認められなければなりません。

 

JRSの対応

  • JRSインドネシアとJRSタイは、ロヒンギャの支援活動に携わり、地域の他のNGOとの間で起こることを監視し続けています。
  • 危機への対応は、拘束状態を改善するために、日々の食糧、衛生用品、毛布、マット、医薬品などの物的支援を行っています。
  • 医療支援を通じて、現地のカリタスとも協力しています。

JRSは、ロヒンギャのための募金キャンペーンをはじめました】

日本でのお問い合わせは、イエズス会社会司牧センターまで

寄付金の送付先

郵便振替:  00140-4-94839

加入者名: イエズス会社会司牧センター

通信欄に、「ロヒンギャ募金」と明記してください。

 

イエズス会社会司牧センター

電話:03-5215-1844 Fax:03-5215-1845

office@jesuitsocialcenter-tokyo.com

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JCAPにおける移民労働者のネットワーク

Benny神父(左から3番目) ジェシーさん(7番目) 安藤神父(8番目)
Benny神父(左から3番目) ジェシーさん(7番目) 安藤神父(8番目)

JCAP(アジア太平洋地域上級長上協議会)は、東アジア諸国間で行われている移民労働者との働きのコーディネートを促進させるために、2014年に新しいイエズス会員のネットワークを設立し、Benny Hari Juliawan 神父(インドネシア管区)が担当者として任命された。 4月21日から23日まで、東アジア8ヶ国から14人の代表が、プログラムを調整し、ネットワークを構築するために台湾に集った。日本からは安藤神父とジェシーさんが参加した。会議の参加者は各国の状況や法律などについて情報交換を行い、労働者が外国で安心して仕事ができるための手引を準備することになった。

ネットワークはJCAPの後援を受けて、移民研究基金を設立した。その研究テーマとして、2015年は「東アジア各国の移民労働者の子どもたちやその家族の現状」、2016年は「本国へ帰った移民たちの新しい暮らし」、そして2017年は「ブローカー制度」と決まっている。 このネットワークが私たちアシステンシーの会員の使徒職に浸透し、とりわけ養成中の若い会員によって高い関心が示されることを願っている。 (安藤 勇)2015年5月

日本の移民労働者(2)

安藤 勇 SJ、イエズス会社会司牧センタースタッフ、移民デスク担当

【社会司牧通信182号2015年4月15日】

71万7504人を記録した日本の外国人労働者
厚生労働省の発表によれば、日本の外国人労働者の数は2014年10月末時点で71万7504人に達し、前年と比べて5.1%上昇したとのことです。これは雇い主が外国人従業員について厚生労働省に報告しなければならなくなった2007年以来、最も高い数字です。厚生労働省によれば、この増加は雇用状況の改善、つまり景気回復と日本企業の成長によって、特別な技術を有する外国人が雇われるようになったことを反映しているのだといいます。
すべての外国人労働者のうち、27.3%は東京都で暮らしています。次いで、10.9%は愛知県で、5.9%は神奈川県で、5.3%は大阪府で、そして5.2%は静岡県で暮らしています。

日本の移民数は増加するでしょう
2014年3月14日(金)、菅義偉内閣官房長官は、長期的な経済成長に向けた日本の可能性を高めるために政府が移民の数を増やすことを考えているという報道に対し、決定事項ではないということを強調しつつも、それを否定しませんでした。
菅官房長官が指摘したように、安倍晋三首相のための重要な諮問機関である経済財政諮問会議の2月24日の小委員会の中で、政府はある試算を明らかにしました。それは、日本が毎年20万人の移民を受け入れるならば、人口1億人以上を維持することができ、国の出生動向の鍵となる指標である合計特殊出生率は現在の1.39から、2030年までには2.07に回復するというものでした。
日本の経済力を維持するために多くの移民を受け入れるかどうかは、長年にわたって政治的に微妙な問題でした。政権与党である自由民主党の保守的な議員の多くは、そうした考えに反対しています。

介護労働者の不足
公益財団法人介護労働安定センターが2013年度に行った調査によると、介護施設の20%以上が労働者不足に悩んでいます。労働者不足は、特に都市部で深刻です。
厚生労働省は、2012年度には149万人の介護労働者がいたと計算しています。しかし、2025年度にはさらに88~100万人の介護労働者を国が確保しなければならないと予測しています。これには、登録上は108万6千人いる介護福祉士のうち、実際にはわずか60%強しか働いていないということに留意する必要があります。

外国人労働者の状況・・・「技能実習」
外国人技能実習制度は1993年に、表向きは発展途上国の技術とノウハウを増やすための日本の「国際貢献」として始まりました。
この制度には二通りの方法があります。一つは、日本の大企業の支社によって直接雇われる方法です。もう一つのルートは、商工会議所や中小企業協会、あるいは協同組合といった「監理団体」によって採用される方法です。国際研修協力機構(JITCO)の関連機関によって、中小企業で研修をするのです。実習生のほとんどは、こちらの方法で日本に来ています。
2011年の末には、約14万2千人もの外国人実習生がこの制度に登録されました。そのうち中国から来た実習生は約10万7千人で、その他にはベトナム、インドネシア、フィリピン、ミャンマーなどからの実習生です。ピークだったのは2008年頃で、日本には約20万人の実習生が来ていました。
外国人実習生は彼らの母国に認可された760もの「送出し機関」によって日本に送られ、監理団体を通して雇い主に派遣されます。

Graph 3実習制度に関連する諸問題
実習制度が意図している目的は、発展途上国の援助だとされています。けれども実際には、この制度は日本企業が賃金の安い、単純労働者を確保するために用いられていると専門家は言います。
その他にも、雇い主が研修生のパスポートやキャッシュカードを没収したり、給料の一部を「貯金」として徴収したりすることによって、彼らが逃げ出さないようにしているという不当な扱いも指摘されています。
法務省のデータでは、法改正にもかかわらず過去2年間で実習生への不当な扱いが増加していることが示されています。
2012年には197の機関や企業で「不当な実習」に従事させていることが発覚しました。これは163だった2010年から、20.9%上昇しています。
不当な扱いは主に、賃金の未払いと労働法違反の形を取ります。例えば、ある実習生は月に100時間以上の残業を強制されていました。しかしながら、企業が受ける罰則は、最長で5年間外国人実習生の雇用が禁じられるというだけです。
国連の特別報告者(移民人権問題担当)であるホルヘ・ブスタマンテは、2010年3月23日、日本に公式視察に訪れました。彼は3月31日に記者会見を開いて、日本政府は外国人産業研修制度や技能実習制度を廃止するべきだと率直に勧告しました。こうした制度はともすると「奴隷制度」のようになり、人権を侵害する搾取的な低賃金労働への要求を煽るものとなるのだと言います。そして、この制度はれっきとした雇用の一つとみなされるべきだと提案しました。

労働条件と日本の外国人労働者の扱い
日本の外国人労働の状況は、労働契約と慣習的な仲介制度(外国人労働者に犠牲を強いる構造的枠組み)に大きく表れています。日本の状況や日本語の知識の不足は、海外から日本に働きに来る人々にとって、しばしば大きな障害となります。
全統一労働組合の書記長である鳥井一平は、次のように明言しました。「日本の外国人労働者は、賃金の未払い、労働災害、解雇といった、一般的な労働問題に直面していました。そして多くの場合それらに加えて、彼らのパスポートは取り上げられ、劣悪な状況の下で生活することを強制されています」。

日本の女性移民労働者
性産業は、その他のあらゆる産業が外国人労働者を求めるのと同じ理由で、彼ら(彼女たち)を歓迎します。彼ら(彼女たち)は低賃金で、あまり人のやりたがらない仕事でもやる意欲があるからだと門倉貴史(第一生命経済研究所エコノミスト)は言います。近年、日本の「エンターテイメント業」は2兆3700億円(2001年)という驚異的な規模を記録しています。
数多くいる女性労働者のグループの中でも、日本のフィリピン人労働者の大多数は若い女性です。かつて、2005年には約3万7235人の若いフィリピン人が日本で働く契約を結びました。重要なのは、日本人の家庭で「家事労働者」として働くための合法的なカテゴリーは存在しないということです。2006年9月に締結したEPA(経済連携協定)によれば、日本は多数のフィリピン人看護師と介護士を受け入れることに同意しました。現在、ベトナムとインドネシアも、同じくEPAに加盟しています。
日本人男性が外国人女性と結婚するという「国際結婚」は、日本では普通になりつつあります。彼らが離婚するということがしばしば起こりえますし、多くの場合、合法的な地位を得ることが結婚の主目的となります。日本人男性の側がかなり年上で、年の差は大抵、10歳や20歳もあります。移民労働者の子どもは、中学までの義務教育を受けるものの、しばしば家庭で多くの傷を負わなければならず、学校でも日本の普通の子どもよりもはるかにいじめを受けることが多いのです。
マスコミによれば、普通の日本人が外国人労働者に対して抱いているイメージはあまりよくありません。日本のメディアは外国人労働者の状況についてあまり報道せず、彼らの側に立ってはいないので、このことを客観的に調査することは困難です。一方で、日本にいる海外メディアの筆頭であるジャパンタイムズは例外的です。ジャパンタイムズは通常、外国人労働者の問題を、政府当局に対する批判的な態度で取り扱います。
日本のカトリック教会は、この分野では既に長い経験を有しています。教会は、福祉、法律、司牧、そして教育といった分野で、外国人労働者に対して様々な方法で関わってきました。実際、おそらく日本のカトリック人口の半分以上は、ブラジルやペルー、その他のラテンアメリカ諸国、あるいはフィリピンからの外国人労働者で構成されているでしょう。

外国人労働者のための試験的民間教育プロジェクト
日本は国内で働き、暮らしている何十万人もの外国人に対して、国家レベルで十分な日本語教育を提供しているとはいえません。そこには「移民政策」の欠如がはっきりと表れています。外国人労働者とその子どもたちは、きっと途方に暮れています。民間の日本語学校は数多くありますが、それらはどれも外国人労働者の家族の経済力に対してあまりにも高額なのです。

足立インターナショナル・アカデミー(AIA)は、外国人の両親の間に生まれた6歳から15歳の子どもたちに、基礎教育を提供する目的で始められた、民間の試験的非営利教育プロジェクトです。15の国から来た外国人労働者の多くは、東京のはずれにある足立区に暮らしています。
AIAはまた、大人の外国人労働者に対しても、日本語や日本の制度、文化についての知識を提供します。AIAは一対一という教育法に力点を置いています。教育によって、最も困窮している労働者の家族は確かな公教育を受けるための基礎的なツールを得ることができます。それと同様に、教育は大人たちに対しても、より良い仕事に就くことを可能にさせるのです。

AIAは、経験豊富な先生と、若いボランティアによって運営されています。2008年に、カトリックの4つの修道会は、この試験的なプロジェクトで青少年教育のために共に働くということを自らの使命としました。もしも皆さんがAIAを訪れたら、フィリピン人の母親がボランティアから日本語を教えられて漢字を学んでいる間、その隣では彼女の赤ん坊がベビーシッターの腕に抱かれて眠っているのを見るでしょう。あるいは、日曜日の昼前には、ガーナ人の父親が、他に3人の別の国から来た大人たちと、日本語の読み書きを学んでいるのを目にするでしょう。彼の3人の子どもたちは、午後に日本語や数学、英語の授業を受けるためにやってきます。教室では、ホワイトボードや黒板を使った授業は行われません。一対一の教育法に力点を置いているからです。個性を伸ばす教育、勉強が面白くなる教育、そして大人も子どもも親しく信頼できる雰囲気をつくる教育が目指されています。ブラジルの心理学者で教育学者であるパウロ・フレイレの考えによれば、生徒は先生となり、そして先生もまた、生徒たちから学ぶのです。AIAに来る子どもたちは、自由に、そして大きな声で、日本語を話します。子どもたちの日本語はおかしなアクセントですが、彼らは公立の学校では、教室で何時間も受け身的に授業を受けるのです。彼らは先生の言っていることが理解できなくても、義務教育を受けなければいけないのです。

この試験的な教育プログラムの重要な副産物は、青年ボランティアやシニア・ボランティアの参加です。AIAは、他者のために何かをするという可能性や人間の充足のための場を人々に提供するのです。

公的支援はなく、AIAのすべての費用(家賃、ボランティアの交通費、困窮している高校生のための奨学金など)は、支援団体や寄付者によってまかなわれます。

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《足立インターナショナル・アカデミー(AIA)》

〒123-0851 東京都足立区梅田5-11-17
Tel: 03-5888-5206 Fax: 03-5888-5216
http://www.aia-migrantschool.org
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足立インターナショナルアカデミー(AIA)は、足立区およびその周辺に住んでいるdoubleの子どもたちや外国人労働者の子どもたちあるいは不登校の子どもたちの教育ニーズ(特に日本語教育)に応じようとしています。同時に大人(外国人)の識字教育も行う。

《移民デスク》
移民デスクの窓口は、イエズス会社会司牧センター内にあります。
〒102-0083 東京都千代田区麹町6-5-1-4F
E-mail: migrantdesk.jsctokyo@gmail.com

JSC logo

https://migrantstokyojap.wordpress.com/
移民デスクは、外国人や難民に奉仕するため、主に無料の法律相談を行っています。

日本の移民労働者(1) ~国がある限り、移民がある~

安藤 勇 SJ,イエズス会社会司牧センタースタッフ移民デスク担当

【社会司牧通信178号2014年8月15日】
日本への外国人労働者の移動の始まり
  日本の移民は、日本による朝鮮半島の軍事併合を抜きに語ることはできません。1910年から始まった朝鮮半島における日本の軍事的支配は、大いに強まっていきました。1910年、日本にいた朝鮮半島出身者は1000人足らずでした。しかし1930年までにはその数はおよそ40万人にまで増大し、太平洋戦争終了時(1945年)には200万人に達しました。彼らの過酷な人生と労働条件、教育の機会、社会的地位は、こんにちの日本の外国人労働者の状況に対する洞察を提供します。
  1951年に朝鮮戦争が勃発した結果、日本にいた多くの朝鮮半島出身者は帰国することができず、日本に留まらざるをえませんでした。彼らは日本国籍を失い、困難な状況に置かれました。日本に暮らしていた台湾人も、当時、同じような問題に直面しました。

1950年以降の、日本への外国人労働者の到着
  1960年代になると、アジア諸国からの労働者が数多く日本に入ってきました。彼らは、新しい、よりよい生活を夢見た若者でした。彼らのほとんどは、家族を貧困から抜け出させ、兄弟姉妹の教育費を賄い、家庭によりよい将来をもたらし、両親がよりよい家を建てることを助けようと望んでいました。こうした若い労働者は高い望みをもって日本に来て、彼らの大切な人を支えられることに満足していたのです。彼らがそうしたのは、自国では仕事に就くことができなかったからです。言葉も通じず、また自国とはまったく違う国で新たな生活を始めることは困難なことですが、彼らにはそれをする覚悟がありました。それは危険な冒険でしたが、それでも日本は豊かで、報酬のよい仕事に就ける可能性が高かったのです。日本にたどり着くことができたので、彼らは嬉しく、幸せでした。
  60年代、70年代に日本に来た、こうしたアジア人労働者の多くは、台湾、タイ、フィリピンからの若い女性でした。彼女たちはエンターテイナーか、サービス業などに従事していました。日本の暴力団が若いアジア人女性を日本に働きに来させる方法は、当時多くの社会問題を巻き起こしました。

  他の方法を望む人がいたとしても、移民は人生の現実です。そのためそれは、移民をなくすという問題ではなくむしろ、あらゆる面において協力と理解を深め、よりうまく移民に対処することです。ゼロサム・ゲーム状態とは異なり、移民はすべての人に利益をもたらすことができるのです。
  共同通信社の報告によれば、社会福祉の東京会議が行った調査によると、東京に316ある高齢者ケア施設(従業員の90%という大多数が女性ですが)のうち30%で、外国人労働者が合計196名雇われました。こうした外国人介護者の過半数はフィリピン人で、以下、中国人、台湾人、韓国人と続きます。
  経験から言うと、難民や外国籍労働者はしばしば私に、公的な抑圧と迫害によって自国に帰ることができないと語ります。彼らの命は、彼らの家族と同様に、危険に晒されています。外国籍労働者のほとんどは、仕事の不足を訴えます。自国では生きていくのに十分な収入を得られる可能性がなく、貧困が彼らを待っているのだと言うのです。日本の公的機関はそのような求めに対して、耳を貸そうとしません。実際に、私たちは日本で「移民」という表現を用いますが、日本には「移民」という概念が存在しません。公式には、他の多くの国のような移民に関する政策はなく、むしろ「外国人」を扱うためのコントロール政策しかありません。

日本の移民政策の作成
  それでも、時代は日本にとって、おそらく大きく変わりました。日本国はグローバル化の先駆者です。これまで日本は入国してくる外国人労働者に対して、厳しい制限を設けてきました。しかし経済界や日本の多国籍企業は、競争に勝ち、事業を拡大するために、外国からの労働者に対して扉を開く必要性を経験しています。外国籍労働者の問題に対する日本の公式な立場と日本企業の方針は異なっていると私は思います。そのことは日本人を祖先に持つラテンアメリカ諸国の「日系人」に対して、日本が公式に扉を開いた2007年頃からはっきりとしました。移民政策を変化させるために、企業が強く後押ししたのです。
  実際に、外国人労働者の受け入れに関して、日本政府に認識を根本的に改める必要を迫る二つの新しい現象が存在します。
  一つ目は、2020年の東京オリンピックに向けた準備です。かつて、約50年前の1964年に東京オリンピックが開催されたとき、日本はかなりの経済産業復興を目の当たりにしました。高速道路建設や新幹線の開業などは、強い経済発展のシンボルとなりました。現在、新たに2020年の東京オリンピックを控え、人々は「古き良き時代」を思い出し、新しく強い経済復興が起きることを期待しています。しかしながら、日本には再び経済的な「奇跡」を起こすだけに必要な労働者がいません。そこで安倍首相は公式に、日本は年に20万人の外国人労働者を受け入れるという立場を示しました。
  二つ目の現象は、さらに現実的かつ緊急です。日本の人口はますます減少しており、必要とする若い労働力は、こんにち見つけることができません。日本は工業生産力を維持し、高めるために、海外からの労働者を求めることに決めました。
  予測される日本の人口減少は、より肯定的に外国人労働者の受け入れを考え、移民システムを改善することを要求しています。

新しい出入国管理法(2012年)
  日本の出入国管理法は、何度か改正されました。1989年、経済バブル時代には法律改正の結果として、主にラテンアメリカからの日系人は、日本に働きに来ることが簡単に許されました。2007年までに、ブラジルやペルーからの約40万人の日系人が日本で暮らし、働いていました。2009年の改正では、日本における外国人に対して、絶対的な支配権が法務省に与えられました。かつてすべての外国人が持っていなければならなかった外国人登録証は、ICチップ入りの「在留カード」へと変えられました。そこには住所やビザなどのあらゆる個人データが入っています。外国人は常に在留カードを携行していなければならず、もしその不所持が見つかると、最高20万円の罰金が科せられます。雇い主にもまた、雇用する外国人について、住所やビザ、雇用状況などの詳細を報告する義務が課せられました。
  日本中に存在する1787の市役所は、かつては外国人の暮らす地域において、多くの手続きを公的に取り扱う担当機関でした。けれども、市役所はもはやその機能を果たすことはできません。その代わりに、日本に全部で76しかない出入国管理事務所が、外国人に関するすべてのことを取り扱うことになりました。住所の変更、離婚といった結婚問題、転職などについて外国人が直ちに報告をしないと、処罰の対象となります。言い換えれば、法務省の入国管理局は今や、完全な支配権を握っているのです。
  入国管理局の見積もりによれば、日本には2011年に、9万から10万もの非正規外国人(78488名のオーバーステイ外国人を含む)が存在しているといいます。オーバーステイ外国人の数は、ここ5年間で半数にされました。そのほとんどはアジア諸国から来ており、韓国(19271名)、中国(10337名)、フィリピン(9329名)、台湾(4774名)、そしてタイ(4264名)です。
  非正規外国人が、もし警察や入国管理職員によって捕らえられると、実際には刑務所である入国管理センターに連れて行かれます。
  日本には主に三つの入国管理センターがあります。牛久(茨城県)、茨木(大阪府)、そして大村(長崎県)の三つです。さらにもう一つ、似たような大きな一時的なセンターが品川(東京都)にあります。数百人の外国人が収容されています。入国管理局には、8つの地方入国管理局があり、7つの支局、61の出張所があります。2012年現在、すべての入国管理局と支局、そして一つの出張所に収容施設が存在します。
  『壁の涙』という本が指摘するように、長期間の収容は、大きな問題です。入国管理法違反者に国外退去命令が出された後もなお、彼らは無期限に収容されうるからです。
  共同通信社の調査によれば、2000年から2004年の間に、23名もの収容者が自殺を試みました。

現在の日本の外国人人口

  現在、日本にはおよそ222万人の外国人が暮らしています。彼らの内、66万人(30%)が中国人で、59万人(27%)が在日朝鮮人です。

☟ 日本の外国人の割合(2013)
http://blog.ofjapan.jp/japan-and-highly-skilled-foreign-professionals/ (2014年6月21日)より
graph 1

graph 2

東アジアの移住

安藤 勇 SJ
【社会司牧通信178号2014年8月15日】

移住という現象は、現代では2億人以上の人々に関わる、世界的な人口移動です。1970年代に湾岸諸国で起きた石油ブームは、多くのアジア諸国で労働者たちが活発に移住するきっかけとなりました。絶対数として、中国、バングラデシュ、およびインドは、世界でもトップ10に入る移住国であると思われます。東アジアのフィリピンは約350万人もの移住者を抱えており、地域の中や外に移動する移住者にとって、今なお重要な起源国です(図1)。

graph 1 aug 2014
世界のトップ10の移住回廊地帯のうち、4つはアジア諸国に存在します。2005年には350万人もの移住者がバングラデシュ-インド間を利用しました。インド-アラブ首長国連邦間では220万人、フィリピン-アメリカ合衆国間では160万人です(世界銀行、2008年)。非合法移住はアジア地域の中でますます問題になってきています。バングラデシュ-インド間だけでも、約1700万人もの人々が関係していると思われます(図2)。

graph 2 aug 2014
教皇フランシスコの世界難民移住移動者の日メッセージ
2014年1月19日、世界難民移住移動者の日にあたって出されたメッセージの中で、教皇フランシスコはこう述べました。「私たちの社会は、これまでにない形で、世界規模で相互に依存し、関わり合っています」。

「私は今年の世界難民移住移動者の日のテーマを『移住者と難民、よりよい世界へ』としました」。「『よりよい世界』を築くとは何を意味するのでしょうか。このことばは、個人や家族の全面的な真の発展を求めること、そして創造物という神のたまものが確かに尊重され、守られ、育まれるようにすることを目標としています」。「教皇パウロ6世は、現代の人々の願望を次のように説明しました。『より大きな存在になるために、より多くのことを行い、知識を深め、より多くを所有すること』(回勅『ポプロールム・プログレシオ』6)」。

「人間への配慮が最優先され、霊的側面を含むあらゆる次元で人間が全面的に高められ、貧しい人、病者、囚人、困窮者、移住移動者を含むあらゆる人がないがしろにされることのないときこそ、よりよい世界が訪れるのです」。

「現代における移住の流れは、民族移動ではないとしても、人々の移動としては史上最大です。教会は、旅をし続ける移住者と難民に付き添うにあたり、移住の原因を理解するよう努めると同時に、移住がもたらすよくない影響を克服するために活動しています」。

「私たちは、様々な形で貧困が生じているというスキャンダルを見過ごすわけにはいきません。移住と貧困は結びついているのです。何百万もの人々がよりよい未来への希望を抱きつつ、または自分のいのちをひたすら守るために、貧困や迫害から逃れて移住することを選択しています。移住には、新しく、適切かつ有効な手段で取り組み、対処しなければなりません。そのためには、心からの連帯と思いやりの精神が求められます。教皇ベネディクト16世は次のように説明しています。『このような政策は、移民の本国と目的国との緊密な協調から出発すべきです』(回勅『真理に根ざした愛』62)。こうした協力関係は、各国が国内の経済や社会状況、雇用機会を改善させる尽力から始まることを強調すべきです。

「正しい情報を得、先入観を克服し、移住者や難民に対する態度を変える必要があります。人間の尊厳は、人は神の姿にかたどり、神に似せて造られたまさに神の子であるという事実に根ざしています」。
(教皇フランシスコのメッセージからの抜粋)

JCAP地域のイエズス会員と移住
KIbe Hall Buillding2009年のはじめ、アジア太平洋地域のイエズス会管区長会議(JCAP)は社会問題の地図作成を始めました。それはイエズス会員とその協働者が現在携わっている社会的関心を評価するため、そして国際協力の可能性を探るために始められました。「ソーシャル・マッピング・レポート」の最終結果からは、イエズス会員とその協働者が、アジア太平洋地域における社会的課題に広範囲に取り組んでいるということが明らかでした。

アジア太平洋地域の現状は、より合理的な戦略と、地域のイエズス会管区間のさらなる協力を必要としています。弱い立場に置かれた移住者の数、不平等な経済発展、軽んじられた人々への脅威、根深い対立、環境の不正、それらはますます増え続け、地域の緊急の課題となっています。そしてそれらは、イエズス会員とその協働者により大きな役割を要求しています。

事実として、「移住」と「環境保護および天然資源の統治」はアジア太平洋地域のすべての国に関わる、使徒的最優先分野であるとみなされています。しかしながら、それが有効であるためには、社会正義に関するイエズス会の取り組みを見直し続け、派遣の使命を帯びた国際共同体を築いていく協力的努力が必要です。実際に、貧しい人に付き添うことや社会正義に対して、イエズス会員の取り組みは不十分であったと思われます。その他の弱点も「ソーシャル・マッピング・レポート」によって明らかにされました。様々な使徒職の間、特に社会使徒職や知性使徒職といった分野の間で連携が不足していました。

アジア太平洋地域では、祖国の外で不安定に暮らしている人々の尊厳や人権は十分に尊重されていません。それには難民、国内避難民、非合法滞在者、移住労働者、人身売買の被害者など、すべての弱い立場の人々が含まれます。

Ignatian Advocacy Network August 2009

35年前に設立されたイエズス会難民サービス(JRS)は現在、強制的に追放された人々に注目しています。国際イグナチオ・アドボカシー・ネットワークは移住を重要な焦点のひとつとみなしています。さらにJCAPは、2009年8月、アジア太平洋地域における行動と連帯のための最重要課題として移住問題を選びました。日本では、イエズス会社会司牧センターを通じて、いくつかの仕事が移住労働者と共に行われています。韓国ではイエズス会移住者センターによって、台湾ではレールム・ノヴァールム・センターによって、そしてインドネシアではサハバト・インサンによって活動が行われています。フィリピンではUGAT機関が、移住労働者の残された家族と共に働いています。

JCAP meeting in Seoul 2011

通常提供される直接のサービスには、教育プログラム、法的援助、司牧活動および共同体形成、労働問題に関するサポート、避難所、あるいは物的支援などが含まれています。移住者にとって、職場での怪我、雇用者からの酷使や不公平な待遇への支援が、一般的にもっとも必要とされます。

発展途上地域を見ると、自然災害、あるいは人災によって移住を余儀なくされるケースが、アジア太平洋地域に共通してますます増えてきているようですえてきているようです。増え続けている移住配偶者という現象もまた、関心の領域です。

アジア太平洋地域にいる移住労働者、あるいはアジア太平洋地域からの移住労働者は、著しく大きなグループを形成しています。そのため、労働者を送る国と受け入れる国との間で、相互の努力がより一層必要とされています。組織化された情報と経験のやり取りは、イエズス会の結びつきを超えて、ネットワークを確実に改善し、発展させることができるでしょう。
移住の問題は、貧困、人権、開発援助、環境保護、自然災害、平和構築そして紛争解決といった幅広い領域と、強く結びついています。

2009年以降の具体的歩み
2010年8月、東アジアと太平洋地域のほとんどの管区を代表するイエズス会員の特別な集会が、インドネシアのクラテンで行われました。移住への焦点は、議論の主要な成果のひとつでした。アジア太平洋地域の移住という共通分野で、すべてのイエズス会使徒職が支持と取り組みを探り、発進国と受け入れ国の間の協力を促進することが重要であると考えられました。
2010年10月、「世界移住フォーラム4」の前に、29か国を代表する94人がエクアドルのキートに集まり、世界的レベルで移住に関するイエズス会の使徒的ネットワークを形作るだけでなく、行動と方法の優先順位を明らかにしようと試みました。私たちJCAP地域からは、3人の代表を送りました。移住によって引き起こされる挑戦は、イエズス会全体にとって、使徒的優先事項です。

2011年5月、イエズス会員と協働者から成る小グループは、東アジアのいくつかの国で移住労働者と共に働き、ソウルにおいて特別なセミナーを開いて、情報とネットワーク計画を共有しました最近では、今年の6月に行われた、移住について働くイエズス会機関の代表者(ディレクター)の会議において、JCAP移住ネットワークは勢いがついたように見えます。会議の場所はインドネシアのジャカルタでした。イエズス会のベニー・ジュリアワン神父がアジア太平洋地域における移住者のためのネットワークの頼りになるコーディネーターとして任命されました。それによって地域の中に強い協力がついに作られるとグループには感じられました。

ジャカルタの会議において代表を務めた私たちの機関は主に、移住労働者と非合法滞在者を取り扱います。そしてこれらの主要なグループを中心にして、3年間(2014~2017年)の活動計画が入念に練られました。参加者間のひとつの大きな関心は、地域のいたるところにいる移住労働者のリクルートと就職あっせんに強く影響を与えている仲介システムに取り組む必要でした。
相互協力の新しい具体的プログラムは、3年の間、限られた研究助成金を支払うことです。そして、選ばれたトピックは次の三つです。(1)移住者の子どもの幸福、(2)移住者の帰還と再び自国に適応する策、(3)移住の仲介システム。

私はイエズス会社会司牧センターによって活発に支持されている二つの主要な発展をここに加えたいと思います。一つは、足立インターナショナル・アカデミー(AIA)が2007年に創立されたことです。ここでは東京の郊外に暮らす移住労働者やその子どもたちが、日本語や日本文化などの基礎的教育を受けています。それから3年後の2010年には、社会司牧センターは移民デスクをオープンしました。それは、弁護士と協力して、移住労働者が日々の暮らしの中で直面している法的問題に対処するためです。その他にも、当センターは移住の問題は重要であると確信して、アジア地域のすべてのネットワークを促進している他のグループとの協力のため、いつでも開かれています。

イエズス会社会司牧センターの移民デスク

田山ジェシー、移民デスク (イエズス会社会司牧センター)
【社会司牧通信175号2014年8月15日】

Jessie Tayama 尊敬すべき読者の皆さまに心より挨拶を送ります。私たちの通信をご購読いただき、誠にありがとうございます。

私は田山ジェシーと申します。シンガポール出身です。日本人の夫と結婚し、神様のお恵みによって、現在17歳になる可愛い娘も授かりました。今から18年前の1996年7月、私は東京にやって来ました。シンガポールにいた時、私はいくつかの日本企業で働いていました。その中で日本の習慣を知り、日本語も多少わかるようになりました。そのため、はじめのうちは、私はすべてが順調にいくと思っていました。けれども日本に着いたとき、夫の大きな支えはあったものの、カルチャーショックや言葉の壁という、私が予想していたものとはまったく異なる現実に直面しました。

2010年10月、私はイエズス会社会司牧センターの移民デスクスタッフに加わりました。移民デスクは、このセンターの最も新しいプロジェクトのひとつで、現在開設から4年近くになります。これは今まで私が日本で働いた中でも、最もやりがいのある、そして価値のあるボランティアです。私はそれまで、日本で様々なボランティアをしてきました。例えば、耳の不自由な方々とコミュニケーションを取れるように、日本の手話を3年間学んでいました。また、ホームレスの街である山谷のマザーテレサホームでも、ボランティアとして3年間働いていました。しかしこれらのボランティアは、今私がしていることほど人々の暮らしや心に触れ、理解を深めるものではありませんでした。

移民デスクでは、外国人のために無料法律相談を提供しています。相談内容にはビザ、法的身分、国際結婚、家庭の事情、離婚、家庭内暴力(DV)、雇用、労働災害、交通事故、裁判、そして外国人に関するその他の法律問題が含まれています。申請者は30分間の無料相談を受けることができ、弁護士の費用はセンターが支払います。

弁護士と会う前に、まず安藤神父(移民デスク担当)と私が申請者のインタビューを行います。インタビューをするのは、事情をまとめて、焦点を絞るためです。インタビューをすることによって、申請者が法律相談をする必要があるのかないのか、あるいはもしかしたら他の場所を紹介した方が適切なのではないか、といったことがわかってきます。もし弁護士の相談を必要とするならば、インタビューの間に書き留められた内容のコピーが、弁護士へと渡されます。私たちの弁護士は、毎月第4月曜日にセンターに来て、午後1時から4時までいます。インタビューのために、申請者は外国人カードか住民票、パスポート、あるいはその他の適切な書類を持参する必要があります。それによって申請者をチェックし、彼らの身分を確認するためです。

2012年7月、フランシスカン・チャペル・センター(FCC)との協力が始まり、無料法律相談がFCCの建物でも、毎月第1日曜日の午前11時から午後3時まで受けられるようになりました。フランシスコ会のラッセル・ベッカー神父(FCCの主任司祭)は、信徒にとって何がベストなのかを常に考えている、心の広い司祭です。そして私たちを、彼らのパストラルケアサービスの一部として歓迎してくれています。私たちは信徒の方からも、あるいは外部の方からも、貴重な意見をいただくことができました。彼らはこう言ってくれました。「日曜日に人々のためにそのようなサービスを提供する教会を持つことができるなんて、なんて素晴らしいことでしょう」。

イエズス会社会司牧センターは、聖イグナチオ教会のすぐ隣にあります。ここも同様に、毎月第3日曜日の午前10時から午後1時までの間、無料法律相談のために開かれています。

正式には、私は毎週月曜日と金曜日に出勤しています。けれども何らかの必要があるときには、他の週日や週末であってもオフィスに来ますし、あるいは別の場所へ出向いていくこともあります。私は品川入国者収容所を訪れ、移民の方々が入国管理局、裁判所、役所などに行く際に付き添います。時々、私は移民の方のお宅を訪れたり、場合によっては彼らと一緒に外食をしたりします。

私は、2013年の10月にジェラルド・バリー神父が私に言った最後の言葉を覚えています。移民デスクで彼はこう言いました。「善い働きを続けてください」。バリー神父が昨年の12月27日に他界するまで、私は聖イグナチオ教会で数年間一緒に働いていました。彼はその時点で末期的な病気であったにもかかわらず、移民に対して大きな関心を示し、彼らを助けるためのありとあらゆる方法を試みました。バリー神父は13年間、府中刑務所のチャプレンをしていました。刑務所で男性外国人受刑者のためにミサをささげ、彼らの相談にも乗っていました。バリー神父は非常に心の優しい人で、彼に近づく人々のために、自分のできるすべてのことをしていました。

日本で暮らす移民としての私自身の個人的な経験かから、日本語にあまり堪能ではない人々にとって、日本での生活は過酷なものだと思います。特に言葉の壁によって、法的な援助やアドバイスを得たい、あるいは単に意見を分かち合いたい時ですら、一体誰に頼ればいいのかわからないのです。時に状況が私たちの能力のはるかかなたであっても、移民デスクが開かれ、そこで小さな救いの手を差しのべることができることに、私は幸せを感じています。

ケーススタディー:アジア太平洋地域の家事労働者

[ベニー・ハリー・ジュリアワンSJによる『アジア太平洋地域の家事労働者の概要』(2013年)を、安藤勇SJが編集]
【社会司牧通信178号2014年8月15日】

A case study_Domestic Workers in Asia Pacific

アジアならびに太平洋地域には、およそ2150万人の家事労働者が暮らしています(国際労働機関ILO、2013年)。それは現代世界の全家事労働者の、実に約41パーセントを占めています。しかしながら、この地域の中でも最も人口の多い二つの国、つまりインドと中国のデータは特に信憑性が低いように思われます。上のデータで目立っていることのひとつは、1995年には1380万人だった家事労働者が最新のデータでは2150万人に増加していることです。アジア太平洋地域が家事労働者の最も大きな雇用主になっています。この増加は、地域が経済的にも、また社会的にも非常に活発であるということを物語っています。このレポートでは、アジア太平洋地域の状況について焦点を絞ります。

実際、2030年までに、アジア太平洋地域の中流階級はヨーロッパのほぼ5倍、北米の10倍になるだろうと推定されています(プライスウォーターハウスクーパーズPwC、2012年)。中流階級の購買力は、家事労働者の需要をあおります。今日では多くの家庭がメイド、ベビーシッター、看護師、運転手、庭師を雇う余裕があります。しかしながらこれらの職業はアジアの発展した地域においては地元住民に敬遠されます。なぜならそれらは「三つのD」、すなわち汚い(dirty)、きつい(difficult)、危険な(dangerous)仕事だと思われているからです。地元住民に代わって、家事労働者はアジアの貧しい予備人員から成り立っています。アジアではおよそ18億人(総人口の54パーセント)もの人々が、一日2米ドル以下で生活していますしています(国際連合人間移住計画UN Habitat、2010年)。先進国では、家事労働者は発展途上の隣国出身者です。台湾は2012年に20万人の外国人家事労働者を雇いました。同年、香港は30万人です。韓国は16万3千人(2008年)、シンガポールは16万人(2013年)、マレーシアは30万人(2006年)です。これらの労働者の多くは、インドネシア、フィリピン、ベトナムから来ています。日本では、外国人家事労働者は日本人家庭のためではなく、ただ外国人家庭のためにのみ許されています。
アジア太平洋地域は急速な都市化を経験しています。アジアの人口比は、1990年には世界の31.5パーセントでしたが、2010年には42.2パーセントにまで上昇しています(UN Habitat、2010年)。そのような都市環境の中で、家事労働者は農村からの移住者で成り立っています。彼らは正規の経済の中に仕事を見つけることができず、その代わりに都市の労働の予備軍の一部となっているのです。そうして現在、彼らはアジアの都市に5億550万人ものスラム住人を生み出しているのです。

要するに、アジア太平洋地域の家事労働は、移住によってかなり特徴づけられているのです。その移住は、国境を越えるもの、あるいは農村-都市間の境界を越えるもの、どちらも含みます。これらの労働者は主に、先進国では労働力不足を補い、都市部では増大する家事労働者への需要を満たします。

偏見の壁
このレポートの冒頭で述べたように、家事労働はしばしば公的な統計には記載されません。この事実は、この種の仕事の弱み、特に法的な承認や保護の観点からの弱点を反映しています。先進国では、低い技能しか有しない移住家事労働者は、「臨時雇い」と呼ばれる体制を前提として、補助的労働力とみなされます。それが意味することは、移住労働者の存在は一般に臨時的であるとみなされ、彼らは市民、あるいは永住者となるために適格な権利も蓄えも有していません。
韓国は家事労働を職であるとすら認めていません。したがって外国人家事労働者は法律によって認められた規定からも除外されています。実際、アジア太平洋地域の全家事労働者のうち、61パーセントが国の労働基準法によって保護されていません(ILO、2013年)。香港ではすべての労働者の平等が認められているので、この件に関しては例外です。彼らは地元の労働者として、労働者の法的な権利と福祉を享受することを許されています。移住家事労働者は、もし新しい雇用主を見つけることができないのなら、雇用契約が切れてから2週間以内に国外へ去らなければなりません。まさしく、臨時雇いという制度は、短い、もしくは一定の期限付きの雇用契約、労働法からの排除においてはっきりと現れています。

臨時雇いはまた、本国と目的国、どちらにおいても支配人や仲介業者の手の中でもてあそばれます。多くの報告書が、移住労働者が悪徳支配人や密入国あっせん業者によって搾取されていることを指摘しています。このような非人道的な活動の根本原因は、雇用プロセスの複雑さの中に見出せます。国境を越えて労働者を募集し就職させることは、事務処理と官僚制度に関するある程度の知識と経験を必要とします。この二つの性質は、しばしば想定される移住者に欠けているものです。短期雇用契約は長時間労働を伴う家事使用人の範囲をしばしば超えて、新しい職を探し続けるということを意味します。したがって、彼らが支配人を頼るほかはないというのは、ほとんど自明なのです。それに加えて、本国の多くは移住労働者が外国に移住することを活発に推奨しますが、この役目から身を引いて、支配人に任せっきりなのです。

アジアの発展途上国では、家事労働者の供給は長い間大家族のネットワークに頼っていました。それ以外というのは、正式な雇用体系の外だったのです。

労働者あっせん所と市民社会
しかし、アジア太平洋地域の家事労働者はただただ無力な犠牲者であるという表現は、果たして現状を適切に表しているでしょうか。いいえ、違います。アジアの先進国における外国人家事労働者、あるいは移住家事労働者はいつも従順でおとなしかったわけではありません。彼らは可能な限りで、組合を組織組織し始めました。その最も成功した例は、香港に見られます。例えば、インドネシア移住労働者連盟(IMWU)、インドネシア移民労働者協会(ATKI)、Unifil(在香港フィリピン人連合)などには多くのメンバーが属しており、政治活動にも熱心です(Constable、2009年)。彼らはよりよい給料や労働条件、グローバル化など、社会正義のためのキャンペーンの中で、地元の組合やNGOと縁組します。

この話のもうひとつの側面は、多くの女性家事労働者が経験する社会的、広範な移動性です。家事労働は長い間、家庭の義務の一部であり、この義務のほとんどを女性が負っています。増大する繁栄は、自分の家における家事が今や他の誰かの家における有給の家事労働へと変化していることを意味します。女性は自らの家事を市場に売ります。それが都市部の、あるいは国外の家庭であったとしてもです。「故郷の主婦は家事を海外ですることによって、大黒柱となるのです」。
いくつかの国では、とりわけフィリピン、香港、台湾などでは、家事労働の課題に対する教会の対応が高く評価されています。アジア太平洋地域の修道会は、反人身売買というわずかに広いテーマのもとではありますが、家事労働者の苦しみに注意を払ってきました。

報告:東アジア・太平洋地域における移民労働者のイエズス会ネットワーク

安藤 勇 SJ

6つの国と東アジア・太平洋地域(JCAPアシスタンシー)で移taiwan6

民労働者のために活動しているイエズス会員と協働者の代表者グループが、6月の第一週に一週間ジャカルタ(インドネシア)に集まりました。JCAP地域での移民のために任命されたコーディネーターであるイエズス会のベニー・ジュリアン神父がこの会議を招集しました。その目的は、将来も活動を続けて、新たにイエズス会機関を取り込んでいけるよう、このグループを発展させることでした。特にベトナムとマレーシアのことが考慮されました。

3年間(2015 – 2017)実行計画が決定されました。この計画は、移民労働者と在留資格がない人たちに焦点を絞っています。人身売買の犠牲者たちを含むイエズス会難民サービス(JRS)の活動もまた取り組まれるべきです。JCAP地域において、主要な共通の関心事のひとつは、とても多くの移民労働者が悪影響を受けている現在のブローカー制度に注目する必要があるということです。

JCAP地域は、毎年何十万人もの移民を送る側の国と受ける側の国を含みますので、参加者は受ける側の国から送る側の国まで、そしてその逆においても、移民に不可欠な情報に関して親密な協力をしていくことで同意しました。協働者たちからなる新しいイエズス会のネットワークは、この3年間で代表とされた各国に与えられる研究補助金を決定しました。その研究テーマは、以下の通りです。a) 移民の子どもたちの福祉(2015) b) 移民の帰還と自国での受け入れ (2016) c) ブローカー制度(2017)。

この件に関するより詳しい情報は、次回の通信の記事で提供します。

東日本の災害の3周年を想い出にして

津波1今週は3.11の東北の歴史的な大地震・津波そして福島の3周年になりました。日本だけでなくて、世界中、様々なイベントが行われ、多くの人たちは黙祷と宗教的な行事でこの災害を迎えてきました。

ちょうど3年前、大地震が起きて2週間後、東京の小さなお聖堂で30人ほどの人たちが集まり、東北の被災者のためにミサの祈りを行いました。そこへ陸前高田から帰ってきたばかりの一人は参加していました。彼は生々しい現状を報告してくれました。
そして、その中でいまだに忘れられない発言がありました。「どうして神様はこれを許したのか。何も罪のない人たちには…」私にそれが叫び声のように聞こえました。皆が黙っていました。答えが見つからなかったわけです。

それ以降、私は旧約聖書のある本が好きになり、度々読んでいます。その本は「ヨブ記」と呼ばれます。今でもそれを手にしてゆっくりと読み、祈りの材料にしています。ヨブという人物は大変恵まれた生活の中で、神様への熱い信仰の持ち主でした。ところが、ある日突然、家族も財産もすべて失い、奥さんと2人だけが残り、とうとう健康も衰えました。苦しい毎日の中で、まだ神様を強く信じていた彼に対して、奥さんから批判を浴びて見捨てられました。「こんな不幸が続いて、まだ神様を信頼しているのか」と。

ヨブという人物が存在したかはっきりしません、しかし、この本を記された著者は大変苦しい体験の持ち主だったに違いありません。

黙って、苦しんでいる人たちの声に耳を傾けることはとても大切だと教わりました。

東北の方々のためにお祈りを捧げます。 (by 安藤、イエズス会社会司牧センター)

オーストラリアでのカルチャーショック

小暮 康久 SJ
【社会司牧通信175号2014年2月25日】

叙階後、昨年春に上智大学での神学研究を修了し、イグナチオの霊性を勉強するためにメルボルン(オーストラリア)に来て、10ヶ月が過ぎようとしています。これまでの養成の期間にも、様々な国々-インド、韓国、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどの他のアジアの国々や、加えていくつかのヨーロッパやラテンアメリカの国々-を訪れ、異文化を体験する機会がありました。それらの異文化体験のすべては、それぞれに気づきや視野の広がりをもたらしましたが、ここオーストラリアでも、以下に述べるような点で、固有のカルチャーショックを体験しています。

 まず、こちらで体験した中で一番印象深いことは、オーストラリア人の労働観というものです。それは彼らの休暇の取り方ということにも関係しています。一例をあげてみたいと思います。今、オーストラリアは夏季休暇の季節の真っただ中にあるのですが、彼らの多くは、クリスマスの前から1月末まで、少なくとも3週間かそれ以上の夏季休暇を取ります。オーストラリア人にとって、家族や友人などの大切な人たちと一緒にこの数週間を過ごすことはとても大切なことです。オーストラリア人にとって、休暇にはとても大切な意味、特別な価値があります。“休暇”は最優先事項です。ここでは、“休暇”という言葉には、まるで水戸黄門の印籠のような権威があります。

休暇を取ることに関しては、日本の労働者の状況とはまったく異なります。オーストラリア人にとって、休暇の文化は彼らの労働観を表すものです。こちらではしばしば、“人生(生活)の質quality of life”(※)という表現を耳にします。私たち日本人もこの同じ表現を使い始めてはいますが、しかし“ブラック企業”における長時間労働など、まだまだ過酷な労働条件が根強く残る日本においては、“人生(生活)の質”は、依然として理想の域に留まったものと言えるでしょう。しかし、ここオーストラリアでは、この「人生(生活)の質」という価値観は、個人の考え方やスタイルだけでなく、社会のシステムにまで、共通の価値として浸透しています。オーストラリア人はいつも、仕事と休暇の適切なバランスというものを考慮しているように見えます。“働きすぎ”はここでは決して称賛されることではありません。何故なら、それは、家族と時間を過ごすというようなもっと大切なことを犠牲にしていると見なされるからです。こちらに来て、週末になると、街のどんな小さな公園でも、どれほど多くの父親たち(もちろん母親も一緒)が子どもたちと遊んでいるのかを見るにつけ、その光景に深く考えさせられます。

さらに、このほかにも、オーストラリア人の労働観を示すものがあります。一例をあげるならば、私はこちらに来て、オーストラリアの最低賃金が時間当たり$16 (¥1600)であるという事実を知った時は本当に衝撃を受けました。はじめは信じられませんでした。何故なら現在の日本での時間当たり最低賃金はオーストラリアの約半分の¥750で、なおかつ(非正規雇用の拡大など)さらなる賃金の削減の議論が続いているからです。

外食産業(街中の個人経営のアジア系レストランなど)に見られるようないくつかの例外はあるにせよ、実際に、オーストラリアの労働条件は、日本やアメリカ、イギリスなどの他の先進国と比較すると相対的によいと言えます。それ故に、私が出会った友人たちも含めて、毎年、多くの留学生がこの良好な労働条件を求めてやってきます。ある留学生たちは、すでに母国で、専門の技能職や職業-例えば看護師など-に就いて
いるにも関わらず、こちらで同じ仕事を得ようとやってきます。それは母国での労働条件との違いのためです。“人生(生活)の質”にとって、より多くの賃金を稼ぐことだけではなく、仕事と休暇のバランスも大切であることを彼らは知っているのです。この労働観がオーストラリア社会に根付いた価値であることを、この留学生たちの数が示していると言えるでしょう。

それぞれの国は、それぞれに異なった極めて固有の条件下にありますし、浅薄に比較することは適切ではないことは十分承知の上で、それでもなお、“人生(生活)の質”という価値観が、どの国においても、人間を幸せにするものだと強く感じさせられています。


※生活水準(英: standard of living)とは違った概念。ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指すもの。つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念。

イエズス会ベトナム管区のソーシャル事務局

社会司牧サービスのためのアルベルト・ウルタドセンター
マイケル タム SJ (AHC責任者、ベトナム)
【社会司牧通信174号2013年12月20日】

私たちはどのようにしてベトナム人イエズス会員の社会使徒職の歩みを語ったらいいでしょうか?私はスペイン人イエズス会員、Fernando Larranaga神父(1917-2013)の1975年からの話でもってはじめたいと思います。

1975年4月30日、ベトナム共産主義軍の戦車は、南ベトナムの大統領官邸の重たい門に衝突し、これを破壊しました。この時が、30年以上続いたベトナム戦争の終わりでした。北ベトナムと南ベトナムは一つの国に統合されました。それ以来、ベトナム全体は、新しい共産党政権のもとでの生活が続いています。

ベトナムで起きたことは、共産党が政府を維持していた時代の旧ソビエト連邦や中国で起きたことに似ています。南部の多くの人たちは刑務所や、強制労働のためにへき地に送られました。彼らは前政府の役人や軍人、そして多くのカトリックの司祭でした。新共産党政権は、彼らを重労働によって教育しなおす必要があると考えました。

新政権はまた、カトリック教会やNGOによって実行されているいかなる奉仕活動をも怪しんでいます。新政権は、NGOに社会的な奉仕活動に参加してほしくなかったのです。

ベトナム戦争以後の時代には、ベトナムはますます貧しくなっていきました。新ベトナム政権は共産主義同盟諸国から過去に受け取ってきたものを、返済しなければならなかったのです。そのとき、あるベトナム人司教がLarranaga神父にベトナムをサポートしてくれるよう頼みました。結果として、1984年、Larranaga神父は「ベトナムへの援助Aid to Vietnam」(ATV)という事務局を香港に開設し、彼は最初の責任者になりました。1994年、彼は事務局をマニラ(アテネオ・デ・マニラ大学の敷地内にあるソノラックスビルの中)に移し、そして名称を、JCEA(イエズス会東アジア管区長会議Jesuit Conference of East Asia)(*) 傘下の「ベトナムサービス事務局Vietnam Service Office」(VS)に変更しました。VSの目的は、孤立していたベトナムのイエズス会地区とイエズス会総長の架け橋になることと同様に、福音宣教、教育、社会開発という3つの主要分野のためのプロジェクトをサポートすることによって、ベトナムを支援することです。Larranaga神父は、ベトナムで多くの地域の小教区司祭とシスターたちとのネットワークを通して、社会活動を続けることができました。

(*)JCAP(Jesuit Conference of Asia Pacific)の旧名VSの仕事は、もう一人のスペイン人イエズス会員、Felipe Gómez神父(1996-2008)によって続けられました。Larranaga神父とGómez神父の目立たない長期間にわたる仕事は、大いに成果をあげました。多くのプロジェクトがベトナム中に行われました。たくさんの貧しい人たちはサポートを受け、彼らの生活は変わりました。2007年に、VSはベトナムへと移され、「社会司牧サービスのためのアルベルト・ウルタドセンターAlberto Hurtado Center for Social and Pastoral Service」(AHC)という新しい名称になりました。ベトナム人イエズス会員マイケル・タム神父(筆者)は、現在、Gómez神父の後任者です。

ベトナム南部の多くの人たちと異なり、ホーチミン大司教区のPaul Nguyen Van Binh故大司教は、1975年4月の出来事は、ベトナムカトリック教会を、以前の富(多くの学校、病院、多くの社会センター)から浄化した、という見方をしました。ベトナム南部のカトリック教会が事実上、ほとんど全ての財産を失ってしまったとき、教会はより霊的になり、そして何よりも誰よりもまして神様を頼りにしたのです。さらには、ベトナム南部が共産主義者によって解放されたとき(共産主義者たちはいつもそのように言います)、ベトナムのカトリック信徒は、共産主義者や彼らの無神論的な考えと対話する機会が与えられました。そして、ベトナムカトリック教会の社会奉仕活動は成果を上げながら続けられたのです。

1980年後、若いベトナムのイエズス会地区はキリストの苦悩を経験し始めました。つまり、全ての外国人イエズス会員はベトナムから追放され、ほとんどの若いイエズス会司祭たちは牢獄に入れられ、全てのイエズス会の建物は差し押さえられ、そして若い神学生は養成施設も、養成の指導者もなくしてしまったのです。ベトナムのイエズス会地区は2005年まではアンダーグラウンド化しましたが、ついに2007年、イエズス会の中で最も若い管区であるとみなされました。今では、神様はベトナム管区に大変多くの召出しを与えてくださいます。現在、ベトナム人イエズス会員の数は197人ですが、その5分の4は、養成期間中なのです。

2007年にマニラからサイゴンへ住所を移したAHCは現在、多かれ少なかれ、Gómez神父の時代と同じ社会活動をしています。大変多くの若いイエズス会員を抱えているベトナム管区は、優先的に彼らの養成を行っています。それにも関わらず、AHCに常駐しているイエズス会員の数は二人だけです。一人の司祭と一人の中間期生です。このようなヒューマンパワーを欠いた状況の中で、AHCは現実的には、寄付者とベトナム人司祭と社会開発のプロジェクトを実行しているシスターたちとの架け橋になることを引き受けねばならないのです。社会開発の多くのプロジェクトにおいて他の人たちと共に働くことは、今では、AHCの一つの強みです。

AHCが始めた一つの新しい活動は、ソーシャルワーク、社会開発、そして社会正義の喚起に関するワークショップセミナーを組織することです。AHCはカリタスベトナムや他の修道者や司祭とのネットワークと連携して活動しています。このような協力関係は、単にヒューマンパワーの欠如という理由だけでなく、最新のイエズス会総会の教令(第34回総会「一般信徒との協力」、第35回総会「ミッションの核心における協働」)に応えるためでもあるのです。

Larranaga神父とGómez神父がされた前の仕事は、ベトナムで続けられるべきです。イエズス会ベトナム管区の社会使徒職の歩みは、他のベトナム人イエズス会員からもまた伝えていく必要があります。AHCはより多くの若いベトナム人イエズス会員が基礎的養成を終えるまで、持ち堪えなければなりません。他方で、他の管区のイエズス会員や他の人たちとの協力関係は、AHCにとっては、現実的な事柄ipso factoなのです。

どうぞ遠慮せずに私にいつでもご連絡ください。AHCの仕事に関心を持っていただきまして感謝いたします。
Email: mitasj@yahoo.com

ヘイトスピーチと和解の対話

村山 兵衛 SJ (神学生)
【社会司牧通信173号2013年10月15日】

新大久保や鶴橋などで排外主義、レイシズムなどと呼ばれる「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)を行うデモが今年も何度もあった。しかし、ニュースや国会で話題になり危機意識も高まる一方で、議論の焦点が不透明化し始めている。そもそも、ヘイトスピーチをめぐって何が見失われているのか。万人がもつ尊厳を守り、ゆるしと和解のために対話の可能性を信じることを、私たちは決して忘れてはならない。

人種や性別を理由に差別をかき立てる言動、ヘイトスピーチは、ドイツではナチスの反省から「民衆扇動罪」として処罰される。が、日本は個人に特定化しえぬ名誉棄損として処罰せず、法規制を行なっていない。現場に居合わせた人なら、数百人からなる小規模なこのデモ活動の恐ろしさがわかる。排外デモ集団の主張は、在日コリアンの特別永住資格や生活保護制度などに対する不満である。彼らは日本の占領同化政策で過酷な歴史を背負う在日コリアンの複雑な背景を「在日特権」と一括りにし、民主主義、表現の自由の名で差別的発言を堂々と行う。デモ集団の実態は、インターネット上の匿名活動で発奮した一部の「ネット右翼」といわれるが、在日コリアンに「帰れ」「どの朝鮮人も皆殺しに」と叫ぶのは、もはや嫌がらせを越えた迫害である。

問題は政治レベルでも膨張している。竹島や尖閣諸島の領土問題、従軍慰安婦をめぐる歴史認識は、国益や愛国心によって対立が助長される契機となっている。メディアはそれを掻き立てる。政治抗争や国の利害ばかりが問題とされ、人間どうしの真の平和や和解も、勝者の歴史から消された涙や叫びも顧みられない。つまり、危機意識は曇るが、危険は増大しているのであり、現状では日本政府は差別発言を結果的に容認してしまっているのである。さらには、人権尊重を教える教育現場と、社会的強者がものをいう商業社会とが、全く乖離する構造の中で、若者にも甚大な影響が及んでいる。

排外デモとともに、対抗デモも広がっている。差別行動には断固として「ノー」と言わなければならない。しかし、排外デモを主導する在特会の「殺せ」「出ていけ」などの罵声が拡声器で飛び交う一方で、差別反対を訴える善意の人々の中に、大声で「お前らこそ死ね」と叫ぶ一団も存在するという現実。差別的な嫌がらせに同じ嫌がらせをもって対抗していいはずはない。「仲良くしようぜ」という対抗デモのスローガンは、差別の犠牲者に共感・共苦してはじめて真実味を持ちうるのではないか。

現在、デモは小康状態の様相である。在特会、対抗派の双方で逮捕者が出て、政治家からも自粛や法規制の訴えが起こっているからだ。しかし、問題の根は法規制にあるのだろうか。あらゆる法規制、裁判制度は紛争解決のためのシステムとして考案され、歴史の知恵として適応・修正を重ねながら機能してきた。在特会の「法が禁じていない抗議をやって何が悪い」という主張には、根源的な価値基準が欠如している。

ヘイトスピーチ問題で見失われたものとは何なのか。傷つけられ涙する人間である。国家の威信や愛国心の陰に隠れてしまった人間の尊厳である。それは、誰もがただ人間というだけでともに生きる資格を持つと認め、全体主義、民族浄化を拒否し、対話による相互理解・和解の可能性を諦めない忍耐強さである。暴力的表現は、たとえ制裁活動に用いられても、この人間的尊厳を破壊する。だから私たちは、己の人間らしさと他者の尊厳を守るため、そして将来に人間の根源的価値を伝えるために、ヘイトスピーチに「ゆるしと和解」の手を差し出し続けなければならない。言論による人間性の剥奪は、自由でも表現でも民主主義でもない。根絶すべきなのは、憎しみである。

キリスト者はどう答えるのか。ゆるしと和解の使信は、カトリック教会から発信され続けており、紛争の絶えない地域で教会指導者たちが和解を求める祈りと活動を展開している。我が国のヘイトスピーチ問題についても、国外の教会から対話と祈りを求める声が届いている。教皇フランシスコは今年9月7日を「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」と定め、全教会とすべての善意の人々に参加を呼びかけた。これは、平和への道が神の裁きや聖戦ではないことを明らかにしている。神の呼びかけのしるしは、信じてそれに応答する人々に他ならない。争い絶えぬ社会で和解への対話を模索することこそ、憎しみを根絶し、人の尊厳を救う唯一の道ではないか。

止まったままの時間 ~福島からの報告~

片柳 弘史 SJ (イエズス会教会使徒職協働推進チーム)
【社会司牧通信172号2013年8月15日】

「参加条件40歳以上の男女」、福島でのボランティア活動の募集要項の冒頭には、長い間この条件が掲げられていました。つまり、福島は放射能で汚染されているので、若者をボランティアとして受け入れることはできないということです。ですが、赤ん坊からお年寄りまで数十万人の人々が現に福島で生活しているという事実を考えるとき、このような制限を設けるのは理不尽ではないかという声があがりました。そうした声を受けて、この春から冒頭の条件は削除され、代わりに次の説明が付されることになりました。

「放射線の低線量被ばくによる健康被害は絶対に安全または危険とは言えず、万人に通用する安全基準はありません。自己判断、自己責任でのボランティア参加をお願いします。」
(判断材料として、国際協力NGOセンターの資料が付されています。)

つまり、放射能の危険を冒してまで福島に入るかどうかは、自分で判断するようにということです。この変更を受けて、イエズス会教会使徒職協働推進チーム(JPACT)では、今年5月に各地のイエズス会が担当している小教区や学校から若者たちを募集、ボランティア・ツアーを実施しました。危険を冒しても、いま現に「放射能汚染地帯」と呼ばれる福島の地で生活する赤ん坊、子ども、若者、お父さんお母さんやお年寄りに何が起こっているのか、彼らが何を感じているのかを自分の目で見届けたい、彼らの苦しみに少しでも寄り添いたいと願う若者は多いに違いないと考えたからです。

この記事では、参加してくれた若者たち、またスタッフとして同行したわたしたちが何を見、何を感じたかをご報告したいと思います。

まずは、JPACTのスタッフで、今回のボランティアに同行してくれた山本紀久代さんの詩から。

薄緑の木々、桜色の花、鳥の鳴き声、かすんだ空のどかな春の景色

でもだれ一人田んぼに人影はなく
よく見ればその田んぼにはいく台もの車が横たわり、放置され
なんと漁船までがころがっている

第1原発から6㎞のところにある校舎は
2年前まで子どもたちの歓声にあふれていた
今では無残に天井がはがれ、床は落ち
海からの強い風だけがその住人
その風に乗って放射能はどこへ運ばれて
いくのだろう

発電所に通じる国道には
おびただしい数の警官が待機し
だれを探しているのか
なにを恐れているのか

ゴーストタウンというものは
広大な大陸だけにゆるされるものと思っていたのに
目の前には打ち捨てられた駅
打ち捨てられた町
駅前の看板がはげかけたペンキで語りかける
「安心して暮らせるやさしいまち」と

この国はどこへ行こうとしているのだろうか
わたしにできることはあるのだろうか
不安ともどかしさの塊りをかかえたまま
わたしはフクシマを離れた

今回わたしたちはカリタス・ジャパン原町ベースに滞在し、そこから社会福祉協議会を通した灌木伐採、家の片づけなどのボランティア活動に参加しました。その合間に、ベース・スタッフの案内で、原発から10キロ圏内にある浪江町請戸地区を視察することもできました。今年4月の避難指示改編によって「避難指示解除準備区域」に指定され、昼間の出入りが制限つきで許可された地区です。山本さんが書いて下さった詩は、そのときに彼女が目撃した光景を描いたものですが、わたしたち全員が見たこと、感じたことをとても的確に表現してくれていると思います。わたし自身は、「『時間が止まる』とはこういうことなのか」と身を以て実感しました。

次に、今回の参加者の中で最年少、医学部で勉強している学生の杉野健太さんが寄せてくれた感想の一部をご紹介したいと思います。

「なぜ福島に行ったかというと、福島の現状をこの目でこの体でこの心で確かめたかったからだ。去年のゴールデンウィークには岩手の釜石へ、今年の3月には南三陸と気仙沼に視察に行ったが、福島を訪れるのは初めてであった。

福島には放射線量が高いために復興が進まず、2年前の3月11日15時38分に津波が来たときそのままの状態で時が止まっている地域があった。この地域を訪れたとき、あまりにも悲惨な状況で言葉を失ってしまった。岩手や宮城では着々と復興が進んでいる地域があるのに、この地域はなぜまだこんな状態なのか。福島の現状をこの身で思い知った瞬間であった。

しかし、福島ではボランティアの数がどんどん減っているのが現状のようだ。放射線に対する偏見のせいで福島を避けている人がたくさんいると思う。だが、レントゲンを一枚撮るだけで6.9mSv、放射線量が高いと言われている飯舘村は、0.55μSv/h、一日24時間いたとしても、13.2μSvなので、一日ボランティアしたとしても、レントゲンの600分の1程度に過ぎないということではないのか。確かに、どれほど人体に害があるのかは専門家でも意見が分かれているし、私にも分からない。けど、福島には自分の故郷を愛し、そこに戻りたいと思っているのに、ちいさな仮設住宅で暮らすことを余儀無くされている人がたくさんいる。そういう人の苦しみを感じて、少しでも力になりたい!そういった善意と熱意をもった人が全国各地からたくさん集うことを切に願っている。身内を亡くされて、傷ついた方に少しでも生きる希望を持ってもらえるような働きかけをするのもボランティアの役目だと思う。ボランティアにはいろんな形があると思う。一人の力ではどうすることもできないし、少ない人数では時間がものすごくかかる。ボランティアが継続的に長いスパンで何百人何千人何万人と集うことで、福島は必ず復興の兆しが見えてくると信じている。

現在は、福島に行く前の自分のように、福島の現状を知らない人が多すぎる。自分と同じくらいの年代の若い力が必要とされていると思う。たくさんの人がこの福島の現状を知り、自分も少しでも福島の復興の力になりたいと善意と熱意をもってボランティアに参加してくださり、福島の復興に繋がることを願っている。また、福島に観光に行ってお金を落とすだけでも、福島のためになる。これを読んで下さった方が少しでも福島のことを考えるきっかけになってくれたら幸いだ。」

医学生らしい使命感に燃えた杉野さん。参加者のうち最も若い彼の口からこれほど前向きな言葉を聞くことができたのは、本当に大きな喜びです。次に、小学校の教員をしている六甲教会信徒、吉村光基さんの感想文です。

「私は現地での活動を通して、自分自身が福島のことを忘れてしまっていたということを思い知らされた。もちろん、ニュースなどで福島における今の状況をある程度は知っていたが、でもそこで暮らす人たちの思いや気持ちに対して敏感であったかというと、そうでもない。むしろ、東日本大震災後も私が暮らす町は平穏そのもので、私の生活自体何も支障をきたすことなく動いていて、そういう意味で福島のことを私は忘れてしまっていたと思う。

また、久々に『ボランティアって何のためにやるのか?』なんて考えた。同じ東北でも福島の置かれている状況は他とはまた違う。瓦礫を除去したら住めるわけではない。放射能という目に見えない壁がある。ボランティアに行く人も他より少ないし、風評被害もまだまだある。差別的な発想も。この目に見えない壁、何とかならないかなぁと考え、少し気が重くなりながら帰った。

私に出来ることの一つは『伝えること』である。私は今、仁川学院小学校で6年生の担任をしている。連休明けに授業の時間を使って子どもたちに話をした。また、学級通信にも福島のことについて書いた。

保護者の方と話す機会があって、ある保護者は『私も福島のことを忘れていたように思いました。出来る限りの支援がしたいです。』とおっしゃっていた。また、保護者の一人は『今度、主人と福島の方へ旅行に行ってきます。大したことは出来ませんが、観光をして現地でお金を使うことも一つの支援かなと思ったので…。』と、わざわざ電話で伝えて下さった。とても嬉しい話だった。この『伝える』ことが枝葉となって広がりを持てば、何か状況が変わっていくのではないかと思う。」

自分の目で見、肌で感じてきたことを精力的に伝え、福島の人々と連帯していこうとする吉村さんの積極的な姿勢に感銘を受けます。次に、六甲教会の教会学校で活躍してくれている青年、久保信人さんの感想をご紹介したいと思います。

「ボランティアの行先を決める前に、はじめに、社協を代表して会長さんがご挨拶されました。『昔から代々続き、文化の町として歩んできた町が、あの日を境に大きく変わりました。皆この町を追われましたが、避難区域の解除等で少しずつではありますがボランティアの方の力をお借りして、この町を何とかしたいと思っています。皆さんが小高地区を救って下さいます。』と熱い思いと感謝の言葉をいただきました。作業は、依頼のあった方のお家に出向いて、家屋と庭の清掃を行いました。作業初日は、午前中だけ作業を行い、原町ベース・スタッフの案内で、福島第1原発に近い海岸や浪江の町まで向かいました。人の立ち入りを制限した区域になるので、警察の検問やガードマンによる通行車両の確認など物々しい雰囲気でした。福島第1原発が見える距離にある小学校に入ってみると、グシャグシャになった教室の黒板に卒業生の残したメッセージが書かれていました。その中でも特に目に留まったのは『必ず復興する!』という文字。変わり果てた地域を何とかしたいという地元社協のスタッフの方、同じ家にもう1度住みたいと願う地元の方、そして、この学校の卒業生のメッセージ。『皆、この町が大好き』という思いを強く感じました。」

子どもたちを愛してやまない久保さんらしい感想です。わたしも、黒板に書かれた字を見ながら、子どもたちのために祈らずにいられませんでした。

福島と関わるとき、わたしたちはいくつかの選択肢の中から立場を選ばなければいけません。おおざっぱに言えば、次のような選択肢が考えられるでしょう。

1. 放射能に汚染された福島は、人間の住むべき場所ではないとする立場。その立場から、一日も早い全面避難を政府に求め、住民にも自主避難を促していくことこそ、本当の福島支援。いわゆる「復興」は100年先の話。

2. 今回の事故による放射能汚染は、人体に影響を与えるレベルではないとする立場。その立場から、政府の基準を満たした地域への住民の帰還、地域の復興を積極的に推進していく。

3. 放射能の影響がどう出るかは分からないけれども、現に人々が福島で暮らしている以上、その人々に寄り添っていくという立場。現地に出かけ、あるいは密接に連絡を取り合い、人々と喜び、悲しみを共にしながら将来を模索していく。

 わたし個人としては、3の道を選びたいと考えていますが、皆さんはどうお考えになるでしょうか。この報告が、皆さん自身の考えを深めるためにお役に立てば幸いです。

ミャンマーでのミッションにとって挑戦の時代

マーク レーパー SJ イエズス会アジア太平洋協議会議長
【社会司牧通信171号2013年6月15日】

アウンサンスーチーが公の場に自由に姿を見せることができるようになった時、何百人という政治犯が釈放され、反体制者が海外での亡命をやめて自由に故郷に帰ることができるようになった時、言論弾圧や制裁が解除され、選挙が行われた時、そして議会が新しい憲法を立案するために開かれた時、多くの人は、戦いに勝利したと考えたかもしれません。しかし実際には、ミャンマーを再建するという仕事は始まったばかりです。

残忍な失政とひどい指導力だった半世紀の後、無数の憤りが煮えたぎっています。教育、医療、社会福祉、そしてインフラ整備を怠ってきた数十年は、すぐに克服されるはずがありません。独裁政治が自分の国の市民たちの統制を緩和することで、人びとは苦しんできた危害や不正に抗議する機会をつかみます。自己表現がより普通になるにしたがって、力のある民族的、宗教的、文化的枠組みが明らかになり、狂信的行為、民族的な不一致、そして古い妬みが再び現れます。

MyanmarロヒンギャRohingyaの扱い、ミャンマーでのイスラム教徒に対して拡大する攻撃への反応、カチン州での戦争の平和的解決を成し遂げる度量、そして多くの民族的・人種的集団間で、調和を見出す能力は、テイン・セインの新ミャンマー体制だけでなく、現在この国での新しい投資の可能性に、蜜月のような期間を過ごしている多くの国や企業という、新しく見つけた友人たちをも試すことになります。このような状況の中で、新しい社会的制限、新しい交渉の技術、共同体を構築するための、そして環境を保全するための努力が、大いに必要とされています。

ミャンマーの教会は、新しい機会と挑戦に目を覚ましつつあります。神学校や幼稚園は別として、わずかな公的サービス、権威者や他の宗教から、必要な孤立状態の歴史があって後、教会はこの市民社会に参加することを学び始めました。今、教会の指導者たちは、社会の多くの分野にまたがって、友情や信頼を発展させ、交渉する機会を持っています。

このような状況にあって、ミャンマーにおけるイエズス会のミッションにとっての挑戦もまた大きいのです。施設を建てるには早すぎるかもしれませんが、人びとや養成に力を入れることは早すぎるということはありません。最近、ミャンマーのイエズス会員は、すべてのイエズス会がミッションにどのように協力し、サポートできるかを相談するために、数人の管区長訪問を主催しました。管区長たちは、ミャンマー内での発展、挑戦、機会のアウトラインを描いている教会や市民社会のメンバーたちと会いました。

相談では、教会への私たちの奉仕、ミャンマー社会へのアウトリーチ活動、そして養成や統治といった内部の課題について熟慮されました。

30人以上の養成中のミャンマー人イエズス会員がおり、彼らの多くはフィリピンやインドネシアで勉強しています。人々への奉仕に、数年間、実際になじむために、彼らのかなりの数が今年には戻ってくるでしょう。ミャンマーにおける、今後数十年の間の挑戦の時代には、多様な技術の質、識別、規則、深い自己認識が、彼らにおいてだけでなく、コミュニティ作りに献身する全ての人に要求され、若い人には才能、社会には調和が求められています。

キリストの復活が新しい光と夜明けという希望を切り開いた今、孤立と圧制という長くて暗い夜から、現在脱しつつある国に奉仕しようとする、巣立ちしたばかりのミャンマーミッションのために、祈りと実際的な支援をもって、一緒に参加をお願いします。

ビルマ人として日本に生まれて

テュアン シャンカイ
【社会司牧通信171号2013年6月15日】

初めまして。私の名前はテュアン シャンカイと申します。私の両親は、1991年にミャンマー本国で行ってきた、反政府活動に対する迫害の恐れがあり、日本に亡命してきました。よって私自身は日本で生まれました。現在は関西学院大学の総合政策学部で、主に公共政策を中心に勉強しています。

私は1993年10月6日に、新宿区の聖母病院で生まれました。当時私の両親には在留資格がありませんでした。母親は外国人登録証すら持っていませんでした。母親は日本に来た際に、ブローカーにパスポートを取られて、半年以上経ってから返してもらいましたが、その時には既にビザも切れており、自分が日本に入ってきた時のビザではないものとすり替えられていました。妊娠した時に区役所で登録証も何もなかったので、母子手帳ももらうことさえ出来ず、検診を受けていた病院から英語で書かれた母子手帳を頂きました。私が生まれた所が新宿区だったため、新宿区に出生届を出すように言われました。言葉もやり方も何も知らなかった父親が、新宿区に出生届を出しましたが、その後の手続きに関しても何も分からないまま私は育っていきました。

Burmese Tuan Sian Khai両親はミャンマー国籍なので、私のためにミャンマー国籍を認めてもらうために、大使館にもお願いしに行きましたが、高額の税金を請求されました。当時の両親は、生計を立てるのに必死であったために、払う事が出来ませんでした。また税金と言うのも不当な税金であったために両親も支払う事を拒みました。加えて両親はミャンマー本国で反政府活動を行に私のミャンマー国籍は認めてもらうことが出来ませんでした。それで国籍の手続きさえも大使館は何もしてくれませんでした。よって私にはミャンマー国籍を証明するものがないため、自分の外国人登録証を作ることも出来ず、区が無料で行っている予防注射や検診などにも行くことが出来なかったので、民間の病院で多額の費用を払って予防注射を受けていました。

やがて幼稚園に入る年齢になりましたが、両親は何も出来ませんでした。しかし、チン民族の知り合いが保護者になってくれて、その人の家の近くの東京都大田区蒲田にある幼稚園に1998年から2000年まで通うことが出来ました。とはいえ、当時私たち家族は大田区の田園調布に住んでいましたので、毎日電車で通わなければなりませんでした。幼稚園を卒業すると、同じ敷地にある新宿小学校に入学することが出来ました。入学するに当たって自分の外国人登録証も発行することが出来ましたが、国籍の欄には無国籍と記載されていました。2004年に、難民申請をした際に入国管理局から、両親がミャンマー国籍であるから、息子にもミャンマー国籍と書き直しなさいと言われたので、言われたまま役所に行って国籍欄を変えてもらいました。確かに私の国籍欄にはミャンマーと記載されましたが、法的に自分の国籍を証明する書類は何もありません。そのため私は事実上の無国籍者です。

今日に至るまで、私は国籍というものを持っていません。現在私は大学生になりましたが、今後の将来について非常に不安です。まず私は自分自身の中で、私は何者であるか?についてどう答えるべきかわかりませんし、答えも見つかりません。加えて両親はミャンマー国籍ですが、仮にミャンマーの情勢が良くなって、両親がミャンマーに戻った場合、ミャンマー国籍を持っていない息子である私はどうしたらいいのか、家族が離れ離れになってしまう恐れも充分にあります。また例えば自分が今所持している再入国許可証で留学に行けたとしても、留学先でトラブルに遭遇した場合、私はどこで保護を求めればいいのか、ミャンマー大使館に行っても国籍を証明するものはないですし、日本大使館に行っても再入国許可証は日本国籍を証明するものでもないので、私はどうしたらいいのか分かりません。

条約難民の方は、難民パスポートを与えられているので、どこに行っても国連の保護を受けることが出来ますが、私は人道的配慮による在留特別許可を持っているだけなので、条約難民としての扱いもされず、私の身の安全は保障されていません。

最近、一番不安を抱いているのは、就職に関してです。就職活動をしても、自分を採用してくれる企業があるかどうかとても不安です。仮に私が日本へ帰化したとしても、日本国籍として認めてもらえるのかどうかも分かりません。一番の望みは私のような無国籍者を支援する、公的な組織や相談窓口を作ってほしいのです。

現在、私は難民料理を大学の学食で導入するプロジェクト「Meal for Refugee」の代表をさせて頂いております。このプロジェクトは、NPO法人難民支援協会が、今年の2月に出版し『海を渡った故郷の味』という、45のメニューが載っているレシピ本を元に学食で導入して、学生に向けて難民について正しい理解と関心を持って頂くための活動です。現在首都圏で3大学、関西で2大学がこの企画に参加しており、6月20日の世界難民の日に向けて、5大学で協力し合って活動を行っております。

最近日本社会の中で「難民」と言う言葉がよく使われる様になりましたが、本来の難民の定義に沿った使い方をしているとはとても言い難いです。例えば、東日本大震災からよく使われるようになった「帰宅難民」を初め、「レーシック難民」「ネットカフェ難民」という様に、難民の使い方が非常に多様化しており、ますます本来の難民の意味が分からない若者が増えるのではないかと非常に危機感を抱いています。ですので、改めて難民の本当の意味を理解して頂きたいのに加えて、こういった間違った使い方を、今後は控えて頂きたいのです。

私には夢があります。
それは幼い頃から好きだった日本の鉄道システム、特に新幹線を自分の祖国であるミャンマーに紹介して、ミャンマーの発展に貢献するという夢です。ミャンマーは軍政移管によって、民主化へ向けて勢いに乗っておりますが、まだまだ民主化の達成には時間がかかると私は考えております。国内にはいまだに内戦や紛争が起きており、これらを解決するためには多くの時間とお金が必要です。この事があまり日本社会には知られておらず、非常に残念です。決してミャンマーの情勢が良くなったわけではないという事を、これからも伝えていきたいです。

大学2年生になり、そして今年で成人にもなります。難民2世である私が少しでも功績を残して、後輩や次の世代の子どもたちが、少しでも日本社会で何も不便なく過ごせるように、一所懸命頑張っていきたいと思います。

タイ:移民労働者は、継続的な困難に直面している

(ダナ マックレーン  JRSアジアパシフィック報道担当)
(編集:安藤勇 SJ、イエズス会社会司牧センター)
【社会司牧通信171号2013年6月15日】

[ここでは、タイにいる約150万人の非正規ミャンマー人移民労働者の状況について、最近の報告を取り上げます。執筆者は、タイのJRS(イエズス会難民サービス)の移民支援担当者です。]

社会は、移民と難民に対して、新しい考え方を発展させなければならない。
バンコク、2013年3月7日 ―― 先月、タイの推計200万人の非正規移民労働者は、4か月の滞在の延長を認められた。そして、2013年4月までに、タイのビザと労働許可証の登録手続きをするため、彼らは自国の国籍証明を取得する必要がある。

JRSタイの移民支援担当であるKohnwilai Teppunkoonngam氏によると、このことは当分の間は歓迎すべき処置であるが、新しい期限が過ぎた後、非正規移民労働者は、現在と同じように、逮捕と強制送還という危機に直面することになるだろう。

JRSホスピタリティ報告書にあるとおり、「社会は移民と難民に対して、新しい考え方を発展させなければならない:保護と支援を必要としている彼らはそれを受けるべきである」と、JRSは信じる。

人口の70%がミャンマーの強制的に移民させられた人々であるメーソトでのプログラムは、アドボカシー、労働権の教育、そして生計活動の機会の提供を含んでいる。

4月以降、期限が再び延長されない可能性が高いので、既にタイに滞在する必要な書類を持っていない移民労働者は、登録の手続きができないかもしれない。

Teppunkoonngam氏によると、その代り、タイ政府は、2002年-2003年の間に署名した二国間協定の下で、ラオス、カンボジア、そしてミャンマーに住んでいる新しい労働者を募集する計画をしている。

国籍証明と登録の基本
過去、活動と法的権利のより大きい自由を許可する、一時的なパスポートを移民に提供する国籍証明は、高い費用がかかった。彼らの平均日当は300バーツ(10ドル)足らずであるのに、タイの地方紙によると、移民はブローカーに、15,000バーツ(500ドル)まで払った。

ナコーンパトム県にあるマヒドン大学移民センターの研究員Andy Hall氏によると、2011年、広報またはそのプロセスの理解の乏しさのため、そして長々とした混乱させる手続きの、複雑で官僚的な性格のため、登録の最初の締め切り前に、多くの移民は登録することができなかった。

しかし2週間前、タイ政府は、4月の期限までに、国籍証明をより入手可能で利用しやすくする、タイのいたるところにある国籍証明書を取得するための、いくつかのワンストップサービスセンターの開設を発表した。

タイの国際移住機関(IOM)によると、新しい登録には、費用が合計で、9,000バーツ(およそ290ドル)かかるが、以前の費用の半分よりやや高い程度だという。

Teppunkoonngam氏は、「ワンストップセンターは、移民に対して、国籍証明の取得をずっとし易くするかもしれない」と語った。そして進行中の登録を許可するために、もっと永続的な処置を据える必要がある、と付け足した。

チェンマイにあるアドボカシーNGOであるMAP財団の常任理事Jackie Pollock氏は、「書類にすることは、必ずしも仕事の状況を改善するものではないが、汚職を減らし、差別を廃止するのに多くの機会を提供する」と言う。

過小評価されている移民の労働
過去20年間、タイは、非正規の移民労働者を搾取や虐待から保護することができなかった諸政策に対し、ますます増えるたくさんの精密な調査を受けてきた。

移民の労働は、タイの一年のGDPの推計4%に貢献しているにもかかわらず、特別に高い登録費用と、労働保護基準の執行の欠如によって、移民労働者は、傷つけられやすい状態に置かれ続けている。

JRSアジア太平洋地域の責任者Bambang神父は、「人間を安い移民労働の枠にはめることは、彼らの価値を、ただの経済発展、あるいはもっと悪くは、利益の源泉に過ぎないものとして、減少させてしまう」と語った。

MAP財団によると、30万人位が、現在、登録中だが、推計200万人以上の移民労働者がいまだそのプロセスから外れている。

Pollock氏は、「彼らはまだ、なんとかタイで仕事を見つけ、滞在しようとしている」と語った。イエズス会のBambang神父は、「付き随うことで、私たちは移民が、彼らの身の上話を明らかにするのに協力したい」と語った。「それが彼らへの関心を高め、彼らの声を強くする一つの道なのだ」と彼はつけ加えた。

未返済借金は人身売買の危険を増大させる
以前の秩序立ての過程の下で、平均賃金は一日300バーツ(10ドル)足らずなので、日々の稼ぎの半分を今後の使用のためにしまっておく移民は、登録するお金ができるのに、少なくとも5か月間は貯めなければならない。

このことが、莫大な数の非正規移民労働者が2011年に登録できなかった多くの理由の一つだ。Hall氏は、「登録には、非常に高い費用がかかり、それは借金を引き起こす」と語った。

Teppunkoonngam氏によると、借金の未返済、つまり親類や友達やブローカー、そして雇用者からさえお金を借りることは、非合法な搾取と人身売買の被害を増大させる。

Teppunkoonngam氏は、「ワンストップセンターは短期的には国籍証明の手段を改善するが、両方のドアを開けておく代わりに、こちら側のドアを永続的に閉めてしまうことは、長期的な解決にはならないかもしれない」と語った。そしてまたタイが、1990年の国際条約(「移民労働者条約」)に署名することを勧めている。

タイのイエズス会難民サービス(JRS)からの報告

Patcharin Nawichai, JRSメーソト/プロジェクト担当者
Dana MacLean, JRSアジア太平洋報道官
【社会司牧通信170号2013年4月15日】

1.地雷を取り除こう
4月4日は、地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デーです。そこでは通常、70か国以上の何千という人々が、地雷によって被害を受けた生存者と地域社会のことに思いを馳せ、対人地雷という災いを終わらせるように要求します。
タイは、地雷禁止条約の5条で計画された期限にしたがって2018年までに全ての地雷を除去したい。

2001年、タイには地雷に冒されている地域がおよそ2,557km²ありました。タイ地雷除去センター(TMAC)のようなNGO団体による地雷除去が行われて10年後、ノルウェー・ ピープルズ・エイドNorwegian People’s Aid のレベル1の調査によると、除去されるべき疑わしい頑固な危険地域が、現在もおよそ528km²残っているということです。

チャンタブリー県のポーナムローン地雷生存者ネットワークの指導者、Chusak Saelee氏は次のように言っています、「地雷除去と被害者のために、意識を高め支援を提供することは、とても大切なことです。タイは、過去13年間で意義深い前進をしました。地雷被害生存者の生活の質は著しく改善しましたが、私の友人の何人かは、いまだ専門的なサービスを利用することが極めて困難です。「地雷除去の努力が続き、そのことから被害者たちがより一層の利益を受け取れることを、私たちは本当に希望しています。私はこれ以上、将来に、新しい被害者が出るのを見たくないのです」。
(出典:JRS Asia Pacific Web:タイ、「今日は500km²の地雷の除去を要求する日だ」)

2.工場からの声
2013年1月1日
JRSは、傷つきやすい共同体の暮らしを援助するために、2006年よりメーソトMae Sotで、移民労働者と共に働いている。2012年12月31日、メーソト ―― タイは何十万というビルマ人移民労働者を受け入れ、その内の10万人以上がメーソトの工場で雇用されています。

ミャンマー南シャン州のタウンジーTaunggyi出身の1- ローズ*さん(28)は、12歳の時、父親によってメーソトに連れて来られました。13歳の時、ひと月、1,000バーツを稼げる麺店で働くために、ブローカーは彼女をバンコクへ連れて行きました。

3年後、結婚し、初めての子どもを身ごもった後、ローズさんは移民労働者がバンコクで日々直面している、逮捕される心配から逃れるために、メーソトに戻りました。ローズさんの経験は特別なものではありません。
ミャンマー東部のピュー町の出身の2- ポエさん*(18)は、13歳から縫製工場で働いています。
休憩や病気休暇なしの長時間労働、お金をためるための苦闘、そして適切な安全基準と労働権の不在といったことが、ローズさんやポエポエさんの体験を特徴づけるものであり、それはタイにいる多くの他の何千という移民労働者にも当てはまることです。

労働条件
ローズさんは、縫製工場の床と机を掃除していますが、一日あたりの賃料は150バーツ(およそ5ドル)で、毎日10時間以上働いています。労働者には交替時間に遅れた場合、一時間あたり、3時間分の賃金が差し引かれてしまいます。それと同様に、仕事を一日休んだ場合、3日分の支払いがなしになります。
それにもかかわらず、ローズさんは彼女の仕事があるために感謝しています。

「いい報酬を受け取れるので、私はここで働くのが好きです」と彼女はJRSメーソトの職員に言いました。しかし彼女は、経済的困難がストレスの不断の原因となっていることを認めています。「子どもたちの教育費を支払うために、私はまだお金が必要なのです。」と彼女は言いました。「私はかつて斡旋業者に4,500バーツ支払って、ジャングルを通って、歩いてバンコクまで連れて行ってもらいました。そこで私はもっと収入のよい仕事を見つけるつもりでしたが、私たちはだまされて、人里離れたところに残されたのです」、失意の思いを目にたたえて、彼女は言いました。
しかしローズさんは、いまだ工場内で身の危険を感じたことのない幸運な人の一人です。彼女の仕事場はよく管理されているという高い評判を維持しています。

彼女は次のように主張しました、「床と机を掃除する仕事はたしかに快適な仕事ではないけれども、私は安全でないと感じたことはありません」。
一方、ポエポエさんは別の縫製工場で働いていますが、女性のための仕切られたトイレやシャワー室がないので、寮は無防備だと感じています。肉体的な乱暴を受けたことはないのですが、ポエポエさんはシャワーを浴びる時、しばしば男性に見られるので、安全ではないと感じています。
加えて、ポエポエさんによると、衣服を仕立てるのに使う古いミシンが危険で、工場の設備はいつも安全だとは限らないといいます。
「工場長は注意を払ってくれません。しかし私たちはそれらの機械を使うのが本当に怖いのです・・・、新しい作業員は古い機械を使います、なぜなら彼らには選択の余地がないからです」、そう彼女は言いました。

労働権
2012年、JRSメーソトは、海外イラワジ協会Overseas Irrawaddy Associationによって先導された二つのグループ討議を支援しました。それは、移民労働者のために、労働権について議論するものでした。
ローズさんは言いました、「私たちの権利は十分に尊重されているとは言えません、私たちは十分な休憩時間さえ与えられていないのですから」。ポエポエさんは一日に10時間以上も、休みもなく縫物をしています。
彼女は言いました、「私たちには十分な休憩がありません。まったく公平じゃありません」。彼女は別の仕事を見つけたいのですが、両親がその工場に彼女と一緒に滞在しているので、囚われたような気持になっているのです。ポエポエさんは言いました、「私は本当に、もっとよい条件ともっと高い報酬が欲しい・・・、でももし私が今の仕事を辞めたら、両親の滞在する場所はなくなってしまうでしょう」。
ポエポエさんとローズさんは二人とも、農業をするために、ミャンマーのふるさとに戻る夢は持ち続けています。
「私はタイで生活したいです。なぜなら、安全だし、稼ぐための方法がたくさんあるからです。でも、現在ミャワデイに住んでいる両親がタウンジーに戻りたいなら、私は一緒に行くでしょう。私たちはまだ農業ができる土地を持っています」とローズさんは言いました。
「もし私がお金を貯めることができれば、農業をやるために家族を連れてふるさとに戻るでしょう。そこで、私たちは幸せな生活を送るのです」とポエポエさんはため息をつきました。
(出典:JRS Asia Pacific Web:「タイ:工場からの声」メーソト、2012.12.31)
1,2 * 名前は身元を保護するため変えてあります。
(編集:安藤勇 SJ、イエズス会社会司牧センター)

自己紹介

Nguyen Thanh Nha イエズス会社会司牧センター(東京) 【ジャパ・ベトナム 会報 45 号 2013年3月3日】

Nha私は2009年に宣教師として日本に送られたベトナム人の神学生のニャーです。去年の8月から東京の四ツ谷にある東京センターで中間期が始まりました。このセンターに入るきっかけにジャパ・ベトナムというグループにも入らせていただきました。ジャパ・ベトナムのことはずいぶん前から聞きましたが、日本語の勉強が忙しくてあまりお手伝いができなかった。本当にすみませんでした。これから1年間ぐらい中間期をやることになりましたので、ぜひ、他のメンバーたちと協力したいです。皆さん、どうぞ、よろしくお願いします。

最近、私のベトナムという国は新聞やテレビなどによって発展の国だと見られるかもしれませんが、実際は発展したところ、あるいは、発展しているところが非常に少ないです。特に田舎とか少数民族のところとか全然何もないところだと言えます。

自身も2002年に修道院に入って、あまり外に出かけない修練者という時期にも新聞とテレビばかりを見て自分の国のことでも誤解させられました。すごく豊かになったと思われた。修練の時期が終わってあちこち活動を始めてから、本当のことがわかるようになりました。田舎に行けば、行くほど、人間らしく生活できない人々がたくさんいます。この間、私は偶然あるウェブサイトに入ってある記事を読んで、記事の中にある写真を見て、泣きたいほど感動しました。なぜなら、ベトナムの北の山のほうで大変な生活している人々の状態、特に子供たちの状態がわかってきたからです。だから、私にとって、ジャパ・ベトナムのやっていることは大きな意味があると心から信じます。

ジャパ・ベトナムの会員の皆様、長い間ベトナムを応援してくださって、まことに感謝します。これからも、よろしくお願いします。

日本に滞在する中国人のカトリック共同体

ロバート ディーターズ SJ (イエズス会中国センタースタッフ) 【社会司牧通信169号2013年2月15日】

東京では、昨今、電車や秋葉原の店のスピーカーから、中国語が話されているのを聞くのは珍しいことではなくなりました。東京にいる少なくとも100人に一人は、中国大陸PRC(中華人民共和国 ”mainland china”)から最近来た、中国人移住者です。毛沢東(1976年没)の死に続く政策の変化の後、1980年頃から日本に来る中国人の数は急増し、今や彼らは日本に住む外国人の中で30%近くを占め、他のどんな国籍の人より多いのです。

なぜ彼らは来るのでしょうか? 生活をより良くしたいからです。多くの人はまず勉強します。語学学校で、次に大学もしくは専門学校で。しかし、普通、勉強しながらパートタイムであっても働くことを希望しており、それ以後も日本で定職を得ようとします。ある女性たちは、日本人の妻として、日本への入国許可を得ます。しかし、それはしばしばブローカーによる「書類上の」結婚です。警察が非正規滞在者(illegal residents)を逮捕し、強制送還を始めた2005年頃までは、ある人々は家族の将来のためや、中国に帰った後に商売を始められるように、十分なお金を得るため、ビザの期限を超えて超過滞在(overstay)しました。

彼らの多くはカトリック信徒でしょうか? PRCの建国(1949)から1980年頃までたくさんの苦しみと混乱の後、他の4宗教と認められているものと同様に、カトリック教会も今や自由に教会を開設し、あらゆる種類の宗教活動が行えるようになりました。しかしそれは、「中国カトリック愛国協会」(CCPA)を通して、政府の緊密なる監視下で行われているのです。かなりの数の司教、司祭そして信徒がCCPAの指示に従わず、政府の承認なしで教会の活動を行っています。彼らはいわゆる「地下教会」(”underground church”)と呼ばれる共同体であり、おそらく全体の35%もの信徒がそれに属しています。

中国の、推定される全カトリック信徒数は1,200万人で、人口のおよそ1%です。神学校とシスター養成プログラムが1950年頃から1980年まで禁止されていたため、大部分の司教、司祭、シスターは45歳以下で、1950年代以前に叙階された80歳を越える聖職者は、ほんのわずかしかいません。信徒の多くもまた若者です。とても若い教会です。しかしそれは、50歳から80歳の経験のある指導者のいない教会ですが、近年、数百人におよぶ若い司祭とシスターが、教会組織の助けをかりて、ヨーロッパやアメリカで神学や司牧分野の上級課程に進んで研究を行っています。

1950年代初頭から中国政府は、「自ら伝道する」「自ら管理する」「自ら維持する」という、「三自」政策を掲げました。実際にこれが意味することは、PRCの国民だけが伝道や司牧活動に従事してよいということであり、教会にいるすべての役職にある者(司教、司祭、シスター)はPRCの国民でなければならず、更に、教会は中国内から援助を受けねばならないということです。各宗教団体は、中国政府の政策が実行されているかどうかをチェックするために、半政府組織を作らなければなりません。カトリックにとってそれがCCPAなのです。中国政府は原則として、外国人で中国には属さない独立した組織の、教皇が司教を任命する権利を認めていません。CCPAによって司教に推薦された候補者が、教皇によっても承認されることはしばしばあります。その場合には、その司教は正当に叙階されると同時に、また中国政府にも承認されることになります。しかし時には、教皇はその候補者をふさわしくないと判断して、その司祭に引き下がるように要求することもあります。しかし、CCPAからの圧力によって、司祭が教会法に違反して、不当に叙階されることを受け入れることもあります。また、叙階する司教や叙階式に参加することのできるその他の司教が、わいろや甘言、あるいは脅し等さまざまな方法で、不正な叙階に加担するように、中国政府から圧力をかけられることもあります。しかしその結果は混乱で、というのもそのような司教は教会法によって破門され、司祭や信徒に対する正当な権限がないからです。100人以上いる司教の中で、そのように不当に叙階された司教たちは多くないのですが、司教が不当に叙階された地域では、司祭もシスターもそして信徒も、なんの導きもないままでおかれ、混乱が生じます。

1987年に東京で、中国人カトリック信徒たちの要請で、中国人のための月一回のミサが、上智大学の構内で始められました。そして1991年には、中野区にあった古い寄宿舎で、イエズス会カトリックセンターJesuit Catholic Center が立ち上げられました。2001年に、上野カトリック教会の司祭と信徒が、中国人カトリック信徒のための統合した共同体を作り、事務所と活動スペースを提供すると申し出ました。今では毎週日曜日午後1時30分から、上野教会で中国語のミサが行われ、秘跡を授けています。イエズス会の井上潔神父が所長で、R.ディーターズ神父と山岡三治神父、吉祥寺教会のヤンYang神父、また数人の2か国語を話せるスタッフが手伝っています。そのセンターは上野教会に属し、主任司祭の西川神父のもとにあります。

私たちが東京で会う多くの中国人カトリック信徒にとって、彼らが日本にいる間は、先に述べた司教の叙階問題は、直接的な関心事にはなっていません。彼らは自分たちの信仰を自由に実践し、同じ信仰、言語そして祖国の友人たちと会うことができる、イエズス会中国センターJesuit China Center に、日曜日に来るのを楽しみにしています。多くの人が福建省の同じ地区出身であり、彼らは家族親族あるいは相互の友情によって結ばれています。

普通、およそ150人が日曜日のミサに参加します。クリスマスや復活祭といった大きな祭日には、ミサは日本人と中国人一緒に行われ、両方の言語で聖歌が歌われ、同様に聖書朗読・説教も行われます。そういう時、上野教会は満員で、多くの人々が立っています。中国人信徒は、自分たちが日本人信徒と一つであると思い、一緒に典礼の計画作り、教会施設の清掃・装飾・維持に参加しています。私たちは、この上野教会の共同体が、日本人信徒と移住者カトリック信徒の、統合した共同体のひとつの模範になっていると考えています。

はじめまして

山本 啓輔(イエズス会社会司牧センタースタッフ) 【社会司牧通信168号2012年12月21日】

はじめまして、今年8月から社会司牧センターの職員として働いております、山本啓輔と申します。よろしくお願いします。わたしは上智大の哲学科98年度卒のOBです。わたしはキリスト者ではないのですが、この度、ご縁があってイエズス会の働きの場の仲間に入れていただくことになりました。さしあたりキリスト教(カトリック教会及びイエズス会)のことを改めて学び、社会使徒職ということのイエズス会の中でのポジションとミッションを学び、そして現に一緒に働いている所長及び同僚職員のことを観察しながら、ここはどんなところだろう、と理解に努める日々です。

現在カトリックを学ぶという意味もあって、マザーテレサの手記を少しずつ読み進めています。大変タフな内容で、圧倒されることもしばしばですが、ここでひとつ特に感銘深かった言葉を引用したいと思います。
「本当の意味で愛するということは、傷つくということなのです。事実、他の人たちを傷つけないで彼らに善いことをするためには、それがわたしから何かを奪うことであっても、喜んで与えなくてはならないのです」。
いま私たちが生活している日本という国は過度に傷つきたくない人の集まりのようにも思われます。自分のことを他者に開くのを極度に恐れているようです。それは他者に心を開いて傷つけられることに対する警戒心でもあり、やはり恐れなのだと思います。そしてそれはどうも信仰者と自称する人にとっても同じようにわたしには思われます。

しかし、マザーも言うように、本来愛するとは、別言すると、人と関わるとは、傷つくということなのです。したがって愛があるとは、他者に向かって、侮辱を受けるリスクがあるとしても自己を開示する覚悟のようなものなのかもしれません。愛することが他者への開き(関わり)であるならば、信仰者も信仰者じゃないも関係ありません。むろん、節操もなく自己を垂れ流しにするのがいいというのではありませんが、やはり、人の善になるとは、リスクの中へ飛び込むことであり、大変勇気のいることなのだと思います。しかし一方で、そもそも人は人との真の関わりなくして生きてゆけないし、存在できないし、また幸せにもなれないはずです。その意味でもこの日本の異常に他者を恐れる対人恐怖症的な(またそれを再生産している)社会で生きてゆくのは、随分しんどいことだと思います。そんな中で、人が他者に対しておのれを開くという事態を可能にするものがあるとすれば、わたしはそれはやはり「信仰」なのだと思います。あれやかれやの信仰ではなく、ただ唯一の「真実」への「信仰」のことです。信仰からの恵みのみがわたしたちに本来の愛を呼び覚まし、他者への開き(関わり)へと向かうパワーを授けうるのだとわたしは思っています。

「確信」「信念」という言葉が死語になりつつある、この日本で、わたしは名もなき信仰者の小さな働きから、人との繋がりがうまれ、人間関係が豊かになってゆくことを心から願っている者です。だって困難な状況の中にあっても人としての可能性は絶対に消えないのですから(これはわたしの信念)。
こんなわたしですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

「孤立する人がいない社会を目指す取り組み」

吉羽 弘明 SJ 【社会司牧通信167号2012年10月15日】

今春、生活保護がマスメディアの話題となった。ある芸能人の母親が生活保護の被保護者だったらしい。ついには国会でこの母親の事例が取り上げられた。「特定の一般国民の生活保護利用状況」というプライバシーが国会で論議されるとは、前代未聞の人権侵害なのではないか。

「貧困状態の人は怠けている」という観念が存在するのは今に始まったことではない。近世のイギリスでは、働くことができない一部の人を除いて法により貧困者を懲罰的にひどい環境の施設に収容して強制労働をさせた。またこの時代、民間慈善団体は貧困の原因を道徳心の欠陥に求め、救済に値する人と「道徳心に欠ける」そうでない人に二分し、前者のみ救済の対象にした。そういうわけで貧しい人は歴史的に見てもネガティブに受け止められているし、当事者も自信を喪失している。でも実際には貧困者には多様性・重層性がある。ただ、社会に参加することを十分保障されていないという共通項がある。人や機関との関係が弱くなっていて社会で孤立している傾向が見られる。

9月末に釧路市福祉事務所長の話を聞く機会があった。釧路市では生活保護の被保護世帯を懲罰的に処遇するのではなく、豊かな理念に基づいて支援している。「釧路は霧がひどくて、洗濯物は乾かないし市民には評判が悪い。しかし観光客は霧の町として喜んでくれる。霧は悪いことばかりでなく財産だ。同じように、生活保護を受ける人は釧路市の大切な財産なのだ。」とは福祉事務所長の弁である。

最近の国の政策では「生活保護世帯の就労支援」が取り上げられるが、これまでも無計画・無為な就労支援、役立たない職業訓練提供などが散見され、そもそも雇用環境が弱っているから被保護者がうまくいかない経験を重ね、余計自信を喪失させる結果になることもよくある。現在の生活困窮者への就労支援制度は、不安定労働に押し込むか切り捨てるかの選別の場だと指摘する人もいる。

釧路市ではこうした硬直した就労支援ではなく中間的就労はもとより、ボランティアも大切な就労だととらえている。もちろん「仕事をしていないから滅私奉公させる」という視点ではなく、例えば生活保護世帯の中学3年生の集まり(本来は高校受験の勉強に焦点を当てている)にボランティアとして参加してもらい、そこで勉強を教えてもらったり、ともに語りあったりしてもらい、中学生を支える貴重な存在になってくれることを期待している。被保護者も、なくした自信を取り戻す場になっている。被保護者を含めた市民とともにアイデアを出し事業の立ち上げをしていて、こうした試みを釧路の街づくりにつなげたいと考えているそうだ。釧路市の生活保護世帯への地域生活支援の取り組みはこれだけではないが、もはや紙面はないのでまた別の機会に報告するとして、理念は最近注目される「どんな人も包み込む社会を作っていく」ということである。

以前私は、社会司牧センターが出した冊子『心の悩みに寄り添うために』*に「教会で心の悩みを持つ人とともに歩むこと」と「心の悩みについて『べてるの家』から学ぶ」の2つの文章を寄稿した。下手な文章と情緒的な内容だが、前者では教会が安心できる場となり「専門職の人も含めた教会共同体がその人を包み込むこと。その仕組みを作ること」が必要だと書いた。考えは概ね変わっていないが、「心の悩みのある人」をターゲットに何かをするのではなく別のことが必要なのではと考えるようになった。

生活相談室相談者の自宅を訪問
「心の悩みのある人」にとって病気や症状自体よりは、症状、行動と社会との齟齬による困難さや社会からの否定的な評価により「生活が困難になり孤立させられていくこと」を問題にすべきだろう。そしてこうした構図は、先に書いた貧困者のほか、高齢の独居生活者、他の病気・障害のある人などにも共通する。「心の悩みのある人」も含め社会の周縁部に置かれている人を包括的にとらえ、生活困難な人もそうでない人も包摂できる場を作り上げていくことが必要だと考えるようになった。

私の周りを見回すと、聖イグナチオ教会では月3回「水曜ティーサロン」というお茶会を開いている。参加者の共通項は、ほとんどが直前のミサに参加した人ということだけだ。生きにくさのある人、そうでもない人などが雑多に集まってともに自由に語り合い、お菓子とお茶を楽しむ。教会に来られない人には既に、高齢化著しい教会所属の希望する信徒への定期的な電話による会話を始めていて、ゆくゆくは住まいへの訪問もできたらと考えている。同じ場にいなくても包摂は可能だ。

私のかかわる聖イグナチオ生活相談室でもお茶会や食事会を設定し、また自宅や施設などを訪問する活動を続けている。

http://www1.kiwi-us.com/~selasj/jsc/japanese/booklets/japanese_file/kokoro_no_nayami.pdf

SAHABAT INSAN 人類の友(Friends of Humanity)

イグナチウス イスマルトノ SJ 【社会司牧通信166号2012年9月15日】

① 歴史を振り返る
私がインドネシアの司教協議会で働いていたとき(私は1995年-2004年にかけて異宗教間対話委員会の書記長であった)、インドネシアの37教区の多くの場所で起きている、紛争被害者たちの問題に多く出くわした。その頃から私は被害者たちに広く目を向けるようになった。紛争の被害者たちのことは関心事となり、注意を払うようになった。その頃、インドネシアの司教協議会は、危機と和解の奉仕というデスクを異宗教間事務局に開設した。このデスクの主な使命は、被害者と共にいることで、彼らが変わることができるようになり、生存し続けられるようになることであった。はじめの一歩は、被害者支援に関心を持っている、さまざまなNGOとのネットワークを築くことであった。2004年に、大きな津波がインドネシアを襲った。そこで私たちは現地に向かい、地元の若者や女性、とりわけ大学生たちと協力して、被害者の支援にあたった。

たくさんのボランティアが司教協議会事務局に来て、支援を組織化するために危機センターに加わってくれた。いくつかの外国の慈善組織が私たちに、アチェ州での支援活動の協力を求めてきた。アチェ州は主にイスラム教徒の地域なのだが、学生たちを通して私たちは被災者たちに受け入れられた。それは私たちの仕事が人道的なものであったからだ。

2004年以降は、外国の慈善団体がインドネシアへ殺到してきたことと、カリタス・インターナショナルの強い勧めで、司教はカリタス・インドネシアを設立するようになった。それ以来、インドネシアの司教たちは、カリタス・インドネシアに自然災害の際の活動を一任することにした。

② 人類の友
ボランティアたちは成長して一つの共同体となった。その法的な名前は”Sahabat Insan”、「人類の友(Friends of Humanity)」である。私たちは被害者たちを支援し続けていきたい。自然災害の被害者たちは、既にカリタス・インドネシアに助けられているので、私たちは関心を、人災(man-made disasters)の被害者である出稼ぎ労働者に移行した。彼らの数は莫大であり、彼らを支援する団体もまた多い。私たちはデータ収集からははじめなかった。また私たちは、訴訟はおろか弁護のためにも働かない。

私たちは被害者たちと接触を続ける中で、さらに一つの必要性があることを発見した。出稼ぎに失敗して、インドネシアに帰らなければならない労働者がいる。彼らの状況は非常に深刻だ。彼らは助けを本当に必要としている。もし彼らに助けがなければ、彼らの基本的権利は失われてしまうだろう。彼らは帰国するときには、彼らとともにいる友人もなく、インドネシアに戻ってくる。

③ 出稼ぎ労働者の支援
問題はとても大きく、私たちの力はとても小さい。”Peduli Buruh Migrants”という、出稼ぎ労働者を支援する一つの団体がある。そのリーダーは、かつて出稼ぎ労働者であった女性である。私たちはそこと協力することにより、助けを必要としている人々の支援にあたっている。 Lilyさんは私たちが運営する避難所の世話をしてくれていて、私たちは彼女に特に財政面での支援をしている。

④ 緊急な支援を必要とする人びと
ジャカルタのANTARA News紙で、出稼ぎ労働者について、次のような報告を読んだことがあるかもしれない。政府関係者によると、少なくとも101人のインドネシア人出稼ぎ労働者(その内の29人が看護師、72人が介護士)が、2012年5月17日(木)に日本に送られる。そして日本はすぐに迎え入れる。駐インドネシア日本国大使・鹿取克章氏は、ジャカルタで水曜日に次のように述べた。「彼らは、国際交流基金の6か月間の日本語研修を終えて、明日、日本に送られる」。

彼は、インドネシア人出稼ぎ労働者の受け入れプログラム下で、労働者が日本に送られるようになって5年になる、と付け加えた。そして「我々は、彼らが先輩たちと同じように、一生懸命に仕事をしてくれることを望みます」、と所見を述べた。「このプログラムは2008年にはじまり、当時は合計288人のインドネシア人出稼ぎ労働者が日本に送られた。現在に至るまでに、791人の出稼ぎ労働者が、このプログラムをのもとで日本に行った。日本は彼らの仕事ぶりに非常に満足している。我々はこのプログラムにおける、人と人との繋がりを強くしていくことを望む」。人材の交換と保護の機関(Manpower Replacement and Protection Agency)の推進部長であるEndang Sulistyaningsih氏によると、インドネシア人出稼ぎ労働者は、彼らのしっかりとした労働観、規律正しさ、勤勉さなどで有名であり、同様にその他の特徴、決して投げ出さない、貯蓄する、質問することを恥としない、などでも有名である、という。「心配しないで。私たちはあなたたちを独りにしない。時々はあなたたちに会いにいきます」と、Endang氏は付け加えた。24歳になるインドネシア人出稼ぎ労働者Indah Gita Safiraさんは、日本の老人ホームの介護士として働くことを目指している。彼女は日本で4年間働く雇用契約書に署名している。彼女が月給として受け取ることになる額は約17,450円(?)である。「日本で介護士としてベストを尽くします」と、彼女は約束した。

しかし、別の記事を見たことがあるかもしれない。「インドネシアは出稼ぎ労働者殺害に関して、マレーシア大使を呼び出す」(Jakarta Globe Ismira Lutfia,Ezra Sihite & Fitri,April24, 2012)「マレーシアで撃たれて亡くなった出稼ぎ労働者の親族が、西Nusa Tenggara警察に対して、月曜日、訴えを申し立てた。火曜日、インドネシアはマレーシア大使を呼び出し、説明を求めた。つまり、なぜ3人の出稼ぎ労働者が、マレーシア警察に撃たれ殺されたのかということ、そして亡くなった労働者の臓器が採取されたという不確かな記事の真偽について、説明を求めた。海外にいるインドネシア人を保護するために、私たちは彼らにできる限り早く来てもらって、明確な説明をしてほしい、とTatang Razak外務省長官は述べている。彼はまた、政府は亡くなった3人から臓器が採取されたということの真偽を確かめるため、検死を行う方向で、ロンバクの警察と連携している、とも言っている。インドネシア政府は現在、マレーシアに対して検死結果と亡くなった労働者の死に至る経緯を公表するよう要求している。Tatang氏は月曜日に、亡くなった3人がマレーシア警察に撃たれたとき、彼らが犯罪活動に加担していたと、マレーシア政府から報告があったと述べている。

私たちは、その労働者たちが本当に犯罪に関与していたのかどうかの真相を明らかにしたい。もし彼らが潔白なら、誰かが責任をとらなければならない、と彼は言っている。外務大臣のMarty Natalegawa氏は、被害者に起こったことを確定するための透明性の欠如が問題なのだ、と考えを述べた。被害者の親族が別の検死にかけることを望むなら、政府はそれを手助けする。親族が望むことならどんなことでも手助けする。なぜならこれは私たち自身の問題でもあるのだから、と述べている。3人の遺体(Abdul Kadir Jaelani 24才、Herman 28才、Mad Noor 33才)は、今月初旬に東トンブクにある彼らの故郷に帰ってきた。彼らは射殺され、3月30日マレーシアで、遺体で見つかった。被害者の親族2人が遺体の状態を見て、臓器が採取されていたというのは本当だと思うと言った時、彼らの殺害の動機に対する疑惑が生まれたのである。

Rieke Dyah Pitaloka氏は、野党でIndonesian Democratic Party of Struggle(PDI-P)の議員であるが、3人が臓器密売人たちの犠牲となったのかどうかを確定するためには独自の検死が必要だと述べた。検死の責任は出稼ぎ労働者斡旋局であるPJTKIだけに背負わせるわけにはいかない。政府は進んで事態の掌握に努めるべきであり、マレーシア政府と協力してことを進める必要がある。これは単にPJTKIだけの責任ではないのだ、とRieke氏は語った。外務問題を監督しているTubagus Hasanuddin氏(PDI-P議員で第一代表議会副議長)は、それらの死が臓器密売組織と関係しうるということであり、さらに踏み込んで調べていくべきだと述べている。これは著しい人権侵害であり、政府は調査しなければならない、と語っている。

その一方で、西Nusa Tenggara警察は、殺害された労働者の親族に、訴える前に、クアラルンプールのインドネシア大使からの書簡を待つように伝えている。その書簡にはその3人の死の詳細なことの次第が提供されているだろうというのである。西Nusa Tenggara警察の代弁者Lalu Wirajaya氏は、次のように述べている。「私たちは彼らの訴えを拒否しない。しかし私たちは、その親族とBP3TKI、そして出稼ぎ労働者の斡旋と保護の機関(the Migrant Worker Placement and Protection Agency)には、まずはマレーシアのインドネシア大使からの書簡を待つようにと助言している」。親族の誰も事件を目撃していない。彼らはただ聞いただけだ。

私たち、「人類の友」は、出稼ぎ労働者を支援する団体として主張しない。私たちの主な関心事は前者の話ではなく、私たちが優先すべきは後者の話である。つまり出稼ぎ労働者が被害者になっていることである。私たちがひとえに優先するのは、カトリック教会とイエズス会の関心事と同じ、「貧しい人々を優先する選択」である。そして近年、緊急な支援を必要とする人びととは、失敗した出稼ぎ労働者のことである。彼らは排除され、手ぶらで帰ってきて、死んでしまうことさえある。しかし私たちは微力なので、同じことに関心をもっている人びとと協力してやっていかなければならない。

SAHABAT INSAN(人類の友)
Web:http://sahabatinsan.multiply.com
(Jakarta)

『 なぜ教会は社会問題にかかわるのかQ&A 』

移民、難民、外国人労働者、不法滞在外国人の現状

日時:  10月3日(水) 18:45~20:15
場所:  麹町イグナチオ教会・アルペホール 信徒会館3F
講師:  安藤 勇神父

参加費 無料、会場での寄付は歓迎 申し込み不要

問合先:  電話03-5215-1844 イエズス会社会司牧センター

◎ 2012年2月に発行された『なぜ教会は社会問題にかかわるのかQ&A』(日本カトリック司教協議会社会司教委員会)を参考にして進めたいと思います。この本はセミナー会場でもお分けできます。
共催: 麹町イグナチオ教会・イエズス会社会司牧センター

警察官によるカトリック貝塚教会敷地内での捜査および、逮捕行為の報告

本 柳 孝 司 【カトリック貝塚教会 主任司祭】

5月27日(日)、12:30頃、川崎臨港警察の捜査員6~8名が、教会敷地内にはいり、ある非正規滞在の容疑がある外国籍(フィリピン)の方に対して、職務質問(捜査)を行いました。当日は、1時30分からのミサがあり、その後、フラワー・デ・マヨという祭りのパーティーが行われ、12:00頃からその準備が行われていました。敷地内というのは、教会の門に入り、すぐ左手の中庭の場所です。そこで、フィリピン人数名がバーペキューの用意をしていました。また、当日は、子供たちもこの祭りのために着飾って行列をするという行事があり、そのために十数人の子供たちがすでに教会に来ておりました。

最初、二名の捜査員が非正規滞在の容疑がある外国籍(フィリピン)の方を目指し敷地内に入り、その後、その他の捜査員が入ってきたようです。主任司祭はそのときは、司祭執務室におりました。

その後、信徒からその事実を聞き、捜査員のもとに向かい、教会(宗教施設)施設内で捜査行為をすることは許されない旨を捜査員たちに伝えました。その際、捜査令状、逮捕令状が無いことが判明しました、ある捜査員は、ここは治外法権ではないので、私たちは、どんな宗教施設であろうと捜査、逮捕する権限をもっていること、ある確実な情報で、貝塚教会に00(個人名)(後に6月5日の警察署長、県警の刑事部・組織犯罪対策本部・国際捜査課長同席のもとに申し入れ書を提出、面談をしたときに個人名、住所は特定されていなかったと判明)という非正規滞在者が日曜日のミサにきているということでここに来たのだと述べていました。

 主任司祭は、教会管理者として、警察のような国家権力が教会の敷地にはいり、捜査することは、宗教活動の侵害になり、信教の自由を侵す行為であり、すぐに敷地内から出て行くべきだと彼らに伝えました。捜査員は、それなら容疑をかけられた外国籍(フィリピン)人に敷地外に出て行くように敷地管理者として勧めろと強い口調で述べました。それを断るとあなたは、彼をかばうのかと犯人隠匿であるとほのめかしました。

 それでも執拗に容疑をかけられた外国籍(フィリピン)の方に職務質問を威圧的にかけつづけており、周りにいたフィリピン人の女性も抗議しましたが、捜査を妨害するのかと彼女に詰め寄り、主任司祭に対しても、同様に捜査を妨害するのか、容疑をかけられた外国籍(フィリピン)入が非正規滞在であるのを知っていたのかと威圧的な態度で詰め寄られました。また、教会委員長もその場にいて、彼に対しても、捜査員は、邪魔をするのなら公務執行妨害で逮捕すると言われたそうです。このようなことが、30-40分ほど続き、最終的に捜査員が警察署の上司と連絡をとり、旅券、外国人登録証不携帯で、教会敷地内で緊急逮捕、警察署に連行。この一部始終を数人の日本人信徒、多くの外国籍(フィリピン)信徒の方も目撃しています。

 

カトリック横浜司教区
カトリック貝塚教会 主任司祭

本 柳 孝 司
〒210-0014川崎市川崎区貝塚1-8-9
カトリック貝塚教会
Tel/Fax: 044-222-3075
Email: takashimotoyanagi@yahoo.co.jp 

神は世界を造られた。そして言われた、「それは極めて良かった」

キム・ヒョンウク(イエズス会神学生) 【社会司牧通信165号2012年6月15日】

3月9日、韓国イエズス会員キム チョンウク神父が警察に逮捕され、一か月間拘置された。彼の罪は、済州島における政府の所有地の破壊ということだった。彼は公然と、済州島に海軍基地を建設するという政府の計画を妨害したのであった。

彼は海軍基地建設工事の周りに立ててあったフェンスを突破し、不法にもその敷地内に立ち入ったのである。彼は4月10日に釈放され、現在も済州島に対する政府の環境破壊に抵抗して抗議している。

済州島は朝鮮半島の南に位置する。世界でもっとも美しい島の1つで、原始のままの自然と火山島であることで有名である。そこにはおよそ28万人の居住者がおり、彼らは政府当局による不当な開発プロジェクトから自分たちの村を守るために闘っているのである。それは現代のダビデとゴリアトの物語のように思われる。

企てられた海軍基地は、火山の溶岩の流れが海へと入ってゆく位置に建設中である、そこはグロンビ岩で有名な1マイル程の地帯だ。この美しい岩石海岸は村人たちに神聖視されており、ユネスコから世界自然遺産として認定されている。水源から自然の真水が表面を貫いて湧き出ており、柔らかいサンゴ礁が海岸から少し離れたところに横たわっている。そこはまた絶滅の危機に瀕しているインド太平洋海域のパンドゥイルカの唯一のすみかでもあるのだ。

2007年、韓国政府はこの村に海軍基地を建設すると発表した。しかしこのプロジェクトには多くの問題があり法的手続きにも従っていなかった。実際にはガンジョ村の村民およそ94%はこの新軍事基地計画に反対していた。多くの熱心な環境保護主義者もまた基地の建設に反対した。なぜならそれは自然環境を破壊してしまうからだ。韓国の最南端に位置する済州島には、「平和と安全計画」のための軍事基地は必要ないのだ。韓国政府はアジア太平洋地域の平和を維持するためには新海軍基地が必要であると公然と言っている。環境保護主義者はしかし、海軍基地が済州島に建設された場合、中国との間に緊張が起こるだろうと主張している。実際に中国も、新海軍基地建設は北東アジア地域に緊張を創りだしているとして、この計画に対し強く反対している。率直に言うと、この海軍基地は韓国の必要というよりも米国の必要をかなえることを目的としているのである。それが済州島に海軍基地が必要と言われる本当の理由である。

社会問題にかかわっているイエズス会員ジョン・ディアー神父によれば、「米国が関与する限り、基地のただ一つの意図は、中国、日本、そして台湾といった近隣諸国に対する戦略的な位置にある。米国はイージス艦や、巡航ミサイルを運んでくる原子力空母のために、そこへ主要な海軍基地を建設するように韓国に求めているのだ。これらのミサイルは、目論まれている済州島の海軍基地において米国の駆逐艦や潜水艦で保持されることで、いつの日か、中国の大陸間弾道ミサイル(ICBMs)を破壊するために使用される可能性がある。

ディアー神父は続けて言う、「韓国政府の意図は、米国のイージス艦や原子力空母が停泊できるようにガンジョ村に巨大な海軍基地を建設することだ。こうして次のことは明白となる、韓国政府の新基地は、中国に対して、米国に直接軍事的行動の可能性を与えるものであり、それは必要であれば核兵器の使用も伴ったものなのだ。それによって韓国は米国とその中国を包囲しようという帝国主義的な戦略のための手先として利用し続けられるのである。その見返りに、米国は韓国を防衛し続けるだろう。」
5年前、済州島教区長で、韓国司教協議会会長である、カン・ウイル司教は、ガンジョ村の人々の援助をするようにすべての司祭とシスターに緊急の呼びかけを発した。何千人という司祭とシスターが関わるようになった。ある日、20人のシスターが逮捕された。

別の抗議には、韓国の司祭4000人の内3400人が加わった。何人かの司祭は一度に何か月も済州島の建設現場の岩盤の上に居座った。また他の者は建設の準備を妨げたとして逮捕された。そして他の者は、抵抗のための一つの行為として、ならびに神聖な場所としての岩石海岸に対する数世紀にもわたる尊敬を続けるための一つの方法として、その海岸の上でミサをとりおこなったのである。毎日彼らは村人たちとともに、はっきりと反対の旨を述べ、座り込みをし、断食をし、祈り、そして、この神聖なる海の景観を破壊するのを止めるために、敢えて非暴力に伴う危険を負っているのである。

最後に、わたしは、韓国管区のイエズス会について少し述べておきたい。実際、イエズス会はすべての反対するグループの中で最も強いものの一つである。何人かのイエズス会員は既に済州島の村で生活をはじめている。何人かの司祭と修道士たちは警察によって何度も逮捕されている。最近まで、ある司祭は一か月間拘置所にとらわれたままだった。そしてまたある司祭は有罪判決を受け、2年間の懲役に処せられた。ある修道士は今月末に法廷での判決が出るのを待っている。更に、韓国管区のイエズス会は、管区長自身も含め、村人たちへの援助を続けている。例えば、イエズス会センターでは、ガンジョ村の平和のために週に一度ミサをおこなっている。そして多くの韓国のイエズス会員の学者たちは、この問題についての研究を行い、反対運動についての報告書を作成した。何人かのイエズス会員は済州島を個人的に訪れている。ジョン・ディアー神父の言葉を引用すると、「わたしたちは今のような団結を一度も体験したことがなかった。このように広く行き渡った、確固とした、組織化された、そして覚悟した、非暴力的抵抗をかつて見たことがない。このように多くの司祭やシスターが平和や軍備縮小のために積極的に参加したということは感銘深いことである。わたしの人生の中で、済州島で見たような一つの運動へのこのレベルでの参加と献身を目の当たりにしたことは一度もなかった」と。

韓国の管区長であるシン・ウオンシク神父はミサの中で次のように説教された。「わたしたちは貧しい人、苦しんでいる人、虐げられている人とともに生きるとき、わたし達は、主イエスキリストに似るようになる。それがこの国でのわれわれイエズス会の使命をはたすことになるのです。」彼はこの活動に参加するよう韓国の全てのイエズス会員を激励したのだ。

最近、ニコラス総会長もまた、環境、平和、正義、そして連帯などに関するイエズス会の活動を激励する感動的な書簡を韓国管区に送った。イエズス会は伝統的に、情熱をもってひとつの炎を他の人の心にも燃え上がらせるようにしてきた。これが今回のような活動を、韓国を超えて広げてゆかなければならない重要な根拠なのである。こうした活動はすべてわれわれイエズス会の精神を示しているのである。なぜなら我々の目的は、「すべてにおいて神を見出す」ということなのだから。その精神は、総会長が遥かかなたから、済州島の韓国イエズス会員の活動を支持する理由なのである。

東北被災地ボランティアにつどう若者たち

社会の窓から⑧ 村山 兵衛(イエズス会神学生) 【社会司牧通信165号2012年6月15日】

東日本大震災はもはや「終わった」出来事なのか。誰もこの問いに「はい」とは答えまい。しかし離れた土地で暮らす者にとってその実感は薄い。津波による大量の「がれき」は、依然として何メートルもの高さの山のまま沿岸地域に残っている。推定1.5トンとされる津波漂流物は、太平洋の波に運ばれて、北米西海岸に姿を現し始めている。復興のめどの立たない産業、故郷を奪われた人たちが方々から集まる仮設住宅内の生活不安、そして大切な人を失い、家族を引き裂かれ、思い出したくないつらい記憶に今なお苛まれている大勢の人々――これらはマスメディアの報道が下火になっても決して黙殺されてはならない現在進行中の事実である。緊急性を要する支援活動が減ってきているとはいえ、被災地ボランティアの活動には、まだまだ多くの人手を必要としている。

ゴールデンウィーク中にわたしは、イエズス会の中井神父、サリ神父によって企画された「東北被災地ボランティアと祈りのプログラム」にスタッフとして参加した。中国地方と関東圏の教会および上智大学から約20人の若者が集まり、イエズス会スタッフ6人と共に5つのグループに分かれて、それぞれの滞在地で2 ~10日間被災地ボランティア活動をした。滞在地は、カリタス・ジャパンおよび日本各地のカトリック教会が運営する宮城・岩手県内の5つのボランティア・ベース(釜石、米川、塩釜、大船渡、大槌)であった。わたしもイエズス会スタッフのひとりとして米川ベースで5人の仲間と活動と祈りを共にし、多くの発見を持ち帰った。最終日には仙台のドミニコ会修道院にみなが合流して、分かち合いとミサをして、それぞれ帰途に就いた。

どんなに努力しても次々と迫ってくる復興への需要に対して、ボランティア活動をする者は、己の無力感に気づかされる。わたしは、町のほぼ全体が津波で大打撃を受けた南三陸町で、今なお残る大量の「がれき」の撤去および分別に参加させていただいた。震災被害の凄まじさに圧倒される日々であった。作業中にある家族が、土台だけ残された家屋の敷地に花を捧げているのを見た。休憩を終えて作業現場に再び戻るわたしたちに、この母娘は深々とおじぎをした。感謝されるようなことはまだ少しも果たせていないと感じ、わたしは複雑な心境であった。そんな様子に気づいてか、この母と娘さんはわたしに話しかけて来られ、ちょっとの立ち話のつもりが、色々お話を伺う機会となった。この母は、夫も娘婿も津波によって命を奪われ、自分と娘さんだけが助かった次第をお話し下さった。土台だけ残されたこの「わが家」に来るのは、いまでも勇気がいるし辛いという。

震災を生き延びて、これから暮らしを立て直そうとしている人々にじかに接するときほど、ボランティアの非力さに気づかされることはない。今なお苦しみを抱え、震災の傷の癒えることを待ち望んでいる人々が、大勢いるのである。この家族は、わたしたちのような若者が遠くからボランティア活動に来て、元気に汗を流して「がれき」を拾って集めていく姿に、自分たちも元気を得ていると言っていた。わたしたちが拾っている物をつぶさに見れば、それは南三陸の漁師たちが長年育ててきた牡蠣の貝殻であり、漁師たちの網である。衣服や靴は地元民の生きたあかしであり、海水に浸かった写真や賞状は、残されたわずかな「家族の思い出」なのである。

これは決してわたしだけの体験ではない。効率や成果という観点では決して見えてこないボランティアの意義があると実感する。実際、今回のプログラムで祈りと経験をともにした多くの若者が、様々な思いを持ち帰っていった。もちろん復興支援では具体的な成果や効率を無視することはできない。しかし共感と支援の必要性と人間同士の助け合いの精神は、就職難に見舞われる競争社会のただ中にあっても、忘れてはならないものではないか。復興に向かう地元の人々への配慮と思いやりを通して、多くの若者が何かを感じて持ち帰り、また被災地ボランティアに出かけてゆく。実に被災地には、「人の手とこころ」を通して行われるボランティア活動が、今なお必要とされているのである。  

『難民への旅』 山村 淳平著/現代企画室/2000年

【 書 評 】 (小山 英之、イエズス会司祭) 【社会司牧通信165号2012年6月15日】

この本の著者、山村淳平氏は、病院勤務を経て各国の被災民や難民の医療支援にたずさわり、現在は横浜の診療所に勤務し、難民の無料診断を行いながら、アムネスティ・インターナショナル難民チームの企画する難民セミナー・シンポジウムや茨城県の牛久収容所訪問など難民支援に積極的にかかわっておられる方です(参加したい方はアムネスティ・インターナショナル日本のホームページをご覧ください)。他の著書に、編著として『壁の涙―法務省「外国人収容所の実態」(現代企画室、2007年)があります。

1991年フィリッピンのピナツボ火山で大噴火が起き、周辺住民数百人が被災し、数千人が亡くなった際に設置された避難地に派遣されたことをきっかけに海外での医療救援へと入っていかれます。「社会の異変がおこれば、もっとも被害を受けるのは、少数民族・子ども・女性などの社会的弱者である。そのことをやせ細った少女に接してはじめて肌で実感した。彼・彼女らは目にみえない存在としてあつかわれ、社会から排除され、制度から疎外されている。それだけに病気になりやすく、しかし治療へとつなげられず、しだいに体はむしばまれ、病気の悪循環におちいる。それらを引き起こしている根本原因に貧困―むしろ富の偏在といったほうが適切である―や差別、そして国の社会構造などがふかくかかわってきていることに気づかされた」。フィリピン後、ビルマ西端、ルワンダとザイール、ビルマ東端、アフガニスタンで医療活動に従事する経験から、医療活動で人を救えるのか、救助はどのようにすすめればよいのか、そもそも援助とは何なのか、自然災害であっても本当の被害をもたらすものは何か、民族とはいったい何なのか、人はなぜ難民になるのか、国家の暴力とは一体何であるのか、といった根本的な問題に鋭い洞察を得、本書でそれを提示しています。

その後日本にもどり、外国人診察にたずさわり、外国人収容問題にかかわり、外国人や難民を支援してこられた経験の結晶が本書です。日本にやってくるアフガニスタン人、ビルマ人、クルド人とイラン人の実情、日本社会の構造、世界の近代化が生み出す難民といったテーマについて詳しく叙述され、難民問題・民族問題に関心ある人すべてが読むべき本です。

渋谷の野宿者たち

下川雅嗣 (イエズス会司祭) 【社会司牧通信164号2012年4月15日】

私は14年程前の神学生の時代から現在に至るまで通学・通勤の際に毎日通る東京・渋谷の野宿者たちと関わっている。元々アジアの国々でのスラムコミュニティに関心があったのだが、ちょうど15,6年前から渋谷でも野宿者がいたるところで目に入るようになり、自分の足元の貧困者となんらかの関わりが必要と思ったからである。その頃、渋谷で野宿当事者を中心に野宿者の状況をなんとかしていこうと考える「のじれん」という団体が結成され、この「のじれん」に関わるようになった。その中で、当初から一貫して大切にされていた取り組みとして、東京都立児童会館玄関前での集団野営というものがあった。これは、当時の行政との激しい交渉の末であるが、児童会館玄関前の屋根のあるかなり大きなスペースに、児童会館の業務が終了した夜9時以降朝5時ごろまでは、寝場所がない野宿者がいれば誰でも一緒に寝ることができる場所を確保するというのである。もちろん屋根があると言っても屋外だし、毎晩設営し、朝には清掃をしてその場から離れるわけで、そんなに良い環境とは言えないが、雨に直接降られず、若者や通行人(時に警備員や警察)からの嫌がらせや襲撃を心配せずにある程度安心して眠れる場所、またそこで新たに人間関係を築きコミュニティを作っていく可能性を秘める場所としては重要な場所であった(社会司牧通信No.89,90参照)。

その誰でもが寝られる場が、去年(2011年)11月1日完全閉鎖された。名目は児童会館の外壁の耐震工事が必要ということになっていたが、ちょうど野宿者が集団野営をしていた玄関前だけは耐震工事が必要とされた外壁は存在しなかった。実際、それから5ヶ月たった現在も玄関前はなんら工事は行なわれていないわけで、野宿者たちの夜だけの居場所を奪うことが目的としか考えられなかった。

14年前と違って、野宿者問題と関わる教会や市民団体はかなり増えてきた。しかしながら、それらは炊出し等の即時的な支援と生活保護申請や自立支援のプロセスの中での支援が主流のようである。もちろん、生活保護申請での行政の不当な対応(例えば必要な人を窓口で追い返すようないわゆる「水際作戦」やアパート等の居宅保護が本来なのに、それを許さず施設保護が一般的になっている地域も多いこと)を正し、野宿者の自立のサポートをすることは重要なことである。しかし、現状においては、日本社会はいまだに次々と新しい野宿者を生み出しているし、その野宿者たちの中で、行政や支援団体の敷いたレールにきちんと従って自立できる人はそんなに多くはない。そのような状況の中では、まず今の社会の中に、どんな人(野宿者)でも居られる場所、寝られる場所、野宿者どうしが互いに支えあうコミュニティが存在できることが非常に重要なのではないだろうか(もう一つ、野宿者を生み出さないような社会に変革していくことも重要であろう)。

キリスト教の本質的なことの一つとして、「神の無償の愛」というものがある。神は、その人が何かをするから愛するのではなく、その人がどんな人であろうと、まずはありのままで条件なしで愛しているのである。逆に言えば、その人がどんな欠点や弱さを持っていようが、その人は神から愛されていて、ありのまま受け入れられているのである。このことと、今の社会において、野宿者が誰でもありのまま居られる場所、寝られる場所が存在できることは直結することのように私には思える。

しかしながら、近年、特に大都市においては民間(大企業)主導の市場メカニズムを使った都市再開発の波が強く押し寄せてきている。市場メカニズムは無駄を排し、効率性を実現するには強力なメカニズムであるが、市場において価値がないと判断されるものが排除されていくのも確かである。上述の児童会館玄関前、誰でもが寝ることの出来た寝場所からの排除も、一年前に起きた宮下公園のネーミングライツをナイキ社が買うことによって生じた宮下公園からの数十名の野宿者の排除も、渋谷という街の民間主導の再開発の流れと無関係ではあるまい(2011年9月末東京都は政府に対して、渋谷駅周辺を国際戦略総合特区(法人事業税の免除等で多国籍企業を誘致し、アジア地域の統括拠点となることを目指すもの)とすることの申請を行い、12月22日に国から指定を受けた。児童会館も宮下公園もこの区域に属する)。

現在、墨田区の東京スカイツリーの5月22日開業に向けて、その周辺の再開発の流れの中、竪川河川敷公園(江東区)、荒川堀切橋河川敷(墨田区)では、江東区及び国土交通省による暴力的な強制排除とそれに抗する闘いの真最中である(3月下旬現在)。渋谷においても再開発の流れは一層激化し、4月26日に総合商業駅ビル「ヒカリエ」がオープンし、その後2012年中に、副都心線と東横線の連結(相互乗入)が予定されている。今後いよいよ渋谷において、野宿者が居られる場、寝られる場を守る闘いは厳しくなっていくと予想される。

都市再開発、それ自体は社会にとって必要なことかもしれない。しかし、そのプロセスの中で、野宿者、貧困者が排除され、居場所が奪われていく都市再開発をそのまま容認していて良いのだろうか。社会が無駄を省き、効率性を追求していくプロセスの中で、誰でも(野宿者)が居られる場所を社会の中からなくしていくことは、私たちが、毎日の生活でより効率的に無駄を省こうとするうちに、生活の中からイエスの居場所や祈りの時間をなくしていくことと同じようにも思える。

渋谷における現存する数少ない、寝場所のない野宿者が比較的誰でもが夜だけ寝られる場所の一つとして、渋谷区役所地下駐車場があります。しかし、ここもこの数年、追い出しの危機に直面しています。その攻防を描いた映画「渋谷ブランニューデイズ」ができました。一人の野宿者とある支援団体を中心に描いているため、私個人としては少々気になる点も無きにしもあらずですが、野宿する人の居場所を守ることの重要性、都市での排除の実態、十分機能していない生活保護行政の実態、野宿者を生み出す社会構造などの背景などがよく描かれているし、映画として音楽も含めて質が高いと思います。また何よりも映画に出てくる多くの野宿者や支援者、そして場所は、ほぼすべて、私がこの14年間関わってきた友人たち、慣れ親しんだ場所です(残念ながら私自身はこの映画が撮影されていた1年半ほどちょうど体調を崩していたので私は映画には出てきません)。是非ご覧ください。渋谷の映画館「UPLINK」でも4月28日より公開が決定しました。また、東京以外の方々も自主上映や教育機関のためのアカデミック版DVDも用意されています。詳しくは、以下の「渋谷ブランニューデイズ」公式サイトを参照ください。http://www.shibu-bra.jp/

イエズス会難民サービス(JRS)と日本の難民

小山英之「なんみんフォーラム」理事、上智大学グローバル・コンサーン研究所所員
 【社会司牧通信163号2012年2月15日】

カクマ難民キャンプ

1538年、イタリアの厳しい冬は、多くの飢餓、病と死をもたらしました。困憊した人びとはローマに避難し、イエズス会の創立者、ロヨラのイグナチオと同志たちは自分たちの家を開放しました。食物と薪を請い求め、ホームレスを探し出して連れて来て世話をしました。1年のうちには3千人の難民を世話するようになりました。1980年、当時イエズス会の総長であったアルぺ神父は、「何千人ものボートピープルと難民の窮状に強い衝撃を受け、心を動かされ」、コンパッションから1980年11月14日、イエズス会難民サービス(JRS)[i]を創設しました。それからJRSは31年間、難民たちと共にあり(accompany)、彼ら/彼女らに奉仕し(serve)、彼ら/彼女らの人権を擁護してきました(advocate)。

JRS は現在、南アフリカ地域、東アフリカ地域、西アフリカ地域、アフリカ大湖地域、北アメリカ地域、ラテンアメリカ・カリブ地域、ヨーロッパ地域、東南ヨーロッパ地域、南アジア地域、アジア太平洋地域の全世界10地域、50カ国以上の国々で難民支援のためのさまざまな国際的活動を行っています。 上智大学グローバル・コンサーン研究所が2010年に訪問したケニアのカクマ難民キャンプでは、JRS はCounseling Program(カウセリング)、Mental health Program(精神衛生)、Safe Haven (暴力に苦しむ女性を保護する場)、EducationProgram(教育)などのプログラムを提供しています。イエズス会の前総会長ぺーター・ハンス・コルヴェンバッハ神父は述べています。「JRS は渇ききった難民キャンプで人びとの希望がたびたび危険にさらされているところで希望の種を蒔きます。このことは特に教育を受けられない絶望のうちにある若い難民たちに当てはまります。毎日毎日、来る年も来る年も、生活はますます希望のないものになっていきます。こうしたキャンプで特にJRSは難民たちに希望を与える緊急の奉仕となります。難民たちが自分たちの将来を信じるのを助けるとき、希望は増大していきます。教育と職業訓練に愛の行為が注がれるとき、希望は増大していきます。和解を可能にし、未来に希望を与える知恵によって過去と現在の憎しみは命へと変容していきます」。

難民条約

難民条約ができたのは1951年、日本が条約に加入したのが1981年でした。その条約で難民は、「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるか、そのおそれがあるため、国外におり、国籍国の保護を受けられない者又はそれを望まない者」と定義されています。しかし、この条約は、歴史の特定の時代に、ホロコーストの犠牲者、共産圏から逃れて来た人々を保護するために創られたものです。今日、難民たちが置かれている状況が変わり、新しい挑戦を求められています。都市難民が増加し、また自然災害、国家の崩壊、誤った経済政策などの理由で土地を離れざるを得ない人びとも保護できるよう、その定義を広げる必要があります。残念ながら、世界ではますます国境が閉ざされ、見知らぬ人びとに対する敵意が増しています。

日本の難民認定者数等

日本は、ベトナム戦争後、ベトナム、カンボジア、ラオスから難民を受け入れ、78年から05年までに約1万1千人の定住を認めたものの、「難民条約」に基づく難民認定の申請者総数9,887件のうち認定されたのは577件にとどまっています。

法務省入国管理局が発表している「平成22年(2010年)における難民認定者数等について」によると、難民申請者数は1,202人(前年比186人減少)(内訳:ミャンマー342人、スリランカ171人、トルコ126人、ネパール109人、インド91人、他363人)難民として認定されたのは39人(前年比9人増加、うち13人は異議申し立て手続きによる認定)(内訳:ミャンマー37人、他2人)、人道配慮による在留許可数は363人(内訳:ミャンマー356人、他7人)となっています。これは欧米と比較して、2009年アメリカ19,800人、カナダ11,154人、イギリス9,693人、ドイツ8,115人、フランス7,924人、イタリア2,230人の難民受け入れ状況を見れば日本の難民認定率がいかに低いかがわかるでしょう[i]

2010年、日本政府は、第三国定住難民受け入れのパイロットプログラム[ii]をスタートさせ、母国を逃れてタイのメラ難民キャンプに滞留していたミャンマー難民5家族27人を受け入れ、2011年度も26人6家族を受け入れたことは一つの進歩と言えますが、多くの課題を残しています。昨年「第三国定住制度」に基づく第1陣として来日し、千葉県内で農業実習を受けていた2家族は、支援側との意志疎通不足もあり、東京都内に引っ越すということもありました(2012年1月14日毎日新聞)。制度」に基づく第1陣として来日し、千葉県内で農業実習を受けていた2家族は、支援側との意志疎通不足もあり、東京都内に引っ越すということもありました(2012年1月14日毎日新聞)。

  なんみんフォーラム(Forum for Refugees Japan-FRJ)

カレン族の難民と筆者

イエズス会社会司牧センターの移民デスクは、外国人のための無料法律相談[i]、足立インタ―ナショナル・アカデミー[ii]を通しての奉仕に加えて、難民たちの支援、権利の擁護のためにはより広いネットワークの中で活動する必要から日本で暮 カレン族の難民と筆者

らす難民を支援するNGOのネットワーク「なんみんフォーラム」[iii]に2年前から参加しています。

 法務省入国管理局も、難民保護を推進する民間支援団体である「なんみんフォーラム」との協議を通じて、難民認定手続き、収容、定住・自立支援などに関して具体的な改善点を見いだし、法務省だけでは対応困難な改善策の実現に取り組むようになってきています。

 最近の事例では、12月に成田空港で仮放免になったミャンマー難民4人を四ツ谷の難民支援協会が引き取り、カトリック東京国際センターが宿舎、衣類、食糧、携帯電話、テレビの提供を行ない、武蔵関の宿舎近くの女子修道院が日本語学習のサポートをしています。民間の協力によって強制収容の代替措置が可能となるよう期待しています。

 イエズス会司牧センターはこれからも、世界のイエズス会難民サービスとのつながりのうちに、日本のなんみんフォーラムのメンバーとして活動していきます。さらにつけ加えるならば、1年前に上智大学内に「ソフィアなんみんサービス」という学生団体を形成し、学生を巻き込んでの具体的な難民とのかかわり方を模索しています。

 ⅰ[1] http://www.jrs.org.au/

ⅱ日本の難民については、「難民支援協会」のホームぺージ、『難民への旅』(山村淳平著、現代企画室、2010年)などをご参照ください。

ⅲ『難民研究ジャーナル』第1号2011、難民研究フォーラム。

ⅳ社会司牧通信163号

ⅴ社会司牧通信146号

ⅵhttp://frj.or.jp/


[i] 社会司牧通信163号

[ii] 社会司牧通信146号

社会司牧センターの無料法律相談

安藤 勇(イエズス会社会司牧センター) 【社会司牧通信162号2011年12月15日】

今年の1月に始まった当センターの最新活動分野を紹介します。

普段、私たちは電車、職場、学校や教会などで日本に移住してきた多国籍の外国人に出会う機会がたくさんあります。たとえば、日本のカトリック教会を例にすると信徒の大部分は様々な国から来日し、彼らは長く日本に住んで日曜日に私たちの教会をいっぱいに占めています。この移住者と付き合っている人なら、彼らが日本で直面している状況の複雑さや日本語の訓練の必要性、あるいは解決しにくい法律の障害を抱えていることによく気がついているでしょう。

社会司牧センターが四谷駅の近くにある岐部ホールに引っ越しした時にイエズス会管区本部から与えられた一つの使命は聖イグナチオ教会との協力を探って、その関係を強めることでした。つまり、教会を訪れる方々の中で一部が直面している問題を自分の力だけではどう解決をするのか分からないからです。社会司牧センターは特に、弱い立場に置かれている難民や多くの外国籍の労働者、あるいは母子家庭のお母さんたちなどの主な問題の根本的な解決を探ってみよと色々な方法を考えました。その結論は法律相談を設けることでした。しかし、弁護士のような法律専門家が必要になりました。

そのごろ、大手新聞は東京弁護士会パブリック法律事務所において外国人を対象にした法律支援の新しい部門ができたという報道が目につきました。記事によると、その担当者は上智大学の元卒業生で鈴木雅子と名乗りました。そして、ある日、自分の家族と東京に暮らしているシンガポール人のJessie T.さんは、社会司牧センターに現れ、お手伝いしたいと申し込んだわけです。そこで、センターに法律相談を始めよと思い、鈴木弁護士と連絡を取りながら計画を組んでみました。その後、東京パブリック法律事務所へ足を運んでセンターとの協力に関心を示した3人の弁護士と交渉に入り、月一回センターで無料法律相談を行うことになって、今年の1月に相談はスタートを切りました。

ところが、相談の時間が限られているせいか、どうしてもゆっくりと自由に面会を行う必要性を感じ、弁護士に会う前に本人たちが抱えている主な問題を絞るために法律相談を申し込んだ一人一人を呼び出します。結局、弁護士にはじめて会う人はほとんどで、日本語も英語も通じない方もいますから、通訳を付なければいけません。実はセンターでは六つの言葉で対応しています。現在、すでに解決されたケースあるいはまだ法律的な解決を待っているケースが35も私たちのファイルに記録されています。

1. ANGIさん(匿名)は数ヶ月前入管の収容所からセンターに電話をかけました。彼女は小さい子供3人を抱えるsingle motherのフィリピン人でした。日本生まれの子どもたちは1歳、2歳、4歳で、8ヶ月間もお母さんから 離され、児童施設に収容されました。日本の滞在許可が切れて今年の1月に逮捕され、品川にある入管の収容所に入れられた。彼女にはお金がなくて、私たちは面会に行った毎に支援をしたことがあり、弁護士と共に収容所で逢ったこともあります。結局、去る6月子どもと共に強制送還されました。

2. ANGEL(匿名、フィリピン人)は法律相談のために、最近尋ねてきました。週末2日間パブでまじめに働いていましたが、2カ月も賃金をもらいませんでした。本人は7月の無料法律相談に来て弁護士のアドバイスに従って、労働基準監督署の力を求めましたけれども、監督署が介入したにもかかわらず、経営者からの反応は何にもありませんでした。結局、今月の末、裁判になりました。私たちは通訳を提供しています。

3. NGUYEN(ベトナム人)は難民だと主張して、難民の承認を受けるために日本政府に訴えてきました。法務省は3回ほどその訴えを退きましたので、2011年8月に法律支援を求めて社会司牧センターで相談を受けました。私たちと関わりのある弁護士1人が彼を世話しています。ベトナム語と英語の書類が多くセンターで日本語に直しています。

Immigration Detention Japan

WORKSHOP ON DETENTION PRISONS IN JAPAN
By Ando Isamu, SJ (Jesuit Social Center, Tokyo)

October 14th 2011, a special Workshop took place in Tokyo concerning the issue of immigration detention centers in Japan. The organizers were the Forum for Refugees Japan (FRJ).

The Jesuit social center Migrant Desk also collaborated with FRJ and provided the facilities to hold the 1-day workshop. About 35 people, representing 14 groups linked to the network of FRJ, participated. During the morning inputs, Mr. Daniel A. UNHCR representative in Japan and 3 key members of International Detention Coalition (IDC) provided important information on the issue of immigration detention. The director of International Detention Coalition, Mr. Grant Mitchel drawing on a number of international examples outlined a new approach to alternatives to detention named as ‘Community Assessment and Placement (CAP) model. The idea is how to enforce immigration law by using mechanisms that do not rely heavily on detention. That is meant to give response to irregular migrants and asylum seekers. The experiences of Australia and Hong Kong, where UNHCR, NGOs and government act at unison and a controversial plan of the South Korean government to build new facilities for asylum seekers in an isolated island, criticized by NGOs, were also presented.

The whole afternoon of the workshop was a live exercise in 4 different working groups with regard to the realities of asylum seekers in Japan. The sessions were short and a number of themes were gradually provided by the facilitator, Mr. Grant Mitchel of IDC.

At the end, there was little time left to discuss the action programs, and hopefully FRJ will continue the follow up work at their normal meetings.

This workshop was the first one to take place in Japan (?) and the atmosphere was very good and the content was fruitful. One of the main messages was the need for collaboration not only among NGOs, but also with officials and UNHCR. No matter different approaches, to prevent unnecessary immigration detention is, certainly, a common issue. With regard to the participating NGOs it was not clear whether they referred only to asylum seekers (refugees) or they also included irregular migrants.

Those interested could visit IDC URL http://www.idcoalition.org

イエズス会アジア太平洋協議会(JCAP)移民に関するワークショップ(ソウル)

移民
イエズス会アジア太平洋協議会(JCAP)移民に関するワークショップ
2011年5月15~17日、イエズス会使徒職センター(ソウル)

 【社会司牧通信160号2011年7月15日】

「境界線を越える橋をかけるのはイエズス会の伝統であり、今日の世界の状況では特に重要である。砕かれ分断された世界をつなぐために必要なのは、ただキリストの愛と、海を越えてもザビエルとイグナチオを結んだような心のきずなと、世界のどこにでもわたしたちを派遣する従順によって、わたしたちが一つになることである」(第35総会第3教令、17)

<概観>
移民の送出国と受入国で、直接、移民のために働いているイエズス会員や協働者が初めて一堂に会したワークショップが、2011年5月15~17日、ソウルで開かれた。このワークショップの目的は、次の通り。
● 移民によりよく奉仕するために、各国のセンター同士の連携を強めること
● お互いの経験や専門家の知識から最善の働き方を学んで、能力を高めること
● -共同の行動計画をまとめること

ワークショップはイエズス会アジア太平洋協議会(JCAP)の主催で開かれ、イエズス会韓国管区から惜しみない支援を受けた。韓国、日本、台湾、インドネシア、ベトナムから13人が参加したほか、「よき牧者」アジア太平洋ネットワークの代表も1人参加した。

<プログラムのハイライト>
Fr. Denis Kim(JCAP社会使徒職コーディネーター)は、アジア(特に東北アジア)における移民の概観、教会とイエズス会が直面する課題を紹介した。キム神父のプレゼンテーションは、参加者が移民問題の大枠を見てとり、それが文化や宗教、開発・発展といかに結びついているかを理解するために役立った。参加者の一部からは、文化や宗教、開発・発展など、相互に関連する問題をよりよく理解することは、移民のニーズにより深く応える上で役立つ-というコメントがあった。キム神父はまた、受入国における移民の状況を概観したが、これも参加者にとって有益だった。この概観の枠組みは四つの要素からなっている-国、労働市場、文化、市民社会だ。

Ms. Jeong Gue-sun(「移民と連帯」代表)は、韓国の市民社会が移民にどのように対応しているか話した。参加者は、韓国における移民の状況や移民政策の進展、市民運動の役割について学んだ。参加者の主な収穫の一つは、移民に関する取り組みが抱えている課題とは、移民自身のトレーニングとエンパワメント(能力向上)によって、彼らが自分たちの目標を実現するために積極的に働けるようにすることであると気づいたことだ。この点についてMs. Jeongによると、カトリック教会からの支援を受けたフィリピンからの移民が、韓国でもっともよく組織化されている。Ms. Jeongの意見では、国際協力において鍵となる分野の一つは、受入国で起こるさまざまな問題や搾取を防止するための、送出国におけるシステムの強化だ。送出国・受入国の双方が、情報や世論喚起、移民に向けての準備におけるさまざまなギャップを解消するために、協力して当たるべきだ。

参加者はまた、Hyehwadongフィリピノ・カトリック共同体(HFCC)を訪ね、彼らが移民グループとして実によく組織化されていることに驚いた。評議会と小委員会に1,500人のメンバーと200人のボランティアを抱える同グループは、韓国最大のフィリピン人共同体だ。HFCCは、フィリピン外国宣教会(Mission Society of the Philippines)のフィリピン人神父が指導司祭となり、カトリック・ソウル大司教区の惜しみない援助によって、活動拠点としてダウンダウンに4階建てのビルを構えている。HFCCのエンパワメントと組織化のやり方は参加者にとって、自国に持ち帰って応用しうる最良のモデルと感じられた。

[各センターの情報交換]
上記の講演と体験学習の後、参加者は各センターの活動や、各国の移民事情について情報交換した。参加者はこの情報交換から、精神的援助の重要性、移民の子どもたちの教育、移民政策を改善するための世論喚起などについて、互いに最善の方法を学んだ。受入国で働く参加者は、送出国からの参加者との交流から、移民の願いをより深く理解することを学んだ。参加者は、マレーシアでひどく搾取された家事労働者、Nirmalaのケースに深くショックを受け、そうした問題を解決するために、将来的に共同行動を取ることが必要だということ、そして、そうした共同行動は南西アジア地域でこそいっそう重要だということを実感した。

<参加者のふりかえり>
聖書にもとづくふりかえりとワークショップでのインプットの後、参加者は共に祈り、最優先で解決すべき移民のニーズを識別した。識別で挙げられた分野は、移民の不安定な状況、共同体の必要性、移民としての権利に関する知識、自分たちのことばで支援を受けるシステムの充実、自国でよりよい準備をしてから出発すること、家族関係の弱体化、移民の根本原因である貧困の緩和、などだ。

こうしたインプットを見ると、移民の現実とその全てのプロセスにおけるニーズに対して、参加者が鋭い感受性を持って見ていることが、今回の議論の大きな流れを作っていると分かる。それは多分、参加者が最前線で移民に付き添っている具体的な状況から来るのだろう。このことがイエズス会難民サービスと似通っているのは、当然のことだ。JCAP移民プロジェクトは、こう問題提起する。「アジア太平洋における移民の大きなニーズに応えるために、イエズス会がなしうる独自な貢献とは何か」。参加者のふりかえりとインプットから見いだされるJCAPネットワーク独自の貢献とは、「移民に身近に付き添うことで、何が必要かを探り出す能力と、移民の視点からものごとを見るやり方」だろう。

参加者のふりかえりのもう一つの特徴は、移民に効果的に奉仕するために、送出国と受入国双方のセンターが協力して働く必要が、ますます明らかになってきたことだ。それによって、よりよい移民のための準備、情報交換、国外にいる移民や本国に残っている家族への付き添い、教育、司牧的世話、公共サービスの利用、移民の権利擁護、世論喚起などを実現することができる。これもまた、イエズス会独自の貢献となりうる。「このようなJCAPの送出国と受入国のネットワークの存在は、より総合的なサービスの提供を可能にする」。アジア太平洋の移民の半分が、地域内での移動であることを考えると、このネットワークは特に重要だ。将来的には、JCAPのネットワークが共同の世論喚起キャンペーンを行うことも視野に入れている。

<共同行動計画>
参加者の提案に基づいて、以下の行動計画が承認された。

1.送出国と受入国の間で処理するケース
● ここで言う「ケース」とは、ある人がある場所から他の場所に移動し、何かの問題を抱えて助けを求めている場合だ。あるケースについて、送出国から受入国まで(あるいはその反対)付き添う必要がある場合、我々の各センターから、定められた手続きに従って支援が行われる。
● この手続きには電子メールや携帯電話などで連絡を取ること(ネットワーク・メンバーの緊急連絡先リストがすでに配布されている)が含まれ、個々のケースの経過・移民本人と送出側と受入側の情報・連絡先事務所の住所などの情報が提供される。
● 各ケースの処理費用はさしあたり、それぞれのセンターが負担する。
● 6ヶ月以内にこの手続きの原案を作成し、ネットワークのメンバーから意見を集める。
● この手続きの実施後、6ヶ月もしくは3~5ケースごとに評価が行われる。

2.移民や家族への共同の付き添い
● 家庭生活に及ぼす悪影響を解消するため、送出国と受入国のネットワーク・メンバーが互いに調整して、移民とその家族に付き添う。この付き添いには、家族を本国に残している移民のケースだけでなく、移民先でその国の人と結婚しているケースも含まれる。
● 最初に、さまざまなケースのデータを集めて、共通の問題点を洗い出す。
● 改善すべき取り組みとして、移民のための集会プログラム、文化的な違いについての教育、医療支援、家庭の意味や大切さについての教育、受入国と送出国の担当者同士のネットワーク作りなどが挙げられる。

3.移民の準備:教育とオリエンテーション
● 移民する人の本国では、しばしば、移民先の国の正確な情報が不足している。
● JCAPネットワークは、受入国(日本、韓国、台湾、シンガポール、マレーシア)から利用可能なあらゆる情報(冊子やホームページなど)を集めて、送出国(インドネシア、中国、ベトナム、フィリピン、ミャンマー、タイ)に提供し、ネットワーク・メンバーが外国に行こうとしている人に配れるようにする。
● この情報は、移民出発前の教育やセミナーでも利用できるようにする。
● 一定期間の後に、そうした冊子などの有効性を評価する。
● 送出国の代表者の住所を5月末までに集約し、冊子などを6月中に送れるようにする。

<評価>
今回のワークショップの全体的な感想は、一種の安心感だった。ワークショップに参加したメンバーは、特に初めて移民送出国の視点から話を聞くことができて、移民の問題について大きな枠組みと深い理解を得ることができたと実感した。それによって参加者は、よりいっそうのモチベーションと勇気、自分たちの仕事の意義についてのより深い理解を得ることができた。また、一部の参加者は、移民のエンパワメント、協力者の人材発掘、文化・宗教・経済問題への注目など、新しい取り組みのヒントを得た。

今回のワークショップは、JCAPネットワークのメンバーだけでなく、「よき牧者」のシスターたちとの関係を築くのにも役立った。課題や仕事が山積みなのは承知の上で、参加者は、移民に関する共同プロジェクトが具体的に動き始めたと実感した。このワークショップは送出国と受入国に「橋をかける」助けとなったが、それは第35総会の要請に応える一つのステップでもある。もう一つ明白なことは、移民の問題に直接携わっている協働者を含めた、より小規模で焦点を絞った集まりを開くことが、より効果的な方法だということだ。そのためにも、現在ネットワークで行われているコミュニケーションが、きわめて重要になるだろう。

<次の段階>
ネットワーク・メンバーは、上記の行動計画に取り組む。今回の集まりに関する報告は、移民に関するタスク・フォースとJCAP事務局に送られる。JCAPは、このネットワークのために、常勤のコーディネーターを引き続き探す。コーディネーターの主な役割は、今回の集まりで始まった第一歩に続いて、ネットワーク・メンバーと共により総合的な取り組みを促すことだろう。段階が進めば、国境を越えて移民のためのより総合的な付き添いの取り組みが行われることになるだろうが、それは社会使徒職にとっても新たなモデルの一つとなるだろう。

次の課題は世論喚起キャンペーンだろう。この点でJCAPネットワークは、個々の具体的な移民問題について考察と対話を繰り返しながら、取り組むべき普遍的なキャンペーン・テーマを見つけ出す必要がある。これが、次のワークショップの焦点となるだろう。

2011年5月30日

Detention-Deportation in Japan

安藤 勇(イエズス会社会司牧センター) 【2011年6月15日】

While I am writing this a young mother accompanying her 3 little children is in her way for the Philippines. They are not tourists and leave Japan not because of their own will, they are “deported”. The mother is, in fact, a single mother abandoned by her Filipino husband who had brought her to Japan.

On early March this year, I received a phone from an immigration detention center. The person I had never met before wanted me to visit her because she was very much in trouble and wanted to consult her situation with me. When I finally agreed and was able to visit her, my findings were painfully sad and I became really angry. It was true that the mother was living in Japan for several years undocumented. She had 3 small children, all of them born in Japan. From last October up to today (15 June, 2011) she was forcefully separated from her little ones and interned in an immigration jail. The oldest child at that time was 3 years & 10 months old and the smallest only 1 year & 5 months old. The children were placed in a welfare institution hours away. The mother in jail was never allowed to see them for over 8 months. She was very poor and wanted to remain in Japan and to educate her children here. She didn’t have any money, but immigration was pressing her day after day to get money for their tickets back to the Philippines, in spite that she did not have any possibility to buy them. Finally some of us decided to bring to an end such dramatic situation and gathered the needed cost of the tickets.

This way the case was closed, but the real issue remains unresolved. The legal system is kept untouched: undocumented persons are put in jail and deported. But, how can people keeping that system become so chilly and psychologically “frozen” to separate for more than 8 months a mother from her little ones? Is a detention center the only answer? Where are humanitarian ways? I have heard that there is a kind of a quota of so many thousand cases of undocumented persons to be detained and deported every year. The content of the cases doesn’t matter. To meet the quota is the most important.

【 報 告 】 第10回イエズス会神学生ブラザー会議

トマス・ニャララムクラト(イエズス会) 【社会司牧通信137号2007年4月15日】

イエズス会東アジア・オセアニア地区の、第10回神学生ブラザー会議(SBC)が、2006年12月21日-2007年1月6日、マレーシアのマラッカで開かれた。会議には、東アジア・オセアニア地区のさまざまな管区から、神学生30人と養成中のブラザー(以下「ブラザー」)2人が参加した。ビザと出国制限のため、中国と東ティモールの代表が参加できなかったのは残念だった。日本からは神学生のトマスとブラザー村岡が参加した。今回のSBCのテーマは「移民と都市化」(migration and urbanization)。ジョジョ・ファン神父とポール・ダス神父が会議の進行を手伝った。
 10回目を迎えるSBCは、移民という問題を、 イエズス会の霊性の主な源泉である福音、霊操、会憲のなかに位置づけることから始まった。
 イエズス会東アジア・オセアニア地区の社会使徒職事務局長、ポール・ダス神父は、イエズス会の社会使徒職におけるミッションのモデルを発見する手段として、会員の個人的な召命や、会の共通理念、識別の基準、使徒的な力と共に、これらの霊的な源泉の根底にある枠組みを提示した。
 社会的な関わりの一つのモデルとして、霊操は四つの段階からなるプロセスを示す。体験、分析、考察、行動だ。それぞれの段階を考察することによって、イエズス会員が社会使徒職に関わる動機と正当性が理解される。

会議に参加した日本管区の3人 左から、小暮、村岡、トマス

<体験> 
 体験は、霊操をおこないながら社会で働くイエズス会員の出発点だ。その中心的な二つの要素は、体験学習(exposure)と「現場に入ること」(immersion)だ。体験学習をおこなうためには、快適な暮らしから一歩踏み出して、読んだものや見たもの、聞いたものに心を動かされることが必要だ。この体験学習をさらに進めたのが、「現場に入ること」だ。それは、新しい環境にすっぽりと包まれることであり、それによって、来るべきもう一つの世界を内側から理解することが可能になる。その一番の成果は「自分のこととして感じること」(empathy)だ。

<分析>
  体験はイエズス会員を「なにが?」という質問へと向き合わせるが、「なにが?」の因果関係について理解するには「なぜ?」という質問が必要だ。分析とは、複雑な質問や論理、批判的考察を、それに先立つ体験のさまざまな要素にあてはめてみることだ。「なぜ?」というの質問の成果は、ある特定のできごとや環境、状況の因果関係についての意識が高まることだ。こうして、体験と分析はイグナチオの霊操のもっとも重要な手段となる。

<考察>
  考察とは、複数のイエズス会員がそれぞれ得た知識を持ち寄り、祈りのうちに考える段階だ。この段階では、イエズス会員は聖霊の動きに心を開いて、聖書についてのイグナチオのさまざまな考察や自分自身の物語を、手段として用いる。この聖霊の動きとは、より大いなる善のために、より普遍的な利益のために、より多くの人々のより緊急な必要のために-つまり「マジス」(より大いなる)に奉仕するものである。
  
<行動>
  行動は、神のみ言葉と祈りに基づいて、神のみ旨を識別することから生まれる。ある特定の行動が、必ずしも世界を変えるものである必要はないが、具体的な関わりこそ重要である。この四番目の段階は、社会使徒職の分野で広く見られる、人々の疎外や周辺化(marginalization)の問題に、私たちをより深く立ち入らせてくれる。
 このように、第10回のSBC会議がダス神父によるイエズス会社会使徒職のモデルに従って進められたのと同じ方法で、第10回SBC会議の成果を、次の四つのカテゴリー:体験、分析、考察、行動から考察してみたい。

●体験
  SBC参加者の大部分にとって、今回の会議のテーマである「移民」についての体験は、会議に先立って各国の移民の状況についてレポートを作成する段階から始まった。それぞれの管区の地元政府が、移民に関してどんな政策をとっているかを調べることは、参加者たちの多くにとって、自国の移民の状況やイエズス会の対応について考える(多くの場合はじめての)チャンスとなった。また、別の神学生やブラザーにとっては、そうした研究やレポートの作成は、かれら自身がそれまで体験してきた移住労働者の状況-たとえば、既存のイエズス会の使徒職を通じて助けを求めてきた、難民や移住労働者の状況-を再確認するものだった。さまざまな管区からのレポートに耳を傾けることで、参加者たちの知識は豊かになり、ショックを受け、考えさせられる体験となった。

「現場に入る」 プログラム
 その次の体験プログラムは、全参加者を対象とした「現場に入る」体験だ。ポール・ダス神父が採り入れたこのプログラムの目的は、参加者が移住労働者と一緒に過ごすことで、移民の現実を、それぞれが移民についての研究から得た分析的手法へと採り入れることだった。ポール・ダス師によれば、言葉の壁を乗り越えることができないことこそ、この体験のもっとも重要な部分だ。言葉のハンディキャップは、他国で暮らす移民の現実を、参加者に体験させた。ポール神父はまた、参加者に対して、それまでの移民との関わりから抱いた偏見や思いこみをすてて、この体験に参加する必要があると強調した。参加者はさらに、この体験が私たちの霊的生活にもたらす影響を正しく評価するために、「五官を働かせる」よう期待された。
 現場に入る体験の間、私たちは四つのグループに分かれた。ベトナム人の神学生たちは、ポール・ダス神父と一緒だった。三人のインドネシア人神学生からなる別のグループは、フローレスからやって来た、カトリックが中心のインドネシア人移住労働者のコミュニティに参加した。三番目のグループは、ポルト・クランというところのテナガニタというNGOが組織したコミュニティを訪ねた。残りの多くの参加者は、マレーシアでJRSのカウンターパートとして活動している組織が世話している、クアラルンプール市内の移住労働者のさまざまなコミュニティを、分散して訪問した。

私たち参加者は三日間にわたって移住労働者と一緒に過ごし、交流する機会を持った。私たちは厳しい生活に苦労する一方で、かれらの寛大な親切に深く心うたれた。私たちは、言葉の壁をのりこえて、かれらと語り合った。かれらと共に食べ、かれらのつつましいクリスマスのお祝いに一緒に参加した。私たちは、かれらの確固たる信仰と、生活の困難を粘り強く克服しようとする態度に感動した。かれらの話を聞いて、私たちはこう自問せずにはいられなかった。「かれらはなぜ、こんな目に遭わなければならないのか?」
 マラッカまで帰る途中で、私たちは小休止して、次の問題を考える時間を与えられた。「この移民たちとの体験は、私にとってどんな意味があるのだろう?」私たちの「現場に入る」体験を振り返るプロセスは共同でおこなわれ、それぞれがこの短い「現場に入る」プログラムで体験したことを、互いに大いに学び合うことができた。こうして、私たちは自分たちの体験を語り、それが私たちにどんな影響を与えたかを報告した。このプロセスの中心的な要素は、状況を社会的・文化的・経済的・政治的構造の観点から批判的に分析することだ。私たちはさらに、感情的な面でも、移民の問題の宗教・信仰の側面に注目した。こうして、私たちは頭の中の知識と心の動きを一つにまとめることで、前進することができた。ダス師が、この体験の効果を要約して述べたのは、次のことだ。クアラルンプールやジョホールの移住労働者のグループの「現場に入る」実体験を通して、移民たちの問題に対する私たちの「同情」が、ほんとうに「自分のこととして感じる」レベルにまで深まった。この「自分のこととして感じる」ことこそ、イエズス会員を「移民や避難民の悲惨な状況を、自分自身のものとする」関わりへと駆り立てる原動力だ。思うに、こんな「現場に入る」体験をするのに、クリスマス以上に適当な時はない。なぜなら、クリスマスとは、私たちを愛するあまり、私たちの悲惨な世界に深く入り、私たちと共にあり、私たち人間の一人となられた主キリストの、受肉を祝う時だからだ。移民の「現場に入る」私たちの体験は、こうしてキリストの降誕のより深い意味を発見させてくれた。

分科会で発表するトマス(左から4人目)

●分析 
私たちは、このような心動かされる体験の後、そうした体験を分析するよう招かれた。手助けをしてくれたのは、移民や人権問題の専門家であるマレーシア人のアイリーン・フェルナンデス博士だ。アイリーン博士は、「私たちは今まさにグローバリゼーションの第三波を体験している」と述べた。第一波とは、ヨーロッパ諸国が他の国々の資源を奪うために、世界中に植民地を広げた時期だ。第二波は、ヨーロッパが産業革命を経て、より安価な生産手段を探し求めた時期だ。この時期世界は、海外生産や「緑の革命」(米国などの支援で第三世界の品種改良と農薬・化学肥料の多用により農産物の増収が図られたが、失敗した)の始まりを経験した。最後に、現在の第三の波の焦点は貿易だ。移民が激増しているこの時期、資本主義は野放しになっている。あらゆる貿易障壁が取り除かれ、すべての市場が競争にさらされる傾向は、ますます強まっている。
 この資本主義イデオロギーの結果として、人間生活のあらゆる側面が効率性と経済性の基準で計られるようになっている。アイリーン博士はグローバリゼーションから生じるさまざまな問題について指摘したが、その中には、労働者を売買の対象として扱う「労働の商品化」の問題も含まれていた。このグローバリゼーションの第三波は、行き過ぎれば、個人の人権や尊厳さえも奪ってしまう。グローバリゼーションはまた、特に貧しい人々や発展途上の国々に対する新たな差別や暴力をもたらした。新自由主義的傾向をもつグローバリゼーションは、規制緩和と公共部門の民営化をもたらした。こうした規制緩和や民営化は、さまざまな経済部門で効率アップを実現する一方、水のような基本的生活必需品の商品化をも招いた。このように、生活全体が経済性によって支配された結果、基本的な生活必需品を確保することさえ、経済状態に左右されることになってしまった。
 アイリーン・フェルナンデス博士は、移民の一つの要素としての人身売買の問題を、分析することが重要だと強調した。人身売買とは現代の奴隷制であり、人々は売春や債務労働を強制され、赤ちゃんの誘拐や売買さえおこなわれている。貧しい国から豊かな国へと嫁いでいく女性たちの多くは、自由のないメイドとして働かされている。私たちはまた、移住労働者権利条約や世界人権宣言などの文書を読むよう勧められた。アイリーン博士は、移民の権利を保護するにあたって、かれらの特定の人権が侵害されている点をはっきりさせるべきだと強調した。
 アイリーン博士は、講義やグループ討論、フィードバック、個人的な分かち合いなどを通して、情報を提供してくれた。こうして、参加者たちは討論と対話に参加する機会を与えられた。

 ●考察
ジョジョ・ファン神父によっておこなわれたSBC会議の三番目のプログラムは、参加者たちに自分の体験を、アジアの神学の視点から考察させてくれた。ジョジョ師は、アジアにおける「アナゥイム」(私たちの中の貧しく、疎外された人々)との具体的な出会いから生まれる、ユニークなアジアの神学の必要性を強調した。ジョジョ師は、こうした神学的考察をおこなうにあたって、絵画や詩、歌によって神学の概念を表現する、テキストによらない神学のアプローチを指導した。こうした表現方法こそ、アジア神学の特長なのだ。
 ジョジョ師は聖書を引用して、イスラエル人と他の民族との関係が、年を経て、どう発展していったかを浮き彫りにした。

考察をイメージにまとめる

当初は、異邦人はイスラエルの民に対する脅威とみなされていたが、両者の関係はやがて、相互に尊重し合う関係へと変わっていった。この関係性のモデルは、特に新約聖書における諸民族同士の仲間意識へと発展していった。新約時代には、全ての人に向けられたキリストの救いのわざと使命への招きのゆえに、あらゆる人が等しく尊厳を持つ存在とみなされた。
 ジョジョ師は、旧約・新約聖書に照らして移民の問題を提示した後、私たちを考察へと誘った。この考察は、移民のあらゆる段階に神がいかに現存してこられたか、そして今度は私たち自身が、移民のために、移民の前に現存することが、どれほど必要かを理解させてくれた。神は、あらゆる運動を指導し、ご自身に忠実な者に、寄留の生活を送る人々を導くよう招いておられる。神の変わることのない現存とは、絶えず移動しているご自身の愛する民に対する、神の絶えざる誠実さを表している。ある意味では、神ご自身もまた、私たちの一人ひとりと共に旅する「移動される神」なのだ。
●行動
 行動に関しては、第10回SBC会議の参加者たちが提出した勧告を紹介したい。12日間にわたる移民や移住労働者、難民についてのインプットや討論、熟慮の後、SBCの参加者は以下のような勧告を提出した(順番は優先度の高い順)。

<養成と養成共同体> 
1.個々の神学生やブラザーは、イグナチオの心と第34総会の精神、総長の考えに従いつつ、自らのイエズス会員としてのミッションの養成や神学教育、全人的な発展に、個人的に関わり、意識的に責任を持つことができるよう、勧められる。このプロセスにとって明らかに助けとなる行動とは、以下のようなものである。

1.1.きわめて高い水準で以下のことを教える、厳密な学問的プログラム
 1.1.1.社会分析と批判的思考の技術を伴った社会-政治意識
 1.1.2.国際的・国内的経済構造の理解
 1.1.3.基本的人権と義務の正しい評価
 1.1.4.霊操に裏打ちされた、正義をおこなう信仰の神学的・霊的基礎
 1.1.5.カトリック教会の社会的教え
 1.1.6.移民のような現代の社会現象に関連する諸問題について理解し、分析し、考察し、意見を表明し、討論する能力を与える、人文科学関係の諸領域

1.2.移民や移住労働者、難民に関わる諸問題に関心を持ち、創造的に関わっていくイニシアティブを意識的におこなうことによって、若いイエズス会員たちの社会使徒職への関わりを再活性化し、会員に求められるミッションの養成と全人的な発展を助けること。イエズス会の既存の組織構造の枠内で機能するためには、そうしたイニシアティブは次のような形をとりうるだろう
 1.2.1.社会使徒職で働く、経験豊かなイエズス会員の指導者を見つけること
 1.2.2.移民や移住労働者、難民の問題に関する適切なネットワーク、ワークショップ、セミナーに参加し、積極的に貢献すること
 1.2.3.移民や難民の司牧活動をおこなうこと
 1.2.4.移民や移住労働者、難民に関わる体験プログラムや、イエズス会とその関係機関によっておこなわれるプログラムに参加すること
 1.2.5.移民や難民のコミュニティのために支援や緊急援助、教育、世論喚起の活動をおこなう専門的な使徒職を含む、東アジア地区の各管区の社会使徒職に、中間期生を送ること

1.3.SBC参加者のチームからボランティアを募って活動グループを結成し、東アジア・オセアニア諸国で起きている人権侵害や移住労働者、難民関係の諸問題を、イエズス会内外で追究し、啓蒙すること

<管区や共同体へのフィードバック> 
2.SBC参加者はそれぞれのコミュニティに、SBCで得た移民や移住労働者、難民に関する情報や体験を、公式に伝えること。さらに、それが実践的あるいは効果的なものとなるよう、以下のことに努める。
 2.1.管区のニュースレターや雑誌、ホームページ、メーリング・リストなどに記事を書いたり投稿すること
 2.2.養成中の会員に役立つように、移民や移住労働者、難民の問題に関するワークショップを開催すること

<青少年司牧とキャンパス・ミニストリ> 
3.勧告1の優先度と必要性に関連して、神学生やブラザーが青少年司牧やキャンパス・ミニストリ(大学司牧)に携わるところでは、そのイエズス会員は基本的人権の重要性と、そこから派生する移民や移住労働者、難民の諸問題について意識を促進する仕事をおこなうこと。この仕事が実践的で効果的なものとなるよう、以下のような方法でおこなわれるとよいだろう。
 3.1.今日の社会で若者を動かすものは何かを識別し、「人々のもっとも奥深くにある願い」に根ざしたオルターナティブな価値観や「正義をおこなう信仰」を伝えること
 3.2.移民や移住労働者、難民の要素を、関連する使徒職のプログラムに採り入れること
 3.3.東アジア・オセアニア地区でおこなわれているイエズス会の社会使徒職の枠内で、市民団体や協力者と一緒に、体験学習や「現場に入り込む」プログラムをおこなうこと
 3.4.適切な機会があればいつでも、イエズス会の仕事に参加するよう若い人たちに呼びかけること

<イエズス会の社会使徒職への関わり> 
4.東アジア・オセアニア地区のイエズス会がおこなっている社会使徒職の豊かさのゆえに、SBC参加者は、イエズス会の既存の社会使徒職組織に積極的に参加する。
 4.1.イエズス会難民サービス(JRS)やその関係者と連携して、かれらの仕事を体験学習したり「現場に入る」プログラムを進めたり、JRSのメッセージを各国のイエズス会の共同体や事業に伝えること
 4.2.イエズス会や関係機関の信徒協力者と共に働くこと。たとえば、韓国のユイ・サリ(友の家)やマレーシアのACTS、フィリピンのUGAT、オーストラリアのJSSや、移民の担当司祭全般などの仕事が含まれる。そうした活動の成功に学び、伝統的な家父長制や制度の障害を克服すること
 4.3.人権や移民、移住労働者、難民について、管区の出版物やホームページ、その他のメディアで執筆すること。適切な場合には、一般の出版物にも執筆してよいだろう
 4.4.移民に関して、共通の関心分野で、教区の機関や他の修道会と一体となって、あるいはパートナーとして働くこと

参加者の集合写真(SBC会議の会場で)

【 報 告 】 JRSとアフリカ難民

茭口公喜(こもぐちただよし)(広島学院中・高等学校教諭) 【社会司牧通信141号2007年12月15日】

 ローマでの休日
 JRS(イエズス会難民サービス)は1980年、「他者のための人間」像を顕現化すべく、広島の修道院から日本管区長を経てイエズス会総長、すなわち、イエズス会創始者イグナチオの後継者に就任したペドロ・アルペ神父により設立された。戦火や飢饉を逃れ命からがら国境線を越えて避難してきた難民を、カトリックの使命感に則って手助けをする機関である。「一緒に」「仕える」「代弁する」をモットーに活動をしている。

 イエズス会の総本山ジェズ教会の裏手、地下にJRSローマがあり、またローマの難民センターでもある。小さなチャペルの入り口には、ロバに乗ったイエスのモザイクがある。「ヨセフとマリアに連れられたイエス自身も難民です。さあ、皆さんも元気を出しなさいというメッセージが込められています」と、JRSインターナショナル・チーフのマグリーニャ神父が微笑んで見上げておられた。

JRSのマーク
イエスも難民

 ここで、アフガニスタンやイラクからの難民に給食のサービスを行なっている。小さな診療室もあり、ボランティアの医師が二人来てくれるという。午後4時から約400名分の食事を食べさせている。この給仕の手伝いができないか訊いてみたが、基本的にはイタリア語で行なうゆえに、苦労しそうということで見送ることになった、残念。マグリーニャ神父はJRSイタリアのチーフのジョバンニ神父とミラノとジェノバに開設した難民センターについての話をしている。マグリーニャ神父は昨夜11時にジェノバから帰ってきたばかりである。 こういう献身的な働きによって多くの人が助かり、希望を見いだせる。何とやり甲斐のある仕事だろう。しかし、それこそ神様の恩寵、才能がないとできない仕事ではある。マグリーニャ神父は2つの学位を持ち、母国語のスペイン語とラテン語、ポルトガル語、ドイツ語、フランス語そして英語、イタリア語を理解し、話す。話すといっても内容は世界の難民のことであるから、政治・経済の専門用語や地理や民族の知識の上にある、その土地土地のスタッフと難民の細やかな感情を汲んでの会話である。これは、手伝えるはずもない。自分にできることだけをしよう…。

 ケニヤの難民キャンプ
 具体的に難民キャンプに行くお話。難民キャンプは観光地ではない。そもそも就航便自体、国連か国連難民高等弁務官事務所のどちらかの定期便である。乗せてもらうのに目的や身分証明などの手続きが必要。一般路線で行くとすれば、最寄りの空港はロキチョキオ。ロキチョキオから難民キャンプへはどうやっていくか? タクシーで行こうと思っても、ドライバーに断わられる。低木がぱらぱらとしか見られない地平線まで続く平らな土地。そこにまっすぐに伸びる1本の道路。視力3とか4という双眼鏡のような目で見れば、遥か彼方から来る自動車に気づくのは難しくない。道路に石を並べれば作業完了。止まった車から石を退かそうと降りてきた運転手を銃で撃ち車ごと奪う。これが、盗賊の手口らしい。それを避けるためには、国連と警察の護衛をつけて5台以上で連れ立って移動する。これをコンボイと呼んでいる。私の乗った車には弾痕と思しきものが2箇所あった。

国連とのコンボイ
無惨に壊れた車

難民キャンプも時が経ち、その様相は変わっていく。何とか緊急の命の危機的な状況・飢餓や疫病が一段落すると、全体のシステムが整備される。住むところ、上水・下水など、食糧の供給システムとルール。治安の管理・病院、学校などの施設の設立。現在のキャンプの円滑な維持と共に、難民の帰国後の祖国再建という問題を希望的に解決しない限り、難民は帰る術も無くただそこに生活するだけになる。JRSは、教育に関わることと共に、難民の抱えるトラウマの緩和・除去に大きく貢献している。祖国が落ち着きを取り戻し、命の危険が去ったら、難民は祖国に帰る。教育を受けておかないと国の再建などという大きな夢は叶わない。JRSは初等教育のみならず、中等・高等教育にパイプを持ち、援助を続ける。再建に必要なのは高等教育を身に付けた人材の育成である。教育の機会が初等教育を終了した時点でなくなる事が多いのは事実。JRSは、中等高等教育の機会を与えている。しかし、このこの教育が新たな問題を生んでいる。祖国は、命の危険はなくなっても教育施設が無い。仮にあったとしてもそのカリキュラムに整合性が無ければ、今までの教育は無駄になる。そこでJRSは、祖国側にも同じカリキュラムの学校をつくるように計画を進めている。

 ただ、直接、難民キャンプへの援助という側面が薄れて、見ようによっては、運営によっては、難民へのサービスの枠を大きく出てしまい、直接国の再建の援助の側面を持ち、ハードとソフトの両面から莫大な資金や人材が必要になる。キャンプが運営されてしばらくすると、キャンプの中での民族問題・争いごとが表面化してくる。命からがら逃げてきたのは良いが、気がつけば自分をこのような状況に追いやった連中がキャンプ内にいる。また、言葉・信条・生活習慣などが混在するキャンプ内には数々の問題が存在するが、第三者が正論のみでこれを解決出来ようはずも無く、問題は水面下へ潜っていく。『おまえはお客さんだから、ここの連中(国連やJRSのスタッフ)は絶対言わないだろうけど、ここは恐ろしいところだぜ…』、そういう前置きで語ってくれたことは、事実かどうかの確認のしようも無いことだが、彼らの表情にはそれを真実だと思わせるに足る迫力があった…。

 また、携帯電話の普及により問題の即時発見や対処が容易になった反面、スタッフに多くの負担がかかるようになってきた。それぞれが現場で解決することよりも、判断を仰ぐことにより正しい判断ができる可能性があると同時に、責任の転嫁も容易になり、現場での臨機応変な対応を阻害する事例も見当たるようになってきた。また、電話は殆どが「ワン切り」(電話をかけて、呼び出し音を1回だけ鳴らして電話を切り、相手がかけ直してくるのを待つこと)だという。着信音がして、ナンバーが難民からのものであれば、掛けなおさない訳にはいかないという。そのための電話代はかなり高額になり、彼らを圧迫している。
 そして、ある程度安定したキャンプにつきものの恐ろしい問題、つまり、「予算の削減」。また、新たな問題の中でも鳥インフルエンザは、よりによってこの過酷なキャンプ場の近くで発見された…。

鳥インフルエンザの警戒看板

 難民キャンプは、どんなところに作るのだろうか。国境付近であることは必要だが、住むための条件の良いところでは決して無いはずだ。良い条件のところにはすでに人が住んでいる。「今日からここを難民キャンプにするから皆立ち退きなさい」と言って問題が起こらないはずがない。したがって先住民の権利の大きなところには難民キャンプはできない。全くの無人地区はありえないだろうが、それに近いところが選ばれる。

 トゥルカナ地方は乾燥地帯で平均気温40℃といわれる厳しい自然環境。トゥルカナ族が細々と放牧をしている地域である。そこに難民キャンプが出来た。トゥルカナ民族への相談は…、無かった。そのカクマがだんだん大きくなって今や8万人を越す人口である。幅1km長さ15kmの難民キャンプの人口密度はかなり大きいし、人口はケニヤで4番目に多い町(?)である。

 もともと人があまり住まなかったのは、水が無いからである。そこへ8万人もの人が住むとなると、莫大な量の水が必要になる。とはいえ、もともと水のないところなのだから、住民の要求どおりに水を供給できるはずがない。時間による給水制限は始めからあり、水がなくなったからやっているわけではない。給水は、コミュニティーごと1時間。蛇口はわずか2つ。これが、約200人のコミュニティーの住人を生かしている。時間前にはたくさんのポリタンクが給水所に並ぶ。1時間で、さらに給水時間が始まってから集まってくるポリタンクすべてを水で満たすことは不可能だ。そもそも、ポリタンクのいくつかは前日からそこにある、すなわち前日の未供給分なのだ。

水の配給は1時間

 では、前日水がもらえなかった人たちはどうしたのだろうか? 近所からのもらい水しかない。お互いに助け合っていかないとキャンプでの生活は成り立たないのだ。難民の中には祖国での迫害や逃げる途中の苦労から、ハンディを背負っている人は少なくない。コミュニティーは、それぞれの事情をすっぽり飲み込む余裕がないと成り立たない。もともと良好な関係があったわけでもない住民同士のコミュニティーに、その余裕を求めるのも酷な事かも知れない。

 強い日差しの中、そこに並んで水を汲み溜めているのは、女性や子どもである。子どもは重要な働き手。「学校は?」という心配よりも、水がないと生活が成り立たないという心配の優先順位の方が高い。そして、持ってみると分かるが、女性や子どもには水は重すぎる。重いポリタンクを持って、炎天下に住む所に戻る姿は、多くの課題を抱えながら自国に戻りゆく彼らの姿に重なるところが多い。

 給水塔に上る許可をもらった。はしごで15m程上るのだが、鉄筋のはしごを握る手が汗ですべる…恐ろしい。高所恐怖症ではない、はしごが貧弱でさびているのだ。

給水塔に上る
給水塔から見たキャンプ

 何とか上り、難民キャンプを見おろして、驚いた。緑が豊かなのである。コミュニティーや家族毎の家の境界は明白である。植物が生い茂っているのだ。十分ではないにしても、8万人の人が生きていくだけの水は、どこからか持ってきているのである。植物の無い乾燥地帯も、人の生活の影響で緑が増えていくのだなあと、降りるときのことを考えないようにしながら、給水塔からの風景を楽しんだ。

[乾燥したカクマの土地
緑豊かな難民キャンプ

 あるソマリア人の話 
現地JRSの取り計らいで、家庭訪問カウンセリングサービスに同行させてもらった。理由も無く祖国を、故郷を捨てる者はいない。その事情がトラウマになっては、厳しい環境での復興は土台無理な話。トラウマを取り除くべくカウンセリングを施す団体は他に無い。難民キャンプの過酷な環境と生活リズムに合わせて、家庭訪問のカウンセリングサービスは、とても重要な役割を担っている。
 あるソマリア人の家族を訪問した。母親がカウンセリングを申し込んだのだ。夫が寝たきりで動けないので、デイケアセンターに行けないという。刺のある木で作られた垣根に囲まれて、親子5人が暮らす家があった。この暑いのに、直射日光の当るところに男性が毛布をかぶって横になっている。この家の主だが、国から逃げる途中背骨を痛めてしまったという。一度は回復に向かったが、無理をして再び痛めてしまい、それ以降は寝たきりである。そこで、力仕事から家事・看護、子どもの世話までをすべて、この母親がひとりで切り盛りしている。国に帰る算段や子どもの将来などを案ずる暇もなく、ただ看病と日々の生活に明け暮れている。その過労・心労のツケが彼女に回ってくる。目が見えにくい。このままだと目がみえなくなるという不安と、家をどうすればいいのかという不安が彼女を襲い、眠れない…。目の病院に行きたいが、時間を作れないし、お金がない。カウンセラーは、ただ話を聞くだけである。自身も難民の身であれば差し出す援助の手もない。
 次に訪れたのは、やはりソマリアから来た人の家。通りに面した小さな家は、雨が降ったら泥水が押し寄せてくるという。この家は国連により与えられたものではなく、空き家になっていたので勝手に移り住んだらしい。夫もソマリア人で、数kmはなれたところに、彼の両親らとコミュニティーを形成していた。夫はエイズを発症し、「妻と子供を追い出した」らしい。その時、妻と子供の食料の配給台帳等はくれなかったという。妻や子に病気をうつしたくなかったのか、病気の治療にかかる負担を妻子の分の食料を売ることによる収入でカバーしようとしたのか、どちらかだろうとカウンセラーは言っていた。しかし、配給がないまま出て行けということは死ねと言っているようなものだ。

生活は困難を極める
ストレスは一気に母親に

子供は3人。11歳の長女は元気だが、次女とその弟は何か様子がおかしい。JRSスタッフは、「多分二人はエイズだと思う」と言う。皆HIV検査にも行っていない。結果を知るのが怖いから行かない。育ち盛りの子供をかかえて、食糧の配給も受けられない。国連に話をしても、「家庭の問題」と請け合わない。しかし、正論を言っても現実的には何の解決にもならない。カウンセラーもトラウマとか心の傷とかではなく、現実の解決すべき難問を突きつけられ、為す術がない。彼はよきサマリア人になりたくても話を聞くことしかできないことを情けないと感じたようだが、自らも難民の身でありながら人に何かしてあげられない自分に傷つくこの人々に深い敬意を感じた。

 後日、難民キャンプ内の人々に別れを告げに来たときに、再び目の悪いソマリアのおばさんにあった。「目の調子はいかがですか?」と訊くと、「目はね、メガネを作れば良いだけの話なんだけど、お金がないのよ。カウンセラーに言えば、JRSが『メガネを作りなさい』って援助してくれるかなと思ったのよ」とサバサバした調子で言っていた。「何もしてあげられなくてすみません。このソマリアの親子の相談相手になってください」とお願いしたら、「もちろんよ」とこれまた明るく答えてくれた。私とて、話を聞く以外に何もしてあげられなかったのに、「また、来るのよ。きっとよ」と言ってくれた。

メリーさん
 メリーを見た瞬間、何も訊かなくてもわかることがある。心に深い傷をおい、それは言葉や物ではどうしようもないものだということ。名前を聞くとその名が自分にとっても心の傷になるような気がしたから、できれば、名前を知りたくなかったが、連れて行ってくれたJRSのスタッフからメリーと聞かされた。彼女が10歳の時スーダンで村が襲われた。両親を撃ち殺され、彼女も背中を撃たれた。倒れた彼女の胴の部分は焼け爛れ、両足の自由を失ってしまった。親戚も皆やられた。ケニヤとの国境付近の病院で3年間過ごした後、難民として今カクマにいる。カクマの環境は彼女には辛すぎる。希望も望みももはや無いと言う。身寄りも無く、スーダンでの村人の生き残りの人々と同じコミュニティーに入れてもらっている。彼女には村の人も親切にしてくれるらしい。
 彼女にはJRSの特別支援奨学金が施されている。19歳の今、小学校の7年生である。遅ればせながら彼女は学校に通い始めた。彼女が自立を果たすことが出来るとすれば、軽度のデスクワークである。勉強では生物が好きだという彼女に「医者になれたらいいね。人の痛みのわかる良いお医者さんになるだろうに」と伝えたら、寂しそうに「そうですね。そうなれたらいいですね…」と答えたが、言葉には実現に向かうエネルギーは感じられなかった。「私にはスーダンに知り合いもいません。このキャンプが閉鎖にでもなったら私はどこに行けばいいのか全くわかりません。少しでも勉強して、タイピストにでもなれたら何とか生きて行けるかしら…」。これから先コンピュータプログラマーなら必要だが、果たしてタイピストが必要なのだろうか。しかし、彼女に具体的な自立の道は他に思いつかないのだ。
 ちょうど授業が終わり、彼女は松葉杖をついて帰途についた。細い腕、細い体で一生懸命に松葉杖をつく。後日、JRSの施設で彼女に会った。小学校の制服と違い、民族衣装を着ている彼女はとても綺麗だった。

民族衣装のメリーさん
歩いて帰るメリーさん

 ナイロビの難民
 ナイロビでのことである。もともと許容範囲の小さな私は、これ以上は消化できないのではと思っていたが、最後の力を振り絞ってナイロビ市内のスラムを訪れることにした。案内してくださるのは、JRS「教区内極貧救済部門」の担当シスター・マーシー。彼女の元を訪れていたエチオピアからの難民女性とその2歳の子供の家を訪問する。この時期、ナイロビには良く雨が降る。排水の悪い道路は泥の川になり、交通は大渋滞、水溜ができ、マラリア蚊が大発生する。足元に気をつけてシスターの後を追う。小さな路地に面した古い建物のひとつに入り、狭い階段を4階まで上る。ドアらしいドアの無い3畳程度の部屋が、親子の家である。窓が1箇所あり、窓ガラスは無い。正方形の穴が開いているだけだ。当然蚊の襲来を防ぐ手立てはない。家具は、ベッドと小さなタンスがひとつ。水道やトイレは無論ない。聖書と薬のビンが棚の上にある。難民男性と結婚し、2年前に出産。男は他に女を作って出て行った。2人は教会に救いを求めた。洗濯物を預かっては手間賃をもらうのが唯一の収入。体の調子が悪く、洗濯物も預かれない。最近夜は寒いし、蚊帳を買うお金も無い…。棚の上の薬は、配給されているエイズの進行を遅らせる薬らしい。「子どもも…HIV陽性ですか?」と訊いた。幸い子供はHIV陰性。「この母親の2年後の生存確率は限りなくゼロに近いのでは?」「多分そうでしょう」「……」シスターも目を覆うのみ。この状況をどう収めるのか、どう解決すればいいのか。やるせなさ、せつなさ、怒り、諦観…色々な感情が頭を巡り、混乱していた私の耳に聞こえたのは、シスター・マーシーの「祈りましょう…」という言葉だった。2人とも聖書に手を置いて祈っている。只静かに祈り、出口の見えない絶望に立ち向かっている。この逆境にあって、この人たちは強い。私の旅はこの、「これが信仰か…」という驚きで幕を下ろした。

家庭訪問した難民の親子
子どもは2歳
カクマキャンプ遠景

【 記 念 】イエズス会難民サービスの25年

安藤 勇(イエズス会社会司牧センター) 【社会司牧通信129号2005年12月15日】

 イエズス会難民サービス(JRS)は2005年10月21日、難民に奉仕して25周年を記念する記者会見を、本部のあるローマで開いた。JRSの国際事務局ディレクター、Lluis Magrina神父(イエズス会)は、難民の状況とJRSの世界的な活動について、概略を説明した。Magrina師が示した霊性と教育についての2冊の新しい本は、JRSが難民に同伴し、奉仕し、その権利を世論に訴えてきた25年間の歩みを、彼らが出会った生と死、希望、困難を通して、映し出している。

 この元JRSスタッフによる2冊の本の内容は、記者会見で簡単に紹介された。”GOD IN EXILE: Toward a shared spirituality with refugees”(追放される神:難民と分かち合う霊性)は、Pablo Alonso神父(イエズス会)によるもので、追放された人々の旅路とJRSの具体的な活動に重要に意義をもたらす、深い霊性を探究している。この本は、常に難民の人々の体験に基づいて、JRSの組織に影響を与える、実践的な本だ。「私たちは、難民キャンプに、収容所に、閉ざされた国境に神を見いだすために、霊性を深めなければなりません。難民とともに分かち合う、よりよい世界への願いは、希望をもたらします。これこそ難民が与えることのできる贈り物です」と、Alonso神父は語った。

 ”HORIZONS OF LEARNING: 25 years of JRS educatin”(学習の地平:JRSによる教育の25年)は、Sr. Lolin Menendez(聖心会)によるものだ。「教育は難民に希望を与えるもので、その意味で教育は、食べ物や住まい、水と同じくらい重要です。追放生活は悲惨ですが、未来に対する意識と技能を身につけるチャンスにもなり得ます。教育とは、学校や教科書、学問だけのことではありません。紛争解決のような教育プログラムは非常に有益であり、リーダーシップを発揮させ、人権侵害を監視し、衛生状態を改善するのに役立ちます。この本は、子どもたちと自分たち自身を教育しようとしてきた難民の人たちの、努力を賞賛する本です。また、教育の力を信じる世界中のJRSワーカーたちを賞賛する本でもあります」と、Sr. Menendezは語った。
 1980年11月14日、当時のイエズス会総長、Pedro Arrupe神父は、難民に同伴し、奉仕し、その権利を訴えるJRSの設立を会員に宣言したが、当時の世界の難民の数は1600万人だった。イエズス会員はベトナムのボート・ピープルに寄り添い、人道支援と教育サービスを提供した。こんにち、世界中の難民は5千万人を数え、JRSの活動する状況は劇的に変化した。JRSが提供するサービスの領域と数は急激に増えている。

 この記事を書いている最中に、イエズス会総長のPeter-Hans Kolvenbach神父が全会員に宛てた、JRS25周年についての手紙が届いた。手紙は11月24日の設立記念日に出され、JRSの重要性を強調している。

記念ミサでの濱尾枢機卿
 2005年10月21日、ローマのジェス教会で、JRS25周年記念の感謝ミサが執り行われた。説教で、濱尾枢機卿はこう述べた(抜粋)。「人々(難民)は今なお、メシアであるイエスに従っています。彼らは、子どもを殺すかわりに、非暴力の価値を信じます。真理と愛の価値を薄め、あきらめるかわりに、犠牲を甘んじて受けます。私たちの神ヤハウェが、難民とその生き方のうちに、見える者として存在し、その力によって、人々のまったき生を実現することを信じています-私たちの手によって、また、後に続く人々の手によって。そして、主の言葉が私たちに届きます。『私は今日、あなた方をエジプトから導き出す』
 私たちは、この招きに何とか応えようと、今日ここに集っています。私たちはJRS25年の奉仕を、感謝をもって思い起こします。彼らは困難にあっても辛抱強く、誠実でした。JRSはたくさんの難民とともにあり、生き生きと働いています。イエズス会難民サービスは彼らにとって一つの恵みであり、その体験にあずかる人にとって、自らの価値を高めてくれるものであります。

JRSは草の根の人々に直接に関わり、彼らのそばにいて、その目をのぞき込み、その身の上話に耳を傾けます。食料の確保が脅かされている難民キャンプに、教育プロジェクトを受けている若者たちの中に、危険にさらされる女性たちが相談している保護施設に、無実の人々が囚われている収容所に、日常の希望と悲しみを捧げるために集うキリスト教共同体とともに、JRSはいます。未来は実現されなけばいけません。イエズス会難民サービスは、同じ姿勢で、国連とヨーロッパ連合の回廊にも出かけます。諸問題の原因に取り組み、ロビイ活動をし、世論喚起に携わり、政治家や公務員を動かして、声なき人々のために、希望のしるしを実現させるために働きます。これこそJRSの働きです。彼らは信仰に基づいた活動の模範であり、彼らの模範は多くの人を触発し、後に従わせます。無力かもしれないが、メシアであるイエスに従う覚悟のある人々を、献身的な奉仕のうちに、一つにまとめます。他の人々と協力すれば、神の国のしるしを実現することは可能だと信じて。私たちがそのような人でありつづけることを願い、また祈ります。結局、『現代人の喜びと希望、悲しみと不安、とりわけ貧しい人々やしいたげられている人々のそれは、イエス・キリストのすべての弟子の喜びと希望、悲しみと不安である』のです」

アジアでの25年 
タイ・バンコクには最初のJRS地域事務所が置かれ、当初からベトナムからのボート・ピープルや、カンボジア・ラオス難民に深く関わってきた。JRSアジア事務所はまさに満25周年を迎えた。あるイエズス会員は、こう振り返っている。
 「一つはっきりしていることは、難民とは危険な人々だということです。あらゆる国の政府が、この史実をはっきりと認識しています。さもなければ、どうして各国政府やマスコミが、難民を望まれない犯罪者、受け入れ国にとっての諸悪の根元として扱っているのでしょう?
 いったん、難民たちがあなたの生活に入り込んできたら、彼らはあなたの人となりを変えてしまいます。私に起きたことが、まさにそうでした。彼らは私たちが深く信じてきた-しかし、多分その大部分は検証されたことのない-さまざまな仮定や思いこみにチャレンジします。難民たちは、ただありのままで存在するだけで、そうした私たちの仮定や思いこみの多くには何の価値もないばかりか、見たこともないほど暴力的であることを気づかせてくれます。

カンボジア、地震被災者チャンナレットさん一家

 あなたの人生に一人でも難民を迎え入れて、その人に触れてみて下さい。あなたはもはや、自分に対して恐ろしい暴力をふるうことなしに、以前のように快適な立場から世界とその仕組みを眺めることができなくなるでしょう。
 難民たちは、追放された者、無力な者の視点から世界の歴史を書き換えます。難民は私のような人に、恵まれない人、望まれない人、疎外された人の視点から、自分の生活を改めて作り直させてくれます。
 難民が危険なのは、彼らが回心、変化をもたらすからです。そして、この個人的な変化は、生活のあらゆる面に及びます。多くの人にとって、この変化は非常に心乱されるものです。
 これはもちろん、とても高くつく霊的な回心のプロセスであり、キリスト者が『おん父』と呼ぶ聖なる方の招きへと、自分を従わせるプロセスです。こうした個人的な体験については、他の宗教の方や、無宗教の善意ある方も、それぞれ独自の体験の仕方をするでしょう。この招きは、すべての人を兄弟姉妹、同じ『父』の子とみなし、自分自身を暴力から遠ざけるよう求めています。
 難民は罪の世の現れであり、罪の暴力が私たちを含めた人間に及ぼす悪の現れです。難民は、世界の既存のシステム-政治、経済、軍事、教育、社会、医療など、あらゆるシステム-に組み込まれている、構造的罪の現れです。

 多くの善意ある人々、知的で専門技術もあり、意欲に燃えた人々が、持てる才能を用いて、社会の向上のために懸命に取り組んでいるにもかかわらず、難民はあらゆるシステムの中心にある腐敗を現しています。そして何より、難民は、彼らの前にあえて身をさらす人々に、この罪の世に生きるすべての人々(私も含めて)の複雑さ(これもまた、しばしば気づかれてないものです)を現しています。難民は、いまだ解決されていない課題体現しているのです。
 ですから、私の友である難民の皆さん、私は皆さんの信じがたいほどの勇気、生命力、創造性、人間性を讃えて、大きな『ありがとう』を捧げます。皆さんが、恐ろしい扱いを体験してきたにもかかわらず、自らの人間性を保ちつづけていることは、私にとって、神の皆さんに対する限りない愛に満ちた憐れみの神秘を示しており、愛と憐れみを明らかに欠いているこの世界への、一つの挑戦に他なりません。私が皆さんと出会い、皆さんを知り、触れあう機会を与えてくれた、イエズス会の長上とJRSに感謝します。そして何より、私の友だちとなってくれた、友である難民の皆さんに感謝します」

オーストラリアのJRS
 10月15日、JRSの元ワーカーと現役のワーカー90人がシドニーのリバービュー大学に集まり、JRS25周年を祝った。それは、ともに振り返り、旧友とのきずなを確認する日であった。だが、そこには悲しみの色もあった。今現在、世界で5千万人の人々が自国の中で、あるいは国境を越えて、故郷を追われている。Arrupe神父の目標は、インドシナ戦争で故郷を追われた人々に、実際的で押しつけがましくない支援を行う組織を設立することだった。JRS設立の時の難民は1600万人だったが、その数が増えるにつれて、JRSの仕事も増えている。 1990~2000年にJRSの国際事務局のディレクターを務めたMark Raper神父(イエズス会)は、JRSオーストラリアのディナーで講演し、JRSの精神の形成を助けてきた難民やボランティアのことを、想起させた。 Raper師は、JRSの行動哲学、まず難民に同伴することから始まり、この同伴から難民への奉仕と世論喚起を打ち立てていく、その活動スタイルを改めて指摘した。また、もっとも資源の乏しいところ、もっとも大きな必要のあるところで働くというJRSの精神も強調した。

ヨーロッパ:変革のビジョン
 「移民問題を討議し、その解決を探るには、まずこの問題の人間的な側面を理解することから出発しなければならい」。JRSヨーロッパのアシスタント・ディレクター、Michael Schoepf神父(イエズス会)は、10月21日にローマで開かれた「ヨーロッパの移民:ヨーロッパにおける変革の政治的ビジョン」という会議で、こう述べた。この会議はJRS25周年を記念して開かれた。
 会議のメイン・スピーカーであった、欧州委員会の司法・自由・安全分野担当理事、Ms. Angela Martiniは、欧州委員会で採択されたハーグ・プログラムのための3つの優先課題について強調した。すなわち、①移民に関する共通政策の策定、そこには正規の移民すべてに対して法的地位を保障することが含まれる、②不正規移民に対する取り締まり強化、そこにはEU国境の取り締まり強化や移民送出国とEU加盟国との協力強化が含まれる、③安全で寛大な亡命庇護政策。
 Ms. Martiniは、JRS25周年に祝辞を述べた後、彼女が「避難民-難民-開発ネクサス(関連し合うテーマ)」と呼ぶ、一連の問題について述べた。つまり、いまや避難民と難民の区別は困難であり、難民が生まれる原因である貧困問題と闘うために、難民送出国と開発政策について共同で働くことが重要なのである。彼女はまた、避難民と難民を一つのカテゴリーにまとめることの重要性も強調した。そのためには、避難民にも労働を認める政策が必要だ、と述べた。

日本のイエズス会とJRS JRSの設立はベトナムのボート・ピープルの問題と密接に結びついており、日本は他の先進国に比べて難民の受け入れに熱心ではなかったが、UNHCRをはじめとする難民支援の国際団体に、非常に多額の支援をしてきた。日本管区に関して言えば、JRSができたばかりの頃に、最初は上智大学のアジア関係研究室(当時)が、後には大学全体が、タイの難民キャンプに避難していたカンボジア難民やベトナム難民の問題に、積極的に関わった。当時、大学の積極的な指導のもと、多くの学生たちが難民キャンプで短期のボランティアをするために、タイを訪れた。このプログラムは短期間で終了したが、多くの学生たちが難民生活の悲惨さを体験することができた。キャンプは難民の人間性や精神性をおとしめた。何千という難民が「難民」認定を受けられず、不法入国者の扱いを受け、時には陸から数十メートルの船のなかで、座ることも横になることもゆるされないまま、国外へと送り返された。難民はもっとも基本的な権利さえ認められない、政治的な「物乞い」のような扱いを受けていた。アジア関係研究室が発行した2冊の本、『ドキュメンタリー ボートピープル 見捨てられた人々』(1978)と『難民-インドシナ難民の叫び』(1980)は、JRS設立のきっかけとなった難民の悲劇的な状況を、生々しく想起させる。
 現在、上智大学の社会正義研究所が、アフリカのJRSと連絡を取り、アフリカの難民に対するいくつかのプログラムを支援している。また、社会正義研究所はたびたび、世界の難民問題に関する国際シンポジウムを開催している。

 東京のイエズス会社会司牧センターは、日本におけるJRSの連絡事務所で、主にバンコクのJRS地域事務所を通じて、東アジアにおけるJRSのさまざまなプログラムに深く関わってきた。また、JRSカンボジア(現在のイエズス会サービス・カンボジア)と協力して、日本における対人地雷廃絶キャンペーンを推進してきた。また、ベトナムやカンボジアで開発支援を行う市民グループにも協力している。さらに、日本国内でも、日本で暮らすインドシナからの難民や流民のために、さまざまな世論喚起のプログラムを行ってきた。現在、日本で働く何十万人もの外国人労働者の状況が非常に厳しくなっている。なかでも緊急の課題は、彼らの司牧的ケアと世論喚起の仕事だ。

(世界各地のJRSの25周年記念行事については、JRSのホームページなどをもとにまとめた。詳しくはhttp://www.jrs.net/reports/を参照。なお、JRSの25年の活動の歴史をまとめた本が、近々刊行される予定)

JRSアジア・パシフィック、野外ミサ

(写真は2点とも “Jesuit Refugee Service: 20 Years of photographs and text 1980-2000”より) 

【 報 告 】 私の移民体験学習イン・ジャパン

アンディ・アビン(イエズス会) 【社会司牧通信138号2007年6月15日】

 東アジア・オセアニア地区の第10回イエズス会神学生ブラザー会議が昨年12月21日~今年1月6日、マレーシアのマラッカで開かれた。私たち参加者は、この会議の間に行われた体験・分析・考察の実りとして、行動計画を作成した(『社会司牧通信』137号参照)。私たちはロヨラのイグナチオの「magis(より大いなる)」の精神に触発されて、養成中のイエズス会神学生の仲間たちにインスピレーションを与えようと考えた。というのも、私たちはこの会議で、イエズス会の社会使徒職、とりわけ移民の世話に参加することを決議したからだ。

 「東アジア・オセアニア地区のイエズス会が行っている社会使徒職の豊かさのゆえに、SBC参加者は、イエズス会の既存の社会使徒職組織に積極的に参加する。…イエズス会や関係機関の信徒協力者と共に働くこと。…そうした活動の成功に学び、伝統的な家父長制や制度の障害を克服すること」(第10回SBC勧告、4-4.2)

 これに加えて、私がクアラルンプールで体験した、移民労働者との意義深い現場体験から、私はさらに深い体験をしたいと思うようになった。こうして、私は一人のフィリピン人として、移民というチャレンジを心に留めようと、夏休みの体験学習を、移民労働者―特にフィリピン人労働者―と共に働くことにした。

 体験学習の具体的な方法については、実際にいろいろな選択肢がある。だが、フィリピン人労働者の最大の受け入れ国の一つである、日本に行くという選択肢は、最善の方法のように思われた。私は、このことを体験によって確認した。もちろん、私をあたたかく歓迎し、体験学習の間中、親身に世話してくださった、イエズス会日本管区の寛大なご配慮は言うまでもない。なによりも、日本で滞在したり、訪れたりしたイエズス会のコミュニティで、私はイエズス会の国境を越えたきずなを実感した。そしてもちろん、カトリック東京国際センター(CTIC)での有意義な体験のおかげで、私の体験学習はとても実り豊かで、忘れがたいものとなった。

<右から二人目が筆者>

●CTICでの体験 
 イエズス会東アジア・オセアニア地区の責任者、アドルフォ・ニコラス神父のおかげで、私はCTICとコンタクトを取ることができた。CTICは東京教区のセンターだが、設立当初の時期に、ニコラス神父が先駆者の一人として活躍したことから、イエズス会の影響も見てとることができた。とはいえ、CTICは今では、自分自身の活動体験に基づいて、移民の問題について堂々と意見を述べている。
 CTICは、あらゆる移民の社会的・精神的ニーズに応えるだけでなく、日本人のニーズにも応えて
いる。CTICの支援する対象は、特定の国籍に限らず、あらゆる人種、宗教に及ぶ。
 私がCTICの三つのオフィス―目黒、千葉、亀戸―で働いていた間、結婚や親子関係、出入国その他の問題で、法的援助やアドバイスを求めに、オフィスに電話をかけたり、訪ねてくる相談者たちと接する機会があった。私が感動したのは、大部分がボランティアであるCTICスタッフの、一人ひとりの相談者に対するケアだった。特に、スタッフたちが相談者の母国語を使って相談に応じたり、無料で質の高いサービスを提供したりしているのには、感激した。私は、相談者たちがオフィスを出るときにもらす安堵のため息から、彼らの苦痛や重荷がいかに軽くなったかを感じ取ることができた。
 だが、CTICは、オフィスの部屋の中だけで仕事をしていてるのではない。私は体験学習の間に、スタッフといっしょに、収容所に入れられた外国人労働者を訪ねる機会を得た。千葉警察署に拘留されていたフィリピン人女性を訪ねたときには、彼女と一面識もないのに面会に来た私たちが、彼女の物質的ニーズと法律上の問題の両方に対して、援助しようとする姿を見て、私の同胞である彼女がどれだけ希望を持ったか、実感することができた。拘留者に「認められた面会時間」の範囲内での、ごく短い時間、話していたときの彼女の顔は、感謝で輝いていた。品川の外国人収容所を訪ねたときも、同様のことがあった。収容されている外国人たちは、自分と同じ国の人や、少なくとも彼らのことを一般の日本人よりもよく分かる人が面会に来てくれて、彼らの苦境に関心を寄せてくれるのを見て、喜びに顔を輝かせるのを見た。  
 それでも、私のような一人のフィリピン人にとって、私が体験学習の間に行った、最も感動的なCTICの活動とは、東京や埼玉、千葉県のいろいろな教会のフィリピン人コミュニティに対する司牧的世話だ。たとえば、東京の赤羽教会や小岩教会、千葉の豊四季教会や松戸教会を訪ねて、聖体祭儀を行ったときには、私は同胞の移民労働者たちが、どれほど霊的な食べ物に飢えていたかを思い知った。彼らが、ただミサに与るためだけに、仕事などの果たすべき務めを休む許可をもらって、遠くからはるばるやって来たのを知って、彼らがどれほど切実にミサに与りたいかを知って、感動した。彼らは、イエスが群衆を指して言われた「羊飼いのいない羊の群れ」のように思われた。彼らは、神のみ言葉と聖体に飢えていたのだ。
 同じことは、イエズス会の安藤勇神父と小暮康久神学生が働いている東京・梅田教会でのミサを見たときにも感じた。他に訪ねた教会と同じように、たくさんの同胞たちが教会に集まっていた。中には、日本人の夫や家族を連れてきていた人もいた。
 あるとき、日本に来てはじめて、フィリピン語で行われたミサを聞いて、とてもびっくりした。あとになって、日本には大きなフィリピン人コミュニティがあるので、日本の多くの教会でフィリピン語のミサが定期的に行われているのだと分かった。さらに、私が気づいたもう一つの興味深いことは、フィリピン人コミュニティが行っているミサの、全部ではないにしても大部分で、感動的なフィリピン語の典礼聖歌が生き生きと歌われていて、集まった人々全体が盛り上がり、本当の意味での祝祭となっていたことだ。実に、外国の地にあっても、フィリピン人たちは聖体祭儀を通して一つになっていた。

●評価と振り返り
 しばらくの間、移民―特に日本に住む私の同胞たち―といっしょに働いてみて、彼らの状況をよりよく理解することができた。彼らが、自分自身だけでなく家族にも悪影響があるにもかかわらず、なぜ異国の地で働き続けるのか、その理由を垣間見た。また、私は彼らの嘆きや心配、喜びや笑い、希望や願い、口に出されない深い望みやニーズを聞くことができた。

私にとって、彼らといっしょにいること自体が、すでに価値ある体験だった。
 今日、移民たちは、その嘆きに耳を傾けられるべき貧しい人びとと見なされる。彼らは、慣れない異国の環境にあって、「最も小さな、最下位の、絶望的な」(least, last and lost)人びとと見なされる。彼らは故郷を懐かしんでいるが、それでも異国に留まって、祖国に家を建てるためにがんばり続けなければならない。SBCのある参加者は、会議のときに、移民を「現代の奴隷」と呼んだ―もっとも、この側面はそれほど表立って現れておらず、日本の移民には当てはまらないが。人生のさまざまな条件が重なって、彼らは選択の余地なく移民となって、また別の困難に苦しまざるを得なくなっているのだ。
 だが、彼らの状況は絶望的ではない。CTICやイエズス会の安藤神父たちのような、惜しみない善意の働きは、彼らの問題を軽減させることができる。彼らのニーズを世話し、助けることで、彼らは故郷から遠く離れた日本に、もう一つの故郷を見つけ、植え替えられた土地で花を咲かせる。実際、彼らは、共に暮らす日本社会にとって、インスピレーションとよい影響をもたらす者となり得る。たとえば、あるフィリピン人コミュニティは、その団結と相互奉仕の姿勢で、私を感動させてくれた。

 彼らの友情は、愛と思いやりに基づいたキリスト教共同体を築き、信者でない人びとにさえ、同じような共同体を作ろう、という思いを抱かせるのではないかと思う。
 今回の体験は、SBC会議でのグループ別の考察で、移民を「聖体の人びと」と見なしたことを、再び思い起こさせてくれた。彼ら移民は、「いのちのパン」のように、社会の状況によって割かれて、砕かれている。だが、彼らは自分自身を分かち与えることによって、苦境をものともしない信仰のわざと親切な振る舞いによって、他の人びとを養い、生かしているのだ。
 だから、私が養成中のイエズス会神学生として、移民たちの問題を取り扱って、彼らに奉仕することは、福音宣教の一つの効果的な方法となり得る。日本を例にとれば、敬けんなカトリック信者である移民の妻を通して、日本人の夫や家族洗礼を受けるというようなケースだ。さらに、私が思うに、多くの非信者は、移民の信者たちのコミュニティの団結と喜びに魅了されるだろう。
 私は修道者として、信仰を広める企ての最前線にいる移民たちを支えることで、彼らが担う福音宣教の仕事を支える役割を果たし得る。他方、私は福音宣教の主要な担い手である移民たちを霊的に育て、支える、謙虚なしもべでありたい。これは、どんな形であっても、主の大いなる栄光のために奉仕することなのである。

日本教会の外国人司教(アドルフォ・ニコラス、SJ)

アドルフォ・ニコラス、SJ (CTIC/東京カトリック国際センター・目黒) 【社会司牧通信106号2005年2月15日】

1.東京カトリック国際センター
 12年ほど前に東京カトリック国際センター(CTIC)が亀戸に設置された当初の目的は、外国人の社会司牧だった。だが、何事もそうであるように、CTICの場合も、考察や長期計画、注意深いフォローアップが必要な活動よりも、緊急の直接的な活動が優先されるようになった。こうしてCTICは、生活上の問題や法律・入国手続きにまつわる問題、結婚問題など、外国人労働者の差し迫った問題を解決するために、すばらしい支援活動をおこなってきた。
 だが、外国人のコミュニティが大きくなるにつれて、長期的な司牧ケアとフォローアップの緊急性・重要性がますます明白になり、東京大司教区は新しいCTICセンターを目黒にオープンすることにした。新しいセンターの主な目的は司牧活動であり、当然ながら、これまでの一般的な活動によっては満たされないニーズにこたえなければならない。そこで私たちはトレーニング・コースの開催や典礼の刷新、拘留されている人や重病の人に対する司牧ケアなどをおこなっている。私たちは小教区の司祭や他の関係者、そして外国人信徒と対話しながら、小教区のいきいきとした司牧プログラムづくりや、外国人司牧という幅広い分野における調整役として貢献したいと考えている。また、浦和教区や横浜教区で同様の活動をおこなっている姉妹機関との連携もつよめている。  在日外国人たちはとても忙しく、時間や移動手段をやりくりするのもむずかしいため、東京教区の地理的な広さがハンディキャップとなっている。そこで、東京教区は千葉にあらたに小規模なCTICセンターを開くことにきめた。千葉地域は東京教区のなかでも外国人労働者が多く、神父や信徒がかれらのために長年にわたってすばらしい活動をおこなってきた。あたらしいセンターは2002年4月に活動を開始する予定だ。

2.在日外国人の司牧状況 
 日本で暮らす外国人の状況がいかに複雑で不安定であるかを理解するのはむずかしいことではない。外国人が日本で直面する経済的・政治的・社会的ニーズや問題、困難については多くの文章が書かれてきた。それらはよく知られているので、ここでは当然の前提として触れないことにして、いわゆる「司牧的な」状況に焦点をしぼることにする。その際、緊急性という視点を越えて、外国人の個人的な現実-すなわち家族や祖国、文化、家を「離れなければならなかった」人々、すべてを賭けて、あらたな未来を築こうという夢を追い求める、かくも多くの外国人たちの個人生活(それが一時的な出稼ぎであれ、恒常的な移民であれ)を、長期的な観点からながめてみたい。

 第一の、そしてもっとも明白な事実は、かれらが「祖国の文化から切り離されている」という状況だ。それは、祖国でかれらが一緒に育った食べ物や祭り、伝統的なダンスを失ったというだけのことではない。文化とは「一つの共有される意味や価値のパターンであり、それはシンボルや神話、儀礼のネットワークのうちに具現される。文化は、特定の集団が生活上の困難に適応するために闘うなかから生み出される。文化はまた、秩序ある、正しい、礼儀にかなった感じ方、考え方、ふるまい方について、集団のメンバーを教育するものである」。一般の市民にとって、恒久的に、あるいはかなり長期間にわたって祖国の文化から離れて暮らすことは、生き方やふるまい方、隣人とのコミュニケーションの仕方を知るすべを失うという深い喪失感をかかえながら、人格的な混乱のうちに生きることである。

 多くの外国人にとって、この喪失感がいっそう深刻なのは、それが一種の「宗教的な喪失感」を伴うからだ。宗教は、かれらがもともと住んでいた土地のさまざまな文化システムに、色どりや深み、広がりを与えてきた。文化と宗教は手をたずさえて、人々やその共同体に意味を与え、意義づけや癒し、帰属感や個人的・社会的統合の源泉となってきた。このことから、人々が祖国にいたときはそれほど熱心に教会に通わなかったのに、日本にきてからは日曜のミサに熱心に参加するようになった理由が容易に理解される。それは、多くの外国人にとって精神と魂の健全さを保つきずなであり、破られることのない約束であり、あらゆる困難にも負けずに、自分の周囲をとりまく闇と混乱をうちやぶることができるという希望なのである。

 このニーズが何よりも差し迫っているのは、日本で仕事をさがしている外国人が、人間的にも社会的にも「自分の価値が低下している」と感じているからだ。日本にきた外国人の多くは、社会的な地位の喪失や極端な自己評価の低下に悩まされている。かれらが日本で得る仕事は、もともと持っていた資格や教育、能力を大幅に下回ったものである。かれらはしばしは軽んじられており、よりよい仕事、やりがいのある仕事に移れるように相談にのり、斡旋し、助ける価値もない人のように扱われることが多い。ここから、言いようのない寂しさが生まれる。すでに自分をつまらない存在と感じているかれらは、いっそう自分を卑下するようになる。かれらのうちに苦痛に満ちた不安が生まれ、自分の子どもに対してさえ、尊厳とプライドをもってふるまい、話しかけることもできなくなるのだ。

これまで述べてきたことよりもさらに、研究し、深刻に受け止めなければならないのは、出稼ぎ(移民)が人間的・道徳的価値観に与える影響だ。ここで考えたいのは、何百万という人々に日々「生きるか死ぬか」の決断を強いるような非人間的な状況をもたらす、貧困、不安、失業、社会的・政治的不安などの圧倒的な現実だ。これらの現実が人々の心、考え方、価値観、そして信仰そのものにどんな影響を与えるかを、緊急に調査し研究しなければならない。かれらは、生き延びるために何かしようと決断するやいなや、いわゆる「詐欺的なこと」(ニセのパスポートや偽名、年齢詐称)や「不道徳なこと」(ビザをとるために結婚することや、はっきりした見通しもなく深い仲になること)とみなされる方法をとることを強いられる。

 こうした外国人に実際に会ってみると、かれらの中に純粋さやデリケートな同情・連帯感、すばらしい霊的感受性が見いだされるのは、不思議としか言いようがない。それらの美徳と、かれらがつくウソ、かれらがやってきた仕事とは、どうしても結びつかない。その間には何があるのだろう? この事実は、私たちの型にはまった見方や考え方をどんな風に変えるのだろう? 聖霊はいったいどこで、どんな風に働いているのだろう? 私たちは過去にも、聖書の時代にまでさかのぼって、こうした人々の実例をたくさん知っている。けれども、これほどまでにたくさんの(「圧倒的」といってよいほどの)実例に遭遇したことはなかった。この現実は、私たちの司牧に関する意識と仕事に何を語りかけているのだろうか?

 いかなる社会にもつきものではあるが、外国人がおかれているストレスや不安、不安定さのゆえにいっそう深刻な問題がたくさんある。そうした問題の最たるものは、結婚や家庭、教育の問題である。結婚が、人間としての成熟度や対人コミュニケーション、他の人と共に成長する能力を試す最高の試金石だとすれば、どうしてこんなに多くの国際結婚が失敗に終わるか理解しやすい。結婚や家庭生活のための人間的・文化的・社会的その他の面での準備不足。パートナーの選択や新しい家族づくりの計画、新しい共同生活づくりにおける識別の欠如。日本の文化的伝統や教育制度、日本社会のチャンスと制約などについての無知。これらの準備不足は、異文化結婚を、想像しうるもっとも困難な冒険の一つとしている。

 上記の諸点をはじめとして、他の多くのよりマイナーな(しかし、より顕在的な)問題に対する司牧的対応は、きわめて明白だ。こうした諸問題の迷路を共に歩み、助け、支え、識別してほしいという人々のニーズはきわめて大きく、教会の門とキリスト者すべての心に扉を開くよう訴えている。これらの人々を放置しておくことは、単に放置するだけでなく、あらたな「お客さん」をどん欲に取り込む「暴力的なマーケット」へと追いやることに他ならない。私がここで言いたいのは死の商人、欲望の商人、愚かさを商う商人である。かれらは人の弱さや痛みを販売戦略の対象とする。その商売の範囲は、薬物やアルコールの密売に始まり、ギャングの人集めまで、怪しげな新興宗教に人々を引っ張り込む誤った心理操作もそこに含まれるだろう。

3.日本教会が直面するチャレンジ
 こんにち、グローバル化とそれに伴う移民、難民を迎えて、日本の教会と社会全体は多くのチャレンジに直面している。最初に、私たちの日常的なものの見方や行動の仕方に対するいくつかのチャレンジを、変化/移行という言葉で短くまとめてみよう。

 私たちが実行するようチャレンジされている第一の変化/移行とは、とりあえず善意から外国人を受け入れる一方で、小教区の活動には小さな変更を加えるだけの態度から、かれらを実際的かつ全面的に受け入れて、小教区の組織や活動を全面的に見直す態度への移行だ。
 これは第二の変化/移行に導く。つまり、外国人が依然(しぶしぶ受け入れられるにせよ、大目に見られるにせよ、親切にされるにせよ、歓迎されるにせよ、あるいは丁重に迎えられるにせよ)「お客様」あつかいされている現状から、教会のふつうのメンバーとなり、かれら自身もその自覚をもてるような状態への移行だ。「お客様」は限られたスペースと時間、最低限の(手抜きされた)サービス・メニューしか与えられない。ふつうのメンバーはスペースと時間をフルに与えられ、教会のあらゆる活動とプログラムに参加する可能性を与えられ、責任ある仕事を任せるに足る者とみなされる。
 これはさらに大きな変化/移行の一部分となる。つまり、外国人のコミュニティを、日本人のコミュニティと並立するものとして敬意を持って、しかし受動的に受け入れる態度から、どんな集団も疎外感を感じず、将来的には統合へと向かうよう促す、真にダイナミックな異文化間の相互作用への移行だ。
 それは同時に、善意に満ちて優しげで、ほとんど表には出さないが内心には偏見を持っているような関係から、心と心の対話へ-つまり、日本人も外国人も一緒に、より深い体験や動機を発見できるような真の対話へと移行/変化することでもある。
 私たちはまた、入国書類や入国許可、その他の法的手続きで問題をかかえる多くの外国人たちの状況を、狭い道徳的な見方で見るのでなく、外国人がもともと暮らしていた国の困難な状況や、かれらが生き残るため、あるいは自由を守るために限られた選択肢のなかで日本に来なければならなかった背景を、広い公正な見方で見るように移行/変化しなければならない。

 そして、おそらく最も広汎な移行/変化とは、一部の例外をのぞいて基本的には日本人の信者に奉仕する日本教会のあり方から、人類全体に奉仕する日本教会へ-つまり、日本にやってきた外国人のコミュニティとして私たちの前に現れた、より広い世界に向けて開かれた教会、ともに分かち合う教会への移行だろう。
 言葉を換えれば、私たちは「役務としての教会」、すなわち信徒のニーズに応えるために、秩序正しく有能で、組織化された教会から、「預言者としての教会」、すなわち隣人とともに福音を生き、それによって今度は日本社会をあらたな人類家族の到来に導く教会へと、勇気をもってリスクの多い移行/変化を成し遂げるようにとチャレンジされているのだ。

4.日本教会が直面するチャレンジ
 ものの見方の変化は、あらたなプログラムを伴わなければならない。このあらたなプログラムとは、ビジョンを具体化し、先に述べた移行/変化を現実に働かせるためのものである。そうしたプログラムをいくつか列挙してみたい。
 4.1 外国人・日本人を含めたすべての信者のための、総合的な司牧プログラム。このプログラムは現実のニーズと向き合い、それらのニーズを含めた状況全体に効果的に対応するものでなければならない。その例として、コミュニティづくり、生活と秘跡の相互作用と成長、信仰の育成、聖霊のもとでの生活、社会的・専門的識別などが考えられる。
くつか列挙してみたい。
 4.2 外国からやってくる信者が、数々の問題を乗り越えて、日本の教会と社会へと真に統合される日まで、三世代にわたって最善の奉仕の道を探る包括的な司牧プラン。
 4.3 外国人の個人的・宗教的アイデンティティが、二つの文化にまたがっていかに発展するかについて、かれらと継続的に対話し、考察すること。
 4.4 外国人を再編成された東京教区(大司教の書簡『新しい一歩』を参照)へと真に統合すること、かれらが可能な限りいつでもどこでも、あらゆるレベルで全面的に参加できるよう迎え入れること。
 4.5 「大人のためのカトリック教理」を用いて、(日曜のミサなどで)よく練り上げた有機的な説教をおこない、日本のような近代的で多様で、自由な社会において、外国人コミュニティが成熟した信仰生活を送るための助けとすること。
 4.6 日常生活や人間関係から、より複雑な文化やコミュニティづくり、紛争解決に至るまで、幅広い技術を訓練する具体的なプログラム。
 4.7 教会を築いていくにあたり、キリスト以外にいかなるものをも究極の土台とせず、「ただ人間であるという事実」だけに基づいてコミュニティを築いていくような信徒の集まりのうちに、あらゆる民族集団を段階的に統合していくこと(たとえ、それが三世代かかるとしても)。

再びCTICについて
 ここで、改めてCTICについて述べるなら、このセンターの活動は、上記のようなチャレンジを引き受けることではない。そうしたチャレンジは全教会に向けられたものであり、小教区やその連合体など、信者の共同体が存在する場にこそ、このチャレンジに応答する責任が生ずるのだ。
 センターの活動がもっともよく機能するためには、小教区を支援して専門技術を提供し、ときには調整や協力をおこないながら、常に小教区に奉仕するような方法が必要だ。
 さらに、これまでも、そしてこれからも多くの外国人コミュニティと密接な友好・協力関係を保ちながら、積極的かつ賢明に活動している教会内外の人々と、共同で考察を続けることは、私たちの大切な任務の一つだろう。
 私たちの活動が有名になる必要はない。なぜなら、このセンターの活動にではなく、人々が実際に暮らす場にこそ、真の生活と成長があるからだ。かれらの生活を助け、貢献することこそ私たちのよろこびだ。この目的を達成するために、私たちの活動に、みなさんから人的・霊的・物的・知的支援をいただければ幸いだ。
 日本に暮らす外国人は、これからも私たちの福音の読み方にあらたな風を吹き込み、私たちの眼前に、人間生活の根本的な諸問題や、もっとも純粋な希望とよろこびの源を提示し続けるだろう。

東京、2002年1月

Article on Legal Aid

(THE CATHOLIC WEEKLY カトリック新聞 2011年5月22日 第4099呉)

月1回、費用は無料
外国人の法律相談
イエズス会社会司牧センター

30年にわたり、社会問題に関する研究・実践を行っている「イエズス会社会司牧センター」(所長・光延一郎神父目同会)の移民デスクは今年1月から毎月1回、都内の法律事務所と合同で、「外国人法律相談」を東京・麹町教会隣接の岐部ホール4階の同センターで始めている。

法律相談は予約制で、相談時間は30分。英語・タガログ語・スペイン語・ポルトガル語・韓国語の通訳が付くが、経費は同センターが負担するため、相談料も通訳料も無料だ。在日外国人の相談受け皿として、給料未払い等の労使問題、オーバーステイ(超過滞在)をはじめ、ビザ更新・在留資格等の問題、難民認定、国際結婚や離婚を含む家庭問題、民事・刑事事件など、法律全般を取り扱う。センターのスタッフで、前所長の安藤勇神父(イエズス会)は、外国人法律相談を始めた理由をこう話す。

「移住者が抱えている問題は複雑で、裁判を起こすにしても、弁護士が付かないと解決するのは無理です。でも、言葉の壁や法律体系の違い、また法律用語の難しさなどから、外国人にとって、日本語で法律相談に行くには勇気が必要。法律事務所は敷居が高いのです。そこで、自分の言葉で相談に乗ってもらえる場を提供したいと考えました」
法律相談までの流れはこうだ。まず、毎月第2月曜日までに、岐部ホールー階の「イエズス会社会司牧センター」のポストに申込書を入れる。申込書には、氏名・電話番号・性別を明記。後日、移民デスクが相談希望者に連絡を取り、安藤神父、またはスタッフの田山ジェシーさん(麹町教会)が事前に1時間ほど聞き取り調査を行う。法律相談の日時を決め、当日はこの事前情報を基に、弁護士が本人に会って対応する。

法律相談に弁護士を派遣している東京パブリック法律事務所は、東京弁護士会が支援する公設事務所。昨年11月には、公設事務所として日本で初めて、在日外国人を対象にした法律相談窓口「外国人部門」を開設(有料)している。

一方、安藤神父は1980年代初めからインドシナ難民や流民を支援。それ以後は、出稼ぎ労働者や移住労働者などにかかわってきたが、近年、在日外国人が直面する問題は多岐にわたり複雑化してきたことから、専門的に対応できる弁護士を探していた。そうした折に、東京パブリック法律事務所の「外国人部門」開設を知り、弁護士の協力を得て、今回の無料法律相談を実施することができた。

移民デスクではこのほか、①日本社会で暮らす移住者の現状をまとめたブックレット『歓迎されない外国人』改訂版(300円十送料)の発行②移住者の問題にかかわる団体のネットワークづくり③入管の外国人収容所の収容者への面会なども行っている。今月以降の法律相談の開催日は、5月23日、6月27日などで、いずれも午後2時~5時。連絡先は同センター Tel: 03-5215-1844/Fax: 03-5215-1845 。

Services for Migrants Expands in Tokyo

Migrant
A Vietnamese refugee in Japan went to visit his sick refugee mother in the USA. The day after arrival, he suffered a serious road accident and broke his leg. He had surgery three times and while in bed his mother died. Eventually, he was able to move about using a wheelchair. He was denied renewal of his valid 3-year visa by the Japanese consulate in San Francisco, for the reason that he had to do that in Japan. After 6 months, he managed to get a tourist visa with the assistance of the Jesuit Social Centre. Personnel from the Centre then accompanied him to meet the same immigration official who had denied him the renewal of his visa. He is now happily married and safe with a new 3-year visa.

The Jesuit Social Center opened a new migration desk and the Tokyo Public Law Office inaugurated its Legal Assistance Section for foreigners.
A migration desk at the Jesuit Social Centre was opened and some valuable helpers are at work with Fr Ando Isamu (JPN). This desk will reprint a booklet on the situation of foreign workers in Japan that has sold more than 2,000 copies in 3 years, visit detention centers with the help of volunteer groups, look for and establish links with NGOs working for foreign workers, and run short seminars for training young volunteers. The small Academy (AIA) that the Centre had opened for migrants, children as well as adults, is running daily with the help of volunteers in a poor region of Tokyo. It is already in its 3rd year.

A Section of Legal Assistance for Foreigners was inaugurated at the Tokyo Public Law Office, with Masako Suzuki as its first head. The section will specialize in giving legal advice to foreign residents on both criminal and civil cases, ranging from refugee assistance and visa applications to divorcees and labor issues.

Suzuki also serves as secretary general of the Lawyers Network for foreigners, a group of 833 Lawyers nationwide working on various issues related to foreigners that was founded in May 2009. The attorney thinks that Japan has become more exclusive against foreigners recently, especially since the Justice Ministry launched a five-year campaign in 2004 to reduce the number of illegal foreign residents by half.

【 リポート 】 日本で暮らす移民の現状

安藤勇(イエズス会社会司牧センター) 【社会司牧通信154号2010年4月15日】

2006年、当時の国連事務総長コフィ・アナンは、その年の9月に国連総会で行われる、移民と開発についての「ハイレベル協議」で話し合うための、よく考え抜かれた報告を提出した。ジャパン・タイムス紙2006年6月11日号に掲載された記事で、アナン事務総長は次のように述べている。

「国境が生まれて以来、人々はそれを越えてきた-ただ、よその国を訪れるためだけでなく、そこで暮らして働くためにも。そのようにして人々は、逆境を乗り越え、よりよい暮らしをするために、たえず危険を冒してきた。

 かれらの願いは常に、人類の前進の原動力であった。歴史的に見ても、移民は彼ら自身の福利だけでなく、人類全体の福利を向上させてきた。
 このことは今も真実である。先週、私が国連総会に提出した報告の中で、概要をまとめた調査によれば、移民は-少なくとも最良のケースでは-かれら自身に利益をもたらすだけでなく、かれらを受け入れた国や、かれらを送り出した国にさえ利益をもたらす。どのようにして?
 移民受け入れ国では、移民たちは、その国の国民はやりたがらないが、暮らしには不可欠な仕事を引き受ける。かれらは、社会を成り立たせるのに必要な、多くの対人サービスを提供している。かれらは子どもや病人、高齢者の世話をし、収穫をもたらし、食べ物を準備し、家や職場を清掃する。しかも、かれらは、そうした下働きばかりしているわけではない…
そう、たしかに移民にはマイナスの面もある。皮肉なことに、その最悪の面は、移民をコントロールしようとする試みから生じるのだが。非正規・非合法の移民こそ、密入国仲介業者をはじめ、さまざまな業者から搾取される最大の犠牲者だ。そう、受け入れ国の国民と移民とが、互いに適応しあおうとする時、特に互いの信仰や生活習慣、教育レベルが違えば違うほど、緊張が生まれる。そして、たしかに貧しい国々は、その国で最も必要とされている技術を持つ者-たとえば南部アフリカ諸国の保健医療従事者-が、外国の高い給料やよりよい労働条件にひかれて「吸い上げられて」しまう時、打撃を受ける。
 だが、諸国はこうした問題に対処する方法を学びつつあり、協力して取り組み、互いの経験を学び合うなら、さらによく対処できるだろう。
 国家が存在するかぎり、移民も存在する。別のあり方を願うことはできるかもしれないが、それでも移民は厳然たる現実だ。だから、問題は移民をどのように止めるかではなく、それをよりよくコントロールすることであり、各方面がよりよく協力し、理解することだ。移民問題は「ゼロ・サム・ゲーム」(一方が勝ち他方が負けるゲーム)ではなく、すべての人に利益をもたらしうるものなのだ」

 実際、日本語でも「移民」(migrants)という言葉を使うが、日本には「移民を受け入れる」(immigrant)という概念はない。だから日本には、多くの西洋諸国にあるような移民受け入れ政策はなく、あるのは「外国人」受け入れ政策だけだ。
 共同通信の報道によれば、東京都社会福祉協議会の調査では、東京にある316の高齢者施設で働く人の90%は女性だが、316施設の30%で外国人を雇用しており、総数は196人に上る。国籍別では半分以上がフィリピン人で、中国、台湾、韓国と続く。

日本の移民政策の形成
 法務省入国管理局の「第5次出入国管理政策懇談会報告書」によれば、日本は外国から高度人材や医療・介護分野の人材受け入れを推進するという。また、日系人や研修生・実習生も引き続き受け入れるほか、留学生の受け入れも30万人に増やす予定だ。さらには、観光の促進や東アジア諸国のビジネス関係者の交流促進にも力を入れる。他方で、人口減少時代を迎えて、外国人労働力をより積極的に受け入れ、出入国管理行政全体を改善する必要がある。
 他方で、現在も13万人いる「不法」滞在者をいっそう減らす必要も指摘している。
 日本では、昨年1年間で約1,400人が難民申請したが、難民認定を受けたのはわずか30人に過ぎない。申請を行っても、認定手続きには長い時間がかかり、住宅や仕事、医療のための援助は最低限しか与えられない。

1ヶ月前の3月8日、西日本入国管理センターの外国人収容者70人以上が、一時放免を求めてハンガー・ストライキを始めた。かれらは、弁護士やボランティアなどの支援によって、難民申請を再検討されている最中なのに、センターからの放免を求める申請がなぜ断られたのか、理由を知りたがっていた。実際、少なくとも過去10年間、西日本センターでの収容者に対する虐待やひどい待遇に関する報告が、たくさん作られてきた。共同通信の調べによれば、2000~2004年の間に、西日本センターの収容者23人が自殺を図ったという。
 センターが収容者や支援者との面会に同意したという話を聞いて、収容者は11日間でハンストを中止した。入国管理局側が態度を変えて、交渉に合意した主な理由の一つは、3月16日に参議院法務委員会で、ある議員がこの問題を取り上げたことだという。加えて、ちょうど国連関係者が訪日したことも、センターが面会に同意するきっかけとなった(ジャパン・タイムス紙、2010年3月12日、22日)。
 2年前の2008年1月、入国管理センターに収容されていた東ヨーロッパ人の収容者から、私に「訪ねに来てほしい」と電話があった。彼が難民申請をしたまさにその時、入管は彼を収容したのだ。私が彼との面会を許された時、彼はハンストを始めて3週間経っていた。私は彼の放免を交渉し、幸いなことに彼は今、日本で暮らし、働いている。
 日本には東日本(茨城県牛久市)、西日本(大阪府茨木市)、大村(長崎県)の3つの入国管理センターのほか、東京入国管理局(品川)など、全国に8つの入国管理局があり、何百人という外国人が収容されている。牛久のセンターには500人以上が収容されている。牛久だけでも、何十人という難民申請中のビルマ人が、1年以上も拘禁されている。
 山村淳平医師は長年、難民から「非正規滞在者」まで、多くの外国人を治療してきた。彼は2002年から、1ヶ月に1回、牛久の東日本入国管理センターを訪ねて、収容者の精神的・肉体的状態をモニターしてきた。彼は毎月1回の訪問で7~8人、時には10人と会う。
 山村氏は入管の収容所内部の問題について発言してきた。特に、入管職員による精神的・肉体的虐待や、適切な医療処置が行われていないことなどを指摘している。彼は弁護士やアムネスティのメンバーなど5人の難民・移民支援者とともに、2007年3月に、『涙の壁-法務省「外国人収容所」の実態』(現代企画室)という本を出版した。この本の目的は、外国人収容所の実態について、一般市民に知らせることだった。
 第一章では、入管に収容されている人たちの現状を概観して、問題点を指摘している。それによると、難民であれ、「非正規」滞在者であれ、高齢者も若者も、妊娠している女性も病気の人も、出入国管理法に違反した人はみな、収容されている。幼い子どもは児童福祉施設に送られる一方で、父親と母親は別々に収容所に入れられて、家族はばらばらに引き裂かれている。  長期の収容も大きな問題だ。出入国管理法違反者に強制退去が命じられた後も、違反者は無期限に拘禁されうるのだ。収容されている人々は、将来の見通しをまったく持てない。何ヶ月も1年も、時には2年以上も収容されたあげく、やっと一時放免されたり、祖国に強制退去させられるのだ。
 政治的・宗教的迫害を恐れて祖国を脱出した人々にとって、祖国に送り返されるというプレッシャーと恐怖は非常に大きい。「祖国を逃れた亡命者にとって、退去命令は死に等しい」と、山村氏は語る(ジャパン・タイムス紙、2007年5月2日)。
 こうした現実を大部分の日本人は知らない。同じようなことは、たとえば成田空港で入国しようとする外国人にも起こる。数ヶ月前、日本人と結婚している知人のフィリピン人女性が、母親が日本に旅行しに来るために、ビザを申請した。ビザは発給されたが、母親が成田に着くと、事務所に連れて行かれた。そこには、何十人ものフィリピン人が集められて取り調べを受け、次の飛行機で送り返されていた。彼女は不運だったのだろうが、打つ手はなかった。それから数日後、ジャパン・タイムス紙でたまたま次のような記事を見た(2010年3月23日)。

「成田でのひどい扱い 

 私は日本に留学して、もうすぐ卒業する。私が日本にいる間、インドネシア人の母は何度も訪ねてきた。母は日本に来る度、成田の入管で、一定期間、足止めされてきた。
 ある時、大学の休み明けに、私は母と一緒に日本に戻った。その時、入管の職員は、私の母が日本に「不法滞在」しようとしているとの容疑をかけた。私は一生懸命、母が滞在期限を越えて日本に残ったことはないと説明したが、母は結局、そのまま帰国させられた。
 それだけではない。入管の職員は、私と母を事務所に連れて行き、私の日本語がうまくないことをバカにして笑った。その職員は、母が強制退去させられると知って泣いた時も、笑ったのだ」

現在、日本で暮らす外国人の数
 現在、日本で暮らす登録外国人は約220万人だ。そのうち66万人(30%)は中国人、59万人(27%)は在日韓国・朝鮮人だ。かれらやその両親、祖父母は、日本が中国や朝鮮に侵攻していた時に、日本に来た人々で、「オールド・カマー」と呼ばれている。第二次大戦中、何十万という朝鮮人が、労働者として日本に連れてこられたのだ。戦後は、日本の急激な経済成長に惹かれて、東南アジア、特にフィリピンから多くの人が出稼ぎに来た。さらに、1990年代には、日本がラテンアメリカから日系人を労働者として招く政策をとったため、ブラジルだけで30万人以上、他にもペルーや他の南米諸国から多くの労働者が日本に来た。

個人的経験から
 私がいつも感じるのは、一般市民の「外国人」労働者に対する態度と、政府が入管やその政策によって示す公式の立場とのギャップだ。特に外国人が困っている時、多くの日本人が示す親切に、たびたび感動するが、入管職員や警察官の外国人に対する態度には、しばしば怒りを禁じ得ない。

<アバヤさん一家のこと>
 今年の3月19日、フィリピンのアラネタ・クバオのアバヤさんという女性から、1通のファックスを受け取った。私は彼女に会ったことはなかったが、そこにはこう書いてあった。

「私はアバヤ一家を代表して、あなたが差し伸べてくださった助けに、心からお礼申し上げます。あなたが下さった肉体的、精神的、感情的、金銭的、そして何より霊的援助がなければ、以下のことは不可能でした」

 その後に書かれていた物語はとても劇的だった。あるフィリピン人の非正規滞在者が病気になり、深刻な肝臓病と診断された。健康保険に入っていない非正規外国人を受け入れる病院はなかった。警察もそんな重病人を逮捕できなかった。警察の名誉のために言うと、彼らはそのフィリピン人を受け入れる病院を探し出した。病院はすぐに人工透析を行い、病状は回復した。患者の男性は、すぐにでもフィリピンの家族のもとに帰りたがったが、病院の治療費はとんでもなく高額な上に、医師は「飛行機に乗ったら生命の保証はできない」と反対した。彼の帰国に必要な書類が大急ぎで作られたが、入管が彼の身柄を要求し、彼は病院のベッドから引き出されて、品川の入管まで車で1時間かけて運ばれた(救急車は高くつくので)。病気にもかかわらず、彼に対する取り調べは、ほぼ丸一日かかった。それはたぶん、通常の法手続なのだろうが、常識からどれだけかけ離れているだろう!
 私がよく知っているベトナム人で、家族と一緒に合法的に日本に住んでいる人が、何日か前に自分の友だちのことを話してくれた。その友だちは、非正規滞在者だが、ベトナムに帰りたがっていた。かれらはその日、入管に行く予定だったが、私の知り合いは、入管への行き方を交番で聞くという間違った行動をとってしまった。彼が言うには、二人の警察官が彼らに飛びかかり、逮捕した。警察官は彼らを交番で取り調べた後、パトカーで綾瀬警察署まで護送し、取り調べはさらに2時間続いた。私の知り合いは、友人の通訳をしなければならなかった。結局、二人は入管への行き方を教えられて、解放された。だが、二人が品川からまだ遠い駅で電車を乗り換えた時、駅にいた二人の警察官が彼らに質問し、非正規滞在のベトナム人に手錠をかけた。私の知人は警察官から、「私たちがあなたの友だちを入管に送り届けるので、あなたは帰宅するように」と言われた。控えめに言っても、やり過ぎだろう。
国連特別報告者の公式調査
 ここで、国連特別報告者(難民移民担当)が最近、日本を公式訪問した件に触れよう。国連特別報告者(難民移民担当)のホルヘ・ブスタマンテ氏が、公式調査のため、3月23日に来日した。彼は移民に聞き取り調査をし、行政関係者とさまざまな問題を話し合った。ブスタマンテ氏は、強制退去命令によって移民の家族が引き裂かれてしまう問題に懸念を示し、日本の状況に関する調査の結果を、今年の暮れに開かれる国連人権委員会に提出して、問題を明らかにすると明言した。ブスタマンテ氏の主な仕事は、移民の人権擁護の障害を解決する方法を、検証することである。
 ブスタマンテ氏は3月31日の記者会見で、日本政府に対して、外国人研修生や技能実習生制度が、現実には低賃金で搾取され、人権を侵害される「奴隷労働」になっているケースも見られるとして、中止して、正規の労働者として雇用する政策に切り替えるよう、強く求めた。

いくつかの提案
 最後に、前国連事務総長コフィ・アナン氏の記事をもう一度、引用したい。

「国家が存在するかぎり、移民も存在する。別のあり方を願うことはできるかもしれないが、それでも移民は厳然たる現実だ。だから、問題は移民をどのように止めるかではなく、それをよりよくコントロールすることであり、各方面がよりよく協力し、理解することだ。移民問題は「ゼロ・サム・ゲーム」(一方が勝ち他方が負けるゲーム)ではなく、すべての人に利益をもたらしうるものなのだ」

 日本のカトリック教会は、この分野に関して、すでに長い経験を持っている。実際、いまや日本のカトリック人口の半分以上が外国人だ。社会司牧通信の読者も、それぞれの在日外国人との体験を分かち合えば、必ずや有益な成果が得られるだろう。私がこの記事を書いた目的は、日本の外国人コミュニティで司牧的世話や教育、生活相談に携わる人々の間に、対話と情報交換を促すことだ。できれば、世論啓発活動をしている人々とも交流したい。移民の問題は日本だけでなく、東アジア全体に深刻な影響を及ぼす問題なのだ。
 他方、イエズス会社会司牧センターとしては、イエズス会員や協働者の皆さんに、移民問題に関心を持って取り組んでもらうために、私にご連絡いただいて、新しいネットワークを創りたい。このネットワークは、それぞれの体験や情報を交換し、日本の移民の状況を改善する方法について話し合う、開かれたネットワークだ。センターへのご提案はもちろん大歓迎だ。皆さんのご協力によって、このネットワークを立ち上げたい。センターからは、移民問題に関する情報や、司牧・教育の方法論などについて、体験と情報を皆さんに提供できる。さらに、イエズス会東アジア地区で設立の最中である、管区を越えた移民に関する組織と、協力する可能性も探りたい。日本で暮らす移民の福利向上のために、多くの皆さんのご参加をお待ちしている。

【 報 告 】 新たな外国人在留管理制度

安藤勇(イエズス会社会司牧センター) 【社会司牧通信149号2009年5月20日】

通常国会が閉会する6月前にも、国会で「出入国管理・難民認定法」(入管法)の改定が実現する見通しとなり、議論を呼んでいる。
 主要な改定点の一つは、法務省が外国人の在留管理に必要な情報を一元管理することだ。国会に上程された改定案は、市民団体や野党議員、日本弁護士連合会などから厳しい批判を浴びている。だが、有権者にとっては外国人の問題はさほど重要ではないので、選挙を控えた議員たちが、この問題を本気で取り上げるかどうか、疑問だ。

 日本政府に無視され続ける外国人 
在日外国人は長引く不況から深刻な打撃を受けており、多くの外国人は元々不安定な職を失って、日常生活が壊滅の危機に瀕している。彼らの多くは帰国を真剣に考えているが、ラテン・アメリカのような遠い国々から来て何年にもなる外国人にとっては、高額な帰国費用を支払うことは不可能だ。長引く不況は、これまでタブーとされてきた社会問題-たとえば、日本人社会と外国人社会のあつれき-を明るみに出している。かつては、在日韓国人も同じようなあつれきを経験してきた(あるいは、今でもしているかもしれない)。1970年代後半にベトナム難民が日本に来はじめた時にも、同じようなあつれきがあった。日本政府は、ベトナム難民に他の定住国を探すよう求めた。日本は難民の定住を受け入れないと公言したのだ。
 日本人と外国人の間に、交流と対話の架け橋をかけて、民族同士の和解を実現するためには、政府の役割と共に、家庭や学校での教育の役割も、非常に重要だ。もちろん、宗教もすぐれた仲介者の役割を果たす可能性を、常に秘めている。2007年度の統計で、在日外国人の数は200万人を超えており、この問題は日本の重要な国家的課題の一つと言える。

 不可避な人の移動
 日本は外国人旅行者や留学生、若い技術者の受け入れを増やそうとしているが、それは同時に非正規外国人者をも受け入れる危険と背中合わせである。非正規外国人の入国を止めることは不可能だ。日本への外国人の流入を断ち切ろうとすることは、日本の国益に反することだ。比較的楽観的な人口予測によっても、日本の人口は、2050年までに3000万~4000万人減ると言われている。おまけに、その多くが高齢者で占められる。世界中で年間2億人以上の人が外国に流出している状況の中で、アジアでも、韓国やフィリピン、ベトナムやインドネシアなど若い世代が増えている国々から、多くの人がチャンスを求めて、日本にやってくる。

 問題の多い新入管法
 バブル経済真っ最中の1989年、入管法が改定された。当時、日本の政策は大混乱のただなかにあったが、入管法改定は国会で十分に審議されなかった。この改定によって日系人の入国が促進されたため、ペルーやブラジルからの流入が進み、その数は2007年までに40万人にのぼった。
 それから20年経った現在、経済状況は変わっているが、危機的な政治状況は変わっていない。政府が国会に提出した入管法改定案は、通常国会休会前、6月初旬の成立を目指している。
 改定の主な目的は、法務省による外国人の全面的な管理であり、外国人在留規則を強化することである。現在の外国人登録証は、ICチップの付いた「在留カード」に取り替えられる。外国人はカードの常時携帯を求められ、持っていないと最高で罰金20万円を課せられる。また、居住地や雇い主、在留資格の変更を速やかに届け出ない場合も、刑事罰を受ける。新しい入管法では、新しい住所を法務省に届け出なかっただけで、外国人の在留資格が失われてしまう事態も懸念される。

 法務省の一元管理 
実際、法務省入国管理局(入管)が在留許可を出し、市町村が外国人登録証の発行や他のサービスを受け持つという、入管法と外登法(外国人登録法)の二重管理を止め、すべての外国人管理が入管だけに集中されることになる。したがって、たとえば在留登録は、外国人が住んでいる市町村ではなくて、法務省(入管)に対して行うことになる。とはいえ、在留期間が、現在の最長3年から5年に延長されたこと、社会保険への加入が認められることなど、プラスの面もあることはある

 高まる批判
 このように、改定入管法の内容である、外国人管理の一元化と監視強化に対して、多くの団体が批判の声を上げている。しかも、外国人は現在、自分たちの日常生活に密接に関わる全国1,787市町村に、直接行くことができるが、もし改定案が成立すれば、外国人は全国76ヶ所しかない地方入管に行くしかなくなる。しかも、市町村と違って、入管は外国人の日常生活とは何の関係もない。したがって、入管が個人個人の事情に配慮することはない。たとえば、家庭内暴力によって離婚を余儀なくされる外国人配偶者(その多くは女性)が増えているが、彼女たちにとって、入管法の改定は深刻な問題だ。その結果、多くの子どもたちが学校に行けなくなるだろう。
 この問題に関心のある方は、日本弁護士連合会の意見書(2009年2月19日)をご参照いただきたい。

資 料 新たな在留管理制度の構築及び外国人台帳制度の整備に対する意見書(概要)
日本弁護士連合会
2009年2月19日

1 新たな在留管理制度の構築に対する意見
(1) 新たな在留管理制度については、管理を強化する必要性を裏付ける事実の有無や必要最小限の管理であるかなどの視点から、その採否自体を含め、慎重かつ厳格な検討をあらためて行うべきである
(2) また、その具体的内容については、次のような問題点がある。
ア 外国人からの在留状況の届出については、在留資格の更新等の判断に具体的な必要性のない事項についてまで対象とすべきではない。
イ 全ての中長期滞在の外国人(特別永住者を除く。)にICチップの組み込まれた在留カード(仮称)を交付し、罰則をもって携帯を義務付けることに反対する。
ウ 特別永住者に現行の外国人登録証明書と同様の証明書を交付するとしても、その常時携帯を義務付けるものであってはならない。
エ 外国人の留・就学先等の教育機関に対し、所属する外国人の情報を法務大臣に提供することを義務付けることに反対する。
オ 行政機関による情報の相互照会・提供においては、個別具体的な必要性及び客観的な合理性を要件として、個別の照会・提供の方法によるべきであるが、まずもって、独立した監督機関の設置を先行すべきである。
カ 法務大臣による新たな情報利用の仕組として、新たに在留資格の取消事由の対象を拡大する制度を設けるべきではない

2 外国人台帳制度の整備に対する意見
(1) 市区町村に外国人台帳を整備すること自体には賛成であるが、市区町村による住民行政の実現の観点から、すべての外国人住民の基本的人権を等しく保障するものとなるようあらためて構想されるべきである。
(2) また、その具体的内容については、次のとおりとすべきである。
ア 難民の可能性がある一時庇護上陸許可者・仮滞在許可者や、適法な在留資格を有しない外国人についても、その必要に応じ、市区町村が外国人台帳制度の対象とすることを許容するものとすべきである。他方、国や自治体は、外国人台帳に掲載されていない外国人であるからといって、そのことを理由に行政サービスの給付を拒否すべきではない。
イ 外国人台帳制度における情報は、あくまで外国人住民に対する行政サービスの目的のために利用されるべきであり、外国人の在留管理等の目的のために利用すべきではない。
●意見書全文はhttp://www.nichibenren.or.jp/

【 報 告 】日本の「難民」の過酷な現実

日本の「難民」の過酷な現実) 【社会司牧通信140号2007年10月15日】
小暮 康久(イエズス会社会司牧センター/神学生)

はじめに
~中間期6ヶ月を経過して~
この4月から「社会司牧センター」での中間期を始めてちょうど半年が経ちました。社会使徒職分野での中間期ということで、本当に手探りで始まったという感じでした。しかし「とにかく外に出て行き、現場に入り、そこに留まり、何が起きているのかを体全体で感じたい」という思いだけは、初めからはっきりとしていました。なぜなら、そのような「現場」の体験の中からしか本当の洞察は得られないし、そういう類の洞察こそが神様からの呼びかけであるという直感があったからでした。「現場」を通して「時のしるし」を見出していくこと、これがこの社会使徒職分野での中間期という機会を用意してくれた神様から託された、わたしのテーマ(ミッション)だと感じていたからです。

3年前に日本管区は現代日本の重要課題として3つの優先課題を掲げました。そのうちの2つ、つまり①地球規模の周辺化/Global Marginalizationの問題と、②移動する人/Migrationの問題に、この中間期でのわたしの活動の重心を置いています。特に①の地球規模の周辺化/Global Marginalizationの問題は、来年開催されるイエズス会第35総会の重要なテーマの1つとして上げられています。

日本における地球規模の周辺化/Global Marginalizationの問題とは、端的に言えば、最近よく耳にする「格差社会」「ワーキング・プアー」にあらわされているような状態の進行を指しています。新自由主義的グローバリゼーションによって、日本のような先進国においても「貧困」と「社会的排除」が確実に創出されてきています。「自己責任論」や「自立支援」という言葉の裏側には「社会的排除」という意図が隠されています。「野宿者運動」の現場の周辺では「スポット派遣」や「ネットカフェ難民」といった、最近になって顕著になってきた「不安定就労」の現実が、恐ろしいほどの広さをもってこの社会に浸透してきているのを目の当たりにしています。行政側は意図的に「野宿者問題」と「ネットカフェ難民問題」を別の問題として分断しようとしていますが、両者の構造的な原因が同根であることは明らかです。
また、移動する人/Migrationの問題とは、日本おいては「移住(労働)者」や「難民(申請者)」とそれをめぐる行政や司法、また経済界や日本社会そのものの対応に「人権的配慮」が著しく欠落しているために、当事者である移住者たちに過酷な生活を強いているという現実があるということです。足立区の「むすびの会」での移住者やその子供たちとの関わり、また日本で「難民申請」をしている人々(今回の報道で、日本でも多くの人が関心をもったであろう「ビルマ(ミャンマー)人*」や「クルド人」など)との関わりの中で、かれらがどれほど困難な(しばしば残酷な)状況を強いられているか、そしてその現実がいかに日本の社会から隠されているのかを目の当たりにしています。

この半年間、これらの「現場」で様々な人々や出来事と出会いました。そして、この「地球規模の周辺化/Global Marginalizationの問題」と「移動する人/Migrationの問題」が実は根底でつながっていることを感じています。

今回の通信では特にその中で、日本にいる「難民」の方々が今どのような状態に置かれているのかということについて、わたしのささやかな経験を踏まえながら報告したいと思います。
* 「ミャンマー」という国名は軍事政権が使用しはじめたもので、難民・支援者は抗議の意味を含め、通常は「ビルマ」を使用。

「難民鎖国」日本の現実
~針の穴を通るように難しい「難民認定」~
まず、日本の難民政策がどのようなものなのかについて説明したいと思います。「難民」とは「人種、宗教、国籍、特定の社会集団への帰属、政治的意見などの理由から本国で迫害を受けている、あるいは迫害を受ける危険があるため、国外に逃れており、本国政府の保護を受けることができない人、あるいは保護を望まない人」に定義される人々です。つまり、「本国では命があぶない人」ということです。この点が大切です。

日本は先の定義を謳った国連の「難民の地位に関する条約/1954年発行」(以下「難民条約」)に1981年に加盟しています。しかもUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)への拠出金は世界第2位と、表向きは世界の難民問題の改善に貢献しているように見えます。

しかし、実際は下記の図を見てもらうと分かるように日本は「難民」の受け入れに非常に厳しい国です。この「難民条約」に基づいた「条約難民」はこの25年間でたったの410人しかいません。この難民認定の少なさが示すように、日本で「難民」として認められることは、「針の穴を通るような難しさ」だと喩えられています。

このように、「難民拒否」という現実(本音)と国際社会に対するポーズ(建前)がまったく違うということです。その本音と建前の違いを象徴しているのが、「出入国管理及び難民認定法」という法律に基づいて難民認定が行われているという現実です。つまり、外国人の出入国と在留管理を行う人間が、同時に難民認定も行うという現実です。「保護されるべき難民」があくまでも「管理の対象」としてしか見られない限界がここにあります。ここに根本的な問題があります。

そしてまた、この「難民拒否」という(本音)と国際社会に対するポーズ(建前)のギャップが大きな悲劇の原因の1つになっています。つまり日本は国外から見ると、条約に基づいて難民を庇護する国に見えるので、多くの庇護希望者が来日することになります。(もちろん庇護希望者が日本を選ぶ理由はそれだけではありませんが)そして、まったく違う現実-不法滞在者として犯罪者扱いされ、生存の権利を剥奪され(例えば就業権がないとか)、収容され、送還される-に直面するのです。つまり表現は厳しいですが、「表向き門戸を開いて難民を誘い入れている」というのが客観的な現実でしょう。

このような日本の状況の中では、日本に難民(庇護希望者)がどのくらい入国しているのかを把握することは不可能です。というのも、かれらの多くが逮捕や収容、その先の強制送還を恐れて「難民申請」それ自体を行えない状態にあるからです。また来日間もないかれらにとって「60日ルール」(入国して60日以内に難民申請しなかった者は難民としては認められないというルール、一応2005年5月の難民認定制度改定で廃止されました)など知る由もなく、手続きを行わないうちに期限を逃してしまった人々も多くいます。そして、そのような状態で日本に滞在しているかれらを「不法滞在者(犯罪者)」として逮捕・収容するのです。ある人々はこのような現在の日本の難民政策の実態を「難民だまし討ち迫害」と呼んでいます。実際に多くの難民(庇護希望者)が日本での過酷な現実に直面して「何で日本に来てしまったのか…」と感じています。

「難キ連」の全国ワークショップ
~「入管収容問題」~
この半年間で多くの難民当事者の方々や支援者の方々との出会いがありました。6月8日~9日には西早稲田の日本キリスト教会館において「難キ連」(難民・移住労働者問題キリスト教連絡会)のワークショップが行われました。全国から難民・移住労働者の支援活動をしているNGOやキリスト教教会関係者、そして難民当事者の計110人が参加したものとなりました。今回は主に「入管収容問題」を中心に、東日本(茨城県牛久市)、西日本(大阪府茨木市)、大村(長崎県大村市)の3つの入管センター(収容所)で、被収容者面会支援活動をしている人々が一同に会するものとなりました。

はじめに、2001年から東日本入管センター(牛久)に出向き、収容中の難民に面会し聞き取り調査を行なっている横浜市港町診療所の山村淳平医師(海外の難民キャンプなどで長く医療活動をされてきた経験をもつ)からの報告と問題提起がありました。

入管センターでの面会はガラス越しで、しかも時間も制限され一般の診察は不可能なのですが、しかしそのような条件下での聞き取り調査の中でも、収容された難民には不眠を筆頭に体重減少・食欲不振・頭痛・体の痛み・腹痛・体のふるえなど多彩な症状がみられること、それが不当な収容に対する困惑・怒り・不信、将来に対する不安、センター内で日常的に繰り返される非人間的な扱い、また言葉の暴力による恐怖心などが原因で精神状態がきわめて不安定となった結果生じてきていることが報告されました。

また、仮放免された難民に対して港町診療所で診察とスクリーニング検査を実施し、必要に応じて精神科医などの専門家による診察を行った結果、そうした外部の医師による診断では、難民申請者のほとんどに「うつ状態」がみられ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、ATSD(急性心的外傷性ストレス障害)などの精神疾患があること、また同様に、胃炎/十二指腸潰瘍、腰痛症、高血圧、皮膚疾患などの身体的疾患があることも報告されました。

次に行われたのは、3つの入管センターで被収容者面会支援活動をしている人々の報告でした。そこでは、今後これら3つの地域(牛久・茨木・大村)で支援活動をしている人々の間の相互連絡と相互協力をより緊密にしていくことの重要性が確認されました。というのも難民が東日本(牛久)から大村(長崎県)に何の前触れも合理的な根拠もなく突然に移されるという事態が起きているからです。例えば、東日本(牛久)に収容されていたビルマ難民Aさんの場合、Aさんへの支援者(ビルマ弁護団)の面会が増えたとたんに大村に移されたということがありました。これは明らかに東京の支援者からの「引き離し」という意図の下に行われたことであろうというのがワークショップ参加者の一致した見解でした。

また今回のワークショップには元被収容者である何人もの難民の人々(難民申請中の人々、難民不認定処分に対する取り消し訴訟中(裁判中)の人々、既に日本での滞在をあきらめ第三国(カナダ)などへの移住を決めた人々など)も参加していました。入管センターでの過酷な体験と日本での苦しく長い年月、その中で失ったものなどを悲痛に証言する一人一人の難民の方の姿は本当に忘れることができないものでした。目の前で語るこの人たち、一人の人間をここまで苦しめる日本という国は一体何なのかと思わずにはいられませんでした。何度も言うようですが「難民」は「本国で命が危ない」から日本に来た人たちなのです。帰りたくでも帰れないのです。そのかれらをここまで苦しめる日本。かれらの証言は重く、そして本当に心の底から揺さぶられるものでした。それは人間(神の子)の尊厳を傷つけるすべてのものへの「怒り」であり、「人の心を取り戻せ!」というわたしたちの社会に対する、神様からの回心の呼びかけであるように感じました。
また今回は、上述の港町診療所の山村淳平先生や、牛久入管収容所問題を考える会の田中喜美子さん、大阪のRINK(すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク)の岩田賢司さん、 大村の長崎インターナショナル教会の柚之原寛史牧師など「入管収容問題」の現場で実際に多くの難民の人々を支え続けている方々、またアムネスティ・インターナショナル日本・難民チームの方々、NCC(日本キリスト教協議会)の方々、その他、情熱と共感をもって移住者・難民の方々と共に歩んでいる全国の多くのNGOやプロテスタント教会の方々と出会う機会ともなり、わたし自身もとても励まされました。もちろんその中には、CTICやさいたま教区の方々などカトリック教会内の仲間がいることは言うまでもありません。

2日目の最後には、今後も入国管理局への監視を継続していくこと、各センターでの処遇の改善を法務省・入国管理局へ要請していくこと、全国の支援ネットワークを強化していくことなどが確認され、今回の「難キ連」のワークショップは終了しました。

「移住連」の全国ワークショップ
~「外国人労働者受け入れ論」を受けて~
続いて6月9日~10日には昭和女子大学で「移住連」(移住労働者と連帯する全国ネットワーク:SMJ/Solidarity Network with Migrants Japan)の全国ワークショップが200名ちかい参加者を集めて行われました。「移住連」は文字通り「移住者」に関わっている全国のNGOのネットワークであり、上述の「難キ連」もそのネットワークの1つです。

今回の「移住連」のワークショップでは、少子化と将来の日本の労働力の減少予想にともない最近活発になってきた「外国人労働者受け入れ論」(内閣府・内閣官房・日本経済団体連合会などがそれぞれ出している答申や提言)を受けて、その受け入れ論の問題点などが提起されました。具体的には「高度人材」に限定した受け入れ枠の拡大や、それを補完するための研修生・実習生制度の拡充など労働力の確保の面と、外国人の在留管理と取り締まりの強化の面がセットで提言されている点などです。平たく言えば「有用な労働力を確保しつつ、状況に応じて追い出すことのできる体制の構築」ということになるでしょう。

労働者派遣法の制定(1985年)と数度にわたる改正(1996年、1999年、2003年)そして国内企業で進められてきたリストラクチャによって、派遣労働者(いつでも切り捨てられる不安定就労者)がこれほどまでに増大してしまった現在の状況と同じことを、今度は外国人労働者でやろうとしているというところが本音でしょう。

そこには外国人を安価で調整可能な労働力としてしか見ていない人権感覚の貧しさがあります。そしてこれは高い難民性をもった難民申請者(庇護希望者)に対しても、彼らを拒絶する人権感覚と共通するものがあります。例えば、2004年に国連大学前で座り込みをしたトルコ系クルド人の家族は、その後UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)からマンデート認定(難民認定)を受けたにも関わらず、2005年にはこの家族の二人が突然に強制送還されました。難民と移住労働者の支援に汗を流している多くのNGO、そして個人が闘っているのは、実はこの「日本の人権感覚の貧しさ」というものに対してなのかもしれません。

トルコ系クルド人難民
~エルダル・ドーガンさん一家~
上述の「難キ連」や「移住連」のワークショップや、またアムネスティ・インターナショナル日本・難民チームが主催する連続セミナーなどでも多くの難民当事者の人たちとの出会いがありました。

特にその中でも、先ほども触れたようにトルコ系クルド人の置かれている状況、つまりその難民性の高さにも関わらず、日本政府とトルコ政府の親密な関係という政治的要因のために、トルコ難民申請者の合計778人(ほとんどがクルド人)のうち、いまだに一人も難民認定されていない! という状況には、日本の難民認定制度がいかに国連の難民条約の理念と乖離したものであるかという現実を突きつけられました。2004年の国連大学前の座り込みの当事者であったクルド人難民エルダル・ドーガンさん一家(4人家族)は、結局、今年7月10日に第三国(カナダ)へ向けて出国しました。難民と認められないばかりか、就業権も与えられず、人間としてのプライドを傷つけられ、収容と仮放免の繰り返しだった日本で過ごした年月。本当は日本に住みたいと願い続けてきたエルダルさんの「日本はもういいです」という言葉は、今でも心に焼きついています。

ビルマ難民Kさんとの出会い
~上智大学での講演~
ビルマ難民Kさんとは山村先生を介して知り合いました。1988年に、ビルマの軍事政権が民主化を求める学生や民衆に対して発砲し弾圧した時に、Kさんはヤンゴンで公務員として働いていて、職場の同僚と共に民主化運動にも参加していました。しかしそのことが軍事政権当局に分かってしまったため、職場の同僚は次々に解雇され、Kさん自身も身の危険を感じたために、弾圧を逃れて1990年に来日したのです。
Kさんのビルマでの体験や今の日本での生活の様子など、是非、若い人たちに聞いてもらいたいと思った私は、7月に上智大学の瀬本神父の授業の1コマでKさんの話をしてもらう機会をつくりました。当日は山村先生やアムネスティ・インターナショナル日本・難民チームの方や、ビルマ市民フォーラムの方にも参加してもらいました。
Kさんからは、ビルマではどんな職場にも政府のスパイが入り込んで監視されていること、拘束された人々の尋問は身体的な拷問をともなう酷いものであること、国内の少数民族への弾圧(殺害、レイプなど)の実態など、軍事政権の具体的な人権侵害の様子が語られました。
また日本に来てからの苦労も語ってくれました。生活するために肉体的にも厳しい仕事をしてきたこと(難民申請中の人には「就業権」が与えられていない。霞を食べて生きていけというのだろうか?)また、国民健康保険などの公的な社会保障が利用できないために、高額な医療費(100%自己負担)を支払わなければならず、実際に大きな手術をしたKさんは、現在もその支払いが終わっていないような状態であること。また日本は属地主義ではなく、血統主義による国籍付与であるために、日本に来てから生まれたKさんの子どもが「無国籍」の状態になってしまっていることなどを語ってくれました。
しかし、そのような苦しい状態の生活にも関わらず、同じように日本で苦労しているビルマ難民の友達や、ビルマ国内にいる「国内避難民」の人々のために、お金や物を送ってきたKさんの人生は、「苦しみを知っている人だけが、隣人の苦しみに本当に共感できる」という真理を無言のうちに語っていました。
そして最後に、「何とかビルマで安全に暮らせる日が来るまで、どうか日本で難民として暮らすことができるようにお願いしたい」と語りかけた難民当事者のKさんの言葉は、どんな日本人支援者が語る言葉よりも力をもって学生たちの心に響いたようでした。授業終了後の学生たちの反応も『ビルマでこんなことが起きていたことを初めて知った』『日本にいる難民の人々の困難な現実を初めて知った』『私たちの社会のあり方を考えさせられた』というものでした。
きっと今回のビルマでの一連の民主化要求デモとそれを弾圧する軍事政権の映像は、授業を聞いた学生たちの心にKさんのことを思い起こさせたことでしょう。

最後に
日本の「難民」問題は社会から隠れて(隠されて)います。「難民」だけではありません。この社会の中で「利用され弱くされた者」は「分断されて」そして「何事もなかったかのように」、「気づかれないように」社会から排除されていきます。だから社会から見えないのです。かき消されてしまいそうな、かれらの「小さな声」に耳を傾ける時、その声は神様からの言葉のようにわたしたちの良心に訴え、わたしたちに大切なものへの気づきの恵みをもたらします。すべての人が本当の幸福を実現していくことのできる社会(つまり愛に根ざした社会:神の国)を作っていくためにしなければならない一番大切なことは、この「小さな声」に耳を傾けていくことだと強く感じています。そこに神様の光が溢れているからです。

日本への移住者

アグネス・ガッパタン(CTIC) 【社会司牧通信132号2006年6月1日】

日本には200万人近くの外国人移住者が在留しています。既にご存知とは思いますが、日本に居住する外国人の実態を、あらためて示させていただきたいと思います。

日本における日本人以外の居住者数
-国別に2004年現在で-
   国 人数
  韓国および北朝鮮 607,419
  中国 487,570
  ブラジル 286,557
  フィリピン 199,394
  ペルー 55,750
  アメリカ合衆国 48,844
  他の国々 288,213
  総計 1,973,747

 グラフを見て日本人以外の居住者の大多数が韓国・北朝鮮及び中国からの人たちだとおわかりでしょう。しかしながら、彼らの多くは戦前または戦中に来日した「昔からの在日」です。このグループの歴史的背景はよく知られていると思いますが、その後に「新しく来日した人たち」に関しては、多くはフィリピン、ペルーや他の南米諸国からです。
次の表は日本の在留資格別外国人居住者人数を示すものです。39%が永住者で19%が日本人の配偶者です。あとは全員が特定の職業や仕事の下に登録されている人たちです。

在留資格別外国人登録者数(2004年)
在留資格別外国人登録者数(2004年)
資格 人数
永住者 778,583 39
日本人の配偶者等 257,292 13
定住者 250,734 13
留学 129,873 7
家族滞在 81,919 4
興行/エンターテイナー 64,742 3
就学 43,208 2
研修 47,682 2
人文知識・国際業務 54,317 3
技術 23,210 1
技能 13,373 1
企業内転勤 10,993 1
教育 9,393 0
教授 8,153 0
永住者の配偶者等 9,417 0
その他 190,858 10
総数 1,973,747 100
出典:外国人登録者統計について(日本在留外国人統計)
入国管理局
法務省(2005年7月)
私は今晩日本にいる移住者の状況について皆様にお話するよう頼まれました。このことについての「専門家」ではないのですが、私が移住者たちと共に何年か働いて経験したことを、一生懸命皆様と分かち合いたいと思います。
定義によれば、『移住者』とは、ある地域や国から別の地域や国に移動する旅人、または仕事を見つけるために定期的に移動する人の意味です。それで『移住者』はよく『移住労働者』(出稼ぎ労働者)と思われがちです。日本人以外の在留外国人のことを、先ほどお見せした資料に基づいて話題にすれば、この人たちの中の誰が『移住者』といえるでしょうか? 次の表をご覧ください。
日本で就労する外国人(2004年)(推計)
在留資格 労働者数
教授 8,153 4
芸術 401 0
宗教 4,699 2
報道(ジャーナリスト) 292 0
投資・経営 6,396 3
法律・会計業務 125 0
医療 117 0
研究 2,548 1
教育(インストラクター) 9,390 5
技術 23,210 12
人文知識・国際業務 47,682 25
企業内転勤 10,993 6
興行(エンターテイナー) 64,742 35
技能 13,373 7
小計 192,124 100
特定活動 61,508
学生のアルバイト
(資格外活動)

106,406

(推計)

 

日系人等231,393 不法就労/不法残留者207,299 日本人の配偶者/永住者1,035,875

出典:厚生労働省
関西学院大学教授 井口 泰氏による推計

この表は日本での外国人労働者の数を示しています。「就労が許可され得る種類のビザ」を発行された労働者の総数のなかで、割合が一番高いグループはエンターテイナー(芸人)です。下方に特定活動と学生のパートタイム職(アルバイト)と日系人及び超過滞在の外国人を加えました。この表をさらに要約すれば次のようになります。

移住労働者とは誰か?
高度の技能を持つ専門家 21%
エンターテイナー 7%
学生パートタイマー 12%
日本人の配偶者 11%
超過滞在者 23%
日系人 26%

先に述べた定義に基づいて今理解すれば、日本に在留する移住労働者は、次のような構成になると思われます。

a) 工場で働く日系人たち。ほとんどがブラジル人とペルー人で、少数がフィリピン人です。
b) このグループに次ぐのがオーバーステイの人たちで、当然のことながら工事現場などで雑役に従事し、汚い・きつい・危険な仕事をしています。男性は旅行者として(短期滞在で)来日し、女性はエンターテイナーとして来たがプロモーター(興行主)のもとから逃げ出した人たちです。
c) 次に高度の技能を持つ専門職のグループが来ます。コンピュータ技師、大企業で働く高給の専門家などです。
d) その後に続くもう一つの重要なグループがエンターテイナーで、大部分がフィリピンからの女性たちです。そのほか中国、インドネシア、ロシアからも来ています。2004年だけを見ても82,277人のフィリピン人女性、8,277人の中国人女性、5,775人のロシア人女性、3,012人のインドネシア人女性がエンターテイナーとしてはじめて来日しました。

私は二つの特別なグループのことに触れたいと思います。どうして日本人の配偶者を移住労働者の資料に加えたのでしょうか? それは、この人たち自身が就労者のビザを持っていなくでも、多くが興行産業を経て来日し、日本人と結婚しても大部分がいまだにクラブでエンターテイナーとして、あるいはレストランでの皿洗いや、ホテルのベッドメーキングなどをして働いているからです。働き続けて、フィリピンにいる家族に仕送りをするのです。

注目したいもう一つの移住者グループは、船員です。 勤務の性質上、普段、町で見かけたり会ったりすることの出来ない移住者です。けれどもいろいろな国から日本各地の港に毎日かなりの人数の船員が来ているのです。

日本での移住者生活史とは?

出身国、たとえばペルーとかフィリピンで、父親や母親が家族により明るい未来を手に入れるため、もっとよい働き口がないものかと探し求めます。そんな仕事を、興行主や斡旋業者が、新聞などで広告します。また、日本に行ったことのある友人からの話を耳にします。それから代理店などの助けを得て渡航に必要な要件を整え、書類などを準備します。
ひとたび日本にやってくると、彼らは様々な難しい状況を体験することになります。文化や風習、言語、働き方などの違いに苦労し、寂しさや孤独感、無力感など感情の問題になやみます。自分自身が根ざしていた文化から引き抜かれ、どのように新しい環境に意義を見出すかに困難さを感じます。しかし、ただ出来るだけ多くのお金を稼いで故国の家族に送金するために、懸命に日本に適応しようと努力します。
雇用契約または在留許可期間が終わる前に、彼らはさらに滞在を延長する他の手立てを探します。雇用されていた女性が6ヶ月間の契約を超えて残留する唯一の方法は、興行主から逃れて友だちのもとに身を寄せ、不法滞在のエンターテイナーを受け入れる別のクラブを見つけることです。
もう一つの方法は日本人と結婚してビザの資格を「日本人の配偶者」に変更することです。結婚は正真正銘の場合と、ビジネス上の協定の場合―すなわち50万~100万円を毎年日本人の男性に払って女性が入管からビザを出してもらうもの―とがあります。場合によっては、急ぎのルートの結婚で相手が本当に誰かも知らず、いったん同居しても、お互いに見知らぬ人のこともあります。日本の胎児認知制度や出産後の認知制度も知らずに、妊娠すればビザがもらえると考えてしまう女性もいます。一方で不法超過滞在の男性たちは職を転々と変えて、見つかって捕まらないように祈っています。工事現場で働いている間に、時に事故にあったり、病気になったりすることがあります。ビザが切れてしまっているので、入院すると多額の費用が必要となり多くの場合支払いが出来ません。病気が重いと、彼らはたいていの場合、家に帰ることを選びます。
その一方で女性たちはなんとか結婚生活を守ろうとベストを尽くします。けれども文化の違い、結婚の動機の違い、その他様々な要因でこうした結婚のほぼ50%が離婚に終わると推定されます。結婚生活を持ちこたえられた人たちは、日本に長期滞在して永住の資格を得ます。離婚したが子どものある人たちは、ビザを更新して働き続けることが出来ます。しかし、離婚して子どもがいない人は、別の日本人男性を見つけて結婚するか、職を得て不法残留するか、または母国に帰って近所の人たちから「失敗者」として見られる恥に耐えることになります。

移住・移動は必然

このグローバリゼーションの時代に、移住・移動の人流は避けられない必然です。多くの国ですでに多様性が現実となっています。3月に国連大学でのIOM(国際移住機関)シンポジウムに参加しましたが、表題は『日本は外国人問題にどう対処すべきか?-外国人の日本社会への統合に向けての模索』でした。基調講演者はIOMの事務局長マッキンレー氏でした。彼はこう語りました。
「いまや先進国が直面しているのは移住者を受け入れるかどうかの問題ではなく、唯一の問い、『いかに移住者が受入国で積極的・建設的な役割を果たせるように移住が確保運営されるか?』に答えることです。受入国の移住者対応に関する法制度、行政制度をいかに整えて改良してゆくかが、ここに含まれます。ヨーロッパ諸国とアメリカはこれについて合意しています。日本はこれらの国々より遅れています。しかし、遅れたがゆえに諸国の先例と経験から学んで、日本は良い対策を選ぶことが出来ると思われます。
国連のレポートは、日本人口の老齢化に伴って、人口と生産力を支えるために、年間60万人の移住者を受け入れる必要があるとしています。もし入国管理局の推計が正しくて20万人の超過滞在者がいるとすれば、彼らの存在はこの社会で最もよく知られている秘密です。もし、どこかほかに働ける職場があれば、彼らは自発的にこの国を去って帰国するか、もっと青い牧場を探すでしょう。けれど日本の政府はこの現実を支持しませんし、まるでかれらはいないかのように振舞います。このような人たちはよくトラブルに巻き込まれた時、たとえば女性が家庭内暴力の犠牲になって警察に訴えると、入管法の違反者としかみなされず、被害者として扱ってもらえません。警察から入管に通報され、入管はただ彼女を強制送還して帰国させてしまいます。
政府に望みたいことは、第一に、移住者は当然必要であることを認めて受容すること、そして、彼らがいろいろな面で積極的に日本の生活に貢献できるように、日本の社会に統合するのを助けることです。国連が準備したレポートは結論として、受入国への移住者の統合は次の領域にかかっているとしています:法的な身分資格、国語の言語力、適正な給料が支払われる仕事を見つける能力、市民生活への参与、そして社会サービスを受けられる権利。

このチャレンジを受け入れた多くの国は、現在、移住者の統合に関する方針とプログラムを立てています。受入国の地域社会の人々も、移住者の自国への積極的貢献を進んで認めて支持してゆくべきでしょう」。

司牧的チャレンジ                              

これらの事情に対して、日本カトリック教会にとってどんな司牧的なチャレンジがあるでしょう? CTIC(カトリック東京国際センター)は外国人信者や外国人グループがいる小教区に次の提案をしたいと思います。

あちこちの教会で他国語の日曜ミサが行われていることを感謝していますが、外国人のミサを生活の中の出来事やニーズに適合させる必要があります。外国人信徒はミサの中に移住者の現実と困難と喜びを反映させなければなりません。時間と労力をかけて本当によく日曜のミサを準備すれば、その実現は難しくありません。
どうか外国人信徒を教会家族の一員としてください。外国人を典礼だけではなく、教会生活の他のあらゆる領域にも純粋に参加させてください。
外国人信徒が自分のアイデンティティーを失うことなしに共同体の中に溶け込むことができるように、助けてください。現在のところ、聖歌隊に加わって歌ったり、当番制でミサの朗読をしたり、何か催しの時に自分の国の料理を作ったり、快く歌や踊りを披露したりはしています。しかし本当に参加するということは、これだけにとどまりません。小教区の教会(運営)委員会、小教区チーム、各種委員会などに参加して、教会共同体で何か決定をする過程にもあずかり、外国人信徒の意見が十分に聞かれるようになることが大切です。
外国人信徒に生涯養成の機会を与え、技術、信仰、霊性、生活、家庭などに関して学び、向上していけるようにしてください。外国人信徒は信心業には熱心ですが、教理教育を十分には受けていません。外国人の多くは子どもの時、教理を習っただけで、その後、教理教育を受けて成人としての信仰の知識を学ぶ機会を得る者は少ないのです。また、外国人信徒は日本の社会の中で生きるために、必要な生活技術を習い、それに慣れるよう訓練されなければなりません。どうか、日本の生活の現実に合うような形で自分たちの文化をどのように表現すればよいのかがわかるように、外国人信徒を助けてください。
小教区のヘルパー、ボランティア、カテキスタ、特に洗礼や他の秘跡の準備を受け持つ人たちには養成と訓練が必要です。この役割を効果的に果たすための資料、教材その他の資源も必要です。
もし、公式・非公式の外国人グループが小教区にあれば、どうかケアして(共に歩んで)ください。リーダーたちが養成、訓練されるための場所を提供してください。協力の過程としては、まず時間と労力をかけて彼ら自身とその活動や計画を知り、その上で地域共同体への奉仕に向けて彼らが働くのを、導き助けてください。

外国人信徒には純粋な異文化間対話の場所が必要です。外国人信徒がお互いに知り合うのはもちろん、国の違う人々とも会合して交流し、本当にお互いの文化を理解して尊敬できるようにならなければいけません。それは単に、ミサの後にコーヒーやお茶を共にする集まりや、毎年行われる東京教区のインターナショナルデーや、バザーだけにかぎりません。こうした活動は、異文化間の相互理解のためのよいきっかけではありますが、おそらく今日、もっと歩みを進める時が来ているのではないでしょうか。
外国人信徒の置かれた状況について、日本人と日本人以外の人々の意識を高めるために、共に学習し、働かなければいけません。彼らの祖国と日本の社会の双方が、どのように作用して、この現状をもたらしたのかを、皆が理解する必要があります。
外国人信徒がどのようにして日本教会の刷新を手伝うことができるかを、共に集まって考察する必要があります。外国人信徒は経済的理由によって自分たちの祖国を離れましたが、自分たちの信仰を携えて来ました。外国人信徒は地域の教会にどのように奉仕できるでしょうか。それを確認して、その輪郭を描き出した時、外国人信徒のなし得る貢献を実行に移すにあたって、多くの支えと協力が必要です。
最後に、一番重要なお願いとして、子どもたちに場所と時間とプログラムを用意してください。子どもたちが信仰を知り、アイデンティティに自信を持つように、愛情深くつき合ってください。学習と遊びを支え、能力に応じて役割を与え、仕事をさせてください。
 ここに提案したことはどれも、多くの時間と創造性と技術を必要とします。真に多文化が共生する教会を築きあげるのは、一朝一夕でできる仕事ではありません。その道のりは遠く、歩みもゆっくりです。私たちは共に短期・長期の司牧計画を作り、体系づけ、考察し、協調して努力する必要があります。日本人と外国人の信徒がお互いにできるかぎり助け合い、献身しなければなりません。おそらくこれまでの組織と活動スタイルはもう通用しないでしょう。新しい「教会のありかた」を見出す旅路を、みなさんと一緒に歩んでいきたいと思います。

<2006年4月12日、カトリック麹町(聖イグナチオ)教会、メルキゼデクの会での講演。筆者はフィリピン人で、聖母被昇天修道会の信徒宣教者。>
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滞日外国人支援の体験から 

齋藤 紳二(さいたま教区助祭) 【社会司牧通信127号2005年4月15日】

ー 入国管理センターの実態 ー

齋藤さんは、2003年にさいたま教区の助祭に叙階された。その3ヶ月後から、司教に命じられて、茨城県牛久市の東日本入国管理センター(牛久収容所)に収容されている外国人に対する面接支援をおこなってきた。この講演では、その体験をもとに、日本政府の外国人管理の問題を語った。
(この講演は2005年5月25日、カトリック麹町教会メルキゼデクの会の例会で行われた。文責はイエズス会社会司牧センター・柴田幸範)

私は60年間、社会活動とはほとんど無縁に過ごしてきました。人見知りが激しくて、初対面の人とはすぐに仲良くできないし、外国語もできないし、車の運転もできない。司教から、それまで面会をしておられたスペイン人の神父さんが本国に帰ることになったので、その後を引き継ぐようにと命令されたとき、司教への従順が助祭のつとめの基本なので引き受けはしましたが、まったく自信はありませんでした。

最初のうちは、その神父さんから引き継いだ4人を対象に、月に2度面会に通っていましたが、収容者から紹介されたり事務所に面会以来の電話がかかってきたりして、またたく間に面接の相手が10人、11人と増えていき、毎週通うようになりました。最近では週に2回行くこともあります。

そのなかで強く感じるのは、この施設がほとんど知られていないということです。地元の牛久市民の中にも知らない人が多いくらいです。法務省が隠そう、隠そうとしているからです。ですから私は、向こうが隠すなら、みんなに知ってもらおうと思って、いろいろな教会でお話しさせてもらっています。

厳しい外国人取り締まり
このセンターにどんな人が収容されているか。皆さんご存じかと思いますが、最近、特に首都圏で、「外国人狩り」としかいいようのない出来事が頻発しています。

日本全体が人手不足だった十数年前は、上野の山にイラン人がいっぱいいました。日本に来たらまず上野に行け、というのが彼らの合い言葉だったそうです。言ってみると本当にイラン人ばかりで、まるでくにに帰ったような気がしたという話があります。そのころは日本にたくさんの外国人がいて、ビザが切れているのが発覚して捕まっても、雇い主が身元を保証すれば釈放されました。ところが、有名な石原発言が飛び出しました。「犯罪が増加している原因は外国人が増えたからだ。彼らが原因で犯罪が増加し、凶悪化し、地方分散化している。外国人のせいで日本の治安は危機に瀕している」と発言したあたりから、国も方針をがらりと変えました。5年間で12万人の「不法滞在者」-政府はそう呼んでいるのですが、私たちはオーバーステイ、「超過滞在者」と呼んでいます-を帰国させようという政策を打ち出したのです。

なぜ12万人か。入国管理局はオーバーステイの人が23万人いると推計しています。その半分を5年間で帰してしまおうというわけです。1年で2万4千人。毎日、60人以上帰さなければならない。そのために、入国管理局も警察も必死で捕まえています。

電車の中で同国人と話しているときに外国人登録証の提示を求められ、オーバーステイが発覚して捕まったとか、フィリピンの人たちがタガログ語のミサが終わって談笑していると、警察が教会に踏み込んで捕まえていったという話も聞きます。さいたま教区にいるインド人の神父さんは、一日何度も警察に呼び止められて、うんざりだと話していました。そういう状況が全国で起きています。

特にカトリック教会はねらわれています。一定の時間に一定の国の人が大挙して集まってきますから、目をつけやすいんです。さいたま教区の教会でも、ペルー人のパーティーに私服の警察官らしき人が潜り込んで、写真を撮っていたり、クリスマスの深夜ミサ帰りのフィリピン人を捕まえて収容所に入れたりすることがありました。

そうして捕まった人に、日本に滞在していいと認めるだけの根拠がなければ、「退去強制令」、つまり「日本から出て行きなさい」という命令が出されます。こうして毎年2万人ほどが帰されているわけですが、中には帰れない人がいます。飛行機代も持っていない人やくにに帰ると生命の危険がある人たちです。

それから、帰りたくない人もいます。長く日本で暮らして、定職に就き、結婚して子どももいる。いまさらくにに帰っても仕事もないし、子どもたちは日本語しかしゃべれない。だから、なんとか日本にとどまろうとする人がいます。そういう人たちを収容するわけです。

収容所とは
日本には3つの外国人収容所があります。茨城県牛久市の東日本入国管理センター(定員約700人)、大阪府茨木市の西日本入国管理センター(約550人)、それから長崎県大村市の九州入国管理センター(約700人)です。収容される際に問題なのは、家族と引き離されること(夫婦は男女別々に収容され、子どもは親と引き離されて児童相談所を通じて施設などに預けられる)、病気で通院治療が必要なのに、それも考慮されないで収容されること、つかまったその場から直接収容され、住んでいた場所を整理する余裕がない(家族がいない人の場合、財産が行方しれずになってしまうことがある)といったことです。

収容されるのは10人部屋(10畳)、5人部屋(6畳)などです。どうしても共同生活できない人、いびきのひどい人などのために個室(3畳)もあるそうですが、とにかく狭い上に、プライバシーがゼロです。支給されるのは毛布5枚だけで、それを敷き布団と掛け布団にして寝る。

朝8時になると点呼で、毛布をたたんで掃除し、折りたたみテーブルを出します。差し入れ口から朝食が差し入れられて朝食が始まります。9時半になると扉の鍵が開いて、他の部屋に行ったり、レクリエーション・ルームで談笑することができます。順番にシャワーを浴びたり、運動場で30分だけ運動もできる。11時半に部屋に戻って、昼食。1時にまた扉が開き、室外に出られます。そして4時半に部屋に戻って夕食。あとは、前もって許可を得てくにに国際電話をかけるといった特別の用事がない限り、部屋の外に出られません。同室者がおしゃべりしているので眠りたいのに寝られないこともあります。見ていたテレビ(各室にテレビがあります)のチャンネルを勝手に変えられることもあります。

公衆電話の順番をめぐってトラブルがしょっちゅう起こります洗濯物を干すスペースの取り合い、トイレ掃除の順番のもめごと…こうしてストレスがたまっていきます。だいたい収容されて3ヶ月ほどたつと、胃の不調を訴えるようになります。夜眠れない、体の節々が痛む、下痢が止まらない、食事がのどを通らなくてやせてきた、反対にむくむく太って3ヶ月で20キロ体重が増えたなど、体に異常が出てきくます。そして、ひどくなると精神的におかしくなっていく人もいます。

ある夫婦のご主人は、精神的に不安定になって、何度か首をくくったり、体を傷つけたりしていました。夫婦で面会(面会のときだけ、夫婦同席することができますが、回数に制限があります)していたときに、突然「これから娘を迎えに行きます」と言い出しました。奥さんが「しっかりしてよ」と言っても、「俺は毎晩、娘と一緒に寝ているんだ」と言って聞かない。現状を把握することができなくなっていたのです。私はそれを見て、涙が止まりませんでした。なぜ、ここまでして二人を閉じ込めなければならないのか。

楽しみのない生活

長い人だと3年も収容されることがあります。その間、何をしているか。刑務所だと毎日、木工とかいろいろな作業があります。技術を教えてくれて、手間賃をくれて、それを貯めて出所後の生活再建資金にすることもできます。ところが、外国人の収容所には何もありません。「本来、日本にいるはずのない人たちに作業をさせるのは、彼らがいることを認めてしまうことになる」という理屈です。「何もやることがないから、悪いことばかり考えちゃう」そうです。刑務所だと、出所する日が決まっているので希望がある。でも、収容所はいつ出られるかわからない。家族といつまで引き離されているのか、わからない。だから不安ばかりがつのります。だんだん鬱(うつ)状態がひどくなっていきます。

毎日何もすることがない、見る顔は毎日同じ顔ばかり、親しい人がいても話のたねは尽きてしまった……その上、収容所の窓ガラスはすべてすりガラスで、外の様子がまったく見えません。今どんな花が咲いているのかはもちろん、晴れなのか曇りなのか雨が降っているのかさえわかりません。毎日がまったく同じように過ぎていきます。

そういうつらい生活では食べることだけが楽しみだとよく言われます。でも収容所の食事は楽しみではないそうです。弁当なので、400人、500人分と盛りつけている間に冷めてしまい、温かい食事をとったことがないと収容者は言います。「肉か魚か」くらいの選択肢しかなくて、好みや宗教的なタブーもあまり考慮されません。

では何が楽しみかと言うと、外部との連絡です。彼らが一番心待ちにしているのは面会人が来ること。収容されている棟から面会室まで7つのドアを通りすぎるのだそうですが、一つ通りすぎるごとに心が開いていく。そして、その日はいつもとは違う特別の日になるんです。

次に楽しみなのは手紙です。ただし、受け取った手紙は警備官が本人の前で封を切って枚数を確認してからいったん取り上げ、検閲して、翌日わたされます。手紙を出すときも、のり付けせずに警備官に渡して、検閲してから、翌日投函されます。

それから電話です。外から収容者にかけることはできません。中から外にかけるだけです。各棟のフロアーごとに1台ずつカード式の電話があって、順番にかけられるのですが、これがなぜかKDDIの国際電話専用の電話なのです。市内通話でも衛星回線で中継されるので、べらぼうに高い。なんで、NTTとKDDIと両方用意してやらないのか。
なるべく不自由にして、早く出て行かせようとしているのでしょうか。
収容所から出るために
飛行機のチケットが買えないために帰国できないという人は、電話や手紙で友人に頼んで、1万円、2万円とお金を送ってもらって、チケットが買える額になるまで貯めます。東南アジアですと、6、7万円あれば買えますが、南米の人は大変です。アメリカ経由だとコロンビアまで12、3万円で行けますが、今、アメリカでは、ビザを持っていない人のトランジット(経由通過)を認めません。しかも、南米の人には原則としてビザを出さない。だから、彼らはわざわざヨーロッパ回りで帰らなければなりません。遠回りになるので、チケット代がかさんでしまう。どうしてもチケット代がつくれない人は国費で帰されるのを待つことになります。その順番がやってくるまで1年ほど待たなければなりません。

でも、どんな形であれ、帰国できる人は幸せと言ってよいのかもしれません。「自分は故国に帰ると危害を加えられる」と訴える人たちにはもっと厳しい試練が待ち受けています。かつて故国で反政府運動をし、身に危険を感じて逃げてきたというような人もいます。彼らは日本の国に「難民として受け入れてほしい」と申請することができます。しかし、日本国家が難民を認めるケースはほとんどありません。

先進諸国ですと、アメリカは毎年2万3千~4千人、イギリスとかフランスですと1万8千人くらい。ドイツも同じ程度だったのですが、トラブルがあったために去年は7,700人と減っています。カナダは2万人くらい。それが「先進国」の難民受け入れ状況です。

では日本はというと、昨年15人です、一昨年は10人。政府は「パーセンテージとしては悪くない」と言います。「申請者が400人で10人認めているから1/40で、これは欧米並みです」と言う。申請する人たちも日本が難民を受け入れない国であることを知っているので、もともと申請する人が少ないのです。パーセンテージで比較するのはナンセンスです。結果の数字が10人か2万人かを比較すべき問題でしょう。この辺の感覚がずれているとしか言いようがありません。

さて、難民認定(2度申請できることになっています)をして「不認定」になると「不服申し立て」の裁判を起こすことができます。同様に「退去強制令」にも無効の裁判を起こすことができます。でも、そのためには弁護士を雇わなければなりません。費用がかかります。法律扶助協会という機関があって、援助を申請して認められると、補助金を出してくれますが、それでやってくれるような「人権派」の弁護士さんは、たくさんの裁判を抱えていて、手一杯。だから、裁判を起こすのもむずかしい。

しかも、日本の裁判というのは本当にゆっくりです。証拠書類の確認だけで半年以上かかります。その間、本人は収容された状態で延々と待っていなければなりません。それで「不認定」が取り消され「認定」をかちとことができるかといえば、たいていは敗訴です。

もう一つ、在留特別許可を申請する人もいます。これが認められるのは、日本での滞在が長く、日本社会で一応の信用を築き上げた人たちです。前述のように日本滞在が10年を超え、子どもたちをいまさらくにに帰すのは気の毒だと判断された場合などに認められるので、該当する人は決して多くはありません。

仮放免の問題点
「地獄のようだ」と表現される収容生活から荷け出す方法の中に、「仮放免」という措置があります。放免すべき相当な理由があることを述べた理由書をつけて、収容所に申請書を提出します。申請書の他に身元保証人の保証書と誓約書、放免後に住む住居の番地と地図などが必要です。その上、保証金を積みます。保証金というのは、仮放免になった人が万一行方をくらませてしまったときの捜索費用の前払です。これが、安い人で2、30万円、高額な霊では去年の10月頃に、日本人の奥さんがいるイラン人のケースで300万円でした。

同じく去年の暮れに、日本人の奥さんがいるバングラデシュ人男性のときは200万円。なぜ、人によって違うのか、説明がないからわかりません。

奥さんは「200万円なんて見たこともありません」と途方に暮れていましたが、収容所と掛け合って、とりあえず100万円だけ支払い、あとの100万円は「何かあったら必ず支払います」と誓約書を入れることで認められました。

この方は本当にかわいそうでした。ご主人はオーバーステイで、建設現場でいっしょうけんめい働いていましたが、日本人女性と恋に落ちて結婚しました、それで、市役所に届けに行ったら、「あの書類がない」「この書類が足りない」と言われて、2ヶ月後にやっと籍が入りました。その籍が入った書類をもって、配偶者ビザをもらいに、今度は入管に行きました。八王子に住んでいたのですが、品川の入管まで夫婦そろって行きました。ここでもまた、「書類が足りない」と言われて、何度も往復しました。

やっと書類がそろって、「それでは審査に回しますが、あなたはオーバーステイなので、一応、収容します。2ヶ月で出します」と言われました。「2ヶ月ならがまんできるだろう」と思って入ったら、なんと1年も収容が続きました。結局、仮放免が認められて、配偶者ビザが出たからよかったものの、収容されている間中、彼は日本の国に対する不信感を語りました。

仮放免が認められのるは、たとえば病気が重くなって、外部の病院に定期的に通わないと治らないとか、収容が長引いて精神的に危険な状態になった人、あるいは収容があまりに長期にわたっていると見なされる人などとされています。

しかし、仮放免で外に出られたとしても、制約が多い。まず、仮放免された人は仕事をしてはいけないことになっています。ここでも本来日本にいないはずの人、という考え方がものを言います。そういう人の労働を認めると、「不法滞在者に労働を認めることになる」という判断です。彼らの生存権、命を全うする権利は考慮に入れられていません。奥さんがいるなら養ってもらえ、いなければ、保証人が面倒を見ろ、ということでしょう。でも、私も何人かの保証人になっていますが、生活まるごと面倒を見ろと言われたら、保証人なんかできません。彼らにどうやって生きていけと言ったらよいのでしょう。  仮放免が認められる期間は原則1ヶ月です。30日ごとに入管に出頭して、仮放免を延長してもらわなければならない。最近では1ヶ月期限の延長を何回か繰り返すと3ヶ月にのびるようになりました。しかし、これも、いつ「もう延長しない」と言われるかわからない。びくびくしながらハンコをもらいに出頭します。

また「小旅行許可申請書」というのがあります。住んでいる県境を越えて移動する場合には、あらかじめ日にちと場所を届け出て、許可を受けなければなりません。もし許可を受けていない場所で警官などに声をかけられたら、規則違反でそのまま収容所行きです。本当に不自由な生活を強いられています。

強制送還
くにに帰ると危険が待っている人にとって、もっとも恐ろしいのが「強制送還」です。「有無を言わさずくにに送り帰す」措置です。去年の正月に、イラン人が6人、バラバラに強制送還されました。「自分はくにに帰ったら命が危ない」と主張していた6人です支援者も収容所に強制送還をしないよう申し入れていました。それなのに、突然送還されましたその6人のうち、現在消息がつかめているのは2人だけです。あとの4人はどこに行ったかわからない。テヘランに着いたのは間違いありませんが、そこから先がわかりません。イランという国は、逮捕されて刑務所に入っても、「刑務所に入れられた」ということはわかりますが、「どこの刑務所に何年収容される」のか家族にも教えない。そのうちに、ある日、突然「死にました」と死骸が送りつけられる。そういう国です。そういう国に、入管はどういう判断をしたのか、この6人を送還しました。

4人のうち1人は電話番号がわかっていたので、友だちが電話したら奥さんが出て、「たしかに、いったん家に帰ってきました。ただ、空港でパスポートを取り上げられて、『2日経ったら取りに来なさい』と言われたので、2日後に空港に取りに行ったきり、帰ってきません」と語ったそうです。

支援者グループは収容所に抗議しました。「彼らはあれだけ危ないと言っていたじゃないですか。私たちも送還しないでくれと言ったじゃないですか。それにもかかわらず送還したので、こんなことになってしまった。どう責任をとるんですか?」すると収容所は「私たちは法律通りにやっているだけです。」と平然と言うのです。人権もなにも無関係。ただ職務に従っているだけ、という回答でした。

強制送還はどのように行われるか。その6人のうち1人の例ですが、朝、みんなが寝ているうちに、警備官が20人くらい、ドカドカと部屋に入ってきました。関係ない人を確保しておいて、お目当ての人を毛布でグルグルくるんで、5、6人がかりで抱えて運び出す。別の部屋に連れて行って、「お前は今日、強制送還だ」。否も応もありません。

彼は抵抗して暴れました。そのうちに着ているものが脱げていって、パンツ一枚になってしまった。それを押さえつけて、手錠をかけて、腰ひもをつけて、そのまま車で成田空港まで連れて行ったそうです。厳寒の1月です。もちろん、飛行機に乗せるときは服を着せたんでしょうが。

強制送還は家族や弁護士、支援者、保証人の誰にも知らせずに行われます。私が支援をしていた人の中にパキスタン人の女性がいました。まだ授乳期の赤ちゃんがいて、おっぱいが張って、痛くてしようがないと訴えていました。弁護士さんがついて、難民申請を出しました。収容所側に、「難民申請が不認定なら裁判を起こすので、強制送還しないように」と申し入れていました。本人から「不認定が出た」と連絡をもらった弁護士さんが裁判の準備するために、2、3日後に面会に行ったら、「もういません」と言われました。

強制送還されてしまっていたわけです。 「申し入れておいたのに、代理人の私にさえ連絡なしで送り返すなんて」と、その弁護士さんは、カンカンに怒って、法務大臣に厳しい内容の抗議文を出しました。このときには谷司教も同様の抗議文を法務大臣宛に発送しましたが、帰されてしまったらもう後の祭り。どうすることもできませんでした。

基本的人権が大切にされているはずの民主国家日本で、こういうことが起こっているのです。

ひどい人権侵害
去年の夏、パキスタン人の男性が1人送還されました。後に日本人のお医者さんが訪ねて行ってわかったのですが、薬でフラフラにさせられて、飛行機に乗せられたらしい。彼は日本人の奥さんがいて、日本で暮らせるのを楽しみにしていましたが、ある夜、突然「お前は明日帰す」と言われて、暴れたらしいのです。すると薬を飲まされて、頭がボーッとしてきた。翌朝、また飲まされて飛行機に乗せられ、飛行機の中でも飲まされて、離陸したのも気づかなかったそうです。北京空港でいったん目が覚めたそうですがまた眠って、次に起こされたら、パキスタンのカラチだったそうです。こんなふうに、暴れそうな人は薬を飲ませてフラフラにして帰すらしい。
また新聞でも取り上げられましたが、ベトナム人の女性に猿ぐつわをかませたまま飛行機に乗せて送還したという事件もありました。
去年、3年間も収容されていたインド人の男性が強制送還されました。収容所に行く前から、胸にしこりがあって痛むと訴えていたのですが、収容所のお医者さんが診察して、「ガンかもしれない」と言っていたのに、インドに帰してしまいました。インドで診察を受けたところ、「結核性の腫瘍だ」と言われたそうです。腫瘍ですから他人に感染する危険は少ないのですが、菌を持ったまま収容されたのか、収容されてから結核菌に冒されたのかわかりません。

それで、私たちは厚生労働省と法務省に掛け合いに行きました。厚生労働省では、「ひょっとしたら収容所内で感染した可能性もある。収容所で健康診断を行う必要がある。そうしないと警備官が感染して家庭に持ち帰り、そこから感染が広がるおそれがある」と申し入れました。ところが厚生労働省の返事は「法務省さんのなさることに口を出すのも…」と言うものでした。「法務省から申し出があったら協力してくれますか」と言ったら、「それは、もちろん」ということだったので、法務省に行って、「こんなことがあったけれど、氷山の一角だから、ちゃんと調べてほしい」と申し入れました。法務省は、調査結果を出してきました。そして、「収容所ごとに強化策を打ち出して予算請求しましたが、省内の調整で全部けずられました」という回答でした。

なぜ、外国人支援か
このように、外国人行政の陰で人権侵害が起こっているということに、法務省自身が気づいていません。このことをお話しすると、「でも、その人たちは日本の法律を破っている人たちなのだから、多少のことは我慢してもらわなくちゃ」という人が、必ずいます。

でも、彼らはくににいても仕事がないので、日本で何とかしようと、言葉も通じない不自由な国でがんばっている人たちなのです。くににお金を持って帰ろう、仕送りしようとしている人たちです。日本は労働ビザをかぎられた人にしか出しません。すぐれた学識や能力の持ち主で、日本の国力増進に貢献できるような人、大企業がしっかり身元保証する人にしか出しません。でも、そんな人は数少ない。いちばん日本で働きたいと思っているのは、とにかく一家を養えるだけのお金がほしいという人たちです。

彼らが日本に来るのは実に簡単です。観光ビザで入国できるのです。日本は観光ビザならすぐに出すんです。なぜなら、日本は「観光立国」だから。日本の国際化をめざそうということで、年間500万人の外国人観光客を、1千万人まで増やすのが国の方針です。

観光ビザには、2週間と3ヶ月の2種類あります。「3ヶ月も日本にいて、5、60万円も稼いで故国に帰れば、1~2年も暮らせるじゃないか」と言われて、それを信じてくる人たちもいます。

ところが日本に来ても、すぐに仕事にありつけるわけではありません。 ようやく仕事が見つかっても、だいたい「3K」、「きたない、きけん、きつい」仕事です。収容されている人たちが受け取っていた給料は、だいたい15~18万円です。20万以上もらっていた人は数えるほどです。そこから高い家賃を払い、高い食費、衣料費、医療費を払うと、家族に送るお金は残りません。もう少しがんばらなきゃ、と思っているうちに3ヶ月はあっというまに経ってしまいます。その状態では帰るに帰れません。だからオーバーステイになってもお金をかせごうとするわけです。

もちろん、中には犯罪を起こす人もいます。人殺しをしたり、覚醒剤に手を染めてしまう人もいます。しかし、ほとんどはまじめで善良な、底辺で働く人たちです。安い給料で家族を養って、まじめに暮らしている人たちです。どんなに就職難で、失業率が高くても、日本の青年たちが絶対やらないような職場で、彼らは働いています。日本の産業の底辺は、いまや外国人が支えていると言っても過言ではない。そんな人たちを、ビザが切れたからといって、精神的におかしくなるような状況に閉じ込めておいてよいのでしょうか。

法律があって、適正に執行されているなら何の問題もありません。人権が踏みにじられてさえいなければ、私だって面会に行く必要はないわけです。でも、現実に人権侵害があって、苦しんでいる人たちがいる。私たちが訪ねるのを待っていてくれる人たちがいる。だから私は行くのです。

「法律を破った人たちなのだから、人権を侵害されてもしかたない」というのは、やっぱり差別だと思います。私たちはカトリック信者なのですから、神の前にすべての人間は平等であることを信じているはずです。この考え方を国中に広めて、こういう施設の存在自体をなくしていくために力を尽くさなければならないと思います。

足立インターナショナル・アカデミー

安藤 勇(イエズス会社会司牧センター) 【社会司牧通信146号2008年11月15日】

ー 新しい学校の始まり ー

近頃、修道会が会員のための老人ホームを開いたり、幼稚園や学校、病院を閉めたりすることは珍しくない。でも、足立区(東京)にインターナショナル・アカデミー(といっても小さな家だ)を開くのは、どういう訳だろう? リスクを冒してまでアカデミーを開く理由は何だろう?
国レベルでは、日本は何十万人という滞日外国人に、十分な日本語教育を提供しているとは言えない。実際、外国人労働者やその子どもたちは途方に暮れている。全国どこでもそうだとは言えないが、ある地域では日本語教育が火急のニーズであるのは確かだ。足立区もそうした地域の一つだ。
この数年、いくつかの小さな外国人支援ボランティア団体が、主に足立区在住の外国人労働者を対象に、日本語学習の取り組みを散発的に行ってきた。たとえば「むすびの会」もその一つだが、この小さなボランティア・グループが足立インターナショナル・アカデミーの前身だ。
大都市ではしばしば、何百人という外国人労働者がカトリック教会に集まる光景を目にする。私たちは彼らと日本語で話したり、彼らの国の言葉で話したりするが、彼らの大部分は日本語の読み書きができない。彼らは日本語学校に通う余裕もないので、結局、日本語を読み書きできないままなのだ。読み書きできないと、人に頼りがちになり、行動の自由や人権すら制限される。普通、その影響は家庭や仕事の問題、健康や法律の問題として重くのしかかり、不満や恐れ、ストレスの原因となる。多くの外国人が学齢期の子どもを持っているのに、読み書きができないために、子どもたちまでストレスや無力感を感じている。こうして、彼らは自分に自信が持てなくなる。子どもたちだけでなく、大人の人間的成長も妨げられてしまう。アカデミーはこうした状況を解決したいのだ。

アカデミーの新しさ
アカデミーのようなフル・タイムの「寺子屋」を始めるにあたって、新しいと言えるのは、外国人に日本語教育を提供することではない。このようなアイディアはずいぶん前から、教会や修道会で実現されてきた。

アカデミーには、創造的な活動を促す新しいコンセプトがある。それは、教育を受ける人を活動の中心に置く新しい教育の試みを実践するため、彼らの「パートナー」として共に働くというコンセプトだ。教育を受けるのは外国人の子どもたちであり、その親たちであり、場合によっては親子一緒のこともある。アカデミーに来てみれば、日曜の午前中に、ボランティアから日本語を習うフィリピン人の母親の横で赤ちゃんが寝ていたり、ガーナ人の男性が他の国の人3人と一緒に日本語の読み書きを習っている光景を目にすることができる。ガーナ人男性の3人の子どもは、午後から日本語と英語、数学の勉強にやってくるし、日本人である妻はボランティアを手伝っている。授業では、黒板もホワイトボードも一切使わない。重点を置いているのは一対一の関わりであり、個性の発達を重視すること、授業を楽しいものにすること、子どもも大人も、お互いに信頼に満ちた親密な雰囲気のうちに勉強できるようにすることだ。ブラジルの教育心理学者、パウロ・フレイレの言葉を借りれば、教師が生徒に教えるだけでなく、教師もまた生徒から教えられるのだ。また、大人が仕事や社会生活の面でしばしば差別され、教会でお客様扱いされていたり、子どもが学校でいじめられている場合、彼らに「自信」を与え、「力づける」(empowerment)ことがとても大切だ。だから、アカデミーは自然に、彼らの個人的悩みを聞く場所にもなる。子どもたちはアカデミーに来ると、日本語で自由に、大声で話しているが、彼らは学校に行けば、先生が何を言っているかも分からないまま、教室で何時間もじっと座っていなければならないのだ。


求められる理念
アカデミーは、キリスト教的な理念と方針-つまり、全人的な発展を目指す、全体的な教育のアプローチに基づいている。だが、こうした理念を実践するにあたっては、一般企業に要求されるのと同様の条件が求められる。つまり、一人ひとりの(特に困っている人の)ニーズに応えること、スタッフや協力者の献身的取り組み、資金、そして立地条件などだ。固い仲間意識と共に、創造性と柔軟性も要求される。いつも人々を信頼し、神の「見えない手」を信頼しながら、試行錯誤で学んでいく、リスクを恐れない姿勢も必要だ。

アカデミーが実際に動き始めたのは1年ほど前だ。アカデミーを確固たる体制のもとで運営していくために、すでに滞日外国人の教育に携わって来た経験を持ち、新たな教育施設の必要性を認識している、いくつかのカトリック修道会が集まって話し合った。これらの修道会の活動経験は貴重だった。また、人員と財政の負担を軽くするために、「共同運営」のコンセプトが基本とされた。こうして2008年2月までに、イエズス会を含む4修道会がアカデミーのプロジェクトに参加することを決めた。同じ頃、プロジェクトをスタートするのに必要な資金の大半が、国外の助成団体から提供され、教室の運営に必要な家や備品も少しずつ揃えられた。

アカデミーの重要な副次効果の一つは、若い人や退職後の人にボランティアの機会を与えることだ。アカデミーはボランティアにとって、自己実現と他者への奉仕の場となっている。もちろん、外国にボランティアに行くのも素晴らしいことだが、日本国内にも貧しい人、困っている人はいるのだ。アカデミーの運営にとってボランティアは不可欠であり、ミッション・スクールがアカデミーを、学生のボランティア派遣に絶好の場所と考えてくれるよう期待している。若いボランティアがいれば子どもたちも楽しく過ごせるし、それによって若者たち自身の生活も、もっと楽しくなるだろう。

アカデミーの場所を探すのに一月近くかかったが、幸い足立区の古い一軒家を借りることができた。最近、上智大学教員を退職したばかりの中村友太郎氏を塾長に、アカデミーは2008年6月から活動を始め、7月6日には、50人のお客様を招いて開所式を行った。7月のアカデミー利用者は延べ30人だったが、 8月には126人、9月には197人に跳ね上がり、10月には293人になった。アカデミーは、月曜を除く午前10時半~午後8時半に開いている。どうぞ、お気軽にお出でください。
【足立インターナショナル・アカデミー】
〒123-0816 足立区梅島3丁目4-12
Tel. 03-3880-8487 / Fax. 03-3880-8489