ミャンマーでのミッションにとって挑戦の時代

マーク レーパー SJ イエズス会アジア太平洋協議会議長
【社会司牧通信171号2013年6月15日】

アウンサンスーチーが公の場に自由に姿を見せることができるようになった時、何百人という政治犯が釈放され、反体制者が海外での亡命をやめて自由に故郷に帰ることができるようになった時、言論弾圧や制裁が解除され、選挙が行われた時、そして議会が新しい憲法を立案するために開かれた時、多くの人は、戦いに勝利したと考えたかもしれません。しかし実際には、ミャンマーを再建するという仕事は始まったばかりです。

残忍な失政とひどい指導力だった半世紀の後、無数の憤りが煮えたぎっています。教育、医療、社会福祉、そしてインフラ整備を怠ってきた数十年は、すぐに克服されるはずがありません。独裁政治が自分の国の市民たちの統制を緩和することで、人びとは苦しんできた危害や不正に抗議する機会をつかみます。自己表現がより普通になるにしたがって、力のある民族的、宗教的、文化的枠組みが明らかになり、狂信的行為、民族的な不一致、そして古い妬みが再び現れます。

MyanmarロヒンギャRohingyaの扱い、ミャンマーでのイスラム教徒に対して拡大する攻撃への反応、カチン州での戦争の平和的解決を成し遂げる度量、そして多くの民族的・人種的集団間で、調和を見出す能力は、テイン・セインの新ミャンマー体制だけでなく、現在この国での新しい投資の可能性に、蜜月のような期間を過ごしている多くの国や企業という、新しく見つけた友人たちをも試すことになります。このような状況の中で、新しい社会的制限、新しい交渉の技術、共同体を構築するための、そして環境を保全するための努力が、大いに必要とされています。

ミャンマーの教会は、新しい機会と挑戦に目を覚ましつつあります。神学校や幼稚園は別として、わずかな公的サービス、権威者や他の宗教から、必要な孤立状態の歴史があって後、教会はこの市民社会に参加することを学び始めました。今、教会の指導者たちは、社会の多くの分野にまたがって、友情や信頼を発展させ、交渉する機会を持っています。

このような状況にあって、ミャンマーにおけるイエズス会のミッションにとっての挑戦もまた大きいのです。施設を建てるには早すぎるかもしれませんが、人びとや養成に力を入れることは早すぎるということはありません。最近、ミャンマーのイエズス会員は、すべてのイエズス会がミッションにどのように協力し、サポートできるかを相談するために、数人の管区長訪問を主催しました。管区長たちは、ミャンマー内での発展、挑戦、機会のアウトラインを描いている教会や市民社会のメンバーたちと会いました。

相談では、教会への私たちの奉仕、ミャンマー社会へのアウトリーチ活動、そして養成や統治といった内部の課題について熟慮されました。

30人以上の養成中のミャンマー人イエズス会員がおり、彼らの多くはフィリピンやインドネシアで勉強しています。人々への奉仕に、数年間、実際になじむために、彼らのかなりの数が今年には戻ってくるでしょう。ミャンマーにおける、今後数十年の間の挑戦の時代には、多様な技術の質、識別、規則、深い自己認識が、彼らにおいてだけでなく、コミュニティ作りに献身する全ての人に要求され、若い人には才能、社会には調和が求められています。

キリストの復活が新しい光と夜明けという希望を切り開いた今、孤立と圧制という長くて暗い夜から、現在脱しつつある国に奉仕しようとする、巣立ちしたばかりのミャンマーミッションのために、祈りと実際的な支援をもって、一緒に参加をお願いします。

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