ビルマ人として日本に生まれて

テュアン シャンカイ
【社会司牧通信171号2013年6月15日】

初めまして。私の名前はテュアン シャンカイと申します。私の両親は、1991年にミャンマー本国で行ってきた、反政府活動に対する迫害の恐れがあり、日本に亡命してきました。よって私自身は日本で生まれました。現在は関西学院大学の総合政策学部で、主に公共政策を中心に勉強しています。

私は1993年10月6日に、新宿区の聖母病院で生まれました。当時私の両親には在留資格がありませんでした。母親は外国人登録証すら持っていませんでした。母親は日本に来た際に、ブローカーにパスポートを取られて、半年以上経ってから返してもらいましたが、その時には既にビザも切れており、自分が日本に入ってきた時のビザではないものとすり替えられていました。妊娠した時に区役所で登録証も何もなかったので、母子手帳ももらうことさえ出来ず、検診を受けていた病院から英語で書かれた母子手帳を頂きました。私が生まれた所が新宿区だったため、新宿区に出生届を出すように言われました。言葉もやり方も何も知らなかった父親が、新宿区に出生届を出しましたが、その後の手続きに関しても何も分からないまま私は育っていきました。

Burmese Tuan Sian Khai両親はミャンマー国籍なので、私のためにミャンマー国籍を認めてもらうために、大使館にもお願いしに行きましたが、高額の税金を請求されました。当時の両親は、生計を立てるのに必死であったために、払う事が出来ませんでした。また税金と言うのも不当な税金であったために両親も支払う事を拒みました。加えて両親はミャンマー本国で反政府活動を行に私のミャンマー国籍は認めてもらうことが出来ませんでした。それで国籍の手続きさえも大使館は何もしてくれませんでした。よって私にはミャンマー国籍を証明するものがないため、自分の外国人登録証を作ることも出来ず、区が無料で行っている予防注射や検診などにも行くことが出来なかったので、民間の病院で多額の費用を払って予防注射を受けていました。

やがて幼稚園に入る年齢になりましたが、両親は何も出来ませんでした。しかし、チン民族の知り合いが保護者になってくれて、その人の家の近くの東京都大田区蒲田にある幼稚園に1998年から2000年まで通うことが出来ました。とはいえ、当時私たち家族は大田区の田園調布に住んでいましたので、毎日電車で通わなければなりませんでした。幼稚園を卒業すると、同じ敷地にある新宿小学校に入学することが出来ました。入学するに当たって自分の外国人登録証も発行することが出来ましたが、国籍の欄には無国籍と記載されていました。2004年に、難民申請をした際に入国管理局から、両親がミャンマー国籍であるから、息子にもミャンマー国籍と書き直しなさいと言われたので、言われたまま役所に行って国籍欄を変えてもらいました。確かに私の国籍欄にはミャンマーと記載されましたが、法的に自分の国籍を証明する書類は何もありません。そのため私は事実上の無国籍者です。

今日に至るまで、私は国籍というものを持っていません。現在私は大学生になりましたが、今後の将来について非常に不安です。まず私は自分自身の中で、私は何者であるか?についてどう答えるべきかわかりませんし、答えも見つかりません。加えて両親はミャンマー国籍ですが、仮にミャンマーの情勢が良くなって、両親がミャンマーに戻った場合、ミャンマー国籍を持っていない息子である私はどうしたらいいのか、家族が離れ離れになってしまう恐れも充分にあります。また例えば自分が今所持している再入国許可証で留学に行けたとしても、留学先でトラブルに遭遇した場合、私はどこで保護を求めればいいのか、ミャンマー大使館に行っても国籍を証明するものはないですし、日本大使館に行っても再入国許可証は日本国籍を証明するものでもないので、私はどうしたらいいのか分かりません。

条約難民の方は、難民パスポートを与えられているので、どこに行っても国連の保護を受けることが出来ますが、私は人道的配慮による在留特別許可を持っているだけなので、条約難民としての扱いもされず、私の身の安全は保障されていません。

最近、一番不安を抱いているのは、就職に関してです。就職活動をしても、自分を採用してくれる企業があるかどうかとても不安です。仮に私が日本へ帰化したとしても、日本国籍として認めてもらえるのかどうかも分かりません。一番の望みは私のような無国籍者を支援する、公的な組織や相談窓口を作ってほしいのです。

現在、私は難民料理を大学の学食で導入するプロジェクト「Meal for Refugee」の代表をさせて頂いております。このプロジェクトは、NPO法人難民支援協会が、今年の2月に出版し『海を渡った故郷の味』という、45のメニューが載っているレシピ本を元に学食で導入して、学生に向けて難民について正しい理解と関心を持って頂くための活動です。現在首都圏で3大学、関西で2大学がこの企画に参加しており、6月20日の世界難民の日に向けて、5大学で協力し合って活動を行っております。

最近日本社会の中で「難民」と言う言葉がよく使われる様になりましたが、本来の難民の定義に沿った使い方をしているとはとても言い難いです。例えば、東日本大震災からよく使われるようになった「帰宅難民」を初め、「レーシック難民」「ネットカフェ難民」という様に、難民の使い方が非常に多様化しており、ますます本来の難民の意味が分からない若者が増えるのではないかと非常に危機感を抱いています。ですので、改めて難民の本当の意味を理解して頂きたいのに加えて、こういった間違った使い方を、今後は控えて頂きたいのです。

私には夢があります。
それは幼い頃から好きだった日本の鉄道システム、特に新幹線を自分の祖国であるミャンマーに紹介して、ミャンマーの発展に貢献するという夢です。ミャンマーは軍政移管によって、民主化へ向けて勢いに乗っておりますが、まだまだ民主化の達成には時間がかかると私は考えております。国内にはいまだに内戦や紛争が起きており、これらを解決するためには多くの時間とお金が必要です。この事があまり日本社会には知られておらず、非常に残念です。決してミャンマーの情勢が良くなったわけではないという事を、これからも伝えていきたいです。

大学2年生になり、そして今年で成人にもなります。難民2世である私が少しでも功績を残して、後輩や次の世代の子どもたちが、少しでも日本社会で何も不便なく過ごせるように、一所懸命頑張っていきたいと思います。

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