日本の移民労働者(1) ~国がある限り、移民がある~

安藤 勇 SJ,イエズス会社会司牧センタースタッフ移民デスク担当

【社会司牧通信178号2014年8月15日】
日本への外国人労働者の移動の始まり
  日本の移民は、日本による朝鮮半島の軍事併合を抜きに語ることはできません。1910年から始まった朝鮮半島における日本の軍事的支配は、大いに強まっていきました。1910年、日本にいた朝鮮半島出身者は1000人足らずでした。しかし1930年までにはその数はおよそ40万人にまで増大し、太平洋戦争終了時(1945年)には200万人に達しました。彼らの過酷な人生と労働条件、教育の機会、社会的地位は、こんにちの日本の外国人労働者の状況に対する洞察を提供します。
  1951年に朝鮮戦争が勃発した結果、日本にいた多くの朝鮮半島出身者は帰国することができず、日本に留まらざるをえませんでした。彼らは日本国籍を失い、困難な状況に置かれました。日本に暮らしていた台湾人も、当時、同じような問題に直面しました。

1950年以降の、日本への外国人労働者の到着
  1960年代になると、アジア諸国からの労働者が数多く日本に入ってきました。彼らは、新しい、よりよい生活を夢見た若者でした。彼らのほとんどは、家族を貧困から抜け出させ、兄弟姉妹の教育費を賄い、家庭によりよい将来をもたらし、両親がよりよい家を建てることを助けようと望んでいました。こうした若い労働者は高い望みをもって日本に来て、彼らの大切な人を支えられることに満足していたのです。彼らがそうしたのは、自国では仕事に就くことができなかったからです。言葉も通じず、また自国とはまったく違う国で新たな生活を始めることは困難なことですが、彼らにはそれをする覚悟がありました。それは危険な冒険でしたが、それでも日本は豊かで、報酬のよい仕事に就ける可能性が高かったのです。日本にたどり着くことができたので、彼らは嬉しく、幸せでした。
  60年代、70年代に日本に来た、こうしたアジア人労働者の多くは、台湾、タイ、フィリピンからの若い女性でした。彼女たちはエンターテイナーか、サービス業などに従事していました。日本の暴力団が若いアジア人女性を日本に働きに来させる方法は、当時多くの社会問題を巻き起こしました。

  他の方法を望む人がいたとしても、移民は人生の現実です。そのためそれは、移民をなくすという問題ではなくむしろ、あらゆる面において協力と理解を深め、よりうまく移民に対処することです。ゼロサム・ゲーム状態とは異なり、移民はすべての人に利益をもたらすことができるのです。
  共同通信社の報告によれば、社会福祉の東京会議が行った調査によると、東京に316ある高齢者ケア施設(従業員の90%という大多数が女性ですが)のうち30%で、外国人労働者が合計196名雇われました。こうした外国人介護者の過半数はフィリピン人で、以下、中国人、台湾人、韓国人と続きます。
  経験から言うと、難民や外国籍労働者はしばしば私に、公的な抑圧と迫害によって自国に帰ることができないと語ります。彼らの命は、彼らの家族と同様に、危険に晒されています。外国籍労働者のほとんどは、仕事の不足を訴えます。自国では生きていくのに十分な収入を得られる可能性がなく、貧困が彼らを待っているのだと言うのです。日本の公的機関はそのような求めに対して、耳を貸そうとしません。実際に、私たちは日本で「移民」という表現を用いますが、日本には「移民」という概念が存在しません。公式には、他の多くの国のような移民に関する政策はなく、むしろ「外国人」を扱うためのコントロール政策しかありません。

日本の移民政策の作成
  それでも、時代は日本にとって、おそらく大きく変わりました。日本国はグローバル化の先駆者です。これまで日本は入国してくる外国人労働者に対して、厳しい制限を設けてきました。しかし経済界や日本の多国籍企業は、競争に勝ち、事業を拡大するために、外国からの労働者に対して扉を開く必要性を経験しています。外国籍労働者の問題に対する日本の公式な立場と日本企業の方針は異なっていると私は思います。そのことは日本人を祖先に持つラテンアメリカ諸国の「日系人」に対して、日本が公式に扉を開いた2007年頃からはっきりとしました。移民政策を変化させるために、企業が強く後押ししたのです。
  実際に、外国人労働者の受け入れに関して、日本政府に認識を根本的に改める必要を迫る二つの新しい現象が存在します。
  一つ目は、2020年の東京オリンピックに向けた準備です。かつて、約50年前の1964年に東京オリンピックが開催されたとき、日本はかなりの経済産業復興を目の当たりにしました。高速道路建設や新幹線の開業などは、強い経済発展のシンボルとなりました。現在、新たに2020年の東京オリンピックを控え、人々は「古き良き時代」を思い出し、新しく強い経済復興が起きることを期待しています。しかしながら、日本には再び経済的な「奇跡」を起こすだけに必要な労働者がいません。そこで安倍首相は公式に、日本は年に20万人の外国人労働者を受け入れるという立場を示しました。
  二つ目の現象は、さらに現実的かつ緊急です。日本の人口はますます減少しており、必要とする若い労働力は、こんにち見つけることができません。日本は工業生産力を維持し、高めるために、海外からの労働者を求めることに決めました。
  予測される日本の人口減少は、より肯定的に外国人労働者の受け入れを考え、移民システムを改善することを要求しています。

新しい出入国管理法(2012年)
  日本の出入国管理法は、何度か改正されました。1989年、経済バブル時代には法律改正の結果として、主にラテンアメリカからの日系人は、日本に働きに来ることが簡単に許されました。2007年までに、ブラジルやペルーからの約40万人の日系人が日本で暮らし、働いていました。2009年の改正では、日本における外国人に対して、絶対的な支配権が法務省に与えられました。かつてすべての外国人が持っていなければならなかった外国人登録証は、ICチップ入りの「在留カード」へと変えられました。そこには住所やビザなどのあらゆる個人データが入っています。外国人は常に在留カードを携行していなければならず、もしその不所持が見つかると、最高20万円の罰金が科せられます。雇い主にもまた、雇用する外国人について、住所やビザ、雇用状況などの詳細を報告する義務が課せられました。
  日本中に存在する1787の市役所は、かつては外国人の暮らす地域において、多くの手続きを公的に取り扱う担当機関でした。けれども、市役所はもはやその機能を果たすことはできません。その代わりに、日本に全部で76しかない出入国管理事務所が、外国人に関するすべてのことを取り扱うことになりました。住所の変更、離婚といった結婚問題、転職などについて外国人が直ちに報告をしないと、処罰の対象となります。言い換えれば、法務省の入国管理局は今や、完全な支配権を握っているのです。
  入国管理局の見積もりによれば、日本には2011年に、9万から10万もの非正規外国人(78488名のオーバーステイ外国人を含む)が存在しているといいます。オーバーステイ外国人の数は、ここ5年間で半数にされました。そのほとんどはアジア諸国から来ており、韓国(19271名)、中国(10337名)、フィリピン(9329名)、台湾(4774名)、そしてタイ(4264名)です。
  非正規外国人が、もし警察や入国管理職員によって捕らえられると、実際には刑務所である入国管理センターに連れて行かれます。
  日本には主に三つの入国管理センターがあります。牛久(茨城県)、茨木(大阪府)、そして大村(長崎県)の三つです。さらにもう一つ、似たような大きな一時的なセンターが品川(東京都)にあります。数百人の外国人が収容されています。入国管理局には、8つの地方入国管理局があり、7つの支局、61の出張所があります。2012年現在、すべての入国管理局と支局、そして一つの出張所に収容施設が存在します。
  『壁の涙』という本が指摘するように、長期間の収容は、大きな問題です。入国管理法違反者に国外退去命令が出された後もなお、彼らは無期限に収容されうるからです。
  共同通信社の調査によれば、2000年から2004年の間に、23名もの収容者が自殺を試みました。

現在の日本の外国人人口

  現在、日本にはおよそ222万人の外国人が暮らしています。彼らの内、66万人(30%)が中国人で、59万人(27%)が在日朝鮮人です。

☟ 日本の外国人の割合(2013)
http://blog.ofjapan.jp/japan-and-highly-skilled-foreign-professionals/ (2014年6月21日)より
graph 1

graph 2

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